年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

しまなみ海道

2006-01-22 00:00:00 | Weblog
2006/1/22 (Sun) しまなみ海道

 大三島に行く。実は昨年末12月26日に私の学生時代の後輩の父上が亡くなったと聞いたからである。何故か告別式も喪主の故人に対するお見送りの様相が変わってきておりごくごく近親者のみで執り行われることが多いようだ。だから生前お世話になっていたにもかかわらず知らないでいた。私に知らされたのは先週であった。妻と下の子供を連れ廣島から上の子供を現地に呼んでお線香を上げさせてもらった。瀬戸内の海賊の血を引くF君は昨年1年間もの入退院を繰り返してきた実父を見送るにつけなにかさばさばとしており肩の荷がおりたようなまた別の安堵感があったようだ。なにさま末期がんで痛み苦しみを訴えていられた父上が安らかになったのだからF君も反面ほっとしていたのかも知れぬ。
 仏壇の前で手を合わせた後,島の小高い中腹にある父上が丹精こめて作っておられたみかん園を覗くと手入れが出来ていなかったことがよくわかった。荒れ放題である。みかんの木が方々でボギッと折られておる。犯人はいのしし。野生のいのししが木にあがってみかんを貪り食ったようだ。また木の上部はみかんの皮が残ったまま中身を鳥が餌を食んでいる。少しだけいのししと鳥が食べ残した完熟みかんを私の家族4人で取らせてもらった。さすが74の人生を終えるまでみかん作りに賭けていたF君の父上が育てたみかんだけに口にほうばるとうまいの一言であった。小高い所から下を見下ろすと冬にしては珍しく波穏やかできらきらと海面が光っていた。