「袖振り合うも他生の縁」、私はてっきり「多少の縁」だと思っていた。輪廻思想が根本にあり、前世のご縁で、現世の関係があると言う事だそうだ。教えてくれた人も、間違えている人が多い事を知った上での、確信犯的ではあったが、ちょっとおリコウさんになった事だし、有り難いものだ。
ことわざの勘違いもまだまだ多いと思うが,やっぱり多いのは歌詞の間違いであろう。
松田聖子の初期の頃のアルバムの中の曲で(アルバム名も、曲名も覚えていない)、ドライブ中に彼氏と気まずくなった女の子の気持が出てくる所があり,「助手席で、カステラを切った」と何とも奇妙な歌詞があり、さすがは松本隆(作詞家も彼かどうか不明)と妙に納得していたが、実は「助手席で、カーステレオを聞いた」である事を何年か後に知る事となり、ドライブとカステラの関係と言う答えの無い哲学的考察にも終止符が打たれた。(カーステレオというのも死語?)
妻は妻で、アルプス一万尺で、「子やぎの上で、アルペン踊り」を踊ると理解していたらしい。ちょっと無理があるとは思っていたらしいが、ハイジ位の小さい子でおてんばであればやれるかもしれないと流していたらしい。絵的には、納得出来無くもない。
ことわざの勘違いもまだまだ多いと思うが,やっぱり多いのは歌詞の間違いであろう。
松田聖子の初期の頃のアルバムの中の曲で(アルバム名も、曲名も覚えていない)、ドライブ中に彼氏と気まずくなった女の子の気持が出てくる所があり,「助手席で、カステラを切った」と何とも奇妙な歌詞があり、さすがは松本隆(作詞家も彼かどうか不明)と妙に納得していたが、実は「助手席で、カーステレオを聞いた」である事を何年か後に知る事となり、ドライブとカステラの関係と言う答えの無い哲学的考察にも終止符が打たれた。(カーステレオというのも死語?)
妻は妻で、アルプス一万尺で、「子やぎの上で、アルペン踊り」を踊ると理解していたらしい。ちょっと無理があるとは思っていたらしいが、ハイジ位の小さい子でおてんばであればやれるかもしれないと流していたらしい。絵的には、納得出来無くもない。