YS Journal アメリカからの雑感

政治、経済、手当たり次第、そしてゴルフ

エボラ熱、パニックの一歩手前

2014-10-15 23:11:01 | 雑記
二人目の感染者が出た。二人とも看護婦で、先日アメリカでの初死亡例となったアフリカからの感染者(リベリア人)の治療に直接関わっていた。

CDC (Centers for Disease Control) は、この治療に関わっていた76人は監視下にあると発表していたが、隔離してたわけではなく自主監視であったと訂正している。(たった一人にこれだけの医療関係者が関わっていたのにはビックリ)

その上、二人目の感染者は潜伏期間中に飛行機を利用している。昨日、出先からの帰りのフライトに搭乗する前に発熱があり、CDC に連絡をしているのだが、エボラ発病の基準となる高熱を少し下回っていたので、搭乗を許されている。到着後そのまま病院に直行し感染が確認された。

この飛行機には約130人が同乗しており、乗客全員を監理下に置くかどうかが、話題になっている。

もし、乗客の中から感染者が出れば、一気にパニックになるだろう。

潜伏期間は2-21日と言われているが、42日という説もあるので、なんだかスッキリしない日々が続くことになる。現時点では、エボラ熱が拡大している西アフリカへの渡航制限及びこれらの国々からの入国制限を行っていないので、全く別の感染者が入国する可能性も十分にある。

感染した看護婦は、完全とはいかないまでもそれなりの防護をしていたらしい。しかし、エボラ熱の末期は下痢、激しい咳等の症状があるので体液をまき散らすことになり、完全密閉の防護服が必要なのにキチンと対策が取られていなかった。(完全な防護服を脱ぐ時にも感染の危険があるそうだ)現在、CDCを始め、州当局や病院でも対応策の見直しが進んでいる。

エボラ熱は40年前に発見されており、比較的安定したウィルスと思われていた。空気感染はないと考えられていたが、ここに来て死亡率が50%から70%に上がっている事から、突然変異(Mutation) が起きている可能性も指摘されている。

前国防長官 Leon Panetta の回顧録 "Worthy Fights"

2014-10-08 20:56:21 | アメリカ政治
オバマ政権で CIA 長官、国防長官を歴任した Leon Panetta の回顧録が出版された。

仕えた大統領が現役であり、現在進行しているホットな案件について批判をしている事が話題になっている。

下に貼ってある Fox News のインタビューを見た感想であるが、彼は民主党の枠を超えて、重要ポストにあったアメリカ市民の一人として真剣に国の行く末を心配しているのだと思う。在任中には出来なかったオバマ政権のやり方を、世論に訴える事で良い方向に転換させたいという真摯な印象が強い。

オバマにはアメリカ大統領としての理解力、実行力、決断力、胆力とも欠けている事を、控えめで真綿に包んだ言い方で吐露している。ストレートな質問に、本音を曝け出す訳にはいかないがキチンと本質を伝えたいという微妙な所で、苦渋に満ちた表情で受け答えをしている。

彼が一番危惧しているのは、今後2年間オバマがこのままズルズルと事態を悪化させることだろう。

2010年に民主党が連邦下院の過半数を失ってからは本格的に何の実績も無いが、民主党が過半数を占めている上院が隠れ蓑となって、オバマの無能振りが暴露されていない。(何度も書いているが、上院議会議長のハリーリードの実質的な審議、採決停止や、議会での公式発言としてのコーク兄弟への批判は、本来糾弾されるべきの大問題である)

一ヵ月後には中間選挙であるが、共和党が上院の過半数を奪わないと彼の危惧が現実になる。このままの体たらくが2年も続くと経済、外交、軍事、全ての面でアメリカの凋落が著しくなり、回復が難しくなると思われる。それはアメリカだけでなく、世界にとって不幸な事である。

比較的地味な中間選挙であるが、アメリカの行く末を決定する意味では非常に重要な意味を持っている。


新幹線、初乗車の思い出

2014-10-02 07:45:01 | 非常に個人的な昔話
初めて新幹線に乗ったのは5歳の時だから1966年。横須賀と小田原に住む父方の叔母の結婚式に出席する父に連れられてである。(同じ時期に叔母二人が結婚式を挙げたと思い込んでいるが、なんだか怪しい。父は11人兄弟の長男で、下の4人は当時神奈川に住んでいた)

新幹線は、岡山から新横浜まで乗ったと思っていたが、このエントリーを書くために調べてみると山陽新幹線開業が1972年なので、新大阪からしか乗れない。当時の経路は、予讃線:卯之町ー高松、宇高連絡線、宇野線:宇野ー岡山、山陽本線:岡山ー大阪、大阪ー新大阪、新幹線:新大阪ー新横浜、だと思うのだが、当時ひかりは新横浜に止まらなかったはずなので、こだまへの乗換えをしているか、東京まで出て折り返したのかも。

中学、高校のときにこのルートで上京した記憶とごっちゃになっているのだろう。大学生になってからは松山から飛行機を利用する事が多くなり、本四連絡橋が出来たので、現在ではルート自体が存在しなくなっている。

自分の記憶に残っているのは、薄暗い時に家を出たのと、父に抱かれて叔父のアパートの階段を上がる風景、それとこれから書く新幹線の中の出来事だ。(幼過ぎて連れていって貰えなかった弟に自慢して口惜しがらせた記憶もある)

書きながら段々と記憶の怪しさが増してくるが、東海道新幹線開業50年のお祝いという事で私の断片的な思い出を。でも、自分で覚えていると言うより、父が母に語った事を、後々母が私に話してくれて、辛うじて自分の記憶になっているようだ。

行きの新幹線の中で、父がアイスクリームを買ってくれそうだ。それまでアイスクリームなど食べた事がない田舎者の5歳児の私は、洗練された美味しさ(帝国ホテルブランド?)に圧倒されたのだろう、もっと食べたいとねだったのだ。父は食べすぎを心配して買ってくれなかったのだが、私の愛くるしさにほだされて隣に座っていた紳士が買ってくれたそうだ。(騒がしいのに業を煮やした可能性も高いが、穏やかな印象しか残っていない)

そして父の心配の通り吐いてしまったそうだ。当時から食い意地の張ったコントロールが効かない阿呆であった。

この旅行では東京見物もしており皇居とか東京タワーでの写真があるのだが、記憶が全く無い。父が「宮城」に行くと言ったのを、すっかり「球場」と勘違いしていてガッカリしたのを覚えているだけだ。

自分の中では微笑ましい思い出なのだが、書いてみると実につまらん!! 失礼いたしました。

Yips

2014-10-01 11:03:26 | ゴルフ
毎年恒例の SC Golf Trip に先週行って来た。(4日間で6ラウンド)

相変わらずバミューダ芝のグリーンに苦しんだのであるが、今年不調のチッピング・ピッチングの距離感を調整しているうち、知らず知らずにパティングに影響を及ぼしていた。

これまで強く意識した事は無かったのだが、パティングの距離感は常に腕と手で出していた。パティング自体の調子が良かったので、チッピング・ピッチング、特に短い距離もパッティングと同じように腕と手で出そう考えて失敗していたのだ。

練習しているうちにチッピング・ピッチングはボディターンが基本である事に改めて気が付き、随分と良くなった。(逆に言えば、チッピング・ピッチングに必要なパワーは非力な腕と手ではジェネレートする事が出来ず変な事をしていたのだ)

ゴルフスイングはドライバーからパターまで同じであると言う信念があり、新しいスイングを試すときは常にパターにも反映出来るかを考慮する。チッピング・ピッチングが良くなったので、今度はパティングにも応用しようとしたのが大きな間違いであった。

フルスイングのパワーはボディターンが生み出す。腕と手でもパワーを生み出しているが、方向性が主な役目である。パッティングでボディターンのパワーを使うと必要量に対して余りに強力なため、調整が難しくなる。

ボディターンのパワーを深く考えないままパティングのストロークに取り入れたため、ほぼ全てのパットが考えられない位オーバーをし始めた。一旦距離感が狂うとオーバーばかりでなくショートもランダムに発生し収拾不可能状態となった。

二日目に始まり、三日目午前中には悪化しそうな気配さえあった。一緒に回っているメンバーたちから Yips の大合唱が起こるので、「自分はパティングが上手い」との呪文を唱えながら、奈落の底に落ちないようにするのに苦労した。

地獄の淵の一歩手前でホットドッグを食べながら午後のラウンドに備えていた時、このトリップの前のパティングストロークに戻せば大丈夫なのではないかと思い付いた。今年のパティングは安定していたのだ。

パティングミスは右に押し出す事(引っ掛けるときはそれを意識しずぎたとき)が多いので、左肩を予めインパクト時の位置、ちょっと開き気味にして腕だけでストロークするようなセットアップにしていた。チッピング、ピッチングでボディターンを取り入れたために、意識、無意識にアドレスの肩がスクエアになりボディの動き(つまり巨大なパワー)を使うようになっていたのだ。

Yips の危機はあったが、チッピング・ピッチングとパティングは、ボディターンに関しては全く別物である事が自分の中で明確になったのは大きな収穫であった。

たった一日半であったが Yips の恐怖はリアルであった。5,6フィート(2-3メーター)のパットのスピードが全く分からなくなるのだ。Yips の人がロングパターで直るのはボディにアンカーする事でボディ自体のターンを殺して、腕の力だけでパティング出来るようになるからだ。

Yips の人は、左肩をオープン気味(フルスイングのインパクトの位置)に固定して腕だけ(練習では左手だけ)でストロークする事をお勧めする。不思議なもので、腕の振り幅と全く固定しているその先にある手の感覚で距離感が戻ってくる。

と言う訳で、最終日は76で回る事が出来、めでたしめでたしであった。(16ホールまで1オーバーだったので自己ベスト(75)更新の皮算用ですっかり緊張してしまい、結局ボギィ、ダボ、のトホホなフィニッシュ。しかし、悔しさより安堵感の方が遥かに強いラウンドであった)