生き方は星空が教えてくれる(木内鶴彦著)

2016-12-08 00:00:42 | 書評
多くの人が本書を座右の書にしているらしく、読むことにした。もう一つの理由は、著者が「彗星捜索家」として世界的な著名人で、彗星の名前にもなっているということ。私も今春に岡山県の美星町の本物の天文台で宇宙観測したあと、ちょっと星空に興味を持っていて、つい先日、星のきれいな場所に突撃した(来週あたり書こうかな)りして、星空の意味を人生にどう反映するのか興味があったからだ。

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そして本書は二つの構造からなっている。一つは著者が体験した臨死体験のこと。もう一つはこどもの頃からあこがれていた星空観察や彗星の発見のこと。

臨死体験のことからいうと、著者は難病に見舞われ、ほぼ死んだことがある。ところが、実際には生きていて、頭脳は働いていて魂が遊離した状態で、第一種の「臨死体験」をする。これは、他の方の経験でも共通するところで、自分の人生の過去が次々に思い出され、それらについて、このまま死んでしまっては残念だとか、その点については満足だとかさまざまな感情が入り乱れる。

そして、本書を書くまで著者が秘密にしていた第二種の「臨死体験」が登場する。第一種は、いわば過去の事象であるのだが、第二種は未来の体験だった。もっとも本人は、それが自分の未来に起きることという自覚はなく(何しろそのまま死にそうなのだから)、後年になって、その時に見えた光景がまったくそのまま再現されていき、あらためて未来予言だったと気付いたそうだ。

そして、地球の滅びていく未来を見たようだ。強欲な人間が増えすぎているからだそうだ。そして、環境破壊。本人は、山奥に入り、星空の研究を始める。彗星観測は、やみくもに探してもダメだそうで、科学的計算をして彗星が飛んでくる確率の高い方向を待ち構えていればいいということだそうだ。それは渓流釣りをしていて、魚の流れを見て発見したそうだ(なんでも発見するのが得意な方なのだ)。

そして、彼は、父親が他界するとき、父親からもらった一つの物を大事にすることにしたそうだ。

それは、「地球」。遺産と言っても定期預金や借地権付きの木造住宅ではないのだ。地球居住権の0.0000‥‥001%の権利だ。

ところで、岡山県美星町の天文台で観測をしているのがNEO(地球近接物体というのかな)。月より地球に近い距離を通過する彗星(小惑星のかけらとか)のこと。1908年にシベリアに落ちた60メートルの隕石が東京に落ちたら関東平野はすべて火の海だそうだ。直径500メートルの場合は地球上の核兵器の全量クラスの破壊力。一方で、発見できるのは直径1キロ位までだそうだ。地球壊滅クラス。かなり遠くで核兵器で方向を変えればなんとかなると考えられているが、かなり遠くに核兵器を飛ばす技術なんて開発されていない。今のところ見つけても困るのだが。

そして、隕石がたくさん飛んでくるには周期があって、3000万年周期だそうだ。危険は200年続くそうだ。といって安心することはできないわけだ。3000万年の安全期間は1996年に終了し、2196年までが危険時期だそうだ。現代に生まれたことを悲劇に思わないといけないのだろうか。

もう一つの危機は、織姫星として有名なベガ。太陽系とおなじように恒星ベガも惑星群を引き連れているのだが、太陽とベガは猛烈な勢いで近づいているそうだ。23万5千年後に最接近するそうだが、その時に二つの恒星がどういう状態になるのかはまだわからないそうだ。人類400万年の歴史からいうと、23万5千年後も人類の一部が生きている可能性が高い(希少動物飼育園で?)と思うのだが、心配は尽きない。
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北のカナリアたち(2012年 映画)

2016-12-07 00:00:00 | 映画・演劇・Video
2012年に公開されると全国330スクリーンで上映されるということになり、またその後、日本アカデミー賞はじめ多くの賞を受賞することになるのだが、主演の吉永小百合の周りに有名女優、有名男優が1ダースぐらい登場する。特に満島ひかりや宮崎あおいが登場すると、自信たっぷりの演技で、誰が主役かわからなくなりそうで、ハラハラしてしまう。

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並の映画だったら、それぞれ主役級の方々が、六人の児童が成人してからの役になるのだから豪華だ。

吉永小百合が北海道の離島の小学校の教員だった時の生徒六人のうちの一人が殺人事件の容疑者として追われ、彼女は教え子を一人ずつ探し出し、彼のことを探り始めるのだが、一方で20年前に起きた、ある死亡事故のことが、それぞれの心の中に重くのしかかっていることが見えてくる。

本映画は、ほぼ全編が不幸物語の連続なのだが、過去をひも解いていくうちに、たがいに見えない心の内側が見えてくる。といっても、明るい話題は、一かけらもないようにも思えるし、あえて思えば、バラバラになっていた一教師と六人の元児童の気持ちが最後には一つになるということだろうか。

題名の中の「カナリア」は、童謡「歌を忘れたカナリア」に依ることがわかるのだが、それを作詞したのは、詩人西條八十であり、カナリアのモデル西條八十の弟子であり、夭折した女性詩人金子みすゞであろうと私は考えている。
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関東大震災(吉村昭著)

2016-12-06 00:00:50 | 書評
今年は吉村昭を読んでいなかったので、年末に数冊読んでいる。この『関東大震災』は、著者にとって少し変わった書き方になっているといえる。

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著者は、ある特定の人物を中心に据え(男性のことが多い)、彼をとりまく時代の流れを通して、時代を描いていることが多い。時代の中でどうにも逃げられない人物の苦悩と諦念というものをあぶり出し、それが『時代』と読ませるわけだ。

ところが、本書には、基本的に主人公がいない。さらにいうと登場人物すらいないと言ってもいい。関東大震災について書かれた公式記録や私的な日記や、生存者のことばなどを収集している。

といって、手抜きとは言えない迫力があるのは、それらの膨大な記録の中で、あえて後世に伝えられないようなタブーの部分に力筆を込めているからだろう。

そして、本書に書かれたことが、直下型地震の真実なのだろうと思うと、そら恐ろしくなる。

本書のあらすじを書くことは、本意ではないので、都心で生き残りたい人は、各自文庫本を購入する価値は十分にあると思うが、いくつかは箇条書きに並べてみたいと思う。


大震災は大正12年9月1日に起きたのだが、その8年前に群発地震があった。その時の地震学の権威は東大の大森教授。そして弟子の今村教授との間で、直下型地震の予測について争いがあった。今村教授は、前回(安政の地震)から60年経っているので、すでに危険時期に入っている(50~100年間隔)と主張したが、大森教授は根拠なしと否定。上司である大森教授の説の方が正論となった。

安政の地震及び、それに伴う火災の頃は、江戸市内には防火意識が徹底していて、それなりに給水網があったが、明治以降、すっかり忘れ去られていて、地震の怖さや避難のことなど公的機関も個人の側もまったく失念していた。江戸時代には厳しく禁止されていた火災時に荷物を大八車に乗せて逃げる行為の結果、道路に人があふれて、動けなくなった。

神奈川県では大きな列車事故が多発していて、170名を乗せた列車が根府川駅でホームごと崩れ40メートル下の海中に沈んでしまったり、トンネル内進行中にトンネルが崩れ埋没してしまった例もある。千葉の舘山では深さ2メートルの亀裂の中に測候所や旅館が吸い込まれている。

そして東京だが、初の高層建築物である浅草の凌雲閣(73メートル)が12階建ての8階で折れ、展望台の13名が落下。うち一人が途中の福助足袋の看板に引っかかり死を免れる。火事以外でもあちこちで圧死者が出ている。

そして本所被服廠跡の大惨事であるが、上空を覆いつくした熱旋風の中で生き残った人は数パーセントといわれるが、条件としては、1メートル四方に二人という過密状況の中でばたばたと人が倒れた瞬間には、他人の下敷きになって火を被らなかったことと、火がなくなった後にすばやく死体の山の中から立ち上がって、死体を踏みながら転ばないで逃げた人ということだそうだ。転ぶと上から踏まれて死ぬのだが、死体の足や手を踏むと、丸いので転んでしまうので、腹や背といった平らな部分を踏んで逃げたものだけが生き残る。

朝鮮人虐殺問題だが、当時、警察は必死に朝鮮人を守っていたのだが、横浜で何かの誤解から始まった流言が首都圏を飛び回り、警察やマスコミでさえ、情報網の断続で真実がわからない状況に追い込まれていったようだ。警察に保護していても、右翼集団が先導して警察署を焼き討ちしてまで朝鮮人を殺し、日本人や中国人まで被害は及んでいる。

また、混乱の中で社会主義者とその親族(大杉栄)を殺害した甘粕大佐に対する裁判も最初の頃は、世論が「許さない」という状況だったが、そのうちに大佐同情論もでてきて、懲役刑となり、そのうちに出獄。結局、彼は満州にわたり、終戦時に自殺する。

そして、地震は起きないと主張していた大森教授はオーストラリアの学会出席中に地震の報に接する。その前後から体力が衰えていく何らかの病状にあり、急遽帰国。本来は弾劾されるべきであったのかもしれないが、そのまま入院し、地震から二か月後に他界。
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敵討(吉村昭著)

2016-12-05 00:00:00 | 書評
吉村昭といえば、幕末から終戦までの間の史実をとりあげ、細部にわたり膨大に調査し、再構築する作家で、没後も着実に売れ続けているそうだ(奥様である津村節子氏の記載)。

本著、敵討については少し説明が必要だろう。幕末に起きた二件の殺人に基づき、二つの小説(『敵討』と『最後の仇討』)が収録されている。

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しかし、吉村昭氏は基本的には歴史の中で木の葉のように無力な個人を描くというのが基本スタンスであるのに、単純に個人の問題である「かたき討ち」を題材に選んだのはなぜかというと、その理由について著者自身があとがきで述べている。

まず、『敵討』だが、老中水野忠邦の懐刀だった鳥居耀蔵がライバルを消すために鳥居に取り入っていた不良武士に殺人を依頼。その不良武士が、知人の剣豪に報酬付きで殺人を持ちかけたのだが、これを拒否され、口封じのために斬り捨てる。その兄弟と子供による犯人捜しと敵討までの追跡行なのだが、やっと犯人の場所を特定するも、すでに幕府の囚人として、遠島になることになっていた。それでは敵討しようにもできないわけで、途方に暮れた頃に、江戸に大火が起こり、囚人は一旦、牢から切り放しになり、鎮火後、逃亡せず牢に戻ってくれば、罪一等軽くなるというルールがあり、運良くというべきか運悪くというべきか、島流しから、江戸所払いに変更。

江戸を追い出されるのを尾行し、そこで切り刻むことになる。


次の『最後の仇討ち』の方だが、幕末九州の秋月藩が佐幕と倒幕に藩内が二分され、討幕派の中心人物が暗殺される。実際には、すでに幕府は白旗上げていたので、今更佐幕ではなかったのだが、時代変換点によくある悲劇だ。

ところが、その後、明治時代になり、殺した方は過去を隠して新政府で出世。裁判官となる。そして、すでに敵討禁止法すら布告されているのに、被害者の息子が隠し持っていて短刀で丸腰の裁判官をブスブスと貫いたわけだ。結局、終身刑となるが、西南戦争終結の恩赦により10年で出所。


しかし、どちらの小説も、まず、犯人の調査と、逃亡したり隠遁中の犯人を捜すことから始まる。江戸市内なのか、地方なのか。今のようにネット検索で犯人に近づけたりはできない。日本を縦断して、探し回るわけだ。


そして第一の事件の首魁である鳥居耀蔵だが、丸亀藩に預けられ幽閉の身となるが、薬草作りを始める。その薬効のせいか長寿を誇り、幕府崩壊により釈放され、長寿をきわめることになる。悪運強しだ。許せない。
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朝井閑右衛門展-空想の饗宴

2016-12-04 00:00:26 | 美術館・博物館・工芸品
練馬図書館で行われていた朝井閑右衛門展に行った。作品の多くが画家の居住していた神奈川県の美術館に所蔵されているのに、横浜から練馬に観に行くには個人的な理由があったのだが、いずれにしても一堂に並べることにより、一枚一枚の価値がさらに高まり、観る側も新しい何かの発見につながっていくものだ。

第二次大戦をはさみ、彼の作風は大きく別人のように変わるのだが、戦争前の彼は、本展のサブタイトルにもあるように、心の中の空想をキャンバスに表現するような自由奔放さがある。ちょうど江戸時代の前半の奇想画家たちとリンクしてしまう。

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代表作である「丘の上」。

大作であり、新橋に今でも威容を誇る第一ホテルのロビーにあったものが進駐軍にホテルが徴用され、運よく画家に戻ってきたのだが、大き過ぎて保管に苦労したようだ。神奈川近代美術館が所蔵していて、本展の目玉になっているのだが、おそろしいことに絵画の表面にひび割れが無数に入っている。剥離しないうちに修復作業をした方がいいと思う。戦争前の物資の乏しい時期に、良質なテレピン油が手に入りにくかったためだ。

そして、戦争画を少し描いたあと、街中の電線を描き始めるのだ。電線は醜いので地中に埋めようという方向にあるのだが、中には逆に思う人もいるわけだ。(その心は本人にしかわからない。醜いから描こうとしたのかもしれないし。)

水墨画も一流で、多くの作品が展示されている。

特筆すべきかどうかは微妙だが、彼は躁鬱病に苦しんでいたのだが、通常の病態だと、躁状態の時に大量に仕事をして、鬱状態の時は無気力に落ち込むのだが、彼は、鬱状態の時に絵を描いたそうだ。ちょっと考えにくい。

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仕事場を鎌倉に求めたため、文士(小説家)との付き合いが多く、有名作家の肖像画を多く描いているが、空想画でもなく電線画でもない。似顔絵師に徹して描いている。意外にも多才だったのだろう。

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ところで、練馬美術館だが都内の駅前地なので大庭園を構える事情にはないのだろう。好演の広場には、キリンさんやゾウさんのアートがある。ただし遊んでいるのは子供ばかりだからね。
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将軍家「将棋指南役」(増川宏一著)

2016-12-03 00:00:00 | しょうぎ
本のタイトルがまったくおかしく、そういうことはほとんど書かれていない。将棋の家元である大橋家の記録、つまり大橋文書が発掘されたことにより、その本格的な内容の精査を増川氏が行い、その中の一部が本書にまとめられている。

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その発掘された原因というのが、偶然でたまたま棋士仲間で飲んでいたところ、そこの料理店の先祖が大橋家だったということで、急に酔いが覚めた棋士がいて、ルーツ探しが始まったわけだ。何しろ名人の家系であり、世が世なら実力名人は大橋家に婿養子に入って大橋善治とか大橋康晴とか名乗っていたかもしれないわけだ。いや終身名人制だった。木村義雄14世名人が亡くなった時の名人は中原誠氏で、まだ存命中なので、15世名人は今でも中原氏であり、大山氏は無冠の贈名人ということになる。中原氏がさようならの時に名人になっているのが天彦氏ならかれが16世となり羽生氏と森内氏は贈名人ということになるだろう。


で、大橋家の生活というのは、いわば江戸時代のこういう遊芸師たちの代表的なパターンであったわけで、増川氏も大橋文書を解読するにあたって、囲碁はもちろんのこと能や僧侶や医師たちとの比較などをしている。ご苦労様なことである。

以前より伊藤家の方は麻布十番付近に屋敷があることは知っていたのだが、大橋家は神田御徒町だった。幕府から120坪位の土地を拝領し、そこに長屋を作ってアパート経営をしていた。大橋家の方は、二軒隣に家を借りていたそうだ。要するに小分けにして貸す方がもうかるのだろうか。家守という住込みの管理人をコロコロと交代させていたようだ。

その借りていた場所には、現在は大橋歯科というのがあるが、まったく親戚ではないとのことだが、少し信じられないところもある。

大橋家は伊藤家と並び名人を出していた家であるので、大橋文書の中に献上詰将棋の原案のようなものがあるのではないかとも期待するが、そういった記述はない。献上詰将棋も大橋宗英の時に廃止になったので残ってないのかもしれない。

幕末になり、将棋がどんどん盛んになったのに、家元の道場には人が集まらなくなったというのは、良いことか悪いことかよくわからない。時代が権威主義から実力主義に代わっていって、ちょうどその頃黒船がきたということだろう。

明治になり大橋家の門下だった小野五平と関根金次郎が順に名人位を守り、実力名人の木村義雄につないだことを考えれば、消えたとはいえ大橋家の役割は大きかったと言えるのではないだろうか。


さて、11月19日出題作の解答。

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動く将棋盤はこちら


今週の問題。

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短編(一桁)である。

わかったと思われたかたはコメント欄に最終手と総手数とご意見をいただければ、正誤判定します。
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安土城を攻略(2/2)

2016-12-02 00:00:01 | The 城
途中で、信長の墓と天守方向に道は分かれるが、信長の墓がここにできたのは後世のことである。天守に向かうとさらに石段は険しくなるが、空が見えるようになり、そこが天守跡なのだ。

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山の上に台石がいくつも積まれているのだが、そこは、地下室なのだ。天守台と見える部分は単に地下一階の床であり、一階の大きさは縦も横もこの2倍、つまり面積は4倍にもなる。

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そして眼下にはお約束通り琵琶湖が望めるが、当時は山の下まで琵琶湖が広がっていた。

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安土城だが、高さは秀吉の建てた大坂城を超え、床面積は大坂城の方が大きい。後に江戸城天守閣を建てるときは、安土城より高く、大坂城より広くということになった。

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江戸城の再建や、名古屋城の建て替えが話題になっているが、筋からいえば安土城ほど美しい城はないのだから、この城は再建されないのだろうかと思われるかもしれない。

色々と制約が考えられるのは、まずこの土地は私有地であるということ。摠見寺(そうけんじ)という寺院の所有物で、寺院の安全確保体制の中で、なんとか登ることができるわけだ。さらに登るのが、厳しすぎるわけだ。400段ものオリジナルの石段である。観光地にするにはロープウェーしかないだろうが、簡単にできる場所がないし、建設資材の搬入も困難だ。さらに安土市は近江八幡市に吸収合併されたので、安土城だけの開発ではなく近江八幡とセットの観光化が求められる。しかも東京や名古屋のような金満な都市じゃないわけだ。

そして下り階段は、曲がりくねって狭く、足を滑らすと滑落し、信長たちの仲間に入ることになるのだが、安全な場所では足を滑らすことが多い。ぬかるみの中に一本の材木が置かれ、平均台のように歩く必要な場所もある。とにかく、まったく油断できないわけだ。

歴史家ではないので、勝手なことを言うと、明智光秀の謀反(本能寺の変)だが、光秀は天下を制覇したかったのではなく、安土城が欲しかったのではないか、と感じたのだ。秀吉と利家の邸宅が組み込まれていた城には、すでに光秀の場所がないわけで、よほどの暗愚でなければ自分が粛清される運命だったことは見えていたのだろう。

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安土城を攻略(1/2)

2016-12-01 00:00:12 | The 城
安土城は織田信長が天下統一のため、琵琶湖に面する安土山の上に建てられた、史上最も美しい天守閣を含む軍事要塞だった。門は三門といって、将来、天皇を迎えるためともいう。残念なことに3年後に、信長は明智光秀の凶刃に倒れ、その後、秀吉による光秀の成敗が行われた山崎の戦の頃、原因不明の焼失をしてしまう。光秀の謀反も原因不明、安土城の焼失も原因不明である。残されたのは城址と安土桃山時代という文化史上の名誉である。最上階は南蛮造りで内装は金箔。

ということで、城を語るなら安土城に登るしかないだろうとは思いながら、実は過去2回にわたり安土駅を目指したのだが、いずれも雨で撤退。2回目は駅に降りた瞬間に雨が降ってきた。拒絶されたわけだ。事前にネットで調べると、雨では無理そうなのだ。

さらに、今年は熊が全国に出没するわけだ。特に冬眠前は必死に餌を探す。滋賀県では、昨年は三重県が捕獲した熊を、滋賀県で放すという事件まで起きている。慎重に調べると、琵琶湖西岸には熊はいるが、東岸にはいないことがわかった(安心はできないが)。

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しかし、安土城は決して観光地化されているとは言えない。なにしろ、大きすぎて整備するには巨費が必要だろうが、それほど人が呼べるとは思えないのかもしれない。それがお城ファンには好まれるという面もある。まず、安土山まで行く方法があまりないのだ。お勧めとされているのが、レンタサイクルである。荷物を預け、自転車に乗って15分。これで安土城大手道の入口に到着する(帰りは道を間違え40分かかったが)。

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そして、待ち構えるのは大石段である。豪快な石段で、一段が30センチ平均だろうか、登るのによろよろする。天然石なので一段一段の高さは不均一なので確認しないといけないし、蛇行しているので歩く場所も気を使う。中には仏像を横倒しにして転用している場所もあり、歩くときに仏様を踏みつけることになるが、信長は坊主が大嫌いだったから意に介しなかったのだろう




下の方に前田利家の邸宅跡があり、少し行くとその3倍ほどの大きさの羽柴秀吉邸の跡がある。信長は一の部下を秀吉、二の部下を利家とすでに決めていたのだろう。そして石段は一層険しく、挑戦者を拒み続ける。



続く
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120%クール

2016-11-30 00:00:08 | 書評
人気作家山田詠美氏が20年前に書いた短編集。9編からなる。力作というべきが、第一編の「唇から蝶」。唇が青虫の女性と結婚した男性の視線からみた男女関係、というべきか、あまりにも唇が本物の青虫という設定からくる妖気小説なのか。その他の多くは、風変わりなカップルを描く作が多いのだが、「ガリレオの餌」という作では、初老の男性作家が主人公になっている。

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ハードボイルド作家を演じていながら実生活は別で、締め切りに追われるという設定で、男女の差はあるが、実の作家が締め切りに追われながら、短編を書きまくった結果がこの短編集なのだろうか、と素直に思ってしまう。

たぶん、話はうまいのだが、長編でないとパワフルな作風とあわないのではないかと思わないでもない。
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帰化人(上田正昭著)

2016-11-29 00:00:18 | 歴史
現代の帰化人の話ではない。古代の話である。半島や大陸から日本に何らかの理由で渡来し、そのまま日本に住むことになった人たちのことだが、といって日本人のルーツまで遡ることはない。大和国家が成立した後のことなのだが、正直言って、この本は難しい。

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実際には、帰化人のほとんどは朝鮮半島との関係の中で来日した人で、半島が3~4の国に別れて抗争をしていた中で、それぞれの国が中国と日本とのバランスの中で合従連衡を繰り返しているうちに、渡来されたままになったわけで、いずれの政権からの人たちがいる。さらに日本の政権も、それらの渡来人を取り込んでいたわけで、帰化人同士も政権闘争をしていた。

そのうえ、仏教伝来により、天皇家も純粋に神道だけを信じる人たちと、仏教に傾いていく人たちの抗争が起こる。長い目で見れば、この神か仏かという争いは続いているともいえる(どちらも地に堕ちたという人もいるかもしれないが)。

さらに、日本が必要として来日を乞うた人たちもいれば、半島にいる場所を失った人たちがやってきて、地方に住んでもらったという場所も多い。

というようなことが克明に書かれていて、本質的には日本の歴史と朝鮮半島の歴史を研究すべきテーマではあるのだろう。が、韓国(と北朝鮮)は、李氏朝鮮より古い時代の歴史にはあまり興味がないようで、まったく不思議な国になっているのが今の状況なのだろう。

ところで、読んだのは昭和40年代に出版された中公新書なのだが、ネットで調べると現在価格は13,000円位になっている。こういうのは、復刻されると、即1円になることが多いのだが。
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