YS Journal アメリカからの雑感

政治、経済、手当たり次第、そしてゴルフ

リー・アイアコッカ死去

2019-07-03 08:07:27 | Obituary (蓋棺録)
「車の値段とは月の支払い額」、アメリカ自動車販売の本質を射抜いた彼の名言だ。ローンだろうがリースだろうが、多くのアメリカ消費者の経済的決断の根拠である。

車屋としては、フォードでマスタング、クライスラーでミニバンの成功、経営者としてはクライスラーの再建、一時は大統領候補と噂された事もある。

死去のニュースを聞いて、よみがえってくるイメージがトランプと被ってしまう。そういえば、「自由の女神」修復委員長をやっていた。古き良きとまでは遡らないが、80年代の良いアメリカを象徴する一人であった。

Death of "Dr. Death"

2011-06-06 06:05:33 | Obituary (蓋棺録)
"Dr. Death" と呼ばれた Jack Kevorkian が、先週亡くなった。

自家製の自殺幇助装置で130人以上の自殺に協力したとされる。この装置は、自殺願望者が自らスイッチを入れれる様になっていたが、結果的には殺人罪で服役している。(装置は、スイッチを入れると静脈に薬品(sodium pentathal と potassium chloride のミックス)が流れる仕組み)

彼は安楽死を倫理的だと考えており、誰でもという訳ではなく治療出来ない難病や末期癌の人々を対象としていた。

私がアメリカに来た頃に、地元デトロイトで活躍(?)していた。逮捕を巡り全国的な話題にもなっていたので、デトロイトでは連日大騒ぎであった。

昨日、一緒にゴルフをした退職警官の人と彼の話題になったのだが、もし、彼が、遺体を安置所の前に放置する様な奇異な行動を起こさなければ、話題にもならなかっただだろうと言っていた。(安楽死への理解は、アメリカにもある様な印象の残る会話であった)安楽死に対する自分の信念を主張する為に、死体の扱いなどを過激にする事でセンセーショナルにし、政治的関心を引こうとしていた様だ。活動家的な行動は臓器移植に関してもあり、この装置で無くなった人の臓器を提供すると宣伝する事もあった。

Justice: Michael J. Sandel 『これから「正義」の話をしよう』」のエントリーで、私は自殺幇助に賛成の立場を表明しているが、Jack Kevorkian の様にもう一歩踏み込んで臓器移植の事も考えると、非常に合理的だと思う。

難病で正気な人の自殺願望を叶えてあげるのは、「威厳のある死」を選択出来るチャンスであり悪い事ではない。現実に、アメリカではオレゴン州、世界では北欧など認められているのである。(オレゴン州の法成立には、彼の影響があるとされる)

自分は観ていないが、Al Pacino が Jack Kevorkian に扮した HBO のテレビ映画 "You don't know Jack" も制作されている。

Jack Kevorkian は、肝臓がんと心臓疾患で亡くなったのだが、病院で迎える普通の死であった。

Sparky Anderson

2010-11-06 07:12:43 | Obituary (蓋棺録)
好きだったり、影響を受けたりした人々(有名人で)が、最近亡くなる事が多い様な気がする。自分が年をとったので、当たり前の様な気もするが、取り敢えずカテゴリーに Obituary (蓋棺録)を追加する事にした。天寿を全うした人々の死は、お祝い事でもあるのでバチは当たらないだろう。人(英語の a person という意味で)の生と死は、表裏一体の様な気もするし、全く関係ない様な気もする。(どうでも良い事ではあるが)

ところで、Obituary の日本訳は「蓋棺録」だとずっと思い込んでいた。が、どうも「蓋棺録」は文芸春秋の造語のようだ。死亡記事の代名詞の様に使われている様なので、強ち間違っているわけでもなさそうだ。


元 Detroit Tigers の監督であった Sparky Anderson が亡くなった。1989年にデトロイトへ来た時の監督であったが、タイガースが弱い事もあり結局、一回もタイガースタジアム(数年前に取り壊しとなった)へ足を運んだ事も無く、実物にはお目にかかった事はなかった。(セシル・フィルダーが阪神タイガースから大リーグへ復帰して、ロジャー・モリス以来初(?)の年間50ホームランを打ったりと、それなりの話題はあった。)

当時から大リーグでは名物監督の1人であったので、ちょっと惜しい事をした。

後追いの様に思い出すと、日本にいた頃、それなりに知っていた Big Red Machine と呼ばれていた全盛のシンシナティ・レッズの監督でもあった。70年代に黄金期だったレッズは、ピート・ローズを始め、オールスター、殿堂入りした名選手が目白押しの素晴らしいチームで、日米野球で来日したりした選手も多かったので、私も何人かの選手は良く覚えている。

チャンスがあったのに、近づきもしなかった伝説の人であった。2000年に殿堂入りをしている。大リーグの監督としては初めて、アメリカンリーグ(タイガース)とナショナルリーグ(レッズ)の両方でワールドシリーズで優勝している。

そういえば、今年のタイガースに関しては、もう1人の伝説の人、アナウンサーの Ernie Harwell も亡くなっている。

タイガースの本拠地であるコメリカ・パークへは、勤務先がシーズンチケットを持っていたり、大リーグ好きの同僚に誘われたり、そしてタイガースが強かったり、対戦相手に日本人ブレーヤーがいたりしたので、ちょくちょく観戦に行っている。今年も出だしこそ好調だったものの夏場から急にダメになったので、結局、一回も観に行かなかった。先発ピッチャーは2人だけ、ラインアップも全然知らない体たらくだ。(因に、タイガースのロゴは、大リーグで一番カッコ良いと確信している)

伝説は強いチームで生まれ人の記憶に残っていく。元々近代野球の歴史が長く、選手、監督、アナウンサー、それぞれの経歴が長く歴史が多重構造になっていく野球は、いつまでもアメリカの Past Time であろう。

最後に、2006年のコメントを。

"I hate to break the news to football, but nothing will ever take the place of baseball. When it goes bad, call me. Because I won't be around, but I can be reached under the ground."

Sparky Anderson の静かな眠りが覚まされませんように。

Ernie Harwell (アーニー・ハーウェル)死去

2010-05-08 04:51:55 | Obituary (蓋棺録)
1960年から42年間に渡り、デトロイト・タイガースのラジオアナウンサーを務めた Ernie Harwell (アーニー・ハーウェル)が、92歳で亡くなった。ラジオアナウンサーのキャリアは60年を超えていたそうだ。

90年代はタイガースが弱い時期で、ラジオ中継を聞いた事はほとんどないのであるが、引退後も、時々ゲストでラジオだけでなくテレビでも実況をしたりして、デトロイトのスポーツアイコンとして常に存在感があった。昨年暮れにガンである事を発表し、治療に入っていた。死期を悟った上で、数を絞ってラジオインタビューをこなしていたが、野球、人生について、非常に透明感のあるコメントが印象に残っている。

元々、淡々とした語り口の人だった。又,死亡記事で知ったのだが、スコアを繰り返す事でも知られており、1イニングで何と43回アナウンスした事があるそうだ。ラジオで野球中継を途中から聞き出す場合、スコアがわかるまでに延々と時間が掛かる時があるので、キチンと聞いていたら一発で大ファンになったと思う。

野球ほどラジオ中継に一番向いているスポーツはないと思う。ボールに関係する人以外が動く事が少ないので、イメージが湧きやすいからだろう。シーズン中は聞く気もないのだが、ワールドシリーズやオールスターの時にラジオ(車の運転中)を聞くのは楽しみだ。

私にとって、日本シリーズはラジオで聞くものであった。昔の日本シリーズはデイゲームばかりでそれも平日なので、学校(中学、高校時代)の午後の授業中であった。トランジスタラジオを持ち込んでイヤホンで聞いていた事が懐かしい。

野球は、球場へ行くも良し、ラジオで聞くも良し、テレビで観るのも悪くない。アメリカンフットボールに "American Past Time" の王座を譲ったといわれて久しいが、根強い人気がある。

娘二人なので、キャッチボールをする事はかないそうにもないが、ボールパークには今度又連れて行こう。スコアブックでもつける事が出来れば、かっこ良いのであるが。