YS Journal アメリカからの雑感

政治、経済、手当たり次第、そしてゴルフ

四国電力及び愛媛県知事への提言

2012-04-27 21:08:11 | 四国独立
福島原発事故で分かったのは、原発は運転が始まると稼動の有無で危険度は変わらないと言う事だ。

停止している原発も完全に燃料棒を原子炉から抜き、燃料プールで冷まして、せめて廃棄用のコンテナに詰めるまでは、安心とはいえない。現在は再稼動待ちなので、燃料棒は原子炉内か燃料プールにある状態である。

そんな状態ならいっその事フル稼働させようではないか

四国電力伊方原子力発電所の出力は3基で202万KW。節電しても猛暑になったら67万KW足りないらしいので、202万あればその心配がない。フル稼動で年間177億KWhの電力が供給出来る。

KWh当りの売値を20円とすると3,540億円となる。原子力発電の原価はKWhあたり7-8円と言われているので、粗利は約2,340億円となる。

この分をそっくり県税として課税すればよい。(他の原発の稼動までとかの時限法)

地方債等の残高が1兆0137億あるが5年で完済出来る。ついでに原発を増設して他三県分の債務も引き受けても良い。

政府が原発再稼働で10年位もたもたしていたら、借金完済して、余剰金を積み上げた状態で四国独立が出来るだろう。 結局は、どの原発も廃炉にする可能性は低く、何年かすると再稼動すると思うので、取り敢えず一番乗りで稼ぐ時であろう。

伊方の皆さんも山の上で風力発電がブンブン回るより、これまで通り静かで安全だ。

伊方原発フル稼働で県の借金完済、原子力発電推進で原発先進国として四国独立

機を見るに敏、チャンスの窓は短いが(英語直訳的な変な表現)、我ながら良いアイデアだと思う。

金融日記「大阪都構想とユーロ危機」

2011-12-06 00:07:32 | 四国独立
大阪都構想とユーロ危機」というタイトル、全く関係ないと思われる2つの事柄を、単純に「と」で繋ぐ力技に、まず、仰天。

『地方分権は、確かに日本が進んでいく道であるとは思うが、その制度設計はそれほど簡単ではないのかもしれない。日本のどこがギリシャになり、どこがドイツになるのだろうか。そしてあなたの家族の中にも内なるギリシャはいるのかもしれない。』

但し、上の結論は間違っていると思う。全体(ユーロ)を救う為に、ダメな部分(ギリシャ等)を助けるというスキームがダメなのだ。下手を打ったら、誰も助けに来ないという前提が必要なのだ。

今後、地方自治体、国のディフォルトが起きるだろうが、人々は生きてゆくのだ。そして、自己責任とリスク管理が出来る規模の行政単位が、その帰結として誕生するだろう。

地方の人達は、その準備をしなくてはならないのだ。

藤沢数希先生、金融のあとは、簡単ではないと仰る地方分権の制度設計を成し遂げられては如何でしょか?

徴兵制度

2011-07-03 19:54:38 | 四国独立
四国が独立した場合、18歳以上の男子は原則として2年間の兵役を課すのが良いと思う。イメージとしてはスイスと韓国のハイブリッドだ。

自分たちの国は自分たちで守ると言う事を意識出来るであろう。

もう1つ需要なのは、成人男子が銃器をキチンと扱える知識と経験がある事は、非常に重要である。世界的に見ると、ハンティングの銃まで含めると、銃の扱いが出来ないというのは、ある種のかたわである。

座学として戦争史を学ぶ事は、政治、地理などについても、幅広い知識を得る事となる。技術的にもコンピュター、航空機、原子力などを学ぶ事になり、大規模な軍隊を持つ事は出来なくても、国民全体に、軍事の最新情報が行き渡り、ある種の職業訓練になる可能性もある。

Who needs leaders?

2011-06-12 06:55:49 | 四国独立


この地図を見て、改めて四国の貧乏を思う。(悪い意味では無く)

掲載されている記事 "Who needs leaders?" は、The Economist June11th-17th 2011 号の日本の復興をレポートしたもので、国政(国会、政府)の機能不全と地方の踏ん張り(首長の頑張りや個人の献身)を対比的に取り上げている。

内容の中心は、復興財源と今後のエネルギー政策であるが、地図にある様に、それぞれの同州を経済ブロックにして、同規模の国をはめてある。四国は、以前人口ベースで考えた事があるニュージーランドがあててある。(驚いたのは中国地方で、南アフリカがはまっている。金とかダイヤモンドが出れば、単独でワールドカップの開催も夢ではない)

四国には原発はあるものの、比較的工業に毒されていないので、ユニークな国造りが可能ではないかと、改めて思う次第だ。

四国独立:アメリカ建国、テキサス州独立運動を参考に

2011-04-26 03:27:44 | 四国独立
政治学者でも、歴史学者でもないし、論文を書いているわけでは無いので、いろんな意味で荒っぽい話になる事は、最初にお許しを請うておこう。

独立となると、やっぱり、人工的近代国家としては唯一の存在であるアメリカの国家成立を参考にする事になるであろう。独立宣言、そして憲法は、独立国家の礎として、必要であろう。

ここで思い出してほしいには、アメリカの国名、アメリカ合衆国 (United States of America) である。独立宣言時に、イギリスは26の植民地を持っており、そのうちの13(州)がアメリカにあったのである。(厳密には、現在の州とは異なる)独立宣言には、それぞれの州の自治をする事を掲げた上で、イギリスからの独立を宣言している。

独立理念という包括的なアイデアを参考にすると伴に、アメリカが成り立ちから、国家主義とは反対の意味で連邦主義であった事は、非常に興味があり、参考になる。フランクリン・ルーズベルト以来、アメリカは段々と国家主義的な色合いが濃くなってきているが、連邦政府の州行政に対する権限には著しい制限があり、州の財政危機とObamaCare の成立により、連邦政府が押し付ける政策に対して、反発が強く強くなる傾向があるのは、建国時の考え方に溯る事が出来る。

連邦政府への一番の反発としてあるのは、州の独立運動である。アメリカは独立後、南北戦争があり南部には独特の誇りが残っている。その中のでも代表的なテキサス州は、アメリカの国家主義への反発から独立を考える人々が、少数ながら存在する。(Texas Nationalist Movement

日本も歴史的には、それぞれの国にお殿様がいて、江戸時代には連邦国家ととも呼べる国の形になっていたのである。開国、富国強兵政策、戦争と国家主義に一直線であったが、それらの要件に大きな意味がなくなってきているのに、体制自体はそのままになっている。

アメリカの独立宣言に戻りるが、不可侵の権利として、命、自由、幸福の追求があるとし、政府はこれを守るものとすると明記してある。ヨーロッパの圧制から逃れてきた人々が、植民地として再び、これらの権利が脅かされた結果としての独立である。

では、今の日本の状態をどのように規定するべきかと言う事に、独立の意義が存在すると考える。

医療、年金など、人々は知らず知らずに政府に頼らざるを得なくなっている。存続できない約束の下で、柔らかな専制が進んでいると考える。いろんな自由が知らず知らずに侵されているのである。(日本だけでなく、ヨーロッパやアメリカも同じである)その対価として公的債務の積み上がりがある。

これらの自由を人々の手に戻し、それぞれが自分の好きに暮らしていけるようにするのである。

肝に銘じておかないといけないのは、個人にとっては非常に厳しい覚悟が必要な事である。政府は、権利を守る役目だけで、暮らしには介入しないのである。自分を含め、人には依存心が少なからずあり、特に政治においては、有能な独裁者が快刀乱麻で、平和で豊かな社会をもたらしてくれる幻想が常にある。歴史的にも、場所、時代を問わず、常に登場する事でも、人の本質と思える程だ。

これを克服するためにも、実感のある大きさでの自立が必要であると思う次第だ。

今後、独立宣言、憲法と基本的な骨組みを作った後で、財政(税法、通貨など)を検証し、経済活動、教育、福祉、移民といろんな事をアドホックに考えていこうと思う。

四国独立について考えてみませんか

2011-04-19 00:41:12 | 四国独立
幻想か、現実性のあるアイデアなのか、じっくり考えていこうと思う。

人は、アナキズムと世界国家の両極端な社会の状態のどこかで生活をしていかなくてはならない。営々と築いた歴史の前に、アナキズムに後退する選択肢は無く、世界国家が更なる発展だと言う虚構を信じる事は無い。では、何が最適なのだろうか?

結論は、人々が実感出来る行政規模ではないかと確信を深めている。

先進国である日本、アメリカ、ヨーロッパの規模の大きな国が機能不全を起こしている事は否定出来ない事実であろう。人口が何千万、何億人もいる国が、中央政権的な仕組みで回そうと言う事に無理があると考える。中央政府が決定する事は、自分が直接かかわらない限りどのような効果や弊害があるのかピンと来る人は、まずいないであろう。そのような仕組みに自分の暮らしを託す事の胡散臭さに、人々は気付いているはずである。

四国独立は、ここ数年のアメリカにおける連邦政府の権限強化と巨大化、それに対抗する州という構図の中で、現実性があると考えるようになった。

日本にまして四国に今後暮らす可能性が全くない私が、四国独立を考えるのは、勿論、生まれ故郷という事が大いに関係するのだが、自分の感覚として実感出来る規模であるという事に過ぎない。暮らしの感覚を共有出来、理解出来る規模が肝心なのである。民主的な社会を運営していく為には、参加する人々が理解出来る事が最重要であろう。

国家と言う理念の虜になる必要は無いのである。生活者として、日本政府と言う仲介者を排して、世界と繋がれば良いのである。

そうした上で、四国を考えた場合、本州、九州、そして太平洋に守られた島である事が、地理的にも理想的に思えるのである。人口も約4百万人、シンガポール、デンマーク、ニュージーランドよりちょっぴり少ないくらいで、国家として成立するには充分な規模もある。

既に、道州制の論議の一環として、四国の道州制のアイデアもある。しかし、日本国の枠組みの中で議論をすると必然的に限界がある。現実として、地方が独自にやりたいのに中央政府で承認されないと出来ないと言う矛盾を抱えているので、思う様な絵が描けない。国家として独立と飛躍しない限り、何も出来ない構造になっているのだ。

道州制の本質は、生活を共有出来る地区を行政区とし、そこに様々な権限、自由度を持たす事にあるのだと思う。根本的に、日本政府が東京で考えている事が、必ずしもそれぞれ地方にとって適切な事ではないという地方の実感があるのだと思う。

日本の財政の破綻は不可避だと思われる。(もう15年も言われており、本当に起こるのか、どのように起こるのかは、誰にも予想出来そうにない)中央政府のどんちゃん騒ぎの蚊帳の外で、地方交付金や補助金の形でおこぼれを少しだけ貰っていた地方も、焼け野原になるときは一蓮托生である。自分の身は自分で守るためには、行政単位として意味のある規模での独立という道が一番であると考える。

最終的に日本と言う連邦政府が必要という結論になれば、それはそれで、議論すれば良い。

これから週一位のペースでエントリーをしていこうと思う。これまで、積極的にこのブログを読んでくださる方に呼び掛けた事はなかったのだが、この話題は、罵詈雑言を含め、いろんな人のいろんな意見を聞きたいと思っている。