YS Journal アメリカからの雑感

政治、経済、手当たり次第、そしてゴルフ

ロンパールーム

2010-03-23 22:25:21 | 非常に個人的な昔話
ロンパールームは、1963年10月7日から1979年9月28日の放映で、みどりお姉さんも6人いるそうだが、私にとっては、二代目お姉さんのうつみみどりがロンパールームであった。

田舎臭い名前の私は、魔法の鏡で名前を呼ばれる事も無く、うつみみどりへの憧れだけが残った番組であった。ロンパールームの後、彼女も私生活などで色々あったが、どうしても憎めないのは幼い頃の刷り込みがあったからだと思う。

観ていた頃は勿論、その後も全然考えた事も無かったが、ロンパールームの番組スポンサーは、野村トーイであった。(野村トーイは1992年にバズブロに買収され、その後、98年にはバズブロも解散している。)なぜこんな話になるかと言うと、大学の同級生の野村君、何と創業者の孫がいたのである。大学中は大変お世話になり、一時は豊島園にある野村君の家にに居候させてもらった事もある。私だけでなくクラスの何人もがお世話になった。

野村ママ、その節は大変お世話になりました。(余談だが、野村トーイの創業者は、内臓が左右逆、つまり心臓が右側にあったそうだ、見た事も触った事も無いけど。(ブラックジャックのそんな人の話があったと思う))

この友人には弟がいて、何と、二人ともスポンサーの特権で、ロンパールームに出演した事があると言うではないか。本人達は、事の重大性が全然分かっておらず、それがどうしたという感じであった。その上、魔法の鏡で名前も呼ばれたらしい。

番組の終わりに牛乳を飲むコーナーがあるのだが、弟の方は、牛乳が嫌いで、スポンサーの特権でカルピスにしてもらったとケロッと言っていた。何と言う理不尽。

田舎者の歪んだ芸能界への憧れは、自分の友人(とその弟)のロンパールーム出演を知った事で一段と歪み、そのまま現在に至っている。未だに有名人や芸能人と会う度(そういう機会が極端に少ないという要因もあるが)に、距離感が取れずに変な感じになる。宿命と諦めている。

上の娘が、NHK「おかあさんといっしょ」第15代うたのおねえさんで、現在デトロイトに在住されている森みゆき先生に、もう3年も歌を習っているのだが、みゆき先生にお会いするたびに奇妙な感覚があるのは、ロンパールームを巡るトラウマが原因ではないかと思っている。