暘州通信

日本の山車

玉依姫 様 (六二四)

2013年09月23日 | 日本の山車
玉依姫 様 (六二四)
 日本の古代貨幣経済について
 これは仮説です。
 日本で最初に貨幣が鋳造されたのは、和銅元年(七〇八) の【和同開珎】が最初とされます。和同開珎とは、【和同開寶】のこと、あるいは、【和同開珍】のことだともいわれます。このあと、応和三年(九六三)に到るまでに次の十一種類の貨幣が鋳造され、流通したと考えられています。これを総称して、【皇朝十二銭とよんでいます。いずれも円形で中央に四角形の穴が開いています。
天平宝字四年(七六〇) 萬年通寳
天平神護元年(七六五) 神功開寳
延暦十五年( 七九六) 隆平永寳
弘仁九年(八一八) 富壽神寳
承和二年(八三五) 承和昌寳
嘉祥元年(八四八) 長年大寳
貞観元年(八五九) 饒益神寳
貞観十二年(八七〇) 貞観永寳
寛平二年(八九〇) 寛平大寳
延喜七年(九〇七) 延喜通寳
天徳二年(九五八) (□元大寳)(□は文字なし)

玉依姫 様 (六二三)

2013年09月23日 | 日本の山車
玉依姫 様 (六二三)
 >百濟王敬福は最初は上総守に任じられ、天平十一年(七三九)に、【陸奥守】に封じられているとのことですが、これは、藤原氏の朝廷内における影響力が増してきた結果であると推測します。
 >百濟王敬福の献上した黄金は東北地方より調達されたものではないでしょうか。
  これは仮説です。
 大佛の鍍金に使用された黄金のすべてが奥州から貢献されたものかどうかには疑問がありますが、
玉依姫さんのご指摘の通りだと思います。