暘州通信

日本の山車

玉依姫 様 (五三七)

2013年08月18日 | 日本の山車
玉依姫 様 (五三七)
 これは仮説です。
 伊豆國(静岡県)と沖の島嶼(現、東京都)には傑出した『延喜式神名帳』記載神社が鎮座します。その内訳はカモ氏の三嶋神社系神社、紀氏系の木宮神社が多くを占めています。その祭祀の対象となったのはカモ氏の富士山を御神体山とする【神南備山・富士山信仰】、紀氏(紀忌部氏)の祖神を祀る島々だったと考えられます。このカモ氏の一部は、わずかながら房総にも及んでいることは、カモの名称がつけられた【鴨川市】などの地名が存在することでも明らかです。海神系・綿津見系の【玉前神社】にタマヨリヒメノミコトが祀られるのも、齋主は、カモ氏だったかもしれませんね。日氏系氏族の、物部氏、高句麗系カモ氏族の蘇我氏の勢力圏の中に割り込んで定着できたのは不思議ですが、これも大和國(奈良県)の場合と事情は同じかもしれません。むしろ房総にカモ氏が入りこめたことが、のちにカモ氏が大和國に勢力圏を築けることになった一因かもしれません。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・「下加茂岡古墳」;淡路島
2013/8/8(木) 午後 10:01
... 左の ● は 淡路二ノ宮 「大和大国魂神社」 です。 川の南岸には 物部 なんていう地名も。 下加茂の交差点から右折して、丘の上に見える学校へ。 ... 背後の古墳が眠る丘がご神体だったのカモしれません。 *** それにしても、淡路島の皆さぁん ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/senkoin2002/31065025.html
・桜川市の大和
2013/8/8(木) 午後 5:51
... カモなど)や、当時そこにあって目印になっていたと思わ ... フェンスの向こうの古墳 この大和の「大国玉 1 」には、大国主を祀る「大国玉神社」があったのですが、「大国村」はこの神社に由来する地名で、現在の「大国玉」も多分この神社に由来するもの ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/sweetbasil2007/40822782.html
・大和三山「畝傍山」
2010/4/10(土) 午前 9:30
... ルートで畝傍山口神社に立ち寄りました。 手入れが行き届き桜が満開(画像)ぐるっと大回りの道を多少疲れた足を気遣いながら 駐車所に。澤田池のカモ・ハクチョウを見ながら頑張って歩いてます。 ☆大和三山の登頂目指して歩こう~~の計画☆・・声出し ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/tusan0688/59874393.html
・伊都伎嶋神社
2009/5/27(水) 午後 1:50
... 右手の掌の中心に強いカモ(神の電気信号)が来た。其の反応で ... 其れ等の名前の事を考えると、「厳島神社・伊都伎嶋神社」は「斎島神社」であり、「市杵島姫命」は「斎島姫命・いつきしま ... 水熱湯(あつゆ)に―・りぬれば/大和 149」 (3)感情が心に強くわき起こる ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/yakusimajiteki/59550540.html
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玉依姫 様 (五三六)

2013年08月18日 | 日本の山車
玉依姫 様 (五三六)
 これは仮説です。
 秦氏(はたし)は、豐國(豊前、豊後)にいちはやく定着した古韓人氏族でしょう。この秦氏は、馬韓・弁韓・辰韓の時代から、伽耶・迦羅、任那の時代から新羅へと遷った時代でも比較的早い紀元前に日本に渡来した氏族で、日氏と、あるいは、当時の日本文化にもいちはやく同化した形跡がその祭祀にもうかがわれます。カモ氏と同じように、覇権のため武力を行使しない穏やかな思想は、出雲氏と和を結び、平安京遷都にも甚大な功績を挙げていることは、一貫した【敵を作らない哲学】に徹していたこともうかがわれます、韓半島(朝鮮半島)の新羅系韓人だと考えられますが、カモ氏ともども、里帰り氏族で、出自はもともと【還来日氏】だったかもしれません。
□参考
次を参考にさせていただきました。
・日本での日ユ同祖論の脆弱さ
2013/7/27(土) 午後 3:50
... 天皇家の祖先ないし日本の有力氏族が大和朝廷を樹立したのは4~5世紀の頃であったとみなしていたようだ。 ... 時代がさかのぼり過ぎる。 その頃秦帝国のすぐ隣は月氏(アーリア ... 馬韓人は秦人の人数が増えたのでこれを忌み嫌っ ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kensetukan/32049402.html
・<ブログ[☆★☆ 名探偵蒙裡胡伍浪之名推理教室 ☆★☆] さんの欄>より「日本古代史再々考〈四一〉-日本語が読めない倭人伝(3)韓人=倭人- 」
2011/7/2(土) 午後 4:57
... その証拠に江戸時代の徳川吉宗や新免武蔵らは、6尺超(6フィート超)の巨人 ... 家族は4~5人で7~8百人の氏族メンバーで構成されていました。約2百家で一氏族になります。この氏族は共通の精霊を共有しています。族長や長老は宗教以外のところで氏族の世話役をし ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/kairouwait08/28991623.html
・さいたま市岸町調神社探索(古文書4)
2010/5/26(水) 午後 1:58
... わが国に帰化         した韓人の敬称。また、主に文筆をもって ... 古代渡来系氏族"調(つき)氏"の調(つき)か?       壬申の乱(飛鳥時代)のとき、大海人皇子       (天武天皇)の舎人として付き従っ ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/sakado_iwasaki/50504244.html
・古墳時代中期ー9、応神天皇<河内王朝>
2006/7/22(土) 午後 4:20
... 古墳時代中期になると、平地や台地に、巨大な前方後円墳がつくられるようになる。 ... そこで、その池を「韓人の池」(唐古池)といった。(『 7年紀』)   剣 ... 2、巡行先での婚姻によって新たな氏族との繋がりを持ち、領地を拡大する。 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/chiyokokkk/13451293.html
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玉依姫 様 (五三五)

2013年08月18日 | 日本の山車
玉依姫 様 (五三五)
 これは仮説です。
 古代大和にいちはやく地歩を築いたのは、日氏(仮称)。その支族である日置氏(ひきし)、中臣氏(なかとみし・のちの藤原氏)、忌部氏(いんべし)、物部氏(もののべし)、すこし遅れて、葛城氏・日隈氏(日前氏・ひのくまし)、カモ氏などとと続いたのではないかと推察します。これらの氏族は紀元前にはすでに大和に入り、それぞれがその存在を認めあう関係にあったと考えられます。
 カモ氏は百濟系氏族と考えられ、物部氏の高句麗系氏族とは、いわば対立する立場ですが。九州【志賀海神社】を奉祀する海神系・綿津見系の氏族として、すでに巨樹が長くおそらく物部氏とは争いを起こさなかったことが過去の歴史から認知される友好関係が築かれていたからではないでしょうか。このことは後の日本の歴史を見てもカモ氏が後世の歴史において争いの場に名が出ることはほとんど見られない反面大氏族として日本に定着した氏族であることは、玉依姫さんも支持されたのでしたね。