暘州通信

日本の山車

00214 津八幡神社祭

2006年08月03日 | 日本の山車
00214 津八幡神社祭
三重県津市
津八幡神社
10月上旬

現在山車の曳行はない。
祭の起源は寛永年間(1624一1643)に始まると云われ、多くの山車があったが、戦災により惜しくもすべて焼失した。

□山車、屋臺

・丸ノ内本町

・魚町
舟型山車

・北町

・東町

・中町

・築地

・山ノ世古

・宿屋町

・中ノ番町

・大門町

・蔵町

・京口、立町

・入江町

・伊予町


□初期の練りもの、通りもの

・一番
町印は、金の天日の中に鶏毛の下に銀の井桁、金の鳳凰を作りて居(す)ゑる。

・浜魚町
造物 曳舟一艘
町印は、銀の半月中に黒き剱形。

・堀川町・新仲町
大名行列の真似

・二番
町印は銀の簸ニツ。上に金の孔軋? ゴハせ三方に風車を附ける。

・東町
はりぬき大頭
町印は唐図の下に赤き吹貫。

・西末寺町
鐘曳

・三番
町印は鏡に金銀の斧。

・西町、塔世町
仙人の真似
町印は鳥毛□□。

・釜屋町山伏の真似
町印は金の馬□、銀のヨウタン糸柳?

・加屋町
石引

・四番町印
五幣

・築地町、
猩々
町印は剱頭ニ幣、榊

・山瀬古町
湯立
町印は金の鏡

・新魚町
愛宕参りの真似。

・五番
町印は薄ニ金の月と銀の星

・宿屋町、中ノ番町
高野聖の真似

・六番
町印は金製□斗五本

。分部町
唐人行列

・七番
町印は花箭上に五幣、銀の角二ツ

・大門町
潮汲行列

・八番
鷹野の真似行列

・立世古町、京口町
町印は金の大鋸中ニ三日月下ニひけこ

・宝禄町
柚人行列
町印は朱半月金人形下・□んすの箭

・新立町
順礼

・九番
町印は□上ニ鵜一羽

・地頭領町
川猟
町印は朱将基駒

・南瀬古、大瀬古町
鷹野

・十番
町印は□□のきぬ吹貫

。伊予町、岩田町
母衣武者の真似

 初期は出しを飾った町印に、仮装や物真似行列が続く練物だったようである。方形の笠鉾が描かれ、総勢千二百人を超えるという大規模なものであった。
のち、江戸中期から末期には、能にちなんだ練物や通りものがでている。
江戸後期、安政年間と推定されている「八幡神社祭礼絵巻」方形の笠鉾、笠鉾と棒状の鉾絵巻は、町印、太鼓打、通り物、曳きもの、担ぎものの順ででている。
これが次第に発展して山車に移行していったとみられる。
「津市誌」(大正四年)に写真が載る。


□山車文献資料
・明暦年間祭礼之次第
・勢陽雑記
・八幡神社祭礼絵巻
・津市誌 大正四年


23552 曽尸茂梨(そしもり)

2006年08月03日 | 日本の山車
23552 曽尸茂梨(そしもり)

スサノオノミコトはイソタケルノミコト(イタケルノミコト)とともに降臨したのは韓国のソシモリとされる。
このことには日本、韓国とも異議がないようだが、ソシモリの所在については諸説がある近年、ソシモリというのは地名ではなく、「ソシ」と「モリ」のことではないか?
いう説がある。ソシ、イソは高い柱、モリは上部を指すという。
そうすると高い柱に降臨したことになる。

イソタケルノミコト、イソノカミは高い柱に降りたかみということになるか? 
兵庫県宝塚市に伊孑志(いそし)がある。