00956 植木神社祇園祭
三重県伊賀市平田(旧大山田村)
植木神社
祭は7月下旬。
楼車(だんじり)3臺を曳く。
□山車
楼車
・三重県上野市
□汎論
伊賀市平田(旧大山田村)には立派な山車がある。楼車と書きだんじりと読んでいるのは伊賀上野の山車の呼び方と同じである。
植木神社の祇園祭は寛弘元年(1004年)、村人が播磨国広峰山より牛頭天王を勧請して疫病の退散を祈ったことに始まるといわれる。
播磨国広峰山の広峰社(祭神素盞嗚命)は、吉備真備公が、疫隈国社を広島県福山市新市町にある素盞嗚神社(疫隈国社)より分祀し、天平6年(734年)に移したものといわれている。疫隈国社は延喜式神名帳にのる古社で、備後一ノ宮でもある。
広峰社伝によれば、天平5年(733年)3月18日、吉備真備公は唐より帰朝して、
白幣山神社を造営したのが創祀といい、のち天禄3年(972年)に白幣山より現社地の広峰山に遷したものである。
貞観18年(876年)僧円如が播磨国広峰から山城国八坂郷に遷したのが現在の京都八坂神社である。広峰山は八坂神社の元宮という。
伊賀市平田の創祀は相当古い起源がありそうである。
三重県伊賀市平田(旧大山田村)
植木神社
祭は7月下旬。
楼車(だんじり)3臺を曳く。
□山車
楼車
・三重県上野市
□汎論
伊賀市平田(旧大山田村)には立派な山車がある。楼車と書きだんじりと読んでいるのは伊賀上野の山車の呼び方と同じである。
植木神社の祇園祭は寛弘元年(1004年)、村人が播磨国広峰山より牛頭天王を勧請して疫病の退散を祈ったことに始まるといわれる。
播磨国広峰山の広峰社(祭神素盞嗚命)は、吉備真備公が、疫隈国社を広島県福山市新市町にある素盞嗚神社(疫隈国社)より分祀し、天平6年(734年)に移したものといわれている。疫隈国社は延喜式神名帳にのる古社で、備後一ノ宮でもある。
広峰社伝によれば、天平5年(733年)3月18日、吉備真備公は唐より帰朝して、
白幣山神社を造営したのが創祀といい、のち天禄3年(972年)に白幣山より現社地の広峰山に遷したものである。
貞観18年(876年)僧円如が播磨国広峰から山城国八坂郷に遷したのが現在の京都八坂神社である。広峰山は八坂神社の元宮という。
伊賀市平田の創祀は相当古い起源がありそうである。