勿論、個人がどのような形で参加しようとそれは勝手である。しかし、ここまで日本を排除しようとしている中国政府に対して、敢えて参加することに意義があるのだろうか。スポーツマンシップに則り参加するという考え方もあるかもしれないが、今の中国は、政治も文化もスポーツもすべて一緒くたの考えである。要は、スポーツにも政治理念を持ち込んで、自国の主張を訴えようとしている。
その昔、日本では敵方に塩を送った大将がいた。これは理想論かもしれないが、スポーツは昔から政治理念を持ち込まないというのが普通の考え方であった。彼のアドルフ・ヒトラーもベルリンオリンピックではスポーツ精神に則って開催をした。今の中国には、スポーツ理念の一かけらも感じない。政治がすべてに優先するという考え方に没頭している。国民もそれを肯定している。中華民族にはスポーツという考え方が殆どなく、すべてが国家政策の一つとなり、政策に背くものはスポーツも何もないのである。
今回、後から北京マラソンに参加することを是認することになったが、根本は参加させたくない、というのが本音である。こんな形での参加が果たして好い物かどうか。参加する人は個人の資格で行えばいいのであって、国がどうこうするものではない。勿論国から補助金を出す必要はない。この大会が、どのような結果になろうと、日本としては無関心でいればいいはずだ。国際大会というなら、そもそも日本を外したことが問題であり、国際大会の資格はないはずだ。
日本もこの大会に参加するとしたら、あくまで個人資格での参加とすればいい。国や競技団体がどうこうする問題ではない。問題は、国際競技団体である。このような団体が、どのように扱うかである。正式な大会として認めることはおかしいのである。正式な大会であれば国籍を云々するという差別をしたこと自体問題である。参加することに意義があるという人は参加すればいいのである。小生は、このような大会には日本人が参加するのを遠慮した方がいいと思う。将来のためにも。スポーツ精神をうたうのであれば尚更である。