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カクレマショウ

やっぴBLOG

『愛する言葉』岡本太郎・岡本敏子

2011-01-22 | ■本
 ドキドキしてハラハラして、
 一生懸命ついていくだけで精いっぱい。


こういうタイトルの本は普段なら絶対読まないんだけど、岡本太郎だから読んでみました。

二人が、いろいろな本に書いている「愛する言葉」を集めて再編集したエッセンス版。岡本太郎の言葉は青字、敏子の言葉は赤字で示される。

岡本太郎の言葉よりも、私には敏子の言葉のほうが印象深かった。岡本太郎の「愛する言葉」も、どれも岡本太郎らしくていいのだけれど、それより、敏子の言葉を通して、岡本敏子がどんなふうに「岡本太郎」という超個性に生涯寄り添ったのか、どんなに愛していたかがよく分かって、とても興味深いものがありました。そして、太郎の、あのぶっ飛んだ芸術性は、やはり敏子によって支えられていたんだということも。

 男が自分を縛って、
 いじいじと小さくなってしまうくらいなら、
 女が半分背負いたい。
 少々無鉄砲で、先の見えないことに飛び込む男でも、
 世間では無視して認めてくれないようなことに熱中する男でも、
 やりたいことがあって、眼の光っている男の方がいい。


ここでいう「男」というのは、もちろん太郎を指しているわけで、敏子は常に、ためらうことなくまっすぐに、太郎への深い愛を表明する。この本に集められた敏子の言葉、すべてが太郎に向けられている。男冥利、というのも古くさい言葉ですが、全く太郎は幸せな男だったと思う。

 太郎さんが『男女』っていう素敵な字を書いたの。
 男と女がくっついてひとつになってるんだけど、男が上。
 だから「やっぱり男が上なのね」と言ったら、
 「そうだよ、いつだって女が支えてるんだ」って言うのよ。
 ちゃんとわかってらっしゃる。


「女が男を支える」なんて言ったら、そのスジの方々から眼を剥かれそうですが、だけど、この二人の場合は、それが当たり前で、一番自然な姿だったのですね。

 私は岡本太郎によって育てられた。
 こんなにのびのびと平気で、
 ありのままでいられるのは、
 彼が、
 「それでいいんだよ。それが敏子なんだ」
 と認め、けしかけてくれたからなの。


一方、太郎の「愛する言葉」は、太郎流の「恋愛論」が多い。

 自分が自分自身に出会う、
 彼女が彼女自身に出会う、
 お互いが相手のなかに自分自身を発見する。
 それが運命的な出会いというものだ。


フムフム、なるほど。

 男は
 女性の世界観から
 自分のなかに欠落しているものを、
 見出すことができる。
 これが喜びであり、救いとなる。


あるいは、

 男性だけの世界観は
 ほんとうのものじゃない。
 女性だけの世界観も
 ほんとうのものとはいえない。
 この男と女の世界観がぶつかり合って、
 そこで初めてほんとうの世界観が生まれるんだ。


岡本太郎の作品は、言うまでもなく、男性的な力強さがほとばしり出ているものが多いのですが、その反面、丸みを帯びたフォルムや、なだらかな曲線、細部の繊細さなど、女性的とも言える優しさも息づいています。そういうのは、太郎自身の資質に加えて、敏子という女性に「与えられた」部分も多分に影響しているんだろうなということが、この本を読んでよく分かりました。

敏子は、もともと太郎の秘書として太郎に出会ったわけですが、二人は、深く愛し合うようになってからも「結婚」という形は取りませんでした(戸籍上は敏子は太郎の養子になっています)。

 好きな女性が、
 他の男と結婚しようが、
 こちらが他の女性と結婚しようが、
 それはそれだ。
 ほんとうの出会いは、約束ごとじゃない。
 恋愛というものさえ超えたものなんだ。


そこまで言い切れるのは、やっぱり「岡本太郎」だからなのでしょう。「枠」にはめられることが大嫌いな自由人、岡本太郎だから。

太郎は、決してストレートには敏子への愛を語ってはいません。でも、一般論に見せかけて、実は敏子のことを言っていると思われる言葉はたくさんあります。

 ほんとうに素晴らしい女性というのは、
 目ではなく、
 心にふれてくるものなんだ。

 
あるいは、敏子の言葉を借りれば、

 わたくし、よく言われてたの。
 お前さんは頭もよくないし、
 センスがいいわけでもないけど、
 本当のことしかいわないからいいよって。


お互いに引き合って、引き出し合える関係。男女の関係にに限らず、それはいつも一番大事なことですね。


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