カクレマショウ

やっぴBLOG

「アバター」─自然と人間は共生できるのか?

2011-01-23 | ■映画
“AVATAR”
2009年/米/162分
【監督・製作・脚本】 ジェームズ・キャメロン
【出演】 サム・ワーシントン/ジェイク・サリー ゾーイ・サルダナ/ネイティリ シガーニー・ウィーヴァー/グレース・オーガスティン スティーヴン・ラング/マイルズ・クオリッチ大佐
(C) 2009 Twentieth Century Fox. All rights reserved.
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今更ですが、「アバター」です。なぜか映画館で見ずに終わってしまい(そういえば「タイタニック」も未だDVDすら見ていない!)、最近ようやくDVDで鑑賞。でも、やっぱりこういう映画はスクリーンで見るべきですね。別に3Dじゃなくてもいいけど。

惑星パンドラの麗しき世界。ジェームズ・キャメロン監督が満を持して、というだけのことはある。もちろん、地球の自然界をベースにしているのだけれど、一つ一つの生き物や植物が、私たちが日常見慣れているものとちょっとずつ違っている。そしてそれらが、総体として見事に溶け合っている。お見事なパンドラの世界としか言いようがない。こういう世界を見せてくれるのは、映画ならではだよなーとつくづく思いました。CGとは分かっていても、それでもあんな角度、こんな角度から縦横無尽に展開するシーンの連続に、映画の醍醐味を感じました。

物語自体は、たぶん、宮崎駿の世界を地球以外のどこかの星に置き換えただけなのかもしれません。あるいは、ナヴィが、明らかにアメリカ大陸の先住民・インディアンの文化をベースにして描かれていることを思えば、「ダンス・ウィズ・ウルヴス」の焼き直しと言ってもいいかもしれません。やっぱり、自然と人間、精神世界と物質世界の対比は、私たちにとって永遠のテーマなのでしょうね。共存、共生、そして調和こそ私たちが目指すべき到達点。

しかし、本当にそうでしょうか? 最近は、自然と人間の「調和」とか「共存」とか、耳当たりのいい言葉がもてはやされる時代ですが、そもそも、自然と人間の調和・共存なんてできるのか。自然はいつだって人間に容赦ないし(昨日から今朝にかけて青森でも容赦なく雪が降り続き、市民生活を脅かしていますし)、人間は自然界の動植物を食べなければ生きてはいけない。時には自然を破壊してまでも欲望を満たそうとします。人間と自然は、今まででも、これからも「対立」していくほかないのではと思います。というより、人間と自然と二元的にとらえるのではなく、同じ「生命」ととらえれば、すべての生命は、他の生命と共生するものであると同時に、他の生命を暴力的に支配したり命を奪ったりしながら生きていくものなのです。

調和とか共存は確かに大事なキーワードではありますが、「生命」というレベルで何が出来るか、何をすべきなのかを考えることもまた必要だと思います。

善悪二元論的に、最後は、大いなる神の力、自然の力が底知れぬパワーで人間どもを圧倒するのかと思っていたのですが、結局は人間同士(アバター対人間か)の1対1の戦いに収斂されていく。これまたハリウッドお得意の手法です。憎むべき悪役は、ちゃんとヒーロー&ヒロインにとどめをさされて死ぬことになっています。クオリッチ大佐や採掘会社の管理人のように、悪い奴は徹底して悪い奴に描かれるのもまた米国映画の正当な踏襲。

パンドラ。こういう星って、宇宙のどこかに必ず存在するのでしょう。いつか、人間は地球を飛び出して、はるか宇宙のこんな星まで資源を求めていくのか。その頃、いったい、私たちの母なる星はどんなことになっているのでしょうか。

 

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