カクレマショウ

やっぴBLOG

なぜ勉強しなくちゃいけないの?

2010-12-09 | ■教育
先日取り上げた玄田有史さんの本『希望のつくり方』と講演録では、「勉強をやる意味」という部分もとても面白かった。

10月17日付け朝日新聞では、「算数大嫌いだったけど…」という見出しで、「元算数嫌い」の数学者や研究者を紹介しています。東大で航空宇宙工学を学ぶ院生は、高1くらいまで数学が嫌いだったという。その理由は、「やってることの意味が分からなかった」から。たとえば、分数ってなぜ必要なのか、よく分からないまま、計算だけは大量にやらされるのが嫌だった、という。でも、高2で物理を学んでから、物が飛んだり落ちたりする動きを計算するのに数学を使うことを知り、初めて計算に意味があることを知ったのだとか。もともとロケットが好きだったこともあって、今はロケットの研究をしている。

人工衛星の研究をしている大学の助教などは、小中学生の時の算数・数学の成績はずっと「1」か「2」だったそうです。学校の授業は大嫌いでしたが、SFドラマ「スタートレック」から宇宙にのめり込み、将来は宇宙の研究をしようと決めた。そのためには数学が外せないので、自分で復習を始めたら、すぐに「数の世界の奥深さ」、「数学の美しさ」にはまりこんでいったのだそうです。

子ども向けの算数・数学の本も書いている女性数学者は、大学受験が終わった翌日に数学の教科書を全部燃やしてしまったくらいの大の数学嫌いでした。計算間違いが多くて点数が低かったからです。大学は文系に進みましたが、一般教養科目にあった数学の授業で、数学への見方が一変します。「大学では、計算じゃなくて考え方の方が大事だった。ものごとの仕組みを理解する方法を学ぶのが数学と分かったら、好きになりました。」

記事で紹介されていたこの3人は、まあ、極端な例で、数学者とか物理学者の大半は、小さい頃から計算や数学が大好きだった人に違いないと思うのですが、それでも、自分が嫌いだったという思いがあるから、子どもたちに本当の算数の楽しさや数的な知識を得る喜びを伝えたいと思うのでしょうか。

女性数学者は、「今授業でやっていることには何の意味があるのか」と子どもたちに聞かれたら、なんて答えるかという問に対して、「泣いたり騒いだりせずに自分を説明し、相手を説得するには論理しかない。算数・数学はそれを学ぶものです。それに、ちゃんと説明できるようになると自信つきますよ」と答えています。

う~ん。これってどうなのかなあ。数学を学ぶと、論理的に物事を考える力がつく、ってよく言われますが、それはいったい本当なのでしょうか? というか、この説明で子どもたち、納得できるのかなあ…? 納得してもらうためには、算数や数学で身についた「論理力」が役に立った!という体験も必要でしょう。そう考えると、算数・数学もその他の教科も、すべて、「それだけ」では成り立たないものだということに思い当たる。子どもたちが学ぶものすべては、どこかでつながっているべきなのです。社会に出てから気づくでしょう、ではなくて、子どもたち自身が「学びのつながり」を実感することが大切なのでは…、と思っています。

ところで、「なぜ勉強しなくちゃいけないの?」という質問に対する玄田さんの答えはこうです。

「学校で勉強していることで、社会に出てそのまま役に立つなんて、ほとんどない」。
「勉強っていうのは、いろいろなことが、わかるようになるっていうこともあるけど、本当をいえば、わからないことだらけだよね。でも、勉強っていうのは、わからないということに慣れる練習をしているんだ」。

つまり、社会に出たら、分からないことだらけの中で生きていかなければならない。よく分からない社会を毎日生きる上で、もっとも大切なことは、「分からない」からといって簡単にあきらめないことだと言う。逃げ出さないこと。分からないから面白い、と思えるかどうか。学校の勉強はそのための訓練をしているのだ…。

うん、なるほど。確かにそういう見方もありますね。ただ、それを言っちゃおしまいよ、みたいなところもあって、自分では子どもたちにそうはっきりとは言えないかも。そういう考え方もあるよ、くらいでね。



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