大人にとって、小学校時代の思い出を語るとき、「給食」は避けて通れません。
給食のメニューや給食をめぐる周辺の出来事を語れば、おのずと世代の差が浮かび上がります。「脱脂粉乳」、「テトラパック牛乳」、「ミルメーク」…。先割れスプーン…。牛乳を「石炭ストーブ」の上であっためたこと、ごはん給食…。「えー何それ。知らな~い」。「またまたー、若いフリして」。
昭和ノスタルジーを基調とする居酒屋に行ったら、「給食セット」というメニューがありました。コッペパンに四角いマーガリン。瓶入り牛乳にミートソース。もちろん先割れスプーンで食べる。何といっても、アルミのトレイに配置されたそれらの構図がなんとも言えない郷愁をそそるのでした。
大人になっても、給食が学校生活の思い出の中で占める位置づけは、かくも大きい。同年代であれば誰もが共有できる胸キュンの思い出が、「給食」の光景に凝縮されています。
そんな日本の給食制度は、戦後の困窮時代に始まりますが、制度として確立していくのは、1954(昭和29)年に定められた学校給食法の制定以降です。学校給食法で示されている給食制度の目標は、次の4点です。
1 日常生活における食事への正しい理解と望ましい習慣を養うこと。
2 明るい社交性を養うこと。
3 食生活の合理化、栄養の改善及び健康増進を図ること。
4 食糧の生産、配分、消費について正しい理解を導くこと。
改めてこの法律を眺めてみると、最近とみに注目を浴びている「食育」のめざすところとほとんど重なることに気づきます。「ごはん」をただ栄養をとるために食べるのではなく、食の背景にある「農」、あるいは食をめぐる様々な文化についても考えよう知ろうという趣旨。そう、日本の給食制度の最大の特色は、給食を教育活動の一環としてとらえていることなのです。それは米国の給食制度と比べてみれば一目瞭然です。
(財)自治体国際化協会のニューヨーク事務所が1994年に発表した「アメリカの学校給食」というレポートがあります。それによれば、米国の給食制度は、そもそも余剰農産物の消費促進のために始まったものだそうです。だから、学校給食の所管省庁は、教育省ではなくて農務省です。学校給食法(1946年制定)はあるものの、制度自体は全国一律ではなく、州や都市、学校区によってそれぞれに特色があるとのこと。基本的には、貧富の差に関係なく等しく教育を受けることができるようにという原則のもと、給食費については、無償、減額(一部無償)、有償の3パターンがあるようです。
米国の給食光景は、日本のそれとはかなり異なります。「教室」で全員が同じものを食べるのではなく、「ランチルーム」のような独立した食事場所で、その日のメニューの中から好きなものを選んで食べることができる。子どもたちはそれぞれ食べられる分だけトレイに載せて、レジで現金またはチケットで支払いをします。日本で言えば、大学の生協のようなシステムですね。もちろん、給食を食べない子はランチボックス持参もOKだし、牛乳だけを買うこともできます。
米国らしい「自由」な光景ですが、一方で、好きなものだけを食べることによる栄養の偏りや食べ残しも気になります。先生はもちろん給食の時まで子どもたちの面倒は見ませんから、栄養のバランスを考えて食べようとか食べ残しはしてはいけませんとか、そんな「指導」はしません。だって、給食はあくまでも「食事」の時間であって、「教育」の場ではないのですから。
また、米国の給食制度の大きな特色は、「学校朝食制度」つまり、昼食だけでなく、朝食も学校でとることができるという点です。貧困層や両親の共働き家庭に配慮した米国ならではの制度だと思います。もちろん、「朝食抜き」が勉強に与える影響の大きさを考えてのことなのでしょう。そういえば、日本でもどこかの町で、学校で朝食を準備しているというところがありましたね。
日本では食事も教育、米国では食事はあくまでも食事。多少乱暴ですが、学校給食から、そんな特徴も見えてきます。
給食のメニューや給食をめぐる周辺の出来事を語れば、おのずと世代の差が浮かび上がります。「脱脂粉乳」、「テトラパック牛乳」、「ミルメーク」…。先割れスプーン…。牛乳を「石炭ストーブ」の上であっためたこと、ごはん給食…。「えー何それ。知らな~い」。「またまたー、若いフリして」。
昭和ノスタルジーを基調とする居酒屋に行ったら、「給食セット」というメニューがありました。コッペパンに四角いマーガリン。瓶入り牛乳にミートソース。もちろん先割れスプーンで食べる。何といっても、アルミのトレイに配置されたそれらの構図がなんとも言えない郷愁をそそるのでした。
大人になっても、給食が学校生活の思い出の中で占める位置づけは、かくも大きい。同年代であれば誰もが共有できる胸キュンの思い出が、「給食」の光景に凝縮されています。
そんな日本の給食制度は、戦後の困窮時代に始まりますが、制度として確立していくのは、1954(昭和29)年に定められた学校給食法の制定以降です。学校給食法で示されている給食制度の目標は、次の4点です。
1 日常生活における食事への正しい理解と望ましい習慣を養うこと。
2 明るい社交性を養うこと。
3 食生活の合理化、栄養の改善及び健康増進を図ること。
4 食糧の生産、配分、消費について正しい理解を導くこと。
改めてこの法律を眺めてみると、最近とみに注目を浴びている「食育」のめざすところとほとんど重なることに気づきます。「ごはん」をただ栄養をとるために食べるのではなく、食の背景にある「農」、あるいは食をめぐる様々な文化についても考えよう知ろうという趣旨。そう、日本の給食制度の最大の特色は、給食を教育活動の一環としてとらえていることなのです。それは米国の給食制度と比べてみれば一目瞭然です。
(財)自治体国際化協会のニューヨーク事務所が1994年に発表した「アメリカの学校給食」というレポートがあります。それによれば、米国の給食制度は、そもそも余剰農産物の消費促進のために始まったものだそうです。だから、学校給食の所管省庁は、教育省ではなくて農務省です。学校給食法(1946年制定)はあるものの、制度自体は全国一律ではなく、州や都市、学校区によってそれぞれに特色があるとのこと。基本的には、貧富の差に関係なく等しく教育を受けることができるようにという原則のもと、給食費については、無償、減額(一部無償)、有償の3パターンがあるようです。
米国の給食光景は、日本のそれとはかなり異なります。「教室」で全員が同じものを食べるのではなく、「ランチルーム」のような独立した食事場所で、その日のメニューの中から好きなものを選んで食べることができる。子どもたちはそれぞれ食べられる分だけトレイに載せて、レジで現金またはチケットで支払いをします。日本で言えば、大学の生協のようなシステムですね。もちろん、給食を食べない子はランチボックス持参もOKだし、牛乳だけを買うこともできます。
米国らしい「自由」な光景ですが、一方で、好きなものだけを食べることによる栄養の偏りや食べ残しも気になります。先生はもちろん給食の時まで子どもたちの面倒は見ませんから、栄養のバランスを考えて食べようとか食べ残しはしてはいけませんとか、そんな「指導」はしません。だって、給食はあくまでも「食事」の時間であって、「教育」の場ではないのですから。
また、米国の給食制度の大きな特色は、「学校朝食制度」つまり、昼食だけでなく、朝食も学校でとることができるという点です。貧困層や両親の共働き家庭に配慮した米国ならではの制度だと思います。もちろん、「朝食抜き」が勉強に与える影響の大きさを考えてのことなのでしょう。そういえば、日本でもどこかの町で、学校で朝食を準備しているというところがありましたね。
日本では食事も教育、米国では食事はあくまでも食事。多少乱暴ですが、学校給食から、そんな特徴も見えてきます。
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