
またまたある会議でいい話を聞きました。
地域コミュニティや住民自治について協議する会議の場で、ある方が紹介してくれたのが「しあわせの石のスープ」という童話です。
たび重なる戦争や天災でお互いを信頼できなくなった村がありました。そこへやってきたのは3人のお坊さん。しかし村人は窓を閉め切り、出てこようとしません。そこで3人は「石のスープ」を作ろうと言い出します。小さな鍋でお湯を沸かしていると、小さな女の子がちょこちょこやってきます。「もっと大きな鍋がほしい」とお坊さんが言うと、女の子は家から大きな鍋を持ってきてくれました。そのうち、村人たちが次々にやってきて、にんじんやらタマネギやらきのこやら、いろんな具を持ってきます。そして、おいしいスープができあがりました…。
「石のスープ」という思いもよらないツールが、村人に興味を抱かせ、「鍋」の周りに人々を引き寄せます。そして、みんなが持っている材料が集まって、「石のスープ」がいつのまにか「おいしいスープ」に変わっていく。たぶんこのあとも、村人たちは何かあるごとに集まってはおいしいスープを作り続けたのでしょう。
この物語は、「地域づくり」にもそのまんまあてはめることができます。例えば、「行政」(お坊さん)が材料や鍋をぜんぶ準備して地域づくり(スープづくり)を始めても、それは「住民」(村人)が望む「住みよい地域」(おいしいスープ)にはならないかもしれません。ましてや、永続性のあるものにはならないでしょう。おいしいスープは、住民自身が材料を持ち寄らないことには作り上げることはできない。では、住民が材料を持ち寄るようにするにはどうしたらいいのか…。
この童話は、中国が舞台となっているようですが、実はよく似た話がポーランドや韓国、フィリピンにもあるのだそうです。作者はジョン・J・ミュースという米国人ですが、彼は日本で石の彫刻を学んだこともあるとか。絵本は三木卓訳でフレーベル館から出ています。
「しあわせの石のスープ」>>Amazon.co.jp
地域コミュニティや住民自治について協議する会議の場で、ある方が紹介してくれたのが「しあわせの石のスープ」という童話です。
たび重なる戦争や天災でお互いを信頼できなくなった村がありました。そこへやってきたのは3人のお坊さん。しかし村人は窓を閉め切り、出てこようとしません。そこで3人は「石のスープ」を作ろうと言い出します。小さな鍋でお湯を沸かしていると、小さな女の子がちょこちょこやってきます。「もっと大きな鍋がほしい」とお坊さんが言うと、女の子は家から大きな鍋を持ってきてくれました。そのうち、村人たちが次々にやってきて、にんじんやらタマネギやらきのこやら、いろんな具を持ってきます。そして、おいしいスープができあがりました…。
「石のスープ」という思いもよらないツールが、村人に興味を抱かせ、「鍋」の周りに人々を引き寄せます。そして、みんなが持っている材料が集まって、「石のスープ」がいつのまにか「おいしいスープ」に変わっていく。たぶんこのあとも、村人たちは何かあるごとに集まってはおいしいスープを作り続けたのでしょう。
この物語は、「地域づくり」にもそのまんまあてはめることができます。例えば、「行政」(お坊さん)が材料や鍋をぜんぶ準備して地域づくり(スープづくり)を始めても、それは「住民」(村人)が望む「住みよい地域」(おいしいスープ)にはならないかもしれません。ましてや、永続性のあるものにはならないでしょう。おいしいスープは、住民自身が材料を持ち寄らないことには作り上げることはできない。では、住民が材料を持ち寄るようにするにはどうしたらいいのか…。
この童話は、中国が舞台となっているようですが、実はよく似た話がポーランドや韓国、フィリピンにもあるのだそうです。作者はジョン・J・ミュースという米国人ですが、彼は日本で石の彫刻を学んだこともあるとか。絵本は三木卓訳でフレーベル館から出ています。
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イタリアのユーロ硬貨を手に入れました。
写真をアップしてますので、お時間のある時にどうぞご覧下さい。
http://diary.jp.aol.com/3y9dmxmywejt/
やっぴらんどの青森のお話の中で、キリストの墓があるという逸話は面白いですね~(笑
「しあわせの石のスープ」のお話もどこから伝播してきたかを考えると興味は尽きません。