有田秀穂という脳科学者の書いた『脳からストレスを消す技術』(サンマーク出版、2008年)は、脳とストレスの関係を分かりやすく説明してくれていて、なるほどと思うことがたくさんあったのですが、この本の最後のほうに、こんな文章が載っていました。
今、多くの人が夢をもてなくなっているのは、「人との関係」を手放してしまったからだと私は思います。
人々が失ったのは、「夢」や「希望」ではなく、本当は「人との関係」だったということです。
脳の話だと思っていたら、キャリア教育みたいなことも書いてある。ちょうど、本田由紀の『教育の職業的意義』(ちくま新書、2009年)に書かれていたキャリア教育批判を読んで、ちょっと落ち込んで、でも同時に、これに反論しなければ!と思っていた矢先だったので、有田氏の本にはとても勇気づけられました。そう、キャリア教育は、「人との関係」を身に付けることなのです。
人は何のために働くのか。「お金」を得るため、というのを否定はできません。お金がなければ生活ができないからです。でも、「それだけ」ではないはずです。たとえば、有田氏の言うように、「愛する人の笑顔」のために働く、ということ。働くというのはそういうことなんだよ、ということを体験的に学ぶのがキャリア教育の一つの側面でもある。
有田氏は言います。夢や希望は、脳にとっては「快」であり「報酬」だと。ところが、夢や希望を持てない若者たちは、「快」という報酬よりも、そこに至るまでに被る「不快」のほうを恐れているのではないか。たぶん、その「不快」とは、「人との関係」に関わることが多いのだと思います。確かに、「人との関係」は時に「不快」をもたらします。でも、それを避けて通るわけにはいかない。その先にあるはずの「快」を求める自然な脳の働きを妨げてはいけないのです。
この本の冒頭で、ストレスには2種類あると書いてあります。
一つは、「快」が得られなくなることによって生じるストレス、もう一つは、自分が相手のためにと思ってしていることが、正当に評価されないことによって生じるストレス。前者は「快」を得すぎてしまったがために、それを失った時に「依存症」に陥ってしまうというストレスです。後者は、多かれ少なかれ、誰でもそういうストレスは日々感じていると思いますが、これが高じると「逆恨み」という厄介なことになってしまう。「ストレス社会」とまで言われる現代、こうしたストレスをなくすためには、ではどうしたらいいのか。
実は、人間はストレスを受け続けながら、人間特有の「抗ストレス能力」にこれまで気づいていなかったのだと言います。ストレスを解消するのも、人間特有の能力なのです。それは、脳の「前頭前野」の部分が司るのだそうです。その方法の一つは、「セロトニン神経」を活性化させて、「ストレスを上手に受け流すよう心身の準備を整える」こと。そしてもう一つは「情動の涙」を流すこと、です。
「情動の涙」といっても、いろいろな種類があります。悲しい涙、悔し涙、うれし涙、そして感動の涙。このうち、感動の涙は、大人しか流せない「大人の涙」なのだとか。なぜなら、感動の涙は、「他者に対する共感」がなければ流せないものだからです。子どもは、人間関係が少ないので、「共感」そのものがきちんとできない。
いずれにしても、「情動の涙」を流すことによって、「共感脳」の血流が増えて脳内で、交感神経の緊張状態(ストレスを感じている状態)から副交感神経優位(リラックス状態)に「スイッチングされる」。泣いて「スッキリ」した、というのは、ちゃんと脳が働いている証拠なのですね。
さらに、夢や希望を持てれば、セロトニン神経を活性化させるトレーニングをあえてしなくても、あるいは「情動の涙」を流さなくても、それ以上に今の社会から受けるストレスを解消できると言う。何のために、誰のために自分は働いているのか。子どもたちに対して、「人との関係」を意識的に設定していくことが、やはり必要のようです。体験しなければ気づかないことはたくさんあるのですから。
今、多くの人が夢をもてなくなっているのは、「人との関係」を手放してしまったからだと私は思います。
人々が失ったのは、「夢」や「希望」ではなく、本当は「人との関係」だったということです。
脳の話だと思っていたら、キャリア教育みたいなことも書いてある。ちょうど、本田由紀の『教育の職業的意義』(ちくま新書、2009年)に書かれていたキャリア教育批判を読んで、ちょっと落ち込んで、でも同時に、これに反論しなければ!と思っていた矢先だったので、有田氏の本にはとても勇気づけられました。そう、キャリア教育は、「人との関係」を身に付けることなのです。
人は何のために働くのか。「お金」を得るため、というのを否定はできません。お金がなければ生活ができないからです。でも、「それだけ」ではないはずです。たとえば、有田氏の言うように、「愛する人の笑顔」のために働く、ということ。働くというのはそういうことなんだよ、ということを体験的に学ぶのがキャリア教育の一つの側面でもある。
有田氏は言います。夢や希望は、脳にとっては「快」であり「報酬」だと。ところが、夢や希望を持てない若者たちは、「快」という報酬よりも、そこに至るまでに被る「不快」のほうを恐れているのではないか。たぶん、その「不快」とは、「人との関係」に関わることが多いのだと思います。確かに、「人との関係」は時に「不快」をもたらします。でも、それを避けて通るわけにはいかない。その先にあるはずの「快」を求める自然な脳の働きを妨げてはいけないのです。
この本の冒頭で、ストレスには2種類あると書いてあります。
一つは、「快」が得られなくなることによって生じるストレス、もう一つは、自分が相手のためにと思ってしていることが、正当に評価されないことによって生じるストレス。前者は「快」を得すぎてしまったがために、それを失った時に「依存症」に陥ってしまうというストレスです。後者は、多かれ少なかれ、誰でもそういうストレスは日々感じていると思いますが、これが高じると「逆恨み」という厄介なことになってしまう。「ストレス社会」とまで言われる現代、こうしたストレスをなくすためには、ではどうしたらいいのか。
実は、人間はストレスを受け続けながら、人間特有の「抗ストレス能力」にこれまで気づいていなかったのだと言います。ストレスを解消するのも、人間特有の能力なのです。それは、脳の「前頭前野」の部分が司るのだそうです。その方法の一つは、「セロトニン神経」を活性化させて、「ストレスを上手に受け流すよう心身の準備を整える」こと。そしてもう一つは「情動の涙」を流すこと、です。
「情動の涙」といっても、いろいろな種類があります。悲しい涙、悔し涙、うれし涙、そして感動の涙。このうち、感動の涙は、大人しか流せない「大人の涙」なのだとか。なぜなら、感動の涙は、「他者に対する共感」がなければ流せないものだからです。子どもは、人間関係が少ないので、「共感」そのものがきちんとできない。
いずれにしても、「情動の涙」を流すことによって、「共感脳」の血流が増えて脳内で、交感神経の緊張状態(ストレスを感じている状態)から副交感神経優位(リラックス状態)に「スイッチングされる」。泣いて「スッキリ」した、というのは、ちゃんと脳が働いている証拠なのですね。
さらに、夢や希望を持てれば、セロトニン神経を活性化させるトレーニングをあえてしなくても、あるいは「情動の涙」を流さなくても、それ以上に今の社会から受けるストレスを解消できると言う。何のために、誰のために自分は働いているのか。子どもたちに対して、「人との関係」を意識的に設定していくことが、やはり必要のようです。体験しなければ気づかないことはたくさんあるのですから。
前者だと義務的になってしまう気がする(いや、勤労は義務だけど)。
あなたはなんの為に働くかと聞かれたら
お金とも愛する人を幸せにするためとも答えられない。
お金で幸せになれないし、お金は問題を解決する手段だと思ってる。
働かないと暇だし、一人だと退屈、遊ぶにもお金が必要。
何のために働くか、私は暇を潰したいから。
働く以上、関わった人には『私がいてよかった』と思われたい。
そのためにどう仕事をすればいいか考えるのは簡単。
自分を中心にしちゃうと世界が狭くなり多角的に物事を考えられなくなる気がする。
いろんな人からの『ありがとう』の為に働いているかも。
>そのためにどう仕事をすればいいか考えるのは簡単。
というのは、いかにもあなたらしい。仕事をすることで、お金をもらって、ありがとうまで言われたら本望です。だけど、そういうちょっとずつの「ありがとう」が世の中をいい方向に向かわせるんだろう。結果として。目的より結果を先読みする。私もそういう仕事がしたい。
しかも『みんなで』。
若い頃。日常的にプレッシャーがかかり、つらい仕事だったけど、いつもは地味な上司が、そのプロジェクトが成功したことを伝える電話を受けた後、小さくガッツポーズした記憶が、その後、みんなで万歳した達成感が15年経った今も忘れられません。
仕事って一人じゃできないし、みんなで達成感を味わえば、何倍も楽しくなる。自分が「世の中で生きているんだ!役に立っているんだ!」って思わせてくれるすばらしい「人生のツール」だと思います。
キャリア教育は、「いろんな人がいろんな人によって生きて、生かされていることを実感させるきっかけを与える課程」であり、俺もおまえもあなたも君も「生きてる意味を初めて(改めて)考える課程」であると考えています。
昔は、ある意味、コミュニティの中で自然に経た過程でしょうが、今は、学校教育の中できっかけを与えてあげる必要があります。あくまできっかけですが。
でも、学校現場も、必要以上に構える必要はありません。「おもてなし隊」もキャリア教育のすばらしい例です。すべての教育課程はキャリア教育に通じています。
足し算も引き算も、分数も因数も、それが「こう役立つんだぜ!」って、「こんな仕事につながってんだぜ!」って、教えたあげればいいと思います。社会とのつながりを学校教育の中で教えていければいいと思います、今までよりも、ちょっぴり意識的に。
やっぴ、どう?
もちろん生きていくために働いているんだけど
働くことで人の役に立っていると実感できたら
こんなうれしいことはないと思います。
学校で習う知識を教科書通りではなく、実生活
で役立つように、具体的に教えることがキャリ
ア教育だし、みんなで話し合って協力して物事
を進めていく、その方法を教えるのもキャリア
教育だと思います。
別に特別なことではないけれど、先生達がみな
そういうことをしているかといったら、そうじ
ゃないからね。
これからは、そうすべきなんじゃないかな?
ありがとうございます。
私も全く同感です。
お返事長くなったので記事にUPしました。
それにしても、nobi~taさん、「おもてなし隊」までご存じということは…?