カクレマショウ

やっぴBLOG

キャリア教育と「大人の社会観」

2011-04-24 | └キャリア教育
市町村の社会教育関係者を対象として、キャリア教育の説明をする機会がありました。キャリア教育については、教員を対象とした研修会はよくありますが、社会教育関係者対象というのはあまり聞いたことがなく、こりゃ画期的な研修会だぜと思いました。

キャリアとは?キャリア教育とは?に始まって、国の動向、県の施策、そして社会教育の役割…と約50分間。キャリア教育には、社会教育の参入が絶対に必要と思っているので、ついつい力がこもってしまいます。

今日は、「大人の社会観」についても触れてみました。もちろん、ある本からの受け売りです。

大人はキャリア教育を考える際に、子どもたちに将来についてしっかり考えて欲しいと期待します。そして、子どもたちにどのような教育を与えるか、何を教え込むかを考えます。しかし、子どもたちに将来どんな社会で生きていってほしいのかを考えながら、キャリア教育の問題を考える人はまれです。どのような社会を子どもに手渡そうとしているのかをきちんと考えないままなら、単に大人社会に順応するように仕向けているとさえいえるでしょう。そういう意味では、子どもの職業観もあやふやなものですが、大人の社会観も同じくらい曖昧模糊としています。 (下村英雄『キャリア教育の心理学』,2009)

キャリア教育は、子どもたちの勤労観・職業観をはぐくむもの、と言いますが、ということは、キャリア教育に携わる大人たちの勤労観・職業観こそ問われているのです。さらに、大人が、子どもを将来どのような社会に迎え入れたいと考えているのか、いったいどんな社会を将来子どもたちに託そうとしているのか、それはまさに「大人の社会観」です。

実際、自分が「生きていく」ことで精一杯で、あるいは、自分が「キャリアアップ」することに汲々として、職業観とか仕事観なんて考えたこともない大人がほとんどなのかもしれません。ましてや、自分の仕事や職業が社会とどうつながっているかなんて、考えている余裕なんかない。こうあってほしいという曖昧な「社会観」はあるにしても、じゃそのために自分に求められている役割とか使命まで考えている大人はそうそう多くはないでしょう。

でも、ほんとうにキャリア教育を進めていこうとしたら、私たち大人の社会観が曖昧であっていいはずがありません。学校の先生でない大人が子どもたちの教育に関わっていくためには、「背中を見せる」だけではなく、その上で、正面から堂々と将来の社会観を説かなければなりません。

結局、キャリア教育は、一見、子どもが主役のようでいて、それを提供する大人の側の問題でもあるのです。(同上書)

キャリア教育を考えていくと、やはりそこに行き着く。だからこそ、大人の教育の場である「社会教育」が必要なのですね。今回の研修会では、キャリア教育の推進における社会教育の役割として、とりあえず3つくらいアプローチの方法があるのではという話をしたのですが、本当はもっと根本的な部分で社会教育とキャリア教育との関係を捉えなければならないのでは…と研修会が終わって帰り道の車の中で考えました。


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