総務省が、市町村の財政破綻を認定する際の基準を、新たに複数とすることとしたようです。今後は、「普通会計」だけでなく、特別会計や公営事業会計、さらに一部事務組合・広域連合や第三セクターまでを範囲とする4つのものさしで自治体の財政がチェックされることになります。
青森県内の市町村でも、いくつかが「黄信号」が灯ることになりそうですが、やはり、「合併」という選択肢を取らなかったところが多いようです。取らなかった、というより、膨大な赤字を抱えているために「ハズされた」市町村もあるようで。
全国を眺めてみると、あえて合併しなかった町村でがんばっているところはいくらでもあります。たとえば、2001年に「合併しない町宣言」を発表した福島県矢祭町。全国に本の寄贈を呼びかけて「もったいない図書館」を作った町としても有名です。根本良一・前町長は、「国から合併を指図される筋合いはない」と言い切り、誘致企業からの税金という自主財源があるとはいうものの、それを生かした独自の施策を次々と打ち出しています。「手作り図書館」が町民のボランティアで成し遂げられたように、何でもかんでも行政がカネを出してやる時代ではない、ということを踏まえての合併しない宣言だったのですね。
「自治」とは「自ら治める」こと。治めるのは誰かと言えば、首長でも役場でもなく、住民自身です。財政赤字の原因となったハコモノを作り続けた首長は、住民が選んだのですから、首長一人に責任を負わせるわけにはいかない。私は、住民自治の基本は、市町村単位よりもっと小さな「地域」にあると思っています。それぞれの地域で住民が参加した地域づくり、まちづくりがきちんと行われていることが、本当の意味の「地方自治」でしょう。
そして、やっぱり「人」に尽きます。矢祭町で「合併しない宣言」を起草し、本の寄贈による図書館という奇抜なアイディアを発案したのは、役場の一女性職員だとか。もちろん、彼女だけでなく、「住民側」にもたくさんのキーパーソンがいるのでしょう。キーパーソンは、いわゆる「声の大きな人」に限らない。いろんな形、色のキーを持っている人がそれぞれ持ち味を出してこそ、住民自治が成り立つのです。
膨大な赤字を抱えている市町村は、住民にも当然痛みを伴うことになるのでしょう。ただ、本当の意味の「自治意識」の強いまちは、結果的には生き残るのではないかと思っています。
青森県内の市町村でも、いくつかが「黄信号」が灯ることになりそうですが、やはり、「合併」という選択肢を取らなかったところが多いようです。取らなかった、というより、膨大な赤字を抱えているために「ハズされた」市町村もあるようで。
全国を眺めてみると、あえて合併しなかった町村でがんばっているところはいくらでもあります。たとえば、2001年に「合併しない町宣言」を発表した福島県矢祭町。全国に本の寄贈を呼びかけて「もったいない図書館」を作った町としても有名です。根本良一・前町長は、「国から合併を指図される筋合いはない」と言い切り、誘致企業からの税金という自主財源があるとはいうものの、それを生かした独自の施策を次々と打ち出しています。「手作り図書館」が町民のボランティアで成し遂げられたように、何でもかんでも行政がカネを出してやる時代ではない、ということを踏まえての合併しない宣言だったのですね。
「自治」とは「自ら治める」こと。治めるのは誰かと言えば、首長でも役場でもなく、住民自身です。財政赤字の原因となったハコモノを作り続けた首長は、住民が選んだのですから、首長一人に責任を負わせるわけにはいかない。私は、住民自治の基本は、市町村単位よりもっと小さな「地域」にあると思っています。それぞれの地域で住民が参加した地域づくり、まちづくりがきちんと行われていることが、本当の意味の「地方自治」でしょう。
そして、やっぱり「人」に尽きます。矢祭町で「合併しない宣言」を起草し、本の寄贈による図書館という奇抜なアイディアを発案したのは、役場の一女性職員だとか。もちろん、彼女だけでなく、「住民側」にもたくさんのキーパーソンがいるのでしょう。キーパーソンは、いわゆる「声の大きな人」に限らない。いろんな形、色のキーを持っている人がそれぞれ持ち味を出してこそ、住民自治が成り立つのです。
膨大な赤字を抱えている市町村は、住民にも当然痛みを伴うことになるのでしょう。ただ、本当の意味の「自治意識」の強いまちは、結果的には生き残るのではないかと思っています。
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