日本と中国の関係を表す最も古い「文字」は、あの有名な「金印」です。福岡県の志賀島で発見されたという金の印綬(「綬」というのは印をぶらさげる紐のことですが、これは見つかっていません)。その印に「漢委奴国王」という五文字が刻まれていたのです。

これは、「漢の属国である倭(わ)の奴(な)の国の王」という意味ですが、「倭」とはもちろん日本を指します(にんべんが省略されています)。これは、1世紀から4世紀にかけて中国を支配した後漢という王朝の創始者、光武帝が授けたものと言われています。言われています、というのは、そう金印に書いてあったわけではなくて、『後漢書』という歴史書の「東夷伝」に、倭の奴国の使者が洛陽にやってきて光武帝から「印綬」を授けられた、という記述があるからです。江戸時代に志賀島で発見された金印が、まさにその記述にある「印綬」だというわけです。1700年ぶりに姿を現した金印。一辺2.3cm、重さ100gちょっとしかない小さな金印が、ある農民によって偶然田んぼの石の下から見つかった…。なんだか出来過ぎた話のように思えますが、研究によれば、確かにあれはホンモノらしい。
それはともかく、こうして中国との「おつきあい」が始まる中で、様々な文物が日本に入ってきました。漢字もその一つです。
東南アジアあたりのホテルなんかで、けったいな日本語表記を見かけることがありますね。日本語を知らない現地の人が、日本語で書いてある「見本」を見ながらそのまま書き写したのではないかと思われるもの。漢字の部首がバラバラだったり、仮名にしても、「す」が「む」になっていたり、「い」と「り」の区別がつかなかったりします。書き写した人はたぶん日本語を知らないし、漢字や仮名を「文字」として認識していないのだから、考えてみれば当然のことです。実は、2000年近く前の日本人もそれと同じようなことを漢字に対してしていたのです。
当初、日本人は、漢字を文字としては認識していなかった。中国から持ち込まれた銅器や陶磁器に漢字が書かれていても、それは単なる模様としかとらえられなかった。そして、それらをそっくり真似して作ってみた時、「模様」を間違って書き写してしまうのもわかりますね。アラビア語やアラビア文字を知らない私たちがアラビア語を書き写そうとしても、同じようなことが起きるはずです。文字の発音や意味を知らない文字は、単なる意味不明の記号か模様でしかないのです。
しかし、日本人は、漢字が「文字」だということにだんだん気づいていきました。漢字には意味があるということも知ります。個々の漢字がどういう意味を持つのかも知っていきます。読み方は、中国人のような発音はできなくても、日本語音韻の似たような音に置き換えて読むことを覚えます。これが「音読み」です。日本で使われる漢字に「同音異義」の文字が多いのは、この置き換えによるのです。たとえば、「京」、「教」、「強」、「狂」は、中国語の発音ではそれぞれ異なりますが、日本語ではすべて「キョウ」という音に置き換えられました。こんなに同音異義語があれば、普通なら大混乱をきたすところです。ところが、日本人は、たとえ発音は同じでも、熟語にした時の意味と、前後の文の脈絡から、瞬時にその意味を理解することができる。つまり、「京都に行く」のキョウは「京」だし、「イスラム教徒」だったら「教」といったような漢字への置き換えを、特段意識せずにやってのけることができるのです。これは驚異的なワザと言ってもいいでしょう。
さらに、日本人はたまげたことをしています。それは、「訓読み」を生み出したことです。たとえば、「山」という漢字は、漢語風の発音で「サン」と読む(音読み)だけでなく、日本語(やまとことば)の「やま」という言葉がどうも「山」という漢字の意味らしいと考え、「やま」という読みを「山」の新しい読みとして追加していったのです。これが「訓読み」です。同じように、「犬」は、「ケン」という音読みのほかに、「いぬ」という訓読みをあてはめる。『漢字と日本人』(高島俊男著、文春新書)では、そのことを「相当奇抜な所業であり、また一大飛躍であった」と言っています。
「訓」というのは、「その字の解釈、意味」ということ(『漢字と日本人』)ですから、日本語(やまとことば=和語)によるその漢字の意味説明です。もちろん、漢語と和語が、すべてきれいに一対一で対応しているわけではありませんから、訓読みは相当フクザツです。
たとえば、『漢字と日本人』で引いている例を又引きすれば、「動きが上方に向かう(向かわせる)」という意味の漢字は、「上」、「登」、「挙」、「揚」、「昂」などたくさんあります。日本人は、それらの意味の違いを解釈しつつ、「あがる、あげる、のぼる」という3つの訓読みをそれぞれの漢字にあてはめていきました。「登」は「のぼる」、「挙」は「あげる」といった具合に。ただし、「上」だけは、この3つの訓読みをすべて持ちます。
また、最も訓の多い漢字として「生」を挙げています。「うむ、うまれる、いきる、はえる、おふ、なす、ある、き、ふ、なま、うぶ」など10種類以上の訓を持ちます。逆に言えば、これらの多様な和語に、すべて「生」という漢字を対応させたということになります。
それにしても、もし中国で、漢語を書き表すのに漢字ではなくアルファベットのような表音文字を使っていたとしたら、日本人は日本語を書き表すのに、その表音文字を受け入れたものでしょうか?たとえば、"mountain"というアルファベットで書かれた単語を、これは「やま」を意味するからといって、そのまま「やま」という読みをあてはめるというのは、相当無理があるような気がします。"mountain"は、やはり「マウンテン」と日本語の発音風の「音読み」しかできなかったでしょう。
表音文字は、発音を聞かなければ理解できません。「a i u e o」という文字は、「ア イ ウ エ オ」と発音されて初めて文字としての意味を持ちます。日本人は、漢語の複雑な発音を苦労して聞き取りながら、発音と文字の関係を整理し、たとえば「うみ」という日本語の発音には「umi」、「やま」には「yama」というように、文字を当てはめていかなければならなかったでしょう。しかも、同音異義語の多い日本語の場合、「umi」と表音文字で表した時、それは「海」ではなくて「生み」かもしれないし、「膿」かもしれないといったように、「意味」をにわかには把握できないという問題も生じます。その点、実際に日本人が初めて出会った文字が漢字だったことは、実はとてもラッキーだったのかもしれません。
ところで、『漢字と日本人』はとても学ぶところの多い本でしたが、著者の高島氏は、時に辛辣で皮肉めいた物言いをします。訓読みのくだりで、「和語に漢字をあてるおろかさ」として、たとえば「とる」という漢字の使い分けを尋ねてくる人は「かならずおろかな人である」と斬り捨てる。つまり、「とる」というのは日本語(和語)であり、その意味は一つしかないのだから、いちいち、「取る」かな?それとも「捕る」?「撮る」?「採る」?「摂る」?などと悩む必要はないというのです。
「日本人が日本語で話をする際に、「とる」と言う語は、書く際にもすべて「とる」とかけばよいのである。漢字でかきわけるなどは不要であり、ナンセンスである」。
なかなか痛快ですね。

これは、「漢の属国である倭(わ)の奴(な)の国の王」という意味ですが、「倭」とはもちろん日本を指します(にんべんが省略されています)。これは、1世紀から4世紀にかけて中国を支配した後漢という王朝の創始者、光武帝が授けたものと言われています。言われています、というのは、そう金印に書いてあったわけではなくて、『後漢書』という歴史書の「東夷伝」に、倭の奴国の使者が洛陽にやってきて光武帝から「印綬」を授けられた、という記述があるからです。江戸時代に志賀島で発見された金印が、まさにその記述にある「印綬」だというわけです。1700年ぶりに姿を現した金印。一辺2.3cm、重さ100gちょっとしかない小さな金印が、ある農民によって偶然田んぼの石の下から見つかった…。なんだか出来過ぎた話のように思えますが、研究によれば、確かにあれはホンモノらしい。
それはともかく、こうして中国との「おつきあい」が始まる中で、様々な文物が日本に入ってきました。漢字もその一つです。
東南アジアあたりのホテルなんかで、けったいな日本語表記を見かけることがありますね。日本語を知らない現地の人が、日本語で書いてある「見本」を見ながらそのまま書き写したのではないかと思われるもの。漢字の部首がバラバラだったり、仮名にしても、「す」が「む」になっていたり、「い」と「り」の区別がつかなかったりします。書き写した人はたぶん日本語を知らないし、漢字や仮名を「文字」として認識していないのだから、考えてみれば当然のことです。実は、2000年近く前の日本人もそれと同じようなことを漢字に対してしていたのです。
当初、日本人は、漢字を文字としては認識していなかった。中国から持ち込まれた銅器や陶磁器に漢字が書かれていても、それは単なる模様としかとらえられなかった。そして、それらをそっくり真似して作ってみた時、「模様」を間違って書き写してしまうのもわかりますね。アラビア語やアラビア文字を知らない私たちがアラビア語を書き写そうとしても、同じようなことが起きるはずです。文字の発音や意味を知らない文字は、単なる意味不明の記号か模様でしかないのです。
しかし、日本人は、漢字が「文字」だということにだんだん気づいていきました。漢字には意味があるということも知ります。個々の漢字がどういう意味を持つのかも知っていきます。読み方は、中国人のような発音はできなくても、日本語音韻の似たような音に置き換えて読むことを覚えます。これが「音読み」です。日本で使われる漢字に「同音異義」の文字が多いのは、この置き換えによるのです。たとえば、「京」、「教」、「強」、「狂」は、中国語の発音ではそれぞれ異なりますが、日本語ではすべて「キョウ」という音に置き換えられました。こんなに同音異義語があれば、普通なら大混乱をきたすところです。ところが、日本人は、たとえ発音は同じでも、熟語にした時の意味と、前後の文の脈絡から、瞬時にその意味を理解することができる。つまり、「京都に行く」のキョウは「京」だし、「イスラム教徒」だったら「教」といったような漢字への置き換えを、特段意識せずにやってのけることができるのです。これは驚異的なワザと言ってもいいでしょう。
さらに、日本人はたまげたことをしています。それは、「訓読み」を生み出したことです。たとえば、「山」という漢字は、漢語風の発音で「サン」と読む(音読み)だけでなく、日本語(やまとことば)の「やま」という言葉がどうも「山」という漢字の意味らしいと考え、「やま」という読みを「山」の新しい読みとして追加していったのです。これが「訓読み」です。同じように、「犬」は、「ケン」という音読みのほかに、「いぬ」という訓読みをあてはめる。『漢字と日本人』(高島俊男著、文春新書)では、そのことを「相当奇抜な所業であり、また一大飛躍であった」と言っています。
「訓」というのは、「その字の解釈、意味」ということ(『漢字と日本人』)ですから、日本語(やまとことば=和語)によるその漢字の意味説明です。もちろん、漢語と和語が、すべてきれいに一対一で対応しているわけではありませんから、訓読みは相当フクザツです。
たとえば、『漢字と日本人』で引いている例を又引きすれば、「動きが上方に向かう(向かわせる)」という意味の漢字は、「上」、「登」、「挙」、「揚」、「昂」などたくさんあります。日本人は、それらの意味の違いを解釈しつつ、「あがる、あげる、のぼる」という3つの訓読みをそれぞれの漢字にあてはめていきました。「登」は「のぼる」、「挙」は「あげる」といった具合に。ただし、「上」だけは、この3つの訓読みをすべて持ちます。
また、最も訓の多い漢字として「生」を挙げています。「うむ、うまれる、いきる、はえる、おふ、なす、ある、き、ふ、なま、うぶ」など10種類以上の訓を持ちます。逆に言えば、これらの多様な和語に、すべて「生」という漢字を対応させたということになります。
それにしても、もし中国で、漢語を書き表すのに漢字ではなくアルファベットのような表音文字を使っていたとしたら、日本人は日本語を書き表すのに、その表音文字を受け入れたものでしょうか?たとえば、"mountain"というアルファベットで書かれた単語を、これは「やま」を意味するからといって、そのまま「やま」という読みをあてはめるというのは、相当無理があるような気がします。"mountain"は、やはり「マウンテン」と日本語の発音風の「音読み」しかできなかったでしょう。
表音文字は、発音を聞かなければ理解できません。「a i u e o」という文字は、「ア イ ウ エ オ」と発音されて初めて文字としての意味を持ちます。日本人は、漢語の複雑な発音を苦労して聞き取りながら、発音と文字の関係を整理し、たとえば「うみ」という日本語の発音には「umi」、「やま」には「yama」というように、文字を当てはめていかなければならなかったでしょう。しかも、同音異義語の多い日本語の場合、「umi」と表音文字で表した時、それは「海」ではなくて「生み」かもしれないし、「膿」かもしれないといったように、「意味」をにわかには把握できないという問題も生じます。その点、実際に日本人が初めて出会った文字が漢字だったことは、実はとてもラッキーだったのかもしれません。
ところで、『漢字と日本人』はとても学ぶところの多い本でしたが、著者の高島氏は、時に辛辣で皮肉めいた物言いをします。訓読みのくだりで、「和語に漢字をあてるおろかさ」として、たとえば「とる」という漢字の使い分けを尋ねてくる人は「かならずおろかな人である」と斬り捨てる。つまり、「とる」というのは日本語(和語)であり、その意味は一つしかないのだから、いちいち、「取る」かな?それとも「捕る」?「撮る」?「採る」?「摂る」?などと悩む必要はないというのです。
「日本人が日本語で話をする際に、「とる」と言う語は、書く際にもすべて「とる」とかけばよいのである。漢字でかきわけるなどは不要であり、ナンセンスである」。
なかなか痛快ですね。
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