旧1万円札のニセ札が大量に出回っているようですが、今回の新札発行で唯一変わらなかった「顔」が福沢諭吉です。
福沢諭吉(1834~1901)は、言うまでもなく明治時代の啓蒙思想家・教育者であり、近代日本の基礎を築いた立役者の一人です(だからこそお札の顔にもなるのですね)。彼の思想は、合理主義、個人主義、自由主義を核とし、西洋的な民主主義を理想とするものでした。ところが、というより、だからこそ、晩年には富国強兵、国家主義を唱えるようになっていきます。
彼は1885(明治18)年3月、「脱亜論」を発表します。
「我が日本の国土は、アジアの東辺にあるが、その精神は、すでにアジアの固陋(ころう=古くささ)を脱して、西洋に移っている。しかし、不幸なことに、近隣に国がある。一つは支那といい、もう一つは朝鮮という。…今日の謀(はかりごと)をなさんとするに、我が国は隣国の開明を待って、ともにアジアを興す余裕はない。むしろ、その仲間より脱して西洋文明国と進退をともにすべきである。支那や朝鮮と接する方法も、隣国なるがゆえにと、特に考慮するに及ばない。西洋人が接する風に従ってやるべきである。悪友に親しむ者は、ともに悪名を免れることはできぬ。我々は、心において、アジア東方の悪友を謝絶するものである。」
欧米列強がアジア各地に進出し、強大な軍事力をもって次々と植民地化していく中で、彼にとっては、日本が近代化・西洋化することこそが、侵略を免れる道だと考えたのです。そのためには、中国や朝鮮のような古くさい「悪友」は見捨て、日本だけでがんばろう、というわけです。
もちろん、日本が植民地化されるかもしれないという強烈な危機感が背景にあったことは想像できますが、それにしてもなんと狭小でエゴイスティックな言い分でしょうか。
日本は、福沢の思惑通り、アジア諸国を切り捨て、「支配する側」に立っていきます。その第一歩が日清戦争(1894~95)でした。彼はこの戦争にももちろん諸手をあげて賛成しています。
彼が「脱亜論」で直接言及しているのは「東方の悪友」つまり中国と朝鮮でしたが、その考えはアジアのほかの国々にもあてはまると考えられます。
スマトラ沖大地震とそれに伴う東南アジア各国を襲った大津波の被災地の様子が連日報道されています。オーストラリアなど外国の軍隊がいち早く派遣されて救援活動にあたっているのを見て、これが日本の自衛隊だったら…と考えます。イラクには「人道派遣」が可能なのに、津波の被害地域への迅速な「人道派遣」ができないのはなぜなのでしょうか。
東南アジアの窮状にはなかなか腰を上げたがらないのを見ると、どうも日本は、「脱亜論」から根本的に抜け出せていないような気がします(イラクももちろん「アジア」ですが、人道派遣の背後には米国の影がありますので)。
「アングロサクソン人への憧憬」は、CMにいかに「白人」の出演が多いかを見るまでもなく、日本人の心のどこかに半永久的にインプットされてしまっているのかもしれません。
福沢諭吉(1834~1901)は、言うまでもなく明治時代の啓蒙思想家・教育者であり、近代日本の基礎を築いた立役者の一人です(だからこそお札の顔にもなるのですね)。彼の思想は、合理主義、個人主義、自由主義を核とし、西洋的な民主主義を理想とするものでした。ところが、というより、だからこそ、晩年には富国強兵、国家主義を唱えるようになっていきます。
彼は1885(明治18)年3月、「脱亜論」を発表します。
「我が日本の国土は、アジアの東辺にあるが、その精神は、すでにアジアの固陋(ころう=古くささ)を脱して、西洋に移っている。しかし、不幸なことに、近隣に国がある。一つは支那といい、もう一つは朝鮮という。…今日の謀(はかりごと)をなさんとするに、我が国は隣国の開明を待って、ともにアジアを興す余裕はない。むしろ、その仲間より脱して西洋文明国と進退をともにすべきである。支那や朝鮮と接する方法も、隣国なるがゆえにと、特に考慮するに及ばない。西洋人が接する風に従ってやるべきである。悪友に親しむ者は、ともに悪名を免れることはできぬ。我々は、心において、アジア東方の悪友を謝絶するものである。」
欧米列強がアジア各地に進出し、強大な軍事力をもって次々と植民地化していく中で、彼にとっては、日本が近代化・西洋化することこそが、侵略を免れる道だと考えたのです。そのためには、中国や朝鮮のような古くさい「悪友」は見捨て、日本だけでがんばろう、というわけです。
もちろん、日本が植民地化されるかもしれないという強烈な危機感が背景にあったことは想像できますが、それにしてもなんと狭小でエゴイスティックな言い分でしょうか。
日本は、福沢の思惑通り、アジア諸国を切り捨て、「支配する側」に立っていきます。その第一歩が日清戦争(1894~95)でした。彼はこの戦争にももちろん諸手をあげて賛成しています。
彼が「脱亜論」で直接言及しているのは「東方の悪友」つまり中国と朝鮮でしたが、その考えはアジアのほかの国々にもあてはまると考えられます。
スマトラ沖大地震とそれに伴う東南アジア各国を襲った大津波の被災地の様子が連日報道されています。オーストラリアなど外国の軍隊がいち早く派遣されて救援活動にあたっているのを見て、これが日本の自衛隊だったら…と考えます。イラクには「人道派遣」が可能なのに、津波の被害地域への迅速な「人道派遣」ができないのはなぜなのでしょうか。
東南アジアの窮状にはなかなか腰を上げたがらないのを見ると、どうも日本は、「脱亜論」から根本的に抜け出せていないような気がします(イラクももちろん「アジア」ですが、人道派遣の背後には米国の影がありますので)。
「アングロサクソン人への憧憬」は、CMにいかに「白人」の出演が多いかを見るまでもなく、日本人の心のどこかに半永久的にインプットされてしまっているのかもしれません。
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