
絵・加藤久仁生、文・平田研也による絵本バージョンの「つみきのいえ」もアニメーションとはまた違った良さがあります。
何より、加藤久仁生の描く絵の、デリケートでふんわりした雰囲気がじっくり楽しめるのが絵本バージョンの最大の魅力かも。細い鉛筆の線と、淡い水彩。こういう絵は、描かれた時のタッチを感じることができるから、見ていて飽きないのです。微妙な色の変化とか重ね塗りの美しさを、ページの隅から隅まで味わうことができる。
このコンビは、アニメーションでも原画と脚本をそれぞれ担当しているので、あの世界がそっくり絵本にも再現されているのですが、それでも、ストーリーの中で、アニメ版と設定を変えている部分がいくつかあります。
たとえば、おじいさんが海の中に潜っていくことになるきっかけ。アニメーションでは、愛用のパイプを落としてしまったから、という設定ですが、絵本では、新しい家をつくるために使う大工道具を落としたというふうに変えています。先日の企画展で、変えた理由が説明してありました。絵本だと、パイプに対するおじいさんの思い入れを描き切れないから、というものでした。アニメーションだと、確かにあのパイプは、おそらく、おばあさんとの大切な思い出が詰まったもので、「あのパイプ」じゃなきゃダメなんだーってことが分かります。単に「愛用の」とか「大切にしていた」という「言葉」だけでは表わしきれないのですね。絵本を読んでみて、そのことがよく分かりました。

言葉、といえば、アニメーションは一切セリフがなくて、おじいさんの「動き」だけで、その心の揺れや感動を表現している。その点、絵本のほうは実に饒舌です。だから、アニメーションでは描き切れない物語も描くことができる。たとえば、昔、飼っていた「こねこ」がいなくなったという話。
まだ ちいさかった こどもたちは かなしくて なきました。
そして みんなで こねこへの おてがみを かいて、
ビンに いれて うみへ ながしました。
そんなシーンは、アニメーションにはなかった。絵本ならではの貴重なワンシーンですね。
でも、待てよ。絵本が饒舌だと書きましたが、物語自体は、確かに文字でいくらでも書けてしまう絵本のほうがふくらみを持たせることができるかもしれない。だけど、アニメーションだって、別の意味では「饒舌」なのかもしれません。セリフはなくても、「音楽」という武器もある。見る側により深い想像力を要求できるのもアニメーションのほうだし。
絵本のほうの最後のページ。
はるに なりました。
おじいさんの あたらしい いえが
できました。
かべの われめに
タンポポが ひとつ
さいていました。
おじいさんは それを みて
うれしそうに わらいました。

アニメ版では、新しい家のテーブルで、おばあさんにもグラスを用意して、ワインを注いで、おじいさんが一人で飲むというシーンで終わります。この二つのラストシーンは、どちらも甲乙つけがたい。というか、アニメーションと絵本と、それぞれの良さを一番よく引き出している幕の閉じ方ですね。そこまで考えられるこのコンビの才能というかセンスには脱帽です。
この素敵な物語は、アニメーションと絵本と、両方そろって生きるのだと思います。アニメーションしか見たことのない人は、ぜひ絵本を。絵本しか読んだことのない人は、ぜひアニメーションを見て欲しいです。
何より、加藤久仁生の描く絵の、デリケートでふんわりした雰囲気がじっくり楽しめるのが絵本バージョンの最大の魅力かも。細い鉛筆の線と、淡い水彩。こういう絵は、描かれた時のタッチを感じることができるから、見ていて飽きないのです。微妙な色の変化とか重ね塗りの美しさを、ページの隅から隅まで味わうことができる。
このコンビは、アニメーションでも原画と脚本をそれぞれ担当しているので、あの世界がそっくり絵本にも再現されているのですが、それでも、ストーリーの中で、アニメ版と設定を変えている部分がいくつかあります。
たとえば、おじいさんが海の中に潜っていくことになるきっかけ。アニメーションでは、愛用のパイプを落としてしまったから、という設定ですが、絵本では、新しい家をつくるために使う大工道具を落としたというふうに変えています。先日の企画展で、変えた理由が説明してありました。絵本だと、パイプに対するおじいさんの思い入れを描き切れないから、というものでした。アニメーションだと、確かにあのパイプは、おそらく、おばあさんとの大切な思い出が詰まったもので、「あのパイプ」じゃなきゃダメなんだーってことが分かります。単に「愛用の」とか「大切にしていた」という「言葉」だけでは表わしきれないのですね。絵本を読んでみて、そのことがよく分かりました。

言葉、といえば、アニメーションは一切セリフがなくて、おじいさんの「動き」だけで、その心の揺れや感動を表現している。その点、絵本のほうは実に饒舌です。だから、アニメーションでは描き切れない物語も描くことができる。たとえば、昔、飼っていた「こねこ」がいなくなったという話。
まだ ちいさかった こどもたちは かなしくて なきました。
そして みんなで こねこへの おてがみを かいて、
ビンに いれて うみへ ながしました。
そんなシーンは、アニメーションにはなかった。絵本ならではの貴重なワンシーンですね。
でも、待てよ。絵本が饒舌だと書きましたが、物語自体は、確かに文字でいくらでも書けてしまう絵本のほうがふくらみを持たせることができるかもしれない。だけど、アニメーションだって、別の意味では「饒舌」なのかもしれません。セリフはなくても、「音楽」という武器もある。見る側により深い想像力を要求できるのもアニメーションのほうだし。
絵本のほうの最後のページ。
はるに なりました。
おじいさんの あたらしい いえが
できました。
かべの われめに
タンポポが ひとつ
さいていました。
おじいさんは それを みて
うれしそうに わらいました。

アニメ版では、新しい家のテーブルで、おばあさんにもグラスを用意して、ワインを注いで、おじいさんが一人で飲むというシーンで終わります。この二つのラストシーンは、どちらも甲乙つけがたい。というか、アニメーションと絵本と、それぞれの良さを一番よく引き出している幕の閉じ方ですね。そこまで考えられるこのコンビの才能というかセンスには脱帽です。
この素敵な物語は、アニメーションと絵本と、両方そろって生きるのだと思います。アニメーションしか見たことのない人は、ぜひ絵本を。絵本しか読んだことのない人は、ぜひアニメーションを見て欲しいです。
加藤さんご本人も今日はワークショップをされていたのですよね。直接お話しを聞いてみたかったですね!
でも、ナイルの風さんに行っていただいてよかったです。レポートしていただきありがとうございます。
小学生時代の夢は?という質問に何と答えてくれたのでしょう。図録掲載のインタビューには小学生の頃の話は出てきますが、その頃の夢については語ってませんでしたね。
回答が楽しみですね。
それにしても、その図工の授業にもいたく興味を惹かれます。「わたしのつみきのいえ」。子どもたちのどんなスケッチが飛び出してくるのでしょうね。素晴らしい取り組み、いつもながら感心させられます。