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『PLUTO』覚書その6─「ロボットってさ、人間が思ってるよりいろんなことがわかるよね」

2007-06-20 | └『PLUTO』覚書
手塚治虫の「地上最大のロボット」では、ウランは、兄・アトムを思う気持ちから、健気にもアトムに変装してプルートゥと戦います。

ウラン 「あなたはきっといいロボットなのね きっとあなたをつくった人間が悪い人なのよ アトムにいちゃんがきらいじゃないんでしょ」
プルートゥ 「ウラン 好きとかきらいとかいう気持ちはおれにはないよ おれはただいわれたとおり勝負しているだけなんだ」
ウラン 「あなたはかわいそうなロボットよ そうやってこわれるまで戦ってるの?」

こうしたウランの裏表のない優しさは、プルートゥをして激しく葛藤させることになります。

さて、浦沢版では、いったいどんな展開になるのでしょうか…? ウランが本格的に登場する第3巻のラインナップは以下のとおりです。

 Act.16 ウランの巻
 Act.17 機械に死を!!の巻
 Act.18 ゼロニウムの巻
 Act.19 エプシロンの巻
 Act.20 ロボット嫌いの巻
 Act.21 ウランの探し物の巻
 Act.22 プルートゥの巻
 Act.23 彷徨える魂の巻

ウランは、アトムと同じように、見た目はごく普通の子どもです。どこにでもいる、おしゃまでちょっと生意気な女の子。しかし、ロボットとしての彼女には、動物や植物から発せられるSOSを敏感にキャッチする能力が備わっていました。

輸送車から逃げ出したライオンやトラが何物かに怯えているのを察知したのもウランです。その感覚は、アトムにもわからない。人間で言えば、「第六感」という感覚でしょうか。それをウランの人工知能は「感じる」ことができるのです。

「ロボットってさ、人間が思ってるよりいろんなことがわかるよね。」

無邪気にそんなことを言うウランですが、「なかなかそれをうまく表現できない」のは、ウランが子どものロボットだから、というわけではありません。

動物たちが怯えていたモノは、中央公園の中に潜んでいました。「彼」との接触によって、ウランもまた「事件」に巻き込まれていく…

さて、その頃、ゲジヒトの住むドイツでは、新しい登場人物が紹介されます。アドルフ・ハース。表向きは貿易商ですが、実は、ロボット人権法廃止を唱える極右集団、KR団に所属する熱烈な反ロボット主義者です。KR団の思想の根拠は、「ロボットに魂はない」。

ハースは、かつて兄を何者かに殺された経歴を持っています。ふとしたことから、彼は兄が「ゼロニウム弾」という特殊合金でできた弾丸で粉々にされたことを知ります。ゼロニウム弾を使えるのはロボットだけ。しかもそれはある「ロボット刑事」にしか装備されていないことを知るまで、それほど時間はかかりませんでした。そのロボット刑事の名前は、ゲジヒト…。

兄はロボットに殺された! 憎むべき、魂のないロボットごときに。生前の兄は、どうしようもない「最低の」男でしたが、それでもロボットに殺されるいわれはない。ゲジヒトに対する復讐を固く心に誓うハース。

そして、KR団にとっては、この事実は、ロボット排斥を訴えるまたとないチャンスでした。ロボットが人間を殺した。今こそ、ロボットの残虐性と反社会性を訴えよう! しかし、殺されたハースの兄自身が「反社会的」な人間だったことがネックでした。下手をすれば世論に逆効果を与えかねない。KR団は、ゼロニウム弾という危険きわまりない武器を持つロボット刑事・ゲジヒトを、メディアを使って徐々に追いつめていく作戦をとることにします。

しかし、ハースはそんな悠長なことはしていられない。一刻も早く兄のかたきをとりたいハースは執拗にゲジヒトのあとを追い、チャンスをうかがう…。

ここに出てくる「KR団」という名称は、米国の人種差別集団、KKK(クー・クラックス・クラン)に由来しているものと思われます。KR団のメンバーは、三角の白頭巾で頭を覆い隠して集会に臨み、口々に叫びます。

「ロボットは下等である!!」
「ロボットは召し使いである!!」
「ロボットは奴隷である!!」

「ロボット」を「黒人」あるいは「有色人種」に置き換えれば、まさにKKKそのものです。いつの時代も、人間は、保身のための「スケープゴート」が欲しいんだなと思います。異質なものを排除することで自分たちの権益を守ろうとする人間たち。

「ロボットってさ、人間が思ってるよりいろんなことがわかるよね。」

彼らの思考は、そういうことには、決して及びはしないのです。



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1 コメント

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ロボットと人間の境目 (ヨハン・リーベルト)
2016-11-19 19:00:34
あなたの覚書いくつか読ませてもらいました。
ロボットの人権、そして人種差別というのはプルートゥでのメインテーマでありまた鉄腕アトムが大衆ウケして単なる勧善懲悪の物語になってしまう前の手塚治虫のテーマでもあります。しかし、浦沢直樹がプルートゥで描いているのは保身のためにスケープゴートを必要とする人間の醜さなんていう単純なものではなくもっと深く人間とは何かということだと思います。
歴史的に黒人や黄色人種への差別があったのは彼らがこれを"人"として認識していなかったからであり、また現代の人類もロボットを"人"ではなく単なる道具として認識しています。つまり人種差別撤廃の動きは白人だけを人とする旧時代から新たなコモンセンスを人間というものの定義に加えることだったと言えます。そこで問題となるのは人間とは何かということです。自ら考え行動する、しかし感情、"魂"がないロボットは人間なのか。いやもしロボットが進化して感情を持ったら…愛情、憎しみを理解し果てはロボットが故意の殺人まで犯したら…人工知能の暴走、故障…そうやって人間は理由を見つけようとするでしょう。しかしその結果故障が見つからずボットが完璧だったとしたら、もはや人間とロボットの違いは何なんでしょうか?人類はまた人間の定義を拡大しなくてはならないかもしれません。浦沢直樹直樹がプルートゥで描いているのはそういった人間の根本とも呼ぶべきところです。人間とは何なのか、人間の尊厳とはどこから来るのか。そしてその愛情を持ち憎しみを理解し始めたロボットを描くことで憎しみからは何も生まれないというメッセージを力強く投げかけています。決して保身だのスケープゴートだのそんな簡単な問いかけではなくもっと深いもののように思います。

僕は今高校生ですが、プルートゥは間違いなく今までで一番の漫画と言い切れる傑作だと思います。彼の独特の世界観、絵、読者に媚びない姿勢、そして辻褄合わせなんていうものを超えたそれらを繋ぎ合わせている哲学、そのすべてが抜き出てると思います。それだけにあなたの覚書を読んでいて的外れというか物足りなさというものを感じました。高校生の読書離れを心配しているようですが本というのは作者の意図を感じその奥ある何かを感じ取ってこそ価値があるものではないでしょうか。昔のブログにこんな長文のコメントをつけてすみません。ただ高校生の感想です。プルートゥ、素晴らしい作品だけにこうしてブログに載せてくれている人が見つかって嬉しかったです。
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