カクレマショウ

やっぴBLOG

「チャロー!インディア」(その2)─あのガンディーを「いじる」!

2009-02-15 | ■美術/博物
私が尊敬してやまないマハトマ・ガンディー。当然、母国インドではガンディーは神聖不可侵な存在なのだろうと思っていましたが、この作品を見ると、そうでもないのかも…とちょっとショックを受けました。アシム・プルカヤスタの、ガンディーを扱った一連の作品です。彼は、紙幣や切手に描かれたガンディーの顔をモチーフに、大胆なアートをつくり出す。

《ファウンド・オブジェクト/オブジェクツ》(2003-08年)は、ガンディーの肖像が描かれた5ルピー紙幣や10ルピー紙幣をずらりと並べ、その顔だけをペンで書き換えた作品。顔が反対側を向いていたり、タレ目にしてみたり、帽子をかぶせてみたりと、私たちが教科書の歴史的人物にいたずらをするような感覚で、あのガンディーをいじくり回しています。

《ガンディー 眼鏡なしの男》シリーズ(2002年~)や《見ざる、言わざる、聞かざる》(2006年)といた切手シート形式の作品も、「こうあるべき」というガンディー像を見事に覆してくれる。でもそれは決して、ガンディー自身を「おちょくる」ものではありません。ガンディーという人物を生みながら、その教えを十分に生かすことのない「インド」への強烈な皮肉。私にはそんなふうに思えました。

インドを英国から独立させるにあたり、ガンディーが苦悩したヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立もいまだ解決されていない問題の一つです。ガンディーの奔走にもかかわらず、結局イスラム教徒はインドから分離独立してパキスタンという国をつくりましたが、両国間の紛争は今も絶えません。特に、カシミアの産地として知られるカシミール地方の帰属争いは、全く先行きが見えない状態にあります。

このカシミールをめぐる国境紛争をテーマとした作品もありました。リーナ・サイニ・カッラトの《襞/亀裂/輪郭》(2008年)。10枚の写真からなる作品です。それぞれの写真には、女性の背中に赤いインクでゴム印が押されている。ゴム印のスタンプでカシミール地方の地図がかたどられている。その地図は10枚とも少しずつ違っていて、カシミール地方をめぐる帰属の変遷を表すのだという。カシミールをめぐる両国の「襞」(ひだ)があり、「亀裂」あり、そして、結果的には地図の「輪郭」がすべてを物語る。こういう作品って、世界史の「教材」としても使えますね。

もう一つ、同じ作者の作品で、《同義語》(2007年)にも興味を引かれました。人の顔を描いた大きなパネルが何枚も立っている。近づいていくと、顔がモザイクで描かれていることがわかってきます。もっと近寄ってみると、そのモザイクの正体が、「ゴム印」なのです…! ゴム印のゴムの部分を着色したものを数百個を使って顔をかたどっている。ゴム印の取っ手の部分とゴムの部分を2枚の透明アクリル板で挟んでパネルにしているのでした。なので、裏側から見ると、黒い取っ手が無作為に林立していて、まあ、そっちはそっちで面白い造形でもあります。解説を読んでみると、こうして描かれた人々は、紛争や災害で行方不明になっている人々の顔だという。着想がいかにもおもしろい。

リーナ・サイニ・カッラトもそうですが、今回の展覧会には多くの女性アーティストの作品が取り上げられています。

プシュパマラ・Nの《先住民の類型》シリーズは、自らもモデルとなって、写真や絵画の中でインドの女性がいかにステレオタイプ化されてきたかを皮肉っています。もともとは、英国が植民地時代に「調査記録」としてインドの民衆を撮影した写真にヒントを得たということですが、モノとして扱われる人間(女性)への強烈なメッセージとも受け取れます。

それから、私がしばらく聴き入ってしまった作品、《運命との密会の約束(制憲議会演説)》(2007-08年)も女性アーティストのものです。真っ白な空間に、マイクが1本。そこに内蔵されたスピーカーから、作者のシルパ・グプタ自身が朗読する、1947年に行われたネルーの制憲議会演説がエンドレスで流れています。それは朗読というより、歌に近い不思議な調べ。インドではとても有名なこの演説の内容を、彼女は噛みしめるに唱えています。思わず、壁に貼ってあった英語と日本語訳を何度も読み返してしまいました。

ネルーは、ガンディーの理念に深く共感しつつ共にインド独立への道を歩んだ人物で、初代首相を務めました。彼の娘ものちに首相になりましたが、ガンディー同様、急進派に暗殺されてしまいます。ガンディーの遺した遺産はあまりにも大きいけれど、大きすぎて手に負えないというところなのか。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿