「どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側に立つ」。
作家の村上春樹氏が、「イェルサレム賞」の授賞式の記念講演で語った言葉だそうです。『ノルウェーの森』、『海辺のカフカ』などの村上氏の作品は、ヘブライ語にも翻訳され、イスラエルでベストセラーになっているのだとか。イェルサレム賞は、イスラエル最高の文学賞で、アーサー・ミラー(米国)やホルヘ・ルイス・ボルヘス(アルゼンチン)など、歴代の受賞者はそうそうたる顔ぶれ。これで、いよいよ今年のノーベル賞文学賞も決定かもしれませんね。
ところで、今回の受賞に関しては、昨年末からのイスラエルによるガザ地区空爆の影が取り沙汰されていました。つまり、イスラエル空爆を非難する国際世論が高まる中、そもそも村上氏が、イェルサレムで行われる授賞式に参加するのかどうかということです。大阪にある「パレスチナの平和を考える会」という民間団体は、受賞そのものを辞退さえ求めていました。国際的に有名な村上春樹氏がイェルサレム賞を受賞することは、イスラエルの戦争犯罪を免罪することになるというわけです。
イスラエル空軍がパレスチナ人の住むガザ地区に空爆を始めたのは、昨年12月27日のことでした。
古くから綿花の産地として栄えたガザ地区(「ガーゼ」の語源になってます)は、イスラエルの建国(1948年)と同時に起こった第一次中東戦争の際にエジプトに占領されますが、第三次中東戦争(1967年)では、イスラエルが電撃的な作戦でヨルダン川西岸地区とともに占領し、以後、イスラエル人(ユダヤ人)の入植が始まります。
ガザ地区の奪還をめざすエジプトは、第四次中東戦争(1973年)を経て、イスラエルとの和平交渉に方針を転換し、1978年の平和条約締結に至ります。その結果、エジプトは事実上ガザ地区を放棄し、1993年の中東和平(オスロ合意)で、両地区は正式にパレスチナ自治政府の統治下に置かれることになりました。ところが、その後も、イスラエルは入植者の保護を名目に、しばしばガザ地区に対する空爆を行ってきました。
現在、ガザ地区を統治するパレスチナ自治政府は、イスラム原理主義組織「ハマス」が主導権を握っています。一方、ヨルダン川西岸地区は依然としてPLO(パレスチナ解放機構)の「ファタハ」が支配している。ファタハが対イスラエル対話路線を模索しているのに対し、ハマスは強硬路線を標榜し、イスラエルの存在そのものを否定する始末。パレスチナ側も一枚岩とは言えない状態にあるのです。
ガザ地区への空爆に加えて、年明けにはイスラエルは地上軍も侵攻させ、その結果、1月20日の撤退までに、パレスチナ側の犠牲者は、一般市民を含め1,300人以上にのぼりました。これは、第三次中東戦争以来、最大の被害者数です。しかも死者のうち、3分の1が子どもだという。イスラエル軍は、国連が運営する避難所の学校や国際赤十字の救急車輌への攻撃など、明らかに国際法に違反する戦争犯罪を犯しています。冒頭の村上氏のスピーチは、こうしたイスラエルの姿勢を強く批判するものでした。
村上氏は、授賞式への出席について迷ったといいます。しかし、あえて出席したのは「メッセージを伝えるため」だとしています。そういう姿勢は正しいと思います。賞を贈ってくれた国を批判することはなかなかできることではない。賞を辞退することだけが、反抗の表し方ではないでしょう。
今回のガザ攻撃について、もちろんイスラエルが非難されるのは当然です。一般市民、特に子どもたちを無差別に殺戮するのは、どう見ても許すべからざる行為です。その点は、どんなに口をきわめて非難しても足りるものではありません。
ただ、今回のガザ地区への攻撃には、パレスチナ側にも原因の一端があるという点を忘れてはならないでしょう。昨年6月からイスラエルとハマスは、6ヶ月の期限付きの停戦協定を結んでいるのですが、その期限が切れる12月を前に、停戦延長の交渉が始まっていました。ところが、ハマスは、それを無視して、停戦期限が切れる前からロケット弾をイスラエルに向けて打ち込んでいたのです。一方のイスラエルの政権は、総選挙を控えていることもあり、国民へのアピールという意味で、ハマスに対する断固たる報復を実行する必要がありました。でも、もしハマスが無差別攻撃をしていなかったら、イスラエル側にもさすがに攻撃の口実は作れなかったのではないでしょうか。ハマスの強硬路線が、今回の攻撃を招いたととれなくもない。
昔の日本人は「喧嘩両成敗」という言葉を作りました。「いじめ」とちがって、喧嘩は両方が悪い。国同士の戦争とも同じで、理不尽で一方的な侵略・侵攻でない限り、結局「どっちも悪い」のだと思います。お互いのエゴをむきだしにするから戦争が起こるのです。
村上氏のスピーチは、確かに彼らしい「詩的」で含蓄に富んだものだったと思いますが、イスラエルだけを非難するのではなく、喧嘩両成敗の精神、そして両者の和解を示唆するようなものだったら、もっと素晴らしかったのでは…と思います。
作家の村上春樹氏が、「イェルサレム賞」の授賞式の記念講演で語った言葉だそうです。『ノルウェーの森』、『海辺のカフカ』などの村上氏の作品は、ヘブライ語にも翻訳され、イスラエルでベストセラーになっているのだとか。イェルサレム賞は、イスラエル最高の文学賞で、アーサー・ミラー(米国)やホルヘ・ルイス・ボルヘス(アルゼンチン)など、歴代の受賞者はそうそうたる顔ぶれ。これで、いよいよ今年のノーベル賞文学賞も決定かもしれませんね。
ところで、今回の受賞に関しては、昨年末からのイスラエルによるガザ地区空爆の影が取り沙汰されていました。つまり、イスラエル空爆を非難する国際世論が高まる中、そもそも村上氏が、イェルサレムで行われる授賞式に参加するのかどうかということです。大阪にある「パレスチナの平和を考える会」という民間団体は、受賞そのものを辞退さえ求めていました。国際的に有名な村上春樹氏がイェルサレム賞を受賞することは、イスラエルの戦争犯罪を免罪することになるというわけです。
イスラエル空軍がパレスチナ人の住むガザ地区に空爆を始めたのは、昨年12月27日のことでした。
古くから綿花の産地として栄えたガザ地区(「ガーゼ」の語源になってます)は、イスラエルの建国(1948年)と同時に起こった第一次中東戦争の際にエジプトに占領されますが、第三次中東戦争(1967年)では、イスラエルが電撃的な作戦でヨルダン川西岸地区とともに占領し、以後、イスラエル人(ユダヤ人)の入植が始まります。
ガザ地区の奪還をめざすエジプトは、第四次中東戦争(1973年)を経て、イスラエルとの和平交渉に方針を転換し、1978年の平和条約締結に至ります。その結果、エジプトは事実上ガザ地区を放棄し、1993年の中東和平(オスロ合意)で、両地区は正式にパレスチナ自治政府の統治下に置かれることになりました。ところが、その後も、イスラエルは入植者の保護を名目に、しばしばガザ地区に対する空爆を行ってきました。
現在、ガザ地区を統治するパレスチナ自治政府は、イスラム原理主義組織「ハマス」が主導権を握っています。一方、ヨルダン川西岸地区は依然としてPLO(パレスチナ解放機構)の「ファタハ」が支配している。ファタハが対イスラエル対話路線を模索しているのに対し、ハマスは強硬路線を標榜し、イスラエルの存在そのものを否定する始末。パレスチナ側も一枚岩とは言えない状態にあるのです。
ガザ地区への空爆に加えて、年明けにはイスラエルは地上軍も侵攻させ、その結果、1月20日の撤退までに、パレスチナ側の犠牲者は、一般市民を含め1,300人以上にのぼりました。これは、第三次中東戦争以来、最大の被害者数です。しかも死者のうち、3分の1が子どもだという。イスラエル軍は、国連が運営する避難所の学校や国際赤十字の救急車輌への攻撃など、明らかに国際法に違反する戦争犯罪を犯しています。冒頭の村上氏のスピーチは、こうしたイスラエルの姿勢を強く批判するものでした。
村上氏は、授賞式への出席について迷ったといいます。しかし、あえて出席したのは「メッセージを伝えるため」だとしています。そういう姿勢は正しいと思います。賞を贈ってくれた国を批判することはなかなかできることではない。賞を辞退することだけが、反抗の表し方ではないでしょう。
今回のガザ攻撃について、もちろんイスラエルが非難されるのは当然です。一般市民、特に子どもたちを無差別に殺戮するのは、どう見ても許すべからざる行為です。その点は、どんなに口をきわめて非難しても足りるものではありません。
ただ、今回のガザ地区への攻撃には、パレスチナ側にも原因の一端があるという点を忘れてはならないでしょう。昨年6月からイスラエルとハマスは、6ヶ月の期限付きの停戦協定を結んでいるのですが、その期限が切れる12月を前に、停戦延長の交渉が始まっていました。ところが、ハマスは、それを無視して、停戦期限が切れる前からロケット弾をイスラエルに向けて打ち込んでいたのです。一方のイスラエルの政権は、総選挙を控えていることもあり、国民へのアピールという意味で、ハマスに対する断固たる報復を実行する必要がありました。でも、もしハマスが無差別攻撃をしていなかったら、イスラエル側にもさすがに攻撃の口実は作れなかったのではないでしょうか。ハマスの強硬路線が、今回の攻撃を招いたととれなくもない。
昔の日本人は「喧嘩両成敗」という言葉を作りました。「いじめ」とちがって、喧嘩は両方が悪い。国同士の戦争とも同じで、理不尽で一方的な侵略・侵攻でない限り、結局「どっちも悪い」のだと思います。お互いのエゴをむきだしにするから戦争が起こるのです。
村上氏のスピーチは、確かに彼らしい「詩的」で含蓄に富んだものだったと思いますが、イスラエルだけを非難するのではなく、喧嘩両成敗の精神、そして両者の和解を示唆するようなものだったら、もっと素晴らしかったのでは…と思います。
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