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沢木耕太郎『深夜特急ノート─旅する力』が教えてくれた大切なこと。

2009-05-12 | ■本
観光バスに乗って観光地をめぐる旅行なら、ガイドブックには、観光地に関する解説が載っていさえすれば事足りる。ところが、「地球の歩き方」シリーズ(ダイヤモンド社)は、その名のとおり、どうやって現地を「歩く」か、つまり、移動手段とか宿泊施設に重きを置いて作られたガイドブックでした。しかも、実際に現地を旅した経験者によるナマの情報が掲載されていることも、それまでのお仕着せのガイドブックにはない魅力でした。

「地球の歩き方」が初めて世に出たのは1979年。今年は創刊30周年にあたります。

沢木耕太郎が「深夜特急」の旅に出たのは、「地球の歩き方」が観光される前の1970年代前半のことだったということに改めて驚きます。「地球の歩き方」もない時代に、彼は単身、「デリーからロンドンまで」、乗り合いバスを乗り継いで長い旅をしている。「地球の歩き方」がないのに、彼は、自分の力だけで、現地の安い宿を探し、バスターミナルを見つけてはバスに乗り込むといった旅をしていた…!「地球の歩き方」世代の私たちにとって、それはほんとうにスゴイこととしか言いようがない。

彼がその旅について記した『深夜特急』が刊行されたのは、旅から10年以上もたった1986年のことです。すでに「地球の歩き方」は、バックパッカーにとって人気を集めていましたが、それ以上に『深夜特急』は、バイブル的な扱いをされることになります。沢木耕太郎が旅したルートをそのままたどってみた若者も多かったことでしょう。

昨年11月、沢木耕太郎は、『深夜特急ノート─旅する力』(新潮社)という本を発表しました。「深夜特急<最終版>」と銘打たれたこの本は、いかにして彼が26歳にして遠大な旅に出ることになったのか、あるいは『深夜特急』には書かれなかった逸話も盛りこまれ、新たな旅のバイブルにもなりそうな予感がします。かつての『深夜特急』シリーズと同じく、装幀は平野甲賀。彼の手になる、フランスのアール・デコのデザイナー、アドルフ・ムーロン・カッサンドルのポスターを大胆にあしらった表紙が、これまた泣かせますね。

『深夜特急』を私が初めて読んだのは、今から15年ほど前のことです。文庫本にして6分冊にわたるこの本を一気に読み終えた時、もうとっくに「26歳」を過ぎていた私は、嫉妬と焦燥感を覚えました。私がしたかった旅のすべてがそこにあった。しかし、こんな旅をすることは二度とないだろうとも思いました。既にこんな旅ができない年齢になってしまったこと、初めて年を取ることのむなしさを覚えたものでした。

沢木はこの本の中で、「旅には適齢期というものがあるのかもしれない」と書いています。つまり、人生の経験と未経験と、ちょうどいいバランスの時に、しかるべき旅に出るべきだと。まったくその通りだと思います。彼自身も、中学生の頃、初めて伊豆大島に一人旅に出たものの、たった1日で「逃げ帰ってきた」のだとか。中学生は、大島とはいえ、旅に出るにはあまりにも「未経験」の部分が多すぎたということでしょう。

私も若い頃にいろいろな旅をしてきましたが、確かに、経験のなさが不要な警戒心を抱かせて、結果的に旅を未熟なものにしてしまったり、逆に、下手に積んできた「経験」のせいで、旅がつまらないものになってしまったことに、いくつか思い当たります。沢木は、「26歳」ぐらいが外国への長い旅に出るにふさわしい、と書いています。『深夜特急』には、「食べる力」、「呑む力」、「聞く力」、「訊く力」がみなぎっています。そして、この本のテーマ、「旅する力」も。



「旅する力」。

たとえば、外国の旅をしていると、言葉が通じないという問題があります。私が一番好きで何度も読み返した(昔、新幹線で上京する際には、車中で読む適当な本がない時はいつも『深夜特急』を持って行ったものでした。)「インド・ネパール」編には、ネパールのカトマンズでのエピソードで忘れられない話があります。現地で知り合った人の家をようやく探し当てて訪ねていったが、本人はあいにく留守で、父親がいた。彼は父親に来訪の理由を話し、父親は、せっかく遠いところ来てくれたのに本当に申し訳ないと言う。そうした会話をして別れたあと、彼は、今自分たちはいったい何語で会話をしていたのだろうと思う…。日本語でもない、英語でもない、ましてやネパール語でもない。どうやって自分の気持ちを相手に伝えたのか…。

本当に「伝えたいこと」には、言葉などいらないのかもしれませんね。会話を交わさなくても、お互いに十分解り合えることがあります。もちろん、目と目を合わせて話すことがコミュニケーションの基本ですが、たとえ会わなくても、不思議と気持ちが通じ合うこともある。旅をしていて、言葉が通じないのは、決して不利なことではないのかもしれません。

言葉の問題だけでなく、旅は自分の力の不足を教えてくれる。比喩的に言えば、自分の背丈を示してくれるのだ。…この自分の背丈を知るということは、まさに旅の効用のひとつなのだ。

自分の背丈を知ること。それこそが、「旅する力」そのものだのだと思います。であるとすれば、別に「26歳」にこだわることもないことに気づく。自分の「背丈」には、「年齢」も加算されていきます。年齢に見合った背丈になっているかどうか、それは何歳だろうが確かめなくてはならないこと。

今からでも決して遅くはない。自分の年齢×背丈を測るために、インドに、ユーラシア大陸に、ヨーロッパに、いつか旅に出ます。絶対に。

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