高校生や大学生から大人が学ぶことは、実はとても多い。
2009年5月10日付け朝日新聞の投書欄に、「身の回りのこと「哲学」しよう」というタイトルで、青森県八戸市の高校生の投書が載っていました。
友だち11人と「若者の哲学研究会」を立ち上げたというもの。「ここでいう「哲学」とは「身の回りのことについて考える」こと」だと彼は言う。「死と生」、「男女の価値観」、「勉強の意義」、「本当の友達とは」など、高校生が一度は突き当たる問題について、彼らはしっかり向き合って、自分たちなりの答えを出そうとしています。
その「答え」を彼らは「解」と呼んでいます。それは、「具体的にこれからどうしていくか」ということであり、具体的に「行動」に移していくことまでちゃんと考えている。
こういう高校生は、たぶん、ずっと前にはたくさんいたのだと思います。私の高校時代は既にそういう時代ではなかったような気もしますが、それでも、「人生とは何か」とか、「何のために勉強するのか」とか、青臭い議論をすることはけっこうありました。そういう議論が三度の飯より好きだという輩もいました。思えば、「倫理」の時間はとても楽しかった。「哲学者」である先生が、私たちに議論を吹っかけてきて、私たちも、真剣にそれに答えを出そうとしていました。時には、誰かの意見がたまたま先生のツボに「ハマって」しまって、授業がストップしてしまうことも。先生が、「う~ん」と一言うなり、腕組みをして、下を向いて考え込んでしまうのです。対する私たち生徒も、その雰囲気に呑まれてしまい、一言も声を発することができないまま何十分かが過ぎていく…。先生が真剣に考えてくれている、それは「青臭い」高校生にとって、ものすごくありがたいことでした。
「青臭い」とはいえ、高校生の頃に「哲学」に思いをはせることは、人生のずっとあとになってから「役に立つ」のではないでしょうか。意識はしないにしても、高校生の頃に真剣に考えたことは、どこかに必ず残っているものです。私は、高校生の頃に小林秀雄の「考えるヒント」を読んだ時、よく意味が理解できなかったにせよ、ひどく感動したことを覚えています。こういうもののとらえ方ができる大人になりたい、とひそかに決意したものでした。今では、その内容も、いくつかを除いてはすっかり忘れてしまいましたが、きっと、今の自分を作っている大事な要素がそこにあったのだと思っています。
だから、投書子のような熱い思いを持った高校生がいるということがとてもうれしい。しかも、県内に…! 彼らは、自分たち若者の力を心から信じています。社会を変えることができると。その思いを大人は大切にするべきですね。
彼らは当然、サイトも作っています。ネット上の盛んな議論が盛り上がることも、あわせて期待したいですね。
2009年5月10日付け朝日新聞の投書欄に、「身の回りのこと「哲学」しよう」というタイトルで、青森県八戸市の高校生の投書が載っていました。
友だち11人と「若者の哲学研究会」を立ち上げたというもの。「ここでいう「哲学」とは「身の回りのことについて考える」こと」だと彼は言う。「死と生」、「男女の価値観」、「勉強の意義」、「本当の友達とは」など、高校生が一度は突き当たる問題について、彼らはしっかり向き合って、自分たちなりの答えを出そうとしています。
その「答え」を彼らは「解」と呼んでいます。それは、「具体的にこれからどうしていくか」ということであり、具体的に「行動」に移していくことまでちゃんと考えている。
こういう高校生は、たぶん、ずっと前にはたくさんいたのだと思います。私の高校時代は既にそういう時代ではなかったような気もしますが、それでも、「人生とは何か」とか、「何のために勉強するのか」とか、青臭い議論をすることはけっこうありました。そういう議論が三度の飯より好きだという輩もいました。思えば、「倫理」の時間はとても楽しかった。「哲学者」である先生が、私たちに議論を吹っかけてきて、私たちも、真剣にそれに答えを出そうとしていました。時には、誰かの意見がたまたま先生のツボに「ハマって」しまって、授業がストップしてしまうことも。先生が、「う~ん」と一言うなり、腕組みをして、下を向いて考え込んでしまうのです。対する私たち生徒も、その雰囲気に呑まれてしまい、一言も声を発することができないまま何十分かが過ぎていく…。先生が真剣に考えてくれている、それは「青臭い」高校生にとって、ものすごくありがたいことでした。
「青臭い」とはいえ、高校生の頃に「哲学」に思いをはせることは、人生のずっとあとになってから「役に立つ」のではないでしょうか。意識はしないにしても、高校生の頃に真剣に考えたことは、どこかに必ず残っているものです。私は、高校生の頃に小林秀雄の「考えるヒント」を読んだ時、よく意味が理解できなかったにせよ、ひどく感動したことを覚えています。こういうもののとらえ方ができる大人になりたい、とひそかに決意したものでした。今では、その内容も、いくつかを除いてはすっかり忘れてしまいましたが、きっと、今の自分を作っている大事な要素がそこにあったのだと思っています。
だから、投書子のような熱い思いを持った高校生がいるということがとてもうれしい。しかも、県内に…! 彼らは、自分たち若者の力を心から信じています。社会を変えることができると。その思いを大人は大切にするべきですね。
彼らは当然、サイトも作っています。ネット上の盛んな議論が盛り上がることも、あわせて期待したいですね。
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