あの杉並区和田中学校で、ついにPTAを廃止するのだそうです。この3月に退任することになっている藤原校長の、最後の大仕事。藤原校長が着任以来手がけてきた「和田中地域本部」が、今や従来のPTAが担ってきた役割を肩代わりするだけの力を持ってきたってことですかね。
そういう手があったか!という感じです。PTA活動の活性化にがんばっているところはあれど、PTAをなくそうなんて誰も考えない。都会では、確かにPTA不要論もあると聞きますが、ほとんどの学校ではPTAはあって当たり前の存在だからです。入学式が終われば、保護者は体育館でそのままPTA入会式なるものに臨む。保護者は否応なくPTAの一会員となるのです。おまけに、PTAにつきものの役員選出があって、私もクラス担任をしていた頃は、役員選びに毎年苦労したものでした。結局は「名前だけ貸してください」というパターンがなきにしもあらずだったりして。
PTAは、その名のとおり、「親」(保護者)と教師の会です。でも、実質は保護者の会みたいなもので、子どもが学校に在籍しているという条件付きの組織。当然、子どもが卒業したら親もPTAから「卒業」します。藤原校長が考えたのは、そうではなくて、子どもが卒業しても、あるいは子どもがいなくても、地域の「大人」として子どもの教育に関わることができる仕組みです。それが「地域本部」。そうなるとその活動は当然、自主的なものになりますね。誰も強制しないし、強制されない。地域の子どもたちの教育に関わりたいという大人だけの活動になるわけです。
和田中地域本部には、その傾向がはっきりと現れています。校長は方針を出すけれど、実際にそれに沿って動くのは地域本部のメンバーです。もちろん、子どもたちのためにいいと思えば、自分たちの考えでどんどん変えていくこともできる。柔軟で、きわめて動きやすい組織と言えるでしょう。この「和田中モデル」は、文部科学省も注目するところとなり、新年度から4年かけて、全国の中学校に同じような「学校支援地域本部」を作っていくことになっています。和田中のようにうまく地域本部が機能するようになれば、PTAを廃止する学校も出てくるでしょうね。
このニュースを聞いて、私が思ったのは、PTAが本来持つ「保護者の教育」の機能が、地域本部ではどう働くのかなということです。たとえば多くのPTAでは「研修部」があって、「家庭教育学級」などという名目で保護者に学習機会を提供しています。そうした「成人教育」的なことも、地域本部では自然と生まれていくものなのか。おそらく、自発的・自主的な活動体だからこそ、メンバーの「学び」への欲求も高いことと察しますが。
それにしても、そもそも、「地域本部」が学校主体で展開するという「和田中モデル」には、私は前から少しだけ引っかかるものを感じていました。現実に、「子どもたちの教育」イコール「学校での教育」である以上はそうなって当然なのですが、別に学校という場だけが教育・学習の場ではないんじゃないの?とあまのじゃく的に考えてしまう。環境学習も自然体験活動もスポーツ(部活動)もキャリア教育(狭義の)もすべて学校の教育活動として行われて、それを地域の大人たちが支援しましょう…か。なんかそれでいいのかと、社会教育主事はつい余計なことを考えてしまう。
地域本部は、本当は、社会教育の立場から出てこなければいけない発想だったのでは?学校だけじゃなくて、地域のいろんな場所で子どもたちが学ぶことができて、それを地域の大人が支援するという仕組みは、社会教育主事が生み出すべきものだったのではないか。その仕組み、ネットワークの中に「PTA」という学校主体の「父母と教師の会」があって、「学校での教育」を学校支援ボランティアとして支援する、というのが、本来の形ではないのか?
いや、形はともかく、「地域本部」がうまく進むのならいいんですけど!
そういう手があったか!という感じです。PTA活動の活性化にがんばっているところはあれど、PTAをなくそうなんて誰も考えない。都会では、確かにPTA不要論もあると聞きますが、ほとんどの学校ではPTAはあって当たり前の存在だからです。入学式が終われば、保護者は体育館でそのままPTA入会式なるものに臨む。保護者は否応なくPTAの一会員となるのです。おまけに、PTAにつきものの役員選出があって、私もクラス担任をしていた頃は、役員選びに毎年苦労したものでした。結局は「名前だけ貸してください」というパターンがなきにしもあらずだったりして。
PTAは、その名のとおり、「親」(保護者)と教師の会です。でも、実質は保護者の会みたいなもので、子どもが学校に在籍しているという条件付きの組織。当然、子どもが卒業したら親もPTAから「卒業」します。藤原校長が考えたのは、そうではなくて、子どもが卒業しても、あるいは子どもがいなくても、地域の「大人」として子どもの教育に関わることができる仕組みです。それが「地域本部」。そうなるとその活動は当然、自主的なものになりますね。誰も強制しないし、強制されない。地域の子どもたちの教育に関わりたいという大人だけの活動になるわけです。
和田中地域本部には、その傾向がはっきりと現れています。校長は方針を出すけれど、実際にそれに沿って動くのは地域本部のメンバーです。もちろん、子どもたちのためにいいと思えば、自分たちの考えでどんどん変えていくこともできる。柔軟で、きわめて動きやすい組織と言えるでしょう。この「和田中モデル」は、文部科学省も注目するところとなり、新年度から4年かけて、全国の中学校に同じような「学校支援地域本部」を作っていくことになっています。和田中のようにうまく地域本部が機能するようになれば、PTAを廃止する学校も出てくるでしょうね。
このニュースを聞いて、私が思ったのは、PTAが本来持つ「保護者の教育」の機能が、地域本部ではどう働くのかなということです。たとえば多くのPTAでは「研修部」があって、「家庭教育学級」などという名目で保護者に学習機会を提供しています。そうした「成人教育」的なことも、地域本部では自然と生まれていくものなのか。おそらく、自発的・自主的な活動体だからこそ、メンバーの「学び」への欲求も高いことと察しますが。
それにしても、そもそも、「地域本部」が学校主体で展開するという「和田中モデル」には、私は前から少しだけ引っかかるものを感じていました。現実に、「子どもたちの教育」イコール「学校での教育」である以上はそうなって当然なのですが、別に学校という場だけが教育・学習の場ではないんじゃないの?とあまのじゃく的に考えてしまう。環境学習も自然体験活動もスポーツ(部活動)もキャリア教育(狭義の)もすべて学校の教育活動として行われて、それを地域の大人たちが支援しましょう…か。なんかそれでいいのかと、社会教育主事はつい余計なことを考えてしまう。
地域本部は、本当は、社会教育の立場から出てこなければいけない発想だったのでは?学校だけじゃなくて、地域のいろんな場所で子どもたちが学ぶことができて、それを地域の大人が支援するという仕組みは、社会教育主事が生み出すべきものだったのではないか。その仕組み、ネットワークの中に「PTA」という学校主体の「父母と教師の会」があって、「学校での教育」を学校支援ボランティアとして支援する、というのが、本来の形ではないのか?
いや、形はともかく、「地域本部」がうまく進むのならいいんですけど!
本当にPTAが必要だと思っている先生方、父母がいるのでしょうか?
学校に重大事件が起こった時、確かに解決のために必要かもしれません。
しかし、平常時には、やたら意味の無い、形骸化した行事ばかりが目に付きます。
多分、和田中地域本部はやりがいあるのではないでしょうか?
しかし、藤原校長がいなくなった後も、きちんと機能するかどうかは疑問です。
今のままで「やりがい」をよりどころに活動が継続されるような気がします。三鷹市のようにNPO法人化するのかもしれませんが、いずれにしても、PTAが復活することはないのでしょうね。
PTAって、たとえば中学校なら3年というタイムリミットがあるので、その間だけ仕事を無難にこなせばいいという意識がなきにしもあらずだと思います。だからなかなか形骸化から抜け出せないのでは。地域本部にはそういう時間制限がないので、いいリーダーやコーディネーターがいれば、永続的で、しかも常に活動のバージョンアップも可能でしょう。