学校とボランティアの方をつなぐのが、学校支援ボランティア・コーディネーター。廣瀬先生は、コーディネーターの資質について、次のようにおっしゃっています。
○食いついたら離れないというのが、コーディネーターの資質として最も必要かもしれません。その人に食いついたら離れないという、そのしつこさ。この人大丈夫だなと思ったら離れない。そういったものが必要だと思います。
○(コーディネーターはどんな人かというと)、できないことでもできると言ってしまう、うかつさがある人です。頼まれたら嫌だと言えない人です。それから、何か人が困っていたら放っておけない人です。おせっかいで世話好きな人です。お酒が好きでワゴン車を持ってる人が、比較的多いです。
けっこう、「決めつけ」的な感じもしますが、そこが「廣瀬マジック」たるところ。何となく納得させられてしまう。「しつこさ」というのは、私が知っているコーディネーターの皆さんを見ていても、すごく感じます。淡泊な人は少なくともいませんね。しつこさというのは、「熱さ」にもつながるわけで、とにかくパワフルで前向きな考え方をする人が確かに多い。
さて、そもそも学校支援ボランティアはなぜ必要なのか。先生方の負担軽減とか、「開かれた学校」とか、そういうことは「結果」としてあるべきことで、「目的」ではありません。学校支援ボランティアは、結局のところ、地域全体で子どもたちを育てる仕組み、更にいえば、地域全体の活性化のためにあるものです。つまり、地域における「大人社会」の活性化。廣瀬先生は、その点ももちろんきちんと押さえてくださっています。
○いい学校は、いい地域にしか存在しません。いい子どもたちは、いい保護者と、いい地域、いいまちにしか存在しません。
○(子どもたちを)いい大人に出会わせておかないといけません。いい大人に出会わせないと、いい大人になれません。だから、学校支援ボランティアが必要なのです。
○居場所は子どもにだけ必要なのではないのです。大人にも必要なのです。
まず、学校に地域の人がどんどん入っていくことは、地域の大人にとってもいい結果をもたらします。それが「地域の教育力」だと廣瀬先生は言う。
○ボランティアは、やはり地元の住民にこだわるべきです。なぜかというと、子どもたちが再会できる。再会できるチャンスがあるということが大事なことです。それが子どもの安全・安心をつくっていくのです。ジャスコで会ったら、「あ、あの読み聞かせのおばちゃんだ」とか言うんですね。そういう再会できる関係ができると、自然とまちが活性化していくのです。
○子どもたちに「読み聞かせの先生」とか言われると、急に先生らしくしなきゃと思っちゃうんですね。そこに不思議と教育力が芽生えてくるのです。教育力というのは普段は意識しないものです。
○最近、こちらでも中学2年生で社会体験とかやっているでしょう。地域に迷惑をかけながらやっているでしょう? それを受け入れる力のことを地域の教育力というのです。だから、地域の教育力を活性化しましょうということは、学校の迷惑を地域が受け入れる力なんです。
学校の迷惑を地域が受け入れる力。先日の新聞で読んだ「金八先生 今こそ必要」という記事(2011年3月11日付け朝日新聞)を思い出しました。広島大学准教授の山田浩之さんは、「金八先生への過剰な期待は、現実の学校に金八先生がいないことを教育問題の原因にしてしまった」結果、「教師への不信はさらに高まることになった」と言う。そして今、「こうした時代だからこそ再び金八先生が必要なのかもしれない」とし、「そのために必要なのは、なによりもまず家庭や地域が再び支持することである」と言う! 「非難ではなく信頼が、家庭と地域を結びつける新たな金八先生を現実に作り出すのだ」。
金八先生といえば、中学生の性や校内暴力など、当時社会問題化していたテーマをタイムリーに取り上げたドラマという印象が強いのですが、そういえば、確かに金八先生は地域や家庭からものすごく信頼されていました。その信頼があったからこそ、様々な問題に対処することができたわけです。金八先生自身は、地域や家庭との連携、なんてことを特段意識していたわけではなく、ごく当たり前のこととして行動していました。学校が地域を受け入れ、地域は学校を受け入れていた。桜中学の学区には、確かに「地域の教育力」があったのです。そしてそれは、決してテレビドラマの中だけのことではなく、現実の多くの地域にも「地域の教育力」が存在していたのだと思います。だから、どんな問題が起きても、ドラマと同じように解決できていた。
廣瀬先生の言葉に、こういうのもありました。
○地域の住民というのは、元PTAと今PTAと未来のPTAによって構成されているのです。
PTAというのは、本来、保護者と教員で組織される組織ですが、この場合は「保護者」と置き換えていいでしょう。保護者というのは、学校に自分の子どもが通っている大人のことを指します。つまり、「保護者」というのは学校を基準としたとらえ方であって、見方を変えれば、「地域住民」には違いない。「保護者」でなくなった時でも、学校とつながっていけるかどうか、そういう意識を持てるかどうかが学校支援ボランティアの活性化の分かれ目になりそうです。
○食いついたら離れないというのが、コーディネーターの資質として最も必要かもしれません。その人に食いついたら離れないという、そのしつこさ。この人大丈夫だなと思ったら離れない。そういったものが必要だと思います。
○(コーディネーターはどんな人かというと)、できないことでもできると言ってしまう、うかつさがある人です。頼まれたら嫌だと言えない人です。それから、何か人が困っていたら放っておけない人です。おせっかいで世話好きな人です。お酒が好きでワゴン車を持ってる人が、比較的多いです。
けっこう、「決めつけ」的な感じもしますが、そこが「廣瀬マジック」たるところ。何となく納得させられてしまう。「しつこさ」というのは、私が知っているコーディネーターの皆さんを見ていても、すごく感じます。淡泊な人は少なくともいませんね。しつこさというのは、「熱さ」にもつながるわけで、とにかくパワフルで前向きな考え方をする人が確かに多い。
さて、そもそも学校支援ボランティアはなぜ必要なのか。先生方の負担軽減とか、「開かれた学校」とか、そういうことは「結果」としてあるべきことで、「目的」ではありません。学校支援ボランティアは、結局のところ、地域全体で子どもたちを育てる仕組み、更にいえば、地域全体の活性化のためにあるものです。つまり、地域における「大人社会」の活性化。廣瀬先生は、その点ももちろんきちんと押さえてくださっています。
○いい学校は、いい地域にしか存在しません。いい子どもたちは、いい保護者と、いい地域、いいまちにしか存在しません。
○(子どもたちを)いい大人に出会わせておかないといけません。いい大人に出会わせないと、いい大人になれません。だから、学校支援ボランティアが必要なのです。
○居場所は子どもにだけ必要なのではないのです。大人にも必要なのです。
まず、学校に地域の人がどんどん入っていくことは、地域の大人にとってもいい結果をもたらします。それが「地域の教育力」だと廣瀬先生は言う。
○ボランティアは、やはり地元の住民にこだわるべきです。なぜかというと、子どもたちが再会できる。再会できるチャンスがあるということが大事なことです。それが子どもの安全・安心をつくっていくのです。ジャスコで会ったら、「あ、あの読み聞かせのおばちゃんだ」とか言うんですね。そういう再会できる関係ができると、自然とまちが活性化していくのです。
○子どもたちに「読み聞かせの先生」とか言われると、急に先生らしくしなきゃと思っちゃうんですね。そこに不思議と教育力が芽生えてくるのです。教育力というのは普段は意識しないものです。
○最近、こちらでも中学2年生で社会体験とかやっているでしょう。地域に迷惑をかけながらやっているでしょう? それを受け入れる力のことを地域の教育力というのです。だから、地域の教育力を活性化しましょうということは、学校の迷惑を地域が受け入れる力なんです。
学校の迷惑を地域が受け入れる力。先日の新聞で読んだ「金八先生 今こそ必要」という記事(2011年3月11日付け朝日新聞)を思い出しました。広島大学准教授の山田浩之さんは、「金八先生への過剰な期待は、現実の学校に金八先生がいないことを教育問題の原因にしてしまった」結果、「教師への不信はさらに高まることになった」と言う。そして今、「こうした時代だからこそ再び金八先生が必要なのかもしれない」とし、「そのために必要なのは、なによりもまず家庭や地域が再び支持することである」と言う! 「非難ではなく信頼が、家庭と地域を結びつける新たな金八先生を現実に作り出すのだ」。
金八先生といえば、中学生の性や校内暴力など、当時社会問題化していたテーマをタイムリーに取り上げたドラマという印象が強いのですが、そういえば、確かに金八先生は地域や家庭からものすごく信頼されていました。その信頼があったからこそ、様々な問題に対処することができたわけです。金八先生自身は、地域や家庭との連携、なんてことを特段意識していたわけではなく、ごく当たり前のこととして行動していました。学校が地域を受け入れ、地域は学校を受け入れていた。桜中学の学区には、確かに「地域の教育力」があったのです。そしてそれは、決してテレビドラマの中だけのことではなく、現実の多くの地域にも「地域の教育力」が存在していたのだと思います。だから、どんな問題が起きても、ドラマと同じように解決できていた。
廣瀬先生の言葉に、こういうのもありました。
○地域の住民というのは、元PTAと今PTAと未来のPTAによって構成されているのです。
PTAというのは、本来、保護者と教員で組織される組織ですが、この場合は「保護者」と置き換えていいでしょう。保護者というのは、学校に自分の子どもが通っている大人のことを指します。つまり、「保護者」というのは学校を基準としたとらえ方であって、見方を変えれば、「地域住民」には違いない。「保護者」でなくなった時でも、学校とつながっていけるかどうか、そういう意識を持てるかどうかが学校支援ボランティアの活性化の分かれ目になりそうです。
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