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「総合的に楽しい時間」

2005-01-19 | ■教育
平成14年度から本格的に実施された「総合的な学習の時間」が早くも時間数削減の憂き目にあいそうな雰囲気です。中山文科相が、国語、数学、理科、社会という基本的な教科の授業数を増やし、「総合的な学習の時間」を減らす、とコメントしたそうです。ついに「ゆとり教育」のシンボル的存在だった「総合的な学習の時間」にメスが入り、「ゆとり脱却」路線が明確になったといっていいでしょう。その背景には、先日の「国際学習到達度調査」の結果があることは明白です。「学力」の低下を食い止めるためには、やっぱり「基礎基本」をもっとちゃんとやらなきゃってことですな。

「総合的な学習の時間」とは、
1 地域や学校、子どもたちの実態に応じ、学校が創意工夫を生かして特色ある教育活動が行える時間
2国際理解、情報、環境、福祉・健康など従来の教科をまたがるような課題に関する学習を行える時間
として、各教科等の学習で得た個々の知識を結び付け、総合的に考えたり働かせることができるようにすることを目指しています。だから「総合学習」なのですね。いわゆる[生きる力]=自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する能力を身につけることとももちろん密接な関係があります。小・中学校では総授業時数の約1割(たとえば、小学校6年では年間総授業時数945時間のうち110時間)を当てることになっています。週にすると3時間程度が当てられています。

ところが、学校の先生の話を聞くと、この時間の扱いに苦労しているという声が圧倒的に多いようです。「何をどう取り上げて授業をしたらいいのかわからない」というわけです。むろん、なかにはすばらしい「総合的な学習の時間」を実践されている先生も大勢いるのですが、たぶんその準備には膨大な時間がかかっているのではないかと思います。結局、「総合的な学習の時間」は、いたずらに先生の負担を重くするだけだという声もあります。

また、「基礎基本」が身に付いていない子どもたちに「自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する」ような学習を期待しても無理、という意見もあります。「何をしていいかわからない」というのは、授業を企画する先生だけでなく、「教えられる」ことに慣れっこになっている子どもたちにとっても同じなのかもしれません。いずれにしても、そんな状況では、子どもたちにとって「楽しい時間」になろうはずがありません。

しかし、だからといって、このまま「総合的な学習の時間」を削減(あるいはいずれは廃止??)していっていいものでしょうか。「総合的な学習の時間」のねらいであったはずの「自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する能力」は、どこで身につければいいのでしょうか? 学校はそういうことから一切手を引いて「基礎基本」&「学力」をつけることだけに専念し、それらの能力は、「社会教育」かなんかでやればいいということなのでしょうか。

「総合的な学習の時間」は、これまでの学校教育では見られなかった新しい教育理念を打ち出したものだと思っていましたし、今もそう思っています。「学校が変わる」(たとえば「地域に開かれた学校」「スリムな学校」など)、そのきっかけとなるものだったはずです。社会教育にとっても、学校とのイイ関係が作れる時間という期待があったはずです。

ただ、難点はその「運用」の仕方にあったのではないでしょうか。現場の先生にこれだけ受け入れられないのは、進め方に問題があったとしか思えません。「総合的な学習の時間」の理念を浸透させ、もっと時間をかけてモデルを作り、成功例を示して行けたら、「総合的に楽しい時間」になっていたのではないでしょうか。もちろん、今からでも遅くはないと思うのですが。

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