カクレマショウ

やっぴBLOG

『レ・ミゼラブル』覚え書き(その12)

2005-05-04 | └『レ・ミゼラブル』
第一部 ファンティーヌ
第八編 反撃(岩波文庫第1巻p.482~p.515)

青森の桜もようやく満開になりました。今日は天気も良く、桜の名所はどこも大変な人出だったようです。市内の海沿いにある公園に出かけてきましたが、ピンク色の花房がこれでもかというくらい咲き誇っていました。さて、『レ・ミゼラブル』はようやく第一部の終幕を迎えます。

アラスの法廷で衝撃の告白をしたジャン・ヴァルジャンは、そのまま夜を徹してモントルイュ・スュール・メールの自宅に戻ってきます。

ファンティーヌが彼を今や遅しと待っていました。いえ、彼をというより、彼が連れてきてくれるはずの最愛の娘コゼットをです。彼女の看病をしていたサンプリス修道女は、子どもを連れてくるまで彼女に会わない方がいいのではと助言しますが、彼には時間がありません。案の定、ファンティーヌはマドレーヌ市長の顔を見るなり、「あの、子どもは?」と問いかけるのです。返答に詰まるジャン・ヴァルジャン。ちょうど居合わせた医者が機転をきかせて、「子どもはあちらに来ています」と嘘をつきます。

ファンティーヌの目は輝き渡り、顔一面に光を投げた。すべて祈願の含み得る最も激しいまた優しいものをこめた表情をして、彼女は両手を握り合わした。

すぐに会わせてほしいと言うファンティーヌに、医者はそんなに興奮するようでは子どもに会うことに反対しますととりなしますが、ファンティーヌは、自分がいかに落ち着いているか、静かにおとなしくしているかを見せようとします。それでも子どもの様子を聞きたくてたまらないのです。

「…娘は白いシャツくらいは着ていましたでしょうか。テナルディエの人たちは娘をきれいにしてくれていましたでしょうか。どんな物を食べていましたでしょう。…ああ私はどんなに娘に会いたいでしょう! 市長様、娘はかわいうございましたか。娘はきれいでございましょうね。…ほんのちょっとの間でも娘をつれてきていただけませんでしょうか。一目見たらまたすぐに向こうに連れてゆかれてもよろしいんですが。…」

コゼットとの再会を心から楽しみにするファンティーヌ。ところが、マドレーヌ氏の背後に立つ「恐ろしいもの」を見つけると、そんな楽しげな様子が一変してしまいます。それは、ジャヴェルの姿でした。

ジャン・ヴァルジャンが去ったあと、アラスの裁判所はただちにシャンマティユーの免訴を決定し、モントルイュ・スュール・メール市長をジャン・ヴァルジャンとして逮捕する令状を発します。ここでおもしろいのは、裁判長が「非常なほとんど激烈な王党」だったため、マドレーヌ氏がナポレオンのことを「ブオナパルト」と言わないで、「皇帝」と言ったことに気を悪くした、という一文が加えられていることです。当時のナポレオンに対する人々の微妙な感情が読み取れます。

逮捕令状はジャヴェルのもとにもたらされます。「警視ジャヴェルは本日の法廷において放免囚徒ジャン・ヴァルジャンなりと認定せられたるモントルイュ・スュール・メール市長マドレーヌ氏を逮捕せらるべし。」

ジャヴェルは、つい何日か前にマドレーヌ氏の前で自らの過ちを謝罪した時と態度をがらりと変えるのです。

それは実に、地獄に堕ちたる者を見いだした悪魔の顔であった。

「悪をくじく聖(きよ)き役目における正義光明真理の権化」であるジャヴェルにとって、マドレーヌの化けの皮をはぎ、悪人ジャン・ヴァルジャンを捕らえることは、至上の喜びだったにちがいありません。百歩譲ってそれを理解したとしても、同じ人物に対してこのように態度を豹変させるような人物は、どうしても信用できません。

その時彼女は異常なことを見た。それほどのことは、熱に浮かされた最も暗黒な昏迷のうちにさえ見たことがなかった。
彼女は探偵ジャヴェルが市長の首筋をとらえたのを見た。市長が頭をたれたのを見た。彼女には世界が消え失せるような気がした。


ジャン・ヴァルジャンは、ジャヴェルに3日間の猶予を与えてほしいと懇願します。むろんそれは彼がやり残した最後の仕事、つまりコゼットをファンティーヌのもとに連れてくるための時間でした。ジャンはファンティーヌを気遣い、ジャヴェルにそのことをそっと耳打ちするのですが、ジャヴェルはファンティーヌの目の前で、「子どもを連れてくるためだと言ってやがる」と叫ぶのです。さらに、「もうマドレーヌさんも市長さんもないんだぞ、泥坊がいるだけだ、悪党が、ジャン・ヴァルジャンという懲役人が。そいつを今俺が捕えたんだ。それだけのことだ」とまくしたてます。

子どもがここにいない! 信頼する市長様が逮捕される! 思いもよらない事実をいっぺんに突きつけられたファンティーヌは、ショックのあまりそのまま息絶えてしまいます。

さすがのジャンも彼女が死んだことを見てとると、ジャヴェルに向かって「あなたはこの女を殺した」と言い、ジャヴェルの手を振り切ると、古いベッドから鉄の棒をはずしてそれをしっかりつかんでジャヴェルに言います。「今しばらく私の邪魔をしてもらいますまい」

ジャンはファンティーヌのもとに近づき、彼女の顔を見つめ、そして身をかがめて何事かをささやきました。

その光景の唯一の目撃者であったサンプリス修道女がしばしば語ったところによれば、ジャン・ヴァルジャンがファンティーヌの耳に何かささやいた時、墳墓の驚きに満ちたるその青ざめた唇の上と茫然たる瞳のうちとに、言葉に尽し難い微笑の上ってきたのを、彼女ははっきり見たのであった。

彼がささやいたのは、コゼットのことは心配するな、きっと私が幸せにしてやるから、といったことではなかったでしょうか。哀れなファンティーヌはそれを聞いて、きっと安心して天国に旅立つことができたのでしょう。

市長が逮捕されたことは、モントルイュ・スュール・メールの町に大きな動揺をもたらしました。けれども、それはこういうことでした。

まことに悲しむべきことではあるが、あの男は徒刑囚であったというそれだけの言葉でほとんどすべての人は彼を捨てて顧みなかったことを、われわれは隠すわけにはゆかない。わずか二時間足らずのうちに、彼がなしたすべての善行は忘れ去られてしまった、そして彼はもはや「一人の徒刑囚」に過ぎなくなった。

人間が「世間の評価」に惑わされることがいかに多いかを物語るようです。「徒刑囚」であったというレッテルだけで判断してしまう。似たり寄ったりのことが今の私たちの世界でも日常的に見られます。

ジャンはこうして再び牢獄につながれることになりますが、ではコゼットはどうなるのか? ユゴーは「第二部 コゼット」に向けて、ちゃんとジャンを逃亡させています。しかも護送されるまで入れられることになった市の監獄から、その日のうちに。「窓の格子をこわし、屋根の上から飛びおり」て。挿し絵(岩波文庫版p.507)を見ると、格子が1本ぽきりと折られ、ジャンが屋根に飛び降りる様子が描かれていますが、ちょっと無理があるような気がしないでもありません。あれが鉄格子だとしたら、ジャンの怪力は尋常ではないし、だいいち、ジャンがくぐり抜けるには格子の間があまりにも狭すぎ!  

そんなつまらない突っ込みはさておいて、彼は自宅に戻ると例の銀の燭台を布でくるんで持ち出します。ジャヴェルがすぐあとを追ってやってきます。サンプリス修道女に向かって、ジャヴェルは「部屋にあなた一人ですか」と問いかける。サンプリス修道女─「はい」。「ジャン・ヴァルジャンを見かけませんでしたか」 サンプリス修道女─「いいえ」。

彼女は嘘を言った。相次いで、躊躇することなく、即座に、献身的に、続けて二度嘘を言った。

それは、サンプリス修道女が生涯で初めてついた嘘でした。

ジャンは靄の中をコゼットのもとに向かいます。

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