第二部 コゼット
第四編 ゴルボー屋敷(岩波文庫第2巻p.127~p.152)
今日7月14日はフランス革命記念日。日本では「パリ祭」と呼ばれていますが、これは、1933年、ルネ・クレール監督の映画「ル・カトルズ・ジュイエ/7月14日」の日本封切りにあたり、配給会社が邦題を「巴里祭」としたことに由来しています。
ジャン・ヴァルジャンの物語、いえ、今やジャンとコゼットの物語は、パリのはずれに立つ「ゴルボー屋敷」に舞台が移っていきます。
ジャンとコゼットがパリで最初に生活をはじめたのが、通称「ゴルボー屋敷」でした。
野生の鳥のように、最も寂しい場所を彼は自分の巣に選んだのである。
朝目覚めるとき、自分がまだテナルディエの家にいるという幻覚から逃れられないコゼットでしたが、もうテナルディエの上さんに罵られたりむち打たれたりすることがないという現実に、この上ない幸福を感じるのでした。しかもかたわらには美しい「カトリーヌ」がいる!
「掃除をしましょうか。」とついに彼女は言った。
「お遊び。」とジャン・ヴァルジャンは言った。
そういうふうにして一日は過ぎた。コゼットは別に何にも詮索しようともせず、その人形と老人との間にあってただ無性にうれしかった。
ジャン・ヴァルジャンは、これまで誰も愛したことがありませんでした。人を愛するだけの心の余裕がなかったのでしょう。しかし、あの不幸なファンティーヌの忘れ形見であるコゼットを救い出したことが、彼の心のうちに何かが動き出すのを感じました。生まれて初めて、「愛する」という感情が芽生えたのです。
そして、それはコゼットの方も同じでした。物心ついてから、誰にも愛してもらえず、当然誰も愛することを知らなかった少女は、初めて愛を感じました。55歳と8歳ですから、年齢的にはおじいさんと孫娘といってもおかしくない関係ですが、コゼットにとっては、そのおじいさんは「年老いてるとも貧しい」とも思えず、ただ「美しい」としか感じられなかったのです。
そして両者は互いに補い合った。コゼットの本能は父をさがし求め、ジャン・ヴァルジャンの本能は一つの子供をさがし求めていた。互いに出会うことは、互いに見いだすことであった。彼らの二つの手が相触れた神秘な瞬間に、もはやその二つは蝋着(ろうちゃく)してしまった。それら二つの魂が相見(まみ)えた時、両者は互いに求め合っていたものであることを感じて、互いに堅く抱き合ってしまった。
「二つの不幸集まって幸福を作る」。
同病相憐れむ、では決してありません。お互いに口には出さなくても、どこか心の深いところで「つながって」いる──。「言葉の持つ重み」のようなものはそこに介在する余地さえないのかもしれません。そして、二人の関係は、お互いを「強く」する関係でもあったのです! ことに、これまで幾度となく世間に裏切られてきたジャンにとって、「再び強く」なることができたのはコゼットのおかげでした。
二人は、昼間のうちはひっそりと部屋で過ごし、夕方に1~2時間散歩を楽しむという生活をしていました。借家主の婆さんは、そんな二人をいぶかしげにながめ、時にはいろいろ詮索もし、近所にさかんに噂をまき散らしたりもします。
ジャンは散歩の途中、道で見かける一人の乞食によく施しをしてやっていました。ある日、ジャンが一人で乞食の前を通りかかった時、いつも見たことのない乞食の顔が街灯に照らされてちらりと見えました。
突然暗やみの中で虎と顔を合わしたような感じがした。彼は思わず縮み上がって石のようになり、息をすることも口をきくこともできず、そこにいることもまた逃げ出すこともできず、その乞食をじっと見守った。
ジャンには、その顔があのジャヴェルのように見えたのです。そんなことはあり得ない、といったんは打ち消しますが、ある夜、誰かが屋敷の階段を上ってくる音を耳にし、その後ろ姿を見て、恐怖は確信に変わります。ジャンは、コゼットとともにつかの間の安息の地を離れざるを得なくなるのです。
ジャヴェル──ジャンの幸福を許せない一人の男が、ジャンばかりでなく、コゼットの運命も変えていきます。
第四編 ゴルボー屋敷(岩波文庫第2巻p.127~p.152)
今日7月14日はフランス革命記念日。日本では「パリ祭」と呼ばれていますが、これは、1933年、ルネ・クレール監督の映画「ル・カトルズ・ジュイエ/7月14日」の日本封切りにあたり、配給会社が邦題を「巴里祭」としたことに由来しています。
ジャン・ヴァルジャンの物語、いえ、今やジャンとコゼットの物語は、パリのはずれに立つ「ゴルボー屋敷」に舞台が移っていきます。
ジャンとコゼットがパリで最初に生活をはじめたのが、通称「ゴルボー屋敷」でした。
野生の鳥のように、最も寂しい場所を彼は自分の巣に選んだのである。
朝目覚めるとき、自分がまだテナルディエの家にいるという幻覚から逃れられないコゼットでしたが、もうテナルディエの上さんに罵られたりむち打たれたりすることがないという現実に、この上ない幸福を感じるのでした。しかもかたわらには美しい「カトリーヌ」がいる!
「掃除をしましょうか。」とついに彼女は言った。
「お遊び。」とジャン・ヴァルジャンは言った。
そういうふうにして一日は過ぎた。コゼットは別に何にも詮索しようともせず、その人形と老人との間にあってただ無性にうれしかった。
ジャン・ヴァルジャンは、これまで誰も愛したことがありませんでした。人を愛するだけの心の余裕がなかったのでしょう。しかし、あの不幸なファンティーヌの忘れ形見であるコゼットを救い出したことが、彼の心のうちに何かが動き出すのを感じました。生まれて初めて、「愛する」という感情が芽生えたのです。
そして、それはコゼットの方も同じでした。物心ついてから、誰にも愛してもらえず、当然誰も愛することを知らなかった少女は、初めて愛を感じました。55歳と8歳ですから、年齢的にはおじいさんと孫娘といってもおかしくない関係ですが、コゼットにとっては、そのおじいさんは「年老いてるとも貧しい」とも思えず、ただ「美しい」としか感じられなかったのです。
そして両者は互いに補い合った。コゼットの本能は父をさがし求め、ジャン・ヴァルジャンの本能は一つの子供をさがし求めていた。互いに出会うことは、互いに見いだすことであった。彼らの二つの手が相触れた神秘な瞬間に、もはやその二つは蝋着(ろうちゃく)してしまった。それら二つの魂が相見(まみ)えた時、両者は互いに求め合っていたものであることを感じて、互いに堅く抱き合ってしまった。
「二つの不幸集まって幸福を作る」。
同病相憐れむ、では決してありません。お互いに口には出さなくても、どこか心の深いところで「つながって」いる──。「言葉の持つ重み」のようなものはそこに介在する余地さえないのかもしれません。そして、二人の関係は、お互いを「強く」する関係でもあったのです! ことに、これまで幾度となく世間に裏切られてきたジャンにとって、「再び強く」なることができたのはコゼットのおかげでした。
二人は、昼間のうちはひっそりと部屋で過ごし、夕方に1~2時間散歩を楽しむという生活をしていました。借家主の婆さんは、そんな二人をいぶかしげにながめ、時にはいろいろ詮索もし、近所にさかんに噂をまき散らしたりもします。
ジャンは散歩の途中、道で見かける一人の乞食によく施しをしてやっていました。ある日、ジャンが一人で乞食の前を通りかかった時、いつも見たことのない乞食の顔が街灯に照らされてちらりと見えました。
突然暗やみの中で虎と顔を合わしたような感じがした。彼は思わず縮み上がって石のようになり、息をすることも口をきくこともできず、そこにいることもまた逃げ出すこともできず、その乞食をじっと見守った。
ジャンには、その顔があのジャヴェルのように見えたのです。そんなことはあり得ない、といったんは打ち消しますが、ある夜、誰かが屋敷の階段を上ってくる音を耳にし、その後ろ姿を見て、恐怖は確信に変わります。ジャンは、コゼットとともにつかの間の安息の地を離れざるを得なくなるのです。
ジャヴェル──ジャンの幸福を許せない一人の男が、ジャンばかりでなく、コゼットの運命も変えていきます。
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