経済産業省主催のキャリア教育シンポジウムで、元・和田中学校校長の藤原和博さんがパネリストの1人として登壇されました。プログラムの職名のところ、「杉並区立和田中学校」でも「東京都杉並区立和田中学校」でもなく、単に「和田中」だけで通ってしまうのもすごいなと思いました。藤原さんといえば、和田中、和田中といえば「世の中科」。彼がこの中学校でいかに大きな業績を残してきたかがうかがわれます。
お話を聞くのは今回が初めてでしたが、ほかのパネリストがかわいそうになるくらい、目立っていました。こんなエキセントリックな校長に毎日ハッパをかけられたら、さぞかし先生方も大変だろうと思いました。ただ、やっぱりこういう存在が学校には必要なのかも…とも思いました。
今日の藤原さんのお話の要点は、まず第一に、「キャリア教育は”正解主義”じゃなく、“修正主義”でなければならない」。子どもたちは学校の中で、常に「正解」を求める教育を受けている。どこかに必ず「正解」があるのがこれまでの学校教育である(その結果、「結婚」にも正解主義を求める人もいるが…)。けれど、現実は、みんな、社会や周りの環境の変化についていくために、少しずつ自分を変えていかざるを得ない。ギリギリのところでベクトルを「修正」しながら仕事をしているのが現実の社会の姿。
で、キャリア教育も「正解」がどこかにあるということではなく、「修正」をモットーにしなければいけない。たとえば、単なる「職業選び」ではなく、「10年後にその仕事が必要とされているか」とか、今ある二つの職業を組み合わせて新しい仕事を作ってみるとか、要するに「イマジネーション」が必要である、と藤原氏はおっしゃる。「世の中科」も、まさにそういう授業をしてきたものであると。
第二の要点は、「地域の役割は、子どもたちに“大人モデル”と出会わせること」。和田中の「地域本部」の取組は、今や文部科学省がそれをモデルとして全国に広げようとしています。ただ、今まで、地域の「エネルギーレベル」は、学校が求めるよりずっと低かった。ただ、これからは全国で1,000万人いる「団塊の世代」を大きな教育資源として取り込んで、そのエネルギーを活用していくべき。和田中の実践をとおして、団塊の世代の中には、すごい「大人モデル」がたくさんいることがわかった。彼らにまずは小さなことからお願いをする(たとえば算数を教えてくれとか)ことではじめてみたらどうか。
第三の要点は、「これからは“つなぐ人”の時代である」。団塊の世代やものづくりの達人を学校に引き込むのも、地域のいろいろな人どうしをつなぐのも、「コーディネーター」つまり「つなぐ人」の力量いかんにかかっている。また、今後は、コーディネートが「金になる」時代にもなっていくだろう。
そのほか、高校の就職指導はもっと「強烈な」職業教育、1対1とか少人数制のゼミ形式など、一人一人に合った職業教育が必要だとか、大阪の布施北高校が行っているデュアルシステムのような取組をもっと広げるべきだとか、和田中の卒業生や今彼が関わっている大阪の教育改革などの例を引きながら、持ち時間を一杯に使っての藤原トーク炸裂でした。
学校では「正解は外側にある」という話を別の方の講演で聞いたことがあって、今回の話とつながりました。学校では正解は先生が常に持っていて、そこにたどり着いた子は「良い子」とみなされる。でも、そういう訓練を繰り返していると、自分で考えるということができなくなってしまう。何でも外からの動機付け、たとえば役割とか与えられた役目とか、規則とかに縛られてしか行動ができなくなってしまう。本当の正解は、実は「自分の内側」にあることに気づかないまま大人になっていく…。
当時はまだキャリア教育という言葉さえなかったと思いますが、「正解は内側にある」というのはものすごく新鮮に思えました。藤原さんは、そのこととキャリア教育をうまく結びつけてくれたので、とても納得できました。生きていくこと、仕事をしていくということは、自分の「内側にある正解」と、ある意味で「折り合い」をつけていくことなのではないか。それが「ギリギリのベクトル」ということなのだと思います。そして、「正解は内側にある」ことを子どもたちに教えていけるのは、やはり学校の先生以外の大人なのではないのか。ま、その前に、大人自身が外付けの動機だけで動いているようじゃダメですけどね。
藤原さんは、さすがに広告代理店に勤めていただけあって、言葉の操り方が巧みだなあと思いました。思わずメモを取りたくなるような言葉が次から次へと出てくる。しかもそれが広告とは違って、上っ面の言葉でなく、校長として「実績」を残してきたという自信に裏打ちされている…。
ますますパワーアップしていきそうな藤原氏。大阪で橋下知事とタッグを組んでいると言いますが、いったい次にどんな「仕掛け花火」を見せてくれるのか、いろんな意味で、ひそかに楽しみにしています。
お話を聞くのは今回が初めてでしたが、ほかのパネリストがかわいそうになるくらい、目立っていました。こんなエキセントリックな校長に毎日ハッパをかけられたら、さぞかし先生方も大変だろうと思いました。ただ、やっぱりこういう存在が学校には必要なのかも…とも思いました。
今日の藤原さんのお話の要点は、まず第一に、「キャリア教育は”正解主義”じゃなく、“修正主義”でなければならない」。子どもたちは学校の中で、常に「正解」を求める教育を受けている。どこかに必ず「正解」があるのがこれまでの学校教育である(その結果、「結婚」にも正解主義を求める人もいるが…)。けれど、現実は、みんな、社会や周りの環境の変化についていくために、少しずつ自分を変えていかざるを得ない。ギリギリのところでベクトルを「修正」しながら仕事をしているのが現実の社会の姿。
で、キャリア教育も「正解」がどこかにあるということではなく、「修正」をモットーにしなければいけない。たとえば、単なる「職業選び」ではなく、「10年後にその仕事が必要とされているか」とか、今ある二つの職業を組み合わせて新しい仕事を作ってみるとか、要するに「イマジネーション」が必要である、と藤原氏はおっしゃる。「世の中科」も、まさにそういう授業をしてきたものであると。
第二の要点は、「地域の役割は、子どもたちに“大人モデル”と出会わせること」。和田中の「地域本部」の取組は、今や文部科学省がそれをモデルとして全国に広げようとしています。ただ、今まで、地域の「エネルギーレベル」は、学校が求めるよりずっと低かった。ただ、これからは全国で1,000万人いる「団塊の世代」を大きな教育資源として取り込んで、そのエネルギーを活用していくべき。和田中の実践をとおして、団塊の世代の中には、すごい「大人モデル」がたくさんいることがわかった。彼らにまずは小さなことからお願いをする(たとえば算数を教えてくれとか)ことではじめてみたらどうか。
第三の要点は、「これからは“つなぐ人”の時代である」。団塊の世代やものづくりの達人を学校に引き込むのも、地域のいろいろな人どうしをつなぐのも、「コーディネーター」つまり「つなぐ人」の力量いかんにかかっている。また、今後は、コーディネートが「金になる」時代にもなっていくだろう。
そのほか、高校の就職指導はもっと「強烈な」職業教育、1対1とか少人数制のゼミ形式など、一人一人に合った職業教育が必要だとか、大阪の布施北高校が行っているデュアルシステムのような取組をもっと広げるべきだとか、和田中の卒業生や今彼が関わっている大阪の教育改革などの例を引きながら、持ち時間を一杯に使っての藤原トーク炸裂でした。
学校では「正解は外側にある」という話を別の方の講演で聞いたことがあって、今回の話とつながりました。学校では正解は先生が常に持っていて、そこにたどり着いた子は「良い子」とみなされる。でも、そういう訓練を繰り返していると、自分で考えるということができなくなってしまう。何でも外からの動機付け、たとえば役割とか与えられた役目とか、規則とかに縛られてしか行動ができなくなってしまう。本当の正解は、実は「自分の内側」にあることに気づかないまま大人になっていく…。
当時はまだキャリア教育という言葉さえなかったと思いますが、「正解は内側にある」というのはものすごく新鮮に思えました。藤原さんは、そのこととキャリア教育をうまく結びつけてくれたので、とても納得できました。生きていくこと、仕事をしていくということは、自分の「内側にある正解」と、ある意味で「折り合い」をつけていくことなのではないか。それが「ギリギリのベクトル」ということなのだと思います。そして、「正解は内側にある」ことを子どもたちに教えていけるのは、やはり学校の先生以外の大人なのではないのか。ま、その前に、大人自身が外付けの動機だけで動いているようじゃダメですけどね。
藤原さんは、さすがに広告代理店に勤めていただけあって、言葉の操り方が巧みだなあと思いました。思わずメモを取りたくなるような言葉が次から次へと出てくる。しかもそれが広告とは違って、上っ面の言葉でなく、校長として「実績」を残してきたという自信に裏打ちされている…。
ますますパワーアップしていきそうな藤原氏。大阪で橋下知事とタッグを組んでいると言いますが、いったい次にどんな「仕掛け花火」を見せてくれるのか、いろんな意味で、ひそかに楽しみにしています。
修正主義、非常に難しい問題ですよね。
ある意味、過ちを認め自らを自らが正さなければならない主義。
できますか?
─職場に復命してあります。
できますか?
─できるように努力しています。というより、修正主義=過ちを認める、ということでは必ずしもないと思うのですが。むしろ「ズレ」を正していくということだと思います。