
2008年/日本/102分
【監督・脚本】 内田けんじ
【出演】 大泉洋/神野 佐々木蔵之介/北沢 堺雅人/木村 常盤貴子 田畑智子
それにしても、「スティング」を超える「大どんでん返し」を私は知らない。
この映画は、「最後のどんでん返し」がうたい文句ではありますが、最後の最後、ではなくて、途中から何気なくタネがわかるように仕掛けてあります。その端緒が、神野(大泉洋)がアパートの部屋に戻ると、探しているはずの人物がそこにいたというシーン。本当にさりげなく描かれているので、見ている方は、おいおい、ちょっと待って!と戸惑うこと必至であります。そのあたりが内田けんじ監督のうまいところだなあと思いました。
多くの人が言っているように、私も見終わってすぐにもう一度見たくなりました。その点、DVDで見ると便利ですなあ! ほとんど合点がいったのですが、大石吾朗扮する「保守党」政治家には、どんな意味があったのか、だけはわかりませんでした。結局、思わせぶりの伏線だったのか。大企業とやくざのつながりに、政治家も一枚噛んでいたということでしょうね。
それにしても、ちょっと不満が残るのは、この大がかりな仕掛けを仕組んでいた側が○○だということ。確かに、真っ当な「市民意識」からすれば安心感はあるけど、この手の映画でそれはないんじゃないの~と言いたくなりますよ。「正義が勝つ」のはいいけれど、○○が勝つなんて当たり前の大団円。
さて、「アフタースクール」="after school"って、本来は「放課後」のことですが、ここでは「学校を卒業した後」という意味も込められています。つまり、「学校」と「社会」の悩ましい関係がこの映画のテーマなのかもしれない。
探偵・北沢(佐々木蔵之介)が、中学校の先生をしている神野に向かって言う。「おまえのようなずーっと教室で生きている奴に、人間の何がわかるんだよ。何にも知らないで、自分の都合のいいように世間を見て、人間見て安心しやがって…。おまえみたいな奴見てるとムカムカするんだよな。早く卒業しろよ、中学校から。」 それは、学校では教えてくれない世界、つまり学校を出てから北沢自身が経験した世界を背景にした言葉。彼の場合は、それは多分に「闇社会」を意味しています。
これに対して、神野はどう反応したか。その前のくだりからしても、あの不気味な沈黙の中で、神野が北沢の使っているノート・パソコンにコーヒーでもぶっかけるんじゃないかと思いましたが、神野は怒り出すどころか、何とも拍子抜けする言葉を吐いて立ち去るのです。
しかし、おいおい、神野、もうちょっとがんばってくれよ!…という気持ちを見透かすように、彼は終盤で見事に北沢に「復讐」を果たす。
「あんたみたいな生徒、どのクラスにもいるんだよ。全部分かったような顔して勝手にひねくれて。この学校つまんねえだのなんだの…。あのな、学校なんてどうでもいいんだよ。お前がつまんねえのは、お前のせいだ」
なるほど、そう来たか、神野!
学校の先生が「学校以外の社会」を知らない以上、子どもたちに「社会の厳しさ」を教えることはできません。せいぜい、聞いたこと、本で読んだことを伝えることしかできない。ましてや「闇社会」のことなんて(それはまあ、学校で教える必要もないことなのかもしれませんが)。であれば、子どもたちはどこで「社会」との接点を得ればいいのか? あるいは、北沢探偵が言外に匂わせたように、学校は学校の中だけで物事を考えていればいいのか。
学校は、「学校」のためにあるものではないと思います。学校は、「学校を出た後」つまり「アフタースクール」のためにある。先生から豊富な知識や、学び方を学ぶのが学校の第一の役割ですが、それもまた、何のためかといえば、「アフタースクール」を生きていくため。友だちとの関係の取り方や集団行動の方法を学ぶことも学校の大切な役割ですが、それも、「社会」に出てからの人間関係に生かすため。さらに、学校の先生だけでなく、様々な社会人や職業人から直接話を聞いたり、仕事を体験したりしてみることも、もちろん「社会」を身近に感じるため。
このうち、最後の部分だけが「キャリア教育」だととらえられることが多いのですが、実は、前の二つもキャリア教育なのですね。人は誰でも「アフタースクール」を生きていかなければならない。そのための教育はすべてキャリア教育の考え方に当てはまります。要は、どれだけそのことを「意識」しているかどうかなのです。
神野の言葉は強烈です。学校だろうが闇社会だろうが、「つまらない」のを周りのせいにすることはよくあることです。「つまんない」と口に出して言うことで、自分を正当化しようとする。「自分」だって、「つまらない」学校や社会を構成している一員なのに…。神野の言うとおり、つまらないのは「自分のせい」だとしたら、自分をこそ変えていかなければならない。でも、「つまらない」と言っている人は、そのことに気づかない。
周りを変えたいならまず自分が変われ、ということか。ひねくれたり拗ねたりばかりじゃいけませんね。
「アフタースクール」≫Amazon.co.jp
【監督・脚本】 内田けんじ
【出演】 大泉洋/神野 佐々木蔵之介/北沢 堺雅人/木村 常盤貴子 田畑智子
それにしても、「スティング」を超える「大どんでん返し」を私は知らない。
この映画は、「最後のどんでん返し」がうたい文句ではありますが、最後の最後、ではなくて、途中から何気なくタネがわかるように仕掛けてあります。その端緒が、神野(大泉洋)がアパートの部屋に戻ると、探しているはずの人物がそこにいたというシーン。本当にさりげなく描かれているので、見ている方は、おいおい、ちょっと待って!と戸惑うこと必至であります。そのあたりが内田けんじ監督のうまいところだなあと思いました。
多くの人が言っているように、私も見終わってすぐにもう一度見たくなりました。その点、DVDで見ると便利ですなあ! ほとんど合点がいったのですが、大石吾朗扮する「保守党」政治家には、どんな意味があったのか、だけはわかりませんでした。結局、思わせぶりの伏線だったのか。大企業とやくざのつながりに、政治家も一枚噛んでいたということでしょうね。
それにしても、ちょっと不満が残るのは、この大がかりな仕掛けを仕組んでいた側が○○だということ。確かに、真っ当な「市民意識」からすれば安心感はあるけど、この手の映画でそれはないんじゃないの~と言いたくなりますよ。「正義が勝つ」のはいいけれど、○○が勝つなんて当たり前の大団円。
さて、「アフタースクール」="after school"って、本来は「放課後」のことですが、ここでは「学校を卒業した後」という意味も込められています。つまり、「学校」と「社会」の悩ましい関係がこの映画のテーマなのかもしれない。
探偵・北沢(佐々木蔵之介)が、中学校の先生をしている神野に向かって言う。「おまえのようなずーっと教室で生きている奴に、人間の何がわかるんだよ。何にも知らないで、自分の都合のいいように世間を見て、人間見て安心しやがって…。おまえみたいな奴見てるとムカムカするんだよな。早く卒業しろよ、中学校から。」 それは、学校では教えてくれない世界、つまり学校を出てから北沢自身が経験した世界を背景にした言葉。彼の場合は、それは多分に「闇社会」を意味しています。
これに対して、神野はどう反応したか。その前のくだりからしても、あの不気味な沈黙の中で、神野が北沢の使っているノート・パソコンにコーヒーでもぶっかけるんじゃないかと思いましたが、神野は怒り出すどころか、何とも拍子抜けする言葉を吐いて立ち去るのです。
しかし、おいおい、神野、もうちょっとがんばってくれよ!…という気持ちを見透かすように、彼は終盤で見事に北沢に「復讐」を果たす。
「あんたみたいな生徒、どのクラスにもいるんだよ。全部分かったような顔して勝手にひねくれて。この学校つまんねえだのなんだの…。あのな、学校なんてどうでもいいんだよ。お前がつまんねえのは、お前のせいだ」
なるほど、そう来たか、神野!
学校の先生が「学校以外の社会」を知らない以上、子どもたちに「社会の厳しさ」を教えることはできません。せいぜい、聞いたこと、本で読んだことを伝えることしかできない。ましてや「闇社会」のことなんて(それはまあ、学校で教える必要もないことなのかもしれませんが)。であれば、子どもたちはどこで「社会」との接点を得ればいいのか? あるいは、北沢探偵が言外に匂わせたように、学校は学校の中だけで物事を考えていればいいのか。
学校は、「学校」のためにあるものではないと思います。学校は、「学校を出た後」つまり「アフタースクール」のためにある。先生から豊富な知識や、学び方を学ぶのが学校の第一の役割ですが、それもまた、何のためかといえば、「アフタースクール」を生きていくため。友だちとの関係の取り方や集団行動の方法を学ぶことも学校の大切な役割ですが、それも、「社会」に出てからの人間関係に生かすため。さらに、学校の先生だけでなく、様々な社会人や職業人から直接話を聞いたり、仕事を体験したりしてみることも、もちろん「社会」を身近に感じるため。
このうち、最後の部分だけが「キャリア教育」だととらえられることが多いのですが、実は、前の二つもキャリア教育なのですね。人は誰でも「アフタースクール」を生きていかなければならない。そのための教育はすべてキャリア教育の考え方に当てはまります。要は、どれだけそのことを「意識」しているかどうかなのです。
神野の言葉は強烈です。学校だろうが闇社会だろうが、「つまらない」のを周りのせいにすることはよくあることです。「つまんない」と口に出して言うことで、自分を正当化しようとする。「自分」だって、「つまらない」学校や社会を構成している一員なのに…。神野の言うとおり、つまらないのは「自分のせい」だとしたら、自分をこそ変えていかなければならない。でも、「つまらない」と言っている人は、そのことに気づかない。
周りを変えたいならまず自分が変われ、ということか。ひねくれたり拗ねたりばかりじゃいけませんね。
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