1937年、パリ万博で「ゲルニカ」が公開されました。ピカソの平和への叫びもむなしく、ヨーロッパ、そして世界は再び戦争への道を歩み始めます。
そして、ピカソの女性遍歴は、60代になっても衰えることを知らない。「泣く女」ドラ・マールと別れ、マリー・テレーズとはずるずるつきあいながら、また新たな女性との出会いがピカソの創作意欲をかきたてる。
1943年、ピカソ62歳の時、パリのアトリエに一人の画学生が訪ねてきました。フランソワーズ・ジロー、21歳。ほどなくして二人は生活を共にするようになり、そして、パロマとクロードという二人の子どもも生まれます。戸籍上はまだオルガと結婚したままの状態だったわけですが、新しい「家族」に囲まれたピカソは、心底幸せなな生活だったことが、この頃の作品からうかがえます。

国立新美術館で見た「トラックの玩具で遊ぶ子ども」(1953年)とか「デッサンするクロード、フランソワーズ、パルマ」(1954年)といった作品は、無心に遊ぶ子どもたちの姿が描かれていて実にほほえましい。シンプルな黒く太い線と原色を一切用いない淡い色彩。まるで子どもが描いたような絵ともとれるような作風です。「ゲルニカ」や「朝鮮の虐殺」(1951年)に見られる荒々しさはここには皆無。女性に対しては時に冷淡だったピカソも、子どもに対しては常にやさしい目線を送っています。ま、年格好からいったらどう見ても「おじいちゃんと孫」みたいな関係ですが、ピカソに幼い頃の絵を描いてもらえた子どもたちはほんとに幸せだよなあと、こういう絵を見るとつくづく思います。
フランソワーズは、さすがに、ドラ・マールやマリー・テレーズとのピカソのつきあい方を知っていたので、ずいぶん慎重につきあっていたといいます。そして、彼女は、唯一、自分からピカソのもとを離れていった女性でもあります。子どもたちにはやさしくても、そして自分たち家族を描く絵がどんなに慈愛に満ちあふれていても、ピカソの持つ破壊的な力を知っていた彼女は、それに打ちのめされる前に子どもたちを連れてピカソのもとを去る。さすがのピカソもこれにはずいぶん落ち込んだらしいですが、実はちゃっかり別の女性も「キープ」していたみたいで。…なんてやつだ!
その女性は、当時ピカソが住んでいた南仏、ヴァロリスの陶房で働いていたジャクリーヌ・ロック。離婚を認めなかったオルガが1955年に亡くなっており、ピカソは1961年、80歳にして晴れてジャクリーヌと入籍を果たす。彼にとっては2度目の結婚ということになります。
ところが、ジャクリーヌとの結婚の裏には、実はピカソが周到に準備した、フランソワーズへの復讐劇がありました。フランソワーズはピカソと別れたあと、ある若い画家と結婚していたのですが、ピカソは、オルガ亡きあと、彼女に今の夫と別れて自分と結婚しないかとほのめかしていました。二人の子どもたちの将来のためにも、「ピカソ」と結婚していた方が何かと都合がいいよ…。それを真に受けたフランソワーズは、夫との離婚を進めるが、ある日、新聞で「ピカソ結婚」という見出しを見つける。相手はもちろんジャクリーヌ…!
聡明なフランソワーズでさえ、すっかりピカソの術中にはまってしまったのです。ピカソは、自分を裏切り去っていったフランソワーズが許せなかったのでしょう。なんというプライドの高さでしょうか。

ジャクリーヌは、1973年、ピカソ91歳の大往生を看取っています。ジャクリーヌを描いた作品の一つ、「膝をかかえるジャクリーヌ」が国立新美術館に展示されていました。デフォルメされることなく端正に描かれた顔。膝を抱えたまま、彼女は射るような視線を彼方に向けている。最大の特徴は、角張った柱のごとく長く伸びた首です。まるで、老いたピカソの悩みや苦しみを分かち合えるのは私だけよと主張しているかのような、ジャクリーヌの強い意志を感じます。
ピカソが死んで4年後、マリー・テレーズが自殺。そして、ジャクリーヌも1986年に自殺しています。ピカソが愛し、愛された女性たちの人生は必ずしも幸せなものではなかったようです。
しかし、彼女たちは、例外なくピカソの絵のモデルになっています。逆に言えば、ピカソにとって、自分が愛した女性をモデルにしないではいられなかったのでしょう。彼の旺盛な制作意欲は、女性を愛することによってこそわき上がってくるものだったのです。そういう意味では、彼女たちは皆、ピカソにとっての「ミューズ」(女神)にほかならなかった。しかも、ピカソにとってミューズは唯一絶対の造形をしているわけではなかった。姿形も、性格も、立ち居振る舞いもそれぞれに違うミューズたちを、ピカソは見事に描き分けています。
ピカソに愛された女性たちは、不幸だったかもしれません。でも、ピカソによってミューズとして描かれた作品の中で、彼女たちは永遠に愛され続けます。それは幸せなことなのかもしれませんね。
≫「ピカソの大きな作品宇宙」(2)─ミューズ(女神)としての女性 その2
≫「ピカソの大きな作品宇宙」(2)─ミューズ(女神)としての女性 その1
≫「ピカソの大きな作品宇宙」(1)
そして、ピカソの女性遍歴は、60代になっても衰えることを知らない。「泣く女」ドラ・マールと別れ、マリー・テレーズとはずるずるつきあいながら、また新たな女性との出会いがピカソの創作意欲をかきたてる。
1943年、ピカソ62歳の時、パリのアトリエに一人の画学生が訪ねてきました。フランソワーズ・ジロー、21歳。ほどなくして二人は生活を共にするようになり、そして、パロマとクロードという二人の子どもも生まれます。戸籍上はまだオルガと結婚したままの状態だったわけですが、新しい「家族」に囲まれたピカソは、心底幸せなな生活だったことが、この頃の作品からうかがえます。


国立新美術館で見た「トラックの玩具で遊ぶ子ども」(1953年)とか「デッサンするクロード、フランソワーズ、パルマ」(1954年)といった作品は、無心に遊ぶ子どもたちの姿が描かれていて実にほほえましい。シンプルな黒く太い線と原色を一切用いない淡い色彩。まるで子どもが描いたような絵ともとれるような作風です。「ゲルニカ」や「朝鮮の虐殺」(1951年)に見られる荒々しさはここには皆無。女性に対しては時に冷淡だったピカソも、子どもに対しては常にやさしい目線を送っています。ま、年格好からいったらどう見ても「おじいちゃんと孫」みたいな関係ですが、ピカソに幼い頃の絵を描いてもらえた子どもたちはほんとに幸せだよなあと、こういう絵を見るとつくづく思います。
フランソワーズは、さすがに、ドラ・マールやマリー・テレーズとのピカソのつきあい方を知っていたので、ずいぶん慎重につきあっていたといいます。そして、彼女は、唯一、自分からピカソのもとを離れていった女性でもあります。子どもたちにはやさしくても、そして自分たち家族を描く絵がどんなに慈愛に満ちあふれていても、ピカソの持つ破壊的な力を知っていた彼女は、それに打ちのめされる前に子どもたちを連れてピカソのもとを去る。さすがのピカソもこれにはずいぶん落ち込んだらしいですが、実はちゃっかり別の女性も「キープ」していたみたいで。…なんてやつだ!
その女性は、当時ピカソが住んでいた南仏、ヴァロリスの陶房で働いていたジャクリーヌ・ロック。離婚を認めなかったオルガが1955年に亡くなっており、ピカソは1961年、80歳にして晴れてジャクリーヌと入籍を果たす。彼にとっては2度目の結婚ということになります。
ところが、ジャクリーヌとの結婚の裏には、実はピカソが周到に準備した、フランソワーズへの復讐劇がありました。フランソワーズはピカソと別れたあと、ある若い画家と結婚していたのですが、ピカソは、オルガ亡きあと、彼女に今の夫と別れて自分と結婚しないかとほのめかしていました。二人の子どもたちの将来のためにも、「ピカソ」と結婚していた方が何かと都合がいいよ…。それを真に受けたフランソワーズは、夫との離婚を進めるが、ある日、新聞で「ピカソ結婚」という見出しを見つける。相手はもちろんジャクリーヌ…!
聡明なフランソワーズでさえ、すっかりピカソの術中にはまってしまったのです。ピカソは、自分を裏切り去っていったフランソワーズが許せなかったのでしょう。なんというプライドの高さでしょうか。

ジャクリーヌは、1973年、ピカソ91歳の大往生を看取っています。ジャクリーヌを描いた作品の一つ、「膝をかかえるジャクリーヌ」が国立新美術館に展示されていました。デフォルメされることなく端正に描かれた顔。膝を抱えたまま、彼女は射るような視線を彼方に向けている。最大の特徴は、角張った柱のごとく長く伸びた首です。まるで、老いたピカソの悩みや苦しみを分かち合えるのは私だけよと主張しているかのような、ジャクリーヌの強い意志を感じます。
ピカソが死んで4年後、マリー・テレーズが自殺。そして、ジャクリーヌも1986年に自殺しています。ピカソが愛し、愛された女性たちの人生は必ずしも幸せなものではなかったようです。
しかし、彼女たちは、例外なくピカソの絵のモデルになっています。逆に言えば、ピカソにとって、自分が愛した女性をモデルにしないではいられなかったのでしょう。彼の旺盛な制作意欲は、女性を愛することによってこそわき上がってくるものだったのです。そういう意味では、彼女たちは皆、ピカソにとっての「ミューズ」(女神)にほかならなかった。しかも、ピカソにとってミューズは唯一絶対の造形をしているわけではなかった。姿形も、性格も、立ち居振る舞いもそれぞれに違うミューズたちを、ピカソは見事に描き分けています。
ピカソに愛された女性たちは、不幸だったかもしれません。でも、ピカソによってミューズとして描かれた作品の中で、彼女たちは永遠に愛され続けます。それは幸せなことなのかもしれませんね。
≫「ピカソの大きな作品宇宙」(2)─ミューズ(女神)としての女性 その2
≫「ピカソの大きな作品宇宙」(2)─ミューズ(女神)としての女性 その1
≫「ピカソの大きな作品宇宙」(1)
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