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「美輪マリー」から「川村マリー」へ─「毛皮のマリー」を見て

2008-05-15 | ■美術/博物
寺山修司の代表的戯曲の一つ「毛皮のマリー」は、1967年、「天井桟敷」の第3回公演として上演された作品です。主演は美輪明宏。美術に横尾忠則、衣裳はコシノジュンコという、当時を彩るそうそうたるスタッフが名を連ねています。

もともと寺山はこの作品を、美輪明宏を念頭に置いて書いたというだけに、確かに、美輪だけにしか演じられないだろうなと思う部分があります。あるいは、彼にしか言えないだろうと思われるセリフも。実際、美輪はこの作品を愛し、ずっと演じ続けています。

青森県立美術館の企画展「寺山修司 劇場美術館1935-2008」の掉尾を飾るべく、この作品が最終日の5月11日、美術館内のシアターで上演されました。今回、マリーを演じるのは、劇作家・演出家の川村毅。マリー=美輪明宏というイメージがほぼ固定化している中で、とても勇気ある挑戦だよなあと思います。

でも、幕が開いて、川村の甲高い第一声が響き渡った瞬間から、う、これは「美輪明宏」じゃない、ときっぱり思い知らされます。これは紛れもない「川村マリー」なんだと。いったんそう腑に落ちると、川村マリーの「気色悪さ」に全面的に身を委ねてしまえる。あとは一直線に終幕までマリーと一緒に突っ走るだけです。

今回の衣装・美粧は、これも寺山作品とは切っても切り離せない宇野亜喜良。実は、企画展の一画には、美輪がマリーを演じた時の、豪華でハデハデの舞台が再現されていました。真っ白なベッドとパステルカラーに彩られたバスタブ。上空には大きな蝶が舞う。美輪のセリフも一部ですがスピーカーから流されていて、それも迫力抜群。ところが、今回の舞台は、衣装も白を基調としたシンプルなものに抑えられ、バスタブも、何の変哲もないシンプルなものに置き換えられています。「派手」じゃなく、モノクロの中で展開される物語は、逆に、より耽美性を帯びていたように思います。

寺山が亡くなったのは47歳。川村毅は現在、ほぼその年齢だそうで、「今、マリーを演じる」ことに大きな意味を見い出しているように思えました。寺山の没後25周年という能書きはともかくとしても、彼が10代の頃にハマった寺山修司へのオマージュ、という意図は見事に成功しているように思えました。だからこそ、今回の上演では、「劇作家としての寺山を重要視するということで、オリジナルのせりふ、音楽の指定に忠実に上演された」のだそうです。ただ、「美輪マリー」は、たぶん「挿入歌」も歌ったと思われますが、今回の上演では一切歌はありませんでしたけどね。ま、それもまた「川村マリー」らしさの現れでしょう。

今回の演出で感心したのは、「鶏姦詩人」や「美女の亡霊」たちによる「静止」ポーズ。つい今しがたまで舞台上をあわただしく動いていたはずなのに、ある瞬間にピタッとポーズを決めたかと思うと、しばらくそのまま微動だにしない。よく見るとまばたきさえしていないかのよう。そんな「風景」の中でマリーや「美少年」、「美少女」がストーリーを演じる。その配置の絶妙なバランスは、まるで、1枚の宗教画を見ているようでもありました。

そして、最後の場面も出演者全員で「絵」を構成します。手際よく長テーブルがしつらえられ、「最後の晩餐」のポーズができあがり! 中央に位置するのはもちろんマリー。その周りに、「十二使徒」がオリジナルと同じように3人ずつセットでバランスよく配置する。俗世の「女神」としてのマリーを象徴しているかのようで、何とも小気味よい終幕でした。

それにしても、「川村マリー」にしても、「美少年」(手塚とおる)にしても「美少女」(菅野菜保之)にしても、全然「美しく」ない。川村毅は、どう見ても女形を演じるイメージではないし、手塚とおるだって実は40代半ばらしいし、菅野にいたってはとっくに還暦を過ぎている。それでも彼らは、舞台でそれぞれの役柄を「演じてしまう」。そんな「虚構」のカタチは、寺山修司の寺山修司たるゆえんでもあり、そういう意味でも、今回の川村マリーは、「寺山の軌跡」に新たな1ページを記したと言ってもいいでしょうね。

 

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