
村上春樹の新作『1Q84』。5月29日に全国発売されたのですが、事前の予約がものすごく、「異様なハイペース」で売れているのだそうですね。発売開始から4日で2巻の累計部数が5刷77万部=(1)40万部、(2)37万部=に達したというのですから、確かにこれはすごい。
私もAmazonで予約注文していたのですが、ふと気がついたら、(1) (2) の2冊セットのうち、(2)しか注文していなかったことに気づき、(2) が届く前にあわてて(1) を買いに書店に走りました。とはいえ、実際(1)を読み始めたのは、(2)が届いてからだいぶあとのことでしたが。
今回の『1Q84』は、7年ぶりの長編小説だとか。今、(1)をちょうど読み終えたところですが、久々のせいか、村上春樹の「ワンダーランド」に触れられて、それだけでも満足という感じ。もちろん、ストーリーも、スリリングでエロティックな展開に、ページを繰る手が止まらない。
例によって、村上春樹特有の、「最初は得体の知れない」人物が登場してきます。「青豆」という女性と「天吾」という男性。「青豆」って、何だろうと思っていると、れっきとした名字であることが紹介される。この小説が面白いと感じるか面白くないと感じるかは、要は、交互に描かれるこの二人に感情移入できるか、つまり好きになれるかなれないかの違いだろうと思う。
ちょっと感じたのは、随所に「村上春樹的」な言い回しが出てくるのは当たり前なのですが、全体を見渡してみると、あの「三部作」ほどではなくなっていることに気づく。「三部作」は、端から端まで「村上春樹」でしたが、この小説に限って言えば、ちょっとそれが薄まっているよな気がしました。たとえば、「会話」にしても、「三部作」の頃は、あの物語の中ではごく自然な会話に聞こえるけど、冷静に考えると、実際はあんな会話しないよなあと思うような言い回しが割と多いのですが、そういう「不自然な会話」は、『1Q84』ではすっかり息を潜めています。交わされるのは、ごくごく当たり前の会話(ま、「ふかえり」だけはちょっと違いますが…)。
それにしても、登場人物の名前もそうですが、「空気さなぎ」みたいな造語の妙は言うまでもなく、予想もつかない固有名詞がいきなり出てくる世界は相変わらずです。(1)だけ見ても、「ディッケンズ」とか「平家物語」とか、果ては「ギリヤーク人」まで出てくるので、そのたびにわくわくしてしまう。
「すてきなギリヤークじん」とふかえりは言った。
印象に残っている文の一つです。
さて、残りあと半分。ネットの情報によれば、これで物語は「完」ではなく、まだ続きがありそうとのことですが、それでも、読み終えてしまうのがもったいない。できるだけゆっくり読みたいのですが、早く展開を知りたい気持ちもある。これぞ小説を読む醍醐味だよなと思いつつ、とりあえず、(2)を読み終わったら、改めて感想をUPしたいと思っています。
前にも書きましたが、村上春樹との出会いは、私が大学生の頃でした。友人から「Tシャツの絵がいきなり出てくる小説がある」と教えてもらった『風の歌を聴け』には、それまで読んだ確かに強烈なインパクトを受けました。そして、その衝撃は、いわゆる「三部作」、『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』に続いていく。以来、私にとっては、村上春樹の長編小説のベスト1はやっぱり『1973年のピンボール』なのです。『1Q84』も、確かに面白い小説だとは思うし、読み応えもありますが、たぶんピンボールを超えることはないだろうと思います。
この長い物語を読み終えたら、きっと「ピンボール」をまた読みたくなるでしょう。あの双子の姉妹、「208」と「209」がプリントされたトレーナー・シャツを着て、「死にかけた配電盤」を抱いて眠っていた女の子たちは、今も元気なのでしょうか…?
『1Q84』≫Amazon.co.jp
私もAmazonで予約注文していたのですが、ふと気がついたら、(1) (2) の2冊セットのうち、(2)しか注文していなかったことに気づき、(2) が届く前にあわてて(1) を買いに書店に走りました。とはいえ、実際(1)を読み始めたのは、(2)が届いてからだいぶあとのことでしたが。
今回の『1Q84』は、7年ぶりの長編小説だとか。今、(1)をちょうど読み終えたところですが、久々のせいか、村上春樹の「ワンダーランド」に触れられて、それだけでも満足という感じ。もちろん、ストーリーも、スリリングでエロティックな展開に、ページを繰る手が止まらない。
例によって、村上春樹特有の、「最初は得体の知れない」人物が登場してきます。「青豆」という女性と「天吾」という男性。「青豆」って、何だろうと思っていると、れっきとした名字であることが紹介される。この小説が面白いと感じるか面白くないと感じるかは、要は、交互に描かれるこの二人に感情移入できるか、つまり好きになれるかなれないかの違いだろうと思う。
ちょっと感じたのは、随所に「村上春樹的」な言い回しが出てくるのは当たり前なのですが、全体を見渡してみると、あの「三部作」ほどではなくなっていることに気づく。「三部作」は、端から端まで「村上春樹」でしたが、この小説に限って言えば、ちょっとそれが薄まっているよな気がしました。たとえば、「会話」にしても、「三部作」の頃は、あの物語の中ではごく自然な会話に聞こえるけど、冷静に考えると、実際はあんな会話しないよなあと思うような言い回しが割と多いのですが、そういう「不自然な会話」は、『1Q84』ではすっかり息を潜めています。交わされるのは、ごくごく当たり前の会話(ま、「ふかえり」だけはちょっと違いますが…)。
それにしても、登場人物の名前もそうですが、「空気さなぎ」みたいな造語の妙は言うまでもなく、予想もつかない固有名詞がいきなり出てくる世界は相変わらずです。(1)だけ見ても、「ディッケンズ」とか「平家物語」とか、果ては「ギリヤーク人」まで出てくるので、そのたびにわくわくしてしまう。
「すてきなギリヤークじん」とふかえりは言った。
印象に残っている文の一つです。
さて、残りあと半分。ネットの情報によれば、これで物語は「完」ではなく、まだ続きがありそうとのことですが、それでも、読み終えてしまうのがもったいない。できるだけゆっくり読みたいのですが、早く展開を知りたい気持ちもある。これぞ小説を読む醍醐味だよなと思いつつ、とりあえず、(2)を読み終わったら、改めて感想をUPしたいと思っています。
前にも書きましたが、村上春樹との出会いは、私が大学生の頃でした。友人から「Tシャツの絵がいきなり出てくる小説がある」と教えてもらった『風の歌を聴け』には、それまで読んだ確かに強烈なインパクトを受けました。そして、その衝撃は、いわゆる「三部作」、『1973年のピンボール』、『羊をめぐる冒険』に続いていく。以来、私にとっては、村上春樹の長編小説のベスト1はやっぱり『1973年のピンボール』なのです。『1Q84』も、確かに面白い小説だとは思うし、読み応えもありますが、たぶんピンボールを超えることはないだろうと思います。
この長い物語を読み終えたら、きっと「ピンボール」をまた読みたくなるでしょう。あの双子の姉妹、「208」と「209」がプリントされたトレーナー・シャツを着て、「死にかけた配電盤」を抱いて眠っていた女の子たちは、今も元気なのでしょうか…?
『1Q84』≫Amazon.co.jp
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