
“SIN NOMBRE”
2009年/メキシコ・米/96分
【監督・脚本】 ケイリー・ジョージ・フクナガ
【撮影】 アドリアーノ・ゴールドマン
【出演】 エドガル・フローレス/カスペル(ウィリー) パウリナ・ガイタン/サイラ クリスティアン・フェレール/スマイリー(ベニート) テノッチ・ウエルタ・メヒア/リルマゴ ディアナ・ガルシア/マルタ
(C)2007 Focus Features. All Rights Reserved.
〔シネマディクト〕
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タイトルとポスターに惹かれ、絶対見に行こうと思っていました。ポスターに載っていた女の子の表情が印象的だったせいも多分にあります。
彼女の名はサイラ。ホンジュラスに住む16歳の少女。ポスターでは、彼女が列車の屋根の上に乗っています。その後ろには、うつろな横顔を見せる青年。なぜ、彼女がこんなところにいるのか。彼女はどこに行こうとしているのか。
他の中米諸国と同様、ホンジュラスは今も政情不安が続いていて、一昨年には軍事クーデターで大統領が国外追放され、しかし、新政権もなかなか安定せず、といった状況が続いているようです。そんな社会不安を嫌って、米国に移住しようとする人々も少なからずいる。サイラの父もそんな一人。彼はサイラと離れて米国で暮らしていたのですが、強制送還されホンジュラスに戻ってくる。父は、サイラを連れて再び米国に行き、家族そろって暮らしたいと願っていました。
ホンジュラスから米国に行くためには、西隣のグアテマラからメキシコを縦断して米国国境を越える必要があります。それが「闇の列車」。貨物列車の屋根やデッキに無断で乗り込んで国境まで運んでもらう。こうして、父とその弟(つまりサイラの叔父)、そしてサイラの3人の長い旅が始まる。
ところで、原題の” SIN NOMBRE”とは、WITHOUT NAME、つまり「名無し」を意味するのだそうです。
ホンジュラスの国境に近いメキシコのチアパスに住むウィリーは、ストリートギャングの組織マラ・サルバトゥルチャで犯罪に明け暮れる毎日。組織内では、本名は捨てさせられ、「カスペル」と名乗っている。冒頭、彼が組織に引き入れる少年ベニートも、組織に入った時点で、「スマイリー」と呼ばれるようになる。
ん? 「名無し」どころか、2つも名前を持っている…? でも、2つの名前を持つということは、考えようによっては「名無し」と同じなのかもしれない。ベニートは、一緒に暮らす祖母を捨てて組織に入った。もう戻る場所はないのです。組織に入った以上、組織の命令に従わなければ生きていけない。ボスへの服従、組織への忠誠。カスペルにとっても同じです。本名を捨てて、組織の名前で生きていくということは、そういうことなのです。しかし、カスペルは、組織に内緒でひそかにつきあっている恋人・マルタには自分のことをウィリーと呼ばせている。
カスペルは、組織のボス・リルマゴに一目置かれてかわいがられているのですが、その表情はいつも暗い。その目は、自分の居場所はこんなところじゃないと訴えています。「カスペル」ではなく、「ウィリー」として生きられる場所。それはたぶん、かつて行ったことのある米国にある。
ある日、故意ではないとはいえ、愛するマルタをリルマゴに殺されたカスペル/ウィリーは、「闇の列車」の上で、思いがけずリルマゴに復讐を果たすことになってしまう。彼はそのまま車上の人となり、米国を目指すことになる。
そこで出会ったのが、サイラ。彼女は自分を助けてくれたカスペルを慕うようになる。サイラに名前を聞かれて、彼が名乗ったのはもちろん「ウィリー」のほうでした。マルタへの思いを抱きながらも、しだいにサイラに惹かれていくウィリー。

サイラたちは、移民局に捕まってホンジュラスに連れ戻されることを恐れ、ウィリーは、ボスの復讐を果たすべく追ってくる組織の陰に怯えている…はずなのですが、彼らの表情からはそうした恐れや怯えはあまり感じられない。いつの間にか、二人で米国にたどり着くこと、国境を越えることが共通の願いとなっていて、見ている方にも、もしかしたら万事首尾よく運ぶのではないか…という期待を抱かせるのです…。
中南米を舞台にした映画には、社会に対するやるせなさ、というのが色濃く出ているものが多い、と思う。アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の「アモーレス・ペロス」もそうでした。でも、この映画の邦題には「光の旅」とある。そこにも惹かれたのですが、これが「光の旅」であることは、ラストシーンに象徴されています。サイラのあのはにかんだような笑顔。かすかかもしれませんが、「光」を感じさせてくれました。サイラがこれからどんなふうに生きていくのか、どこへ行こうとしているのか? 少なくとも「名無し」では生きていくことはないのだろうな…そんな思いを持たせてくれるあのラストシーンは秀逸ですね。
この映画は、監督・脚本を務めたケイリー・ジョージ・フクナガ(名前から分かるように日系4世)にとって、初めての長編映画だといいます。なかなかの注目株だとお見受けします。
2009年/メキシコ・米/96分
【監督・脚本】 ケイリー・ジョージ・フクナガ
【撮影】 アドリアーノ・ゴールドマン
【出演】 エドガル・フローレス/カスペル(ウィリー) パウリナ・ガイタン/サイラ クリスティアン・フェレール/スマイリー(ベニート) テノッチ・ウエルタ・メヒア/リルマゴ ディアナ・ガルシア/マルタ
(C)2007 Focus Features. All Rights Reserved.
〔シネマディクト〕
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タイトルとポスターに惹かれ、絶対見に行こうと思っていました。ポスターに載っていた女の子の表情が印象的だったせいも多分にあります。
彼女の名はサイラ。ホンジュラスに住む16歳の少女。ポスターでは、彼女が列車の屋根の上に乗っています。その後ろには、うつろな横顔を見せる青年。なぜ、彼女がこんなところにいるのか。彼女はどこに行こうとしているのか。
他の中米諸国と同様、ホンジュラスは今も政情不安が続いていて、一昨年には軍事クーデターで大統領が国外追放され、しかし、新政権もなかなか安定せず、といった状況が続いているようです。そんな社会不安を嫌って、米国に移住しようとする人々も少なからずいる。サイラの父もそんな一人。彼はサイラと離れて米国で暮らしていたのですが、強制送還されホンジュラスに戻ってくる。父は、サイラを連れて再び米国に行き、家族そろって暮らしたいと願っていました。
ホンジュラスから米国に行くためには、西隣のグアテマラからメキシコを縦断して米国国境を越える必要があります。それが「闇の列車」。貨物列車の屋根やデッキに無断で乗り込んで国境まで運んでもらう。こうして、父とその弟(つまりサイラの叔父)、そしてサイラの3人の長い旅が始まる。
ところで、原題の” SIN NOMBRE”とは、WITHOUT NAME、つまり「名無し」を意味するのだそうです。
ホンジュラスの国境に近いメキシコのチアパスに住むウィリーは、ストリートギャングの組織マラ・サルバトゥルチャで犯罪に明け暮れる毎日。組織内では、本名は捨てさせられ、「カスペル」と名乗っている。冒頭、彼が組織に引き入れる少年ベニートも、組織に入った時点で、「スマイリー」と呼ばれるようになる。
ん? 「名無し」どころか、2つも名前を持っている…? でも、2つの名前を持つということは、考えようによっては「名無し」と同じなのかもしれない。ベニートは、一緒に暮らす祖母を捨てて組織に入った。もう戻る場所はないのです。組織に入った以上、組織の命令に従わなければ生きていけない。ボスへの服従、組織への忠誠。カスペルにとっても同じです。本名を捨てて、組織の名前で生きていくということは、そういうことなのです。しかし、カスペルは、組織に内緒でひそかにつきあっている恋人・マルタには自分のことをウィリーと呼ばせている。
カスペルは、組織のボス・リルマゴに一目置かれてかわいがられているのですが、その表情はいつも暗い。その目は、自分の居場所はこんなところじゃないと訴えています。「カスペル」ではなく、「ウィリー」として生きられる場所。それはたぶん、かつて行ったことのある米国にある。
ある日、故意ではないとはいえ、愛するマルタをリルマゴに殺されたカスペル/ウィリーは、「闇の列車」の上で、思いがけずリルマゴに復讐を果たすことになってしまう。彼はそのまま車上の人となり、米国を目指すことになる。
そこで出会ったのが、サイラ。彼女は自分を助けてくれたカスペルを慕うようになる。サイラに名前を聞かれて、彼が名乗ったのはもちろん「ウィリー」のほうでした。マルタへの思いを抱きながらも、しだいにサイラに惹かれていくウィリー。

サイラたちは、移民局に捕まってホンジュラスに連れ戻されることを恐れ、ウィリーは、ボスの復讐を果たすべく追ってくる組織の陰に怯えている…はずなのですが、彼らの表情からはそうした恐れや怯えはあまり感じられない。いつの間にか、二人で米国にたどり着くこと、国境を越えることが共通の願いとなっていて、見ている方にも、もしかしたら万事首尾よく運ぶのではないか…という期待を抱かせるのです…。
中南米を舞台にした映画には、社会に対するやるせなさ、というのが色濃く出ているものが多い、と思う。アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督の「アモーレス・ペロス」もそうでした。でも、この映画の邦題には「光の旅」とある。そこにも惹かれたのですが、これが「光の旅」であることは、ラストシーンに象徴されています。サイラのあのはにかんだような笑顔。かすかかもしれませんが、「光」を感じさせてくれました。サイラがこれからどんなふうに生きていくのか、どこへ行こうとしているのか? 少なくとも「名無し」では生きていくことはないのだろうな…そんな思いを持たせてくれるあのラストシーンは秀逸ですね。
この映画は、監督・脚本を務めたケイリー・ジョージ・フクナガ(名前から分かるように日系4世)にとって、初めての長編映画だといいます。なかなかの注目株だとお見受けします。
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