子どもの頃、大関・貴ノ花が大好きで、横綱・北の湖を破って初優勝した時の喜びは今でも忘れられません。北の湖も強くて憎たらしかったけど、ヒールらしいふてぶてしさは好きだったし(思えば、朝青龍とは似て非なるタイプだった)、大麒麟とか大受とか清国とか、あの頃のお相撲さんは今でも顔や体型はもちろん、仕切り方とか取り口とかみんなよく覚えています。
大人になってそれほど大相撲には興味を失っていき、それでも職場で毎場所行われる「星取り」にはけっこう楽しく参加していました。年間優勝すると、忘年会で「土俵入り」しなくちゃいけなかったり。もちろん若輩者にはそんな栄誉の瞬間があるわけではなかったのですが、2ヶ月に一度の本場所は、それなりに私の生活に溶け込んでいました。
最近はといえば、ほとんど全く大相撲を見ることもなく、夕方のローカルニュースで「地元力士の勝敗」が紹介される(この時は一番下の序ノ口の取組結果まで報道されます)と、ああ、本場所やっているんだなと気づくくらいで。あるいは、「朝青龍問題」とか暴力問題とか野球賭博とか、相撲界を揺るがす不祥事が報道された時に注目する程度の興味しかありません。
しかし、今回の「八百長疑惑」には、いろんな意味で驚きました。
大相撲の八百長については、以前から週刊誌が疑惑を投げかけ、そのたびに相撲協会が提訴し、裁判で勝利してきました。つまり、八百長はない、という結論でした。疑惑は疑惑でとどまっていたわけです。ところが、今回は、力士同士の携帯メールのやりとりに八百長があったことを示す「証拠」が出てきた。そもそも、何でそんなメールが発見されたのかというと、先刻の野球賭博の捜査に絡んで、力士たちの携帯電話が押収され、警察が削除されたメールを復元したから。力士にとっては、まさに泣きっ面に蜂ですね。
火のないところに煙は立たないと言います。裁判では否定されたものの、八百長疑惑は依然として残っていて、今回、それが明らかになりました。関係した力士・元力士は13名ということですが、ほんとにこれだけ? もっと上位の力士はやっていなかったの?という更なる疑惑も湧いてきます。新聞でメールを読む限り、何か大変なことをしている、悪いことをしているという意識が感じられない、いたって軽~い感じの文章でした。ああいうメールのやりとりが、ほんの一部の力士の間だけで行われていたとはとても思えない。
プロスポーツは、普通の人ができない「技」を見せてくれるもののはずです。そこには「真剣」勝負しかないはずで、だから、その「勝敗」に私たちは心から一喜一憂できるのです。わざと勝ったり負けたりしているのがわかったら、とてもじゃないけど見る気になれない。仮にもプロ、なのですから。真剣じゃないプロスポーツに何の意味があるのでしょうか。
大相撲の場合、「国技」であるという「足かせ」があることは認めます。「足かせ」のあるプロスポーツだからこそ、守らなければならないものの重さがある。でも、野球賭博といい、今回の事件といい、そういう伝統の上に単にあぐらをかいていたという体質が見え隠れしていることが本当に残念です。
朝日新聞の編集委員・西村欣也氏は、今日付けの一面で、「八百長はスポーツの根幹にかかわる大問題だ。徹底的な解明がはかられるまで、ファンは大相撲をスポーツとして認めない。」と言っています。全く同感です。
もし、どうしても八百長がやめられないというのであれば、プロレスのように「ショー」に徹するのもいいかもしれません。それでも、それなりの「技」を楽しむことはできるし、お客さんも割り切って見ればいい。
八百長が普通に、ほとんどためらいもなく行われていたことを私たちは今回の事件で知りました。そこに金銭の授受があったらしいことも。しかも、それは何も最近に始まったことでもないのかもしれません。子どもの頃にわくわくして見ていた取組も、もしかしたら…と思わなくてならないことが、本当に悲しい。
大人になってそれほど大相撲には興味を失っていき、それでも職場で毎場所行われる「星取り」にはけっこう楽しく参加していました。年間優勝すると、忘年会で「土俵入り」しなくちゃいけなかったり。もちろん若輩者にはそんな栄誉の瞬間があるわけではなかったのですが、2ヶ月に一度の本場所は、それなりに私の生活に溶け込んでいました。
最近はといえば、ほとんど全く大相撲を見ることもなく、夕方のローカルニュースで「地元力士の勝敗」が紹介される(この時は一番下の序ノ口の取組結果まで報道されます)と、ああ、本場所やっているんだなと気づくくらいで。あるいは、「朝青龍問題」とか暴力問題とか野球賭博とか、相撲界を揺るがす不祥事が報道された時に注目する程度の興味しかありません。
しかし、今回の「八百長疑惑」には、いろんな意味で驚きました。
大相撲の八百長については、以前から週刊誌が疑惑を投げかけ、そのたびに相撲協会が提訴し、裁判で勝利してきました。つまり、八百長はない、という結論でした。疑惑は疑惑でとどまっていたわけです。ところが、今回は、力士同士の携帯メールのやりとりに八百長があったことを示す「証拠」が出てきた。そもそも、何でそんなメールが発見されたのかというと、先刻の野球賭博の捜査に絡んで、力士たちの携帯電話が押収され、警察が削除されたメールを復元したから。力士にとっては、まさに泣きっ面に蜂ですね。
火のないところに煙は立たないと言います。裁判では否定されたものの、八百長疑惑は依然として残っていて、今回、それが明らかになりました。関係した力士・元力士は13名ということですが、ほんとにこれだけ? もっと上位の力士はやっていなかったの?という更なる疑惑も湧いてきます。新聞でメールを読む限り、何か大変なことをしている、悪いことをしているという意識が感じられない、いたって軽~い感じの文章でした。ああいうメールのやりとりが、ほんの一部の力士の間だけで行われていたとはとても思えない。
プロスポーツは、普通の人ができない「技」を見せてくれるもののはずです。そこには「真剣」勝負しかないはずで、だから、その「勝敗」に私たちは心から一喜一憂できるのです。わざと勝ったり負けたりしているのがわかったら、とてもじゃないけど見る気になれない。仮にもプロ、なのですから。真剣じゃないプロスポーツに何の意味があるのでしょうか。
大相撲の場合、「国技」であるという「足かせ」があることは認めます。「足かせ」のあるプロスポーツだからこそ、守らなければならないものの重さがある。でも、野球賭博といい、今回の事件といい、そういう伝統の上に単にあぐらをかいていたという体質が見え隠れしていることが本当に残念です。
朝日新聞の編集委員・西村欣也氏は、今日付けの一面で、「八百長はスポーツの根幹にかかわる大問題だ。徹底的な解明がはかられるまで、ファンは大相撲をスポーツとして認めない。」と言っています。全く同感です。
もし、どうしても八百長がやめられないというのであれば、プロレスのように「ショー」に徹するのもいいかもしれません。それでも、それなりの「技」を楽しむことはできるし、お客さんも割り切って見ればいい。
八百長が普通に、ほとんどためらいもなく行われていたことを私たちは今回の事件で知りました。そこに金銭の授受があったらしいことも。しかも、それは何も最近に始まったことでもないのかもしれません。子どもの頃にわくわくして見ていた取組も、もしかしたら…と思わなくてならないことが、本当に悲しい。
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