
埼玉県さいたま市に昨年10月オープンした鉄道博物館に行ってみました。
大宮駅からニューシャトルという小さな電車で3分。駅を降りると目の前に入場口があって、建物自体が巨大な電車のような博物館が横たわっています。もちろん、suikaでも入場券を買うことができる。首都圏の人以外はsuikaなんて知らない人も多いだろうな…と思いつつ、1,000円の入場券を買って入場。まずは1階の「ヒストリーゾーン」から。しかし、なんでわざわざ英語を使うのか。「ゾーン」は譲るとしても、「歴史ゾーン」でいいじゃん!と思う。「ラーニングゾーン」ってのもある。「学習ゾーン」とか「学びの広場」でいいじゃん!と思う。
それはともかく、広大な「ヒストリーゾーン」には、鉄道の歴史をつくってきた主役たち、36両の車両が展示されています。中央の車両を回転させるところにC57型蒸気機関車を中心に、弁慶号など鉄道の黎明期の歴史的車両、貨物列車、懐かしい特急電車の数々、御料車、そして新幹線、一通り見て歩くとけっこう時間がかかります。
新幹線のコーナーには、今はなき初代0系、それから私たちには思い出の東北・上越新幹線に使われていた100系が展示されていました。ただし0系は本当に先頭部分だけ。かたわらには、新幹線誕生当時の映像や品々を見せてくれる一画も設けられているというのに、肝心の車両があれじゃ、ちょっともったいないと思いました。しかも、先頭の白い「鼻」の部分をよく見ると、うっすらと「交通博物館」の文字が消してあるのが見てとれます。あ、これはかつて神田・万世橋にあった交通博物館の入り口に展示されたやつだ、と気づく。あの交通博物館は、規模こそ鉄道博物館に遠く及びませんが、建物自体がレトロでもあったし、なんか味があったよなあとつい思い出してしまいました。
鉄道に限らず車、船舶、航空機など広く「交通」に関わる展示をしていた交通博物館と比べると、規模は大きくなってもなんとなく「すかすか」という感は否めません。だいたい、「鉄道」博物館とうたいながら、実態は「旧国鉄&JR東日本博物館」。私鉄やその他の鉄道には一切関知していないというのもおかしい。ま、鉄道博物館は、JR東日本創立20周年記念事業としてつくられ、運営は傘下の東日本鉄道文化財団が担っているので、展示にも「JR東日本色」が濃くなるのは当然ですが。
「すかすか」感は、館内至るところで感じられます。たとえば、2階に長々と披露されている鉄道史の年表と、節目節目の記念品の展示。時代ごとに区切るわけでもなく、大きなイベントを強調するでもなく、ただ「だらだら」と見せる。年表は、読みにくくてほとんど誰も読んでいない。ついでに言えば、その年表が展示品の収められているガラスケースの上部にかぶっているため、ちょっと背の高い人は少しかがみ込まないと展示品をちゃんと見られないというていたらく。「博物館」にしてはあまりにもお粗末でしょう。
2007年12月8日付朝日新聞に、明治学院大学教授・原武史氏が鉄道博物館について書いていています。タイトルは、『鉄道博物館「マニア向け」再考を─時代背景や歴史学べる展示必要』。要するに、鉄道博物館には、マニア向けの説明はあっても、それらの車両が「どんな時代」を走っていたのかが見えてこないというわけです。実際には、「マニア」以外の親子連れやカップルが客のほとんどを占めるというのに、です。行ってみると、そのことがなるほどと首肯できます。私が妙に気になったのは、展示されている車両に取り付けられた「ここを見よ」という手製の矢印プレート。「ここ」とは、「コロ受軸」だったり「天井型ユニットクーラー」だったりするわけですが、それらはとうてい「マニア」にしか理解できない言葉です。だいたいにして「ここを見よ」なんて、英語の直訳でもあるまいし、客を馬鹿にしています。わかる人だけ見なさいでは、いったい何のための展示なのか。
それと、原氏も指摘しているのですが、何種類もの「御料車」が展示されていながら、一つとして内部に入れる車両がないというのも、どうなのでしょうか。ガラス越しに内部をのぞき込めるだけ。「鉄道記念物」だからというのは承知の上ですが、レプリカで一部を再現することだってできるはずです。結局、あれだけの歴史的車両を「見せ」ながら、ほとんどの人はそれらを「見ていない」。
鉄道が走る、というのは単なる移動や輸送の手段だけでなく、様々な意味を持ちます。ただ線路を敷いて列車を走らせるのが「鉄道」ではない。駅ができればそこに人やモノも集まるし、トンネルや鉄橋づくりには常に技術革新が必要です。そのあたりの「時代背景」が、この博物館には確かにすっぽり抜け落ちています。私自身は、「青函トンネル」など、新幹線開業と並ぶ歴史的大事業だったと思うのですが、それについて詳しく説明するコーナーはありません。あ、青函トンネルはJR北海道の管轄か…。
「交通博物館」の見せ所の一つに、鉄道模型のジオラマがありました。学芸員の方が解説をしながら、自分で選んだ電車を操作してくれて、けっこう見応えがありました。もちろん、誰でも見ることができました。しかし、鉄道博物館のジオラマは、入場整理券をもらうために何十分も並ばなければならない。さらに、いいポジションで見たいと思えば、もう一度時間に合わせて並ぶ必要があります。見たいとは思いましたが、あの行列を見て断念しました。
行列といえば、エントランスゾーンには日本食堂のレストランがあって、そこにも長蛇の列。その傍らにもう一つの行列があって、こちらは駅弁を買うための列です。長いこと待ってようやく買った弁当を、客はなんと展示されている特急電車(一部)の中で食べることができるのです! …車内に一歩足を踏み入れると、あの独特の「弁当のにおい」が充満し、床には子どもたちが散らかした紙くず、こぼしたお茶。あれは「車両展示」と言えるのか。駅弁は確かに列車の座席で食べるものですが、「鉄道博物館」に求められているのはそういうことではないでしょう。どうしても列車の座席で食べさせたいなら、博物館とは別に、専用の車両レストランを作って、そっちで供すればいい。何も展示車両の中で食べさせることはない。
博物館に必要な重要な要素として、「子ども向け」というのもあります。ホンモノの電車の車両を間近で見ることができること、ミニ電車の運転体験ができる(もちろん整理券が必要)こと、電車の仕組みを体験できるコーナーがあることなど、そういう意味では充実しているのかもしれません。ただ、子どもたちを連れてきている、「マニア」ではない大人たちが楽しめるかどうか。多くの親は、「1回連れていったからもういいや」と思うのではないでしょうか。展示されている車両が入れ替わることもないし、ジオラマのプログラムだって、「交通博物館」のように担当する学芸員によって走る電車が変わるということもない(おそらく)。
「マニア」と「子ども」向け。それだけでは立ちゆかないのでは…と思った鉄道博物館でした。
大宮駅からニューシャトルという小さな電車で3分。駅を降りると目の前に入場口があって、建物自体が巨大な電車のような博物館が横たわっています。もちろん、suikaでも入場券を買うことができる。首都圏の人以外はsuikaなんて知らない人も多いだろうな…と思いつつ、1,000円の入場券を買って入場。まずは1階の「ヒストリーゾーン」から。しかし、なんでわざわざ英語を使うのか。「ゾーン」は譲るとしても、「歴史ゾーン」でいいじゃん!と思う。「ラーニングゾーン」ってのもある。「学習ゾーン」とか「学びの広場」でいいじゃん!と思う。
それはともかく、広大な「ヒストリーゾーン」には、鉄道の歴史をつくってきた主役たち、36両の車両が展示されています。中央の車両を回転させるところにC57型蒸気機関車を中心に、弁慶号など鉄道の黎明期の歴史的車両、貨物列車、懐かしい特急電車の数々、御料車、そして新幹線、一通り見て歩くとけっこう時間がかかります。
新幹線のコーナーには、今はなき初代0系、それから私たちには思い出の東北・上越新幹線に使われていた100系が展示されていました。ただし0系は本当に先頭部分だけ。かたわらには、新幹線誕生当時の映像や品々を見せてくれる一画も設けられているというのに、肝心の車両があれじゃ、ちょっともったいないと思いました。しかも、先頭の白い「鼻」の部分をよく見ると、うっすらと「交通博物館」の文字が消してあるのが見てとれます。あ、これはかつて神田・万世橋にあった交通博物館の入り口に展示されたやつだ、と気づく。あの交通博物館は、規模こそ鉄道博物館に遠く及びませんが、建物自体がレトロでもあったし、なんか味があったよなあとつい思い出してしまいました。
鉄道に限らず車、船舶、航空機など広く「交通」に関わる展示をしていた交通博物館と比べると、規模は大きくなってもなんとなく「すかすか」という感は否めません。だいたい、「鉄道」博物館とうたいながら、実態は「旧国鉄&JR東日本博物館」。私鉄やその他の鉄道には一切関知していないというのもおかしい。ま、鉄道博物館は、JR東日本創立20周年記念事業としてつくられ、運営は傘下の東日本鉄道文化財団が担っているので、展示にも「JR東日本色」が濃くなるのは当然ですが。
「すかすか」感は、館内至るところで感じられます。たとえば、2階に長々と披露されている鉄道史の年表と、節目節目の記念品の展示。時代ごとに区切るわけでもなく、大きなイベントを強調するでもなく、ただ「だらだら」と見せる。年表は、読みにくくてほとんど誰も読んでいない。ついでに言えば、その年表が展示品の収められているガラスケースの上部にかぶっているため、ちょっと背の高い人は少しかがみ込まないと展示品をちゃんと見られないというていたらく。「博物館」にしてはあまりにもお粗末でしょう。
2007年12月8日付朝日新聞に、明治学院大学教授・原武史氏が鉄道博物館について書いていています。タイトルは、『鉄道博物館「マニア向け」再考を─時代背景や歴史学べる展示必要』。要するに、鉄道博物館には、マニア向けの説明はあっても、それらの車両が「どんな時代」を走っていたのかが見えてこないというわけです。実際には、「マニア」以外の親子連れやカップルが客のほとんどを占めるというのに、です。行ってみると、そのことがなるほどと首肯できます。私が妙に気になったのは、展示されている車両に取り付けられた「ここを見よ」という手製の矢印プレート。「ここ」とは、「コロ受軸」だったり「天井型ユニットクーラー」だったりするわけですが、それらはとうてい「マニア」にしか理解できない言葉です。だいたいにして「ここを見よ」なんて、英語の直訳でもあるまいし、客を馬鹿にしています。わかる人だけ見なさいでは、いったい何のための展示なのか。
それと、原氏も指摘しているのですが、何種類もの「御料車」が展示されていながら、一つとして内部に入れる車両がないというのも、どうなのでしょうか。ガラス越しに内部をのぞき込めるだけ。「鉄道記念物」だからというのは承知の上ですが、レプリカで一部を再現することだってできるはずです。結局、あれだけの歴史的車両を「見せ」ながら、ほとんどの人はそれらを「見ていない」。
鉄道が走る、というのは単なる移動や輸送の手段だけでなく、様々な意味を持ちます。ただ線路を敷いて列車を走らせるのが「鉄道」ではない。駅ができればそこに人やモノも集まるし、トンネルや鉄橋づくりには常に技術革新が必要です。そのあたりの「時代背景」が、この博物館には確かにすっぽり抜け落ちています。私自身は、「青函トンネル」など、新幹線開業と並ぶ歴史的大事業だったと思うのですが、それについて詳しく説明するコーナーはありません。あ、青函トンネルはJR北海道の管轄か…。
「交通博物館」の見せ所の一つに、鉄道模型のジオラマがありました。学芸員の方が解説をしながら、自分で選んだ電車を操作してくれて、けっこう見応えがありました。もちろん、誰でも見ることができました。しかし、鉄道博物館のジオラマは、入場整理券をもらうために何十分も並ばなければならない。さらに、いいポジションで見たいと思えば、もう一度時間に合わせて並ぶ必要があります。見たいとは思いましたが、あの行列を見て断念しました。
行列といえば、エントランスゾーンには日本食堂のレストランがあって、そこにも長蛇の列。その傍らにもう一つの行列があって、こちらは駅弁を買うための列です。長いこと待ってようやく買った弁当を、客はなんと展示されている特急電車(一部)の中で食べることができるのです! …車内に一歩足を踏み入れると、あの独特の「弁当のにおい」が充満し、床には子どもたちが散らかした紙くず、こぼしたお茶。あれは「車両展示」と言えるのか。駅弁は確かに列車の座席で食べるものですが、「鉄道博物館」に求められているのはそういうことではないでしょう。どうしても列車の座席で食べさせたいなら、博物館とは別に、専用の車両レストランを作って、そっちで供すればいい。何も展示車両の中で食べさせることはない。
博物館に必要な重要な要素として、「子ども向け」というのもあります。ホンモノの電車の車両を間近で見ることができること、ミニ電車の運転体験ができる(もちろん整理券が必要)こと、電車の仕組みを体験できるコーナーがあることなど、そういう意味では充実しているのかもしれません。ただ、子どもたちを連れてきている、「マニア」ではない大人たちが楽しめるかどうか。多くの親は、「1回連れていったからもういいや」と思うのではないでしょうか。展示されている車両が入れ替わることもないし、ジオラマのプログラムだって、「交通博物館」のように担当する学芸員によって走る電車が変わるということもない(おそらく)。
「マニア」と「子ども」向け。それだけでは立ちゆかないのでは…と思った鉄道博物館でした。
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