7月3日に90歳で亡くなった民族学者の梅棹忠夫さん。大学時代、民族学や比較文明学に惹かれていた私にとって、憧れの人でした。
民族学者として世界各地でフィールドワークをこなし、それまでにないユニークな文明論を展開したこともさることながら、ベストセラーになった『知的生産の技術』(岩波新書)では大人の学びの方法について独自のアイディアを世に紹介し、あるいは、大阪万博の跡地に国立民族学博物館を建て、初代館長を務めたのも梅棹さん。彼の活動は、すべて私の興味を惹くことばかりだったような気がします。三内丸山遺跡を「縄文都市」と位置づけたのも、彼の「文明論」の延長上にあるものですが、その真偽はともかく、「四大文明なんてかびの生えた考え」と言い切る梅棹さんならではのメッセージですね。
私が『知的生産の技術』を初めて読んだのは、本に記されたメモによれば、1983年11月らしい。あちこちに鉛筆や赤線、青線が引っ張ってあります。読むたびに発見があったので、その都度線の色を変えていたのですね。
今読み返すと、冒頭部分に改めてショックを受けます。「学校はおしえすぎる」、つまり、先生が何でもかんでも教えすぎるから、学生は、教えてもらうことに慣れて、自ら学ぶことをしなくなるのだ、と書いてある。その一方で、「それとまったく矛盾するようだが」として、一方では学校は、ひどく「おしえおしみ」をするところでもある、と言う。つまり、知識とか学問の成果は教えるけれども、知識の獲得のしかた、学問の方法は、あまり教えてくれない。
学問の方法などというと、すぐに方法論がどうのこうのという話になりやすいが、ここで問題にしようというのは、そんな高尚な、むつかしい話とはちがうのだ。学問をこころざすものなら当然こころえておかねばならぬような、きわめて基礎的な、研究のやりかたのことなのである。研究者としてはごく日常的な問題だが、たとえば、現象を観察し記録するにはどうするのがいいか、あるいは、自分の発想を定着させ展開するにはどういう方法があるか、こういうことを、学校ではなかなかおしえてくれないのである。
少し前にはやった「東大生のノート」、これなんかも「学問の方法」の一つですね。テクニックだけで「成績」が上がるとは思いませんが、自分に合った勉強の仕方をできるだけ早く見つけることは、とても大事なことです。むろん、梅棹さんが言っているのは、学校の「成績」を上げるための方法だけを言っているのではなくて、生涯を通じて学習していく際に役に立つ学びの方法、つまり「知的生産の技術」なのです。
この秀逸なタイトルのいきさつも書いてあるのですが、梅棹さんは最初「勉強法」のような言葉を使うつもりでいたらしい。ところが、これはやはり一種の「技術」ではないかというヒントをくれた人がいた。なんと、その人は、日本発のノーベル賞をもらった物理学者、湯川秀樹だという。「勉強の技術」では少し物足りない、もっと創造的な知的活動の「技術」というわけで、「知的生産の技術」となったのだそうです。この本が出版されたのは、1969年のことです。でも、今、パソコンが当たり前のように使う時代になっても、この本に書かれている、情報の処理のコツ、知的生産方法の基本的なスタイルは、何ら色あせることはない。
当時、この本に影響されて、私も「京大型カード」を何十枚も買ったクチです。今も、本棚の奥からヒョイと出てきたりします。万年筆(万年筆で原稿を書く、という「技術」についてもこの本で触れられています)で書かれた内容は、読んだ本の感想だったり、意味不明の図形だったり、料理のレシピだったり、世界史のこぼれ話がメモしてあったり、およそその「情報」がのちのち役に立ったとは思えないものですが、当時の自分なりの思いを感じることがはできます。
当然、カードの整理法として、ファイリング・システムや、整理・保存方法に話は進んでいくのですが、このあたりは、まさにパソコンのファイルの整理法とそのまま通じる部分です。
ほかにも、手帳、読書、手紙、日記、原稿など、「読むこと」、「書くこと」に関わる様々な新しいアイディアが満載。この本を読んで、梅棹さん並みになれた人はごくわずかだと思いますが、私のように、及ばずながら、刺激を受けて真似してみた人はたくさんいることでしょう。
新聞の評伝を読むと、梅棹さんはとにかく知的好奇心が旺盛な人だったようです。そういう人は、未来を見る目も鋭い。この本の最後に、こんなことが書かれているのには改めて驚きます。
今日までのしつけや教育は、物質の時代にはうまく適合していたであろうが、あたらしい情報の時代には、不適当な点がすくなくないであろう。情報の生産、処理、伝達について、基礎的な訓練を、小学校・中学校のころから、みっちりとしこんでおくべきである。ノートやカードのつけかた、整理法の理論と実際、事務の処理方法など、基本的なことは、ちいさいときからおしえたほうが、いいのではないか。
さきに、文章の教育は、情報工学の観点からおこなうべきだろうといったが、ここにあげたさまざまな知的生産技術の教育は、おこなわれるとしたら、どういう科目でおこなわれるのであろうか。国語科の範囲ではあるまい。社会科でもなく、もちろん、家庭科でもない。わたしは、やがては「情報科」というような科目をつくって、総合的・集中的な教育をほどこすようになるのではないかとかんがえている。
現在行われている「情報」という教科の内容は、コンピュータを使った情報処理が中心で、「総合的・集中的な教育」とはちょっと異なりますが、梅棹さんの予見の方が正しいかもしれない。いずれにしても、その先見性には、頭が下がります。
『知的生産の技術』≫Amazon.co.jp
民族学者として世界各地でフィールドワークをこなし、それまでにないユニークな文明論を展開したこともさることながら、ベストセラーになった『知的生産の技術』(岩波新書)では大人の学びの方法について独自のアイディアを世に紹介し、あるいは、大阪万博の跡地に国立民族学博物館を建て、初代館長を務めたのも梅棹さん。彼の活動は、すべて私の興味を惹くことばかりだったような気がします。三内丸山遺跡を「縄文都市」と位置づけたのも、彼の「文明論」の延長上にあるものですが、その真偽はともかく、「四大文明なんてかびの生えた考え」と言い切る梅棹さんならではのメッセージですね。
私が『知的生産の技術』を初めて読んだのは、本に記されたメモによれば、1983年11月らしい。あちこちに鉛筆や赤線、青線が引っ張ってあります。読むたびに発見があったので、その都度線の色を変えていたのですね。
今読み返すと、冒頭部分に改めてショックを受けます。「学校はおしえすぎる」、つまり、先生が何でもかんでも教えすぎるから、学生は、教えてもらうことに慣れて、自ら学ぶことをしなくなるのだ、と書いてある。その一方で、「それとまったく矛盾するようだが」として、一方では学校は、ひどく「おしえおしみ」をするところでもある、と言う。つまり、知識とか学問の成果は教えるけれども、知識の獲得のしかた、学問の方法は、あまり教えてくれない。
学問の方法などというと、すぐに方法論がどうのこうのという話になりやすいが、ここで問題にしようというのは、そんな高尚な、むつかしい話とはちがうのだ。学問をこころざすものなら当然こころえておかねばならぬような、きわめて基礎的な、研究のやりかたのことなのである。研究者としてはごく日常的な問題だが、たとえば、現象を観察し記録するにはどうするのがいいか、あるいは、自分の発想を定着させ展開するにはどういう方法があるか、こういうことを、学校ではなかなかおしえてくれないのである。
少し前にはやった「東大生のノート」、これなんかも「学問の方法」の一つですね。テクニックだけで「成績」が上がるとは思いませんが、自分に合った勉強の仕方をできるだけ早く見つけることは、とても大事なことです。むろん、梅棹さんが言っているのは、学校の「成績」を上げるための方法だけを言っているのではなくて、生涯を通じて学習していく際に役に立つ学びの方法、つまり「知的生産の技術」なのです。
この秀逸なタイトルのいきさつも書いてあるのですが、梅棹さんは最初「勉強法」のような言葉を使うつもりでいたらしい。ところが、これはやはり一種の「技術」ではないかというヒントをくれた人がいた。なんと、その人は、日本発のノーベル賞をもらった物理学者、湯川秀樹だという。「勉強の技術」では少し物足りない、もっと創造的な知的活動の「技術」というわけで、「知的生産の技術」となったのだそうです。この本が出版されたのは、1969年のことです。でも、今、パソコンが当たり前のように使う時代になっても、この本に書かれている、情報の処理のコツ、知的生産方法の基本的なスタイルは、何ら色あせることはない。
当時、この本に影響されて、私も「京大型カード」を何十枚も買ったクチです。今も、本棚の奥からヒョイと出てきたりします。万年筆(万年筆で原稿を書く、という「技術」についてもこの本で触れられています)で書かれた内容は、読んだ本の感想だったり、意味不明の図形だったり、料理のレシピだったり、世界史のこぼれ話がメモしてあったり、およそその「情報」がのちのち役に立ったとは思えないものですが、当時の自分なりの思いを感じることがはできます。
当然、カードの整理法として、ファイリング・システムや、整理・保存方法に話は進んでいくのですが、このあたりは、まさにパソコンのファイルの整理法とそのまま通じる部分です。
ほかにも、手帳、読書、手紙、日記、原稿など、「読むこと」、「書くこと」に関わる様々な新しいアイディアが満載。この本を読んで、梅棹さん並みになれた人はごくわずかだと思いますが、私のように、及ばずながら、刺激を受けて真似してみた人はたくさんいることでしょう。
新聞の評伝を読むと、梅棹さんはとにかく知的好奇心が旺盛な人だったようです。そういう人は、未来を見る目も鋭い。この本の最後に、こんなことが書かれているのには改めて驚きます。
今日までのしつけや教育は、物質の時代にはうまく適合していたであろうが、あたらしい情報の時代には、不適当な点がすくなくないであろう。情報の生産、処理、伝達について、基礎的な訓練を、小学校・中学校のころから、みっちりとしこんでおくべきである。ノートやカードのつけかた、整理法の理論と実際、事務の処理方法など、基本的なことは、ちいさいときからおしえたほうが、いいのではないか。
さきに、文章の教育は、情報工学の観点からおこなうべきだろうといったが、ここにあげたさまざまな知的生産技術の教育は、おこなわれるとしたら、どういう科目でおこなわれるのであろうか。国語科の範囲ではあるまい。社会科でもなく、もちろん、家庭科でもない。わたしは、やがては「情報科」というような科目をつくって、総合的・集中的な教育をほどこすようになるのではないかとかんがえている。
現在行われている「情報」という教科の内容は、コンピュータを使った情報処理が中心で、「総合的・集中的な教育」とはちょっと異なりますが、梅棹さんの予見の方が正しいかもしれない。いずれにしても、その先見性には、頭が下がります。
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私も梅棹さんの先見性に心震えた一人です。私の記事でも情報科創設の主張部分を引用しました。印象的な主張ですよね。
また拝見させていただきます。
TB&コメントありがとうございました。
パソコンでの「情報活用」には、確かに私もまだまだ程遠いです。
いろいろな本を読まれていることに感心いたしました。参考にさせていただきます。