鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

2006年を振り返って

2006年12月31日 | Weblog
2006年も終わる。
今年を振り返ってみたい。

アウトゥオリ監督就任。
守備を期待していたのだが、結局は攻撃のチームとなった。
ハマった試合では面白いサッカーを魅せてくれたが、つまらぬミスでカウンターを受ける試合が多数あり、守備が崩壊した印象がある。
ただし、確実にカードは減った。
この点を改めて評価したい。

柳沢敦復帰。
伊太利亜漫遊を終え、いきなりハットトリックの活躍。
が、怪我とワールドカップで不調のままシーズンを終えたのは残念であった。
ナビスコ杯決勝へ導くアウェイゴールや天皇杯準々決勝での勝ち越しゴールなど重要なゴールは記憶に残った。

内田篤人右SB定着。
高卒ルーキーとしては初の開幕スタメン。
ここ数年のアキレス腱であった右SBに定着し、17歳でゴール。
左サイドの新井場も息を吹きかえす副作用あり。
両サイドの矢は攻撃サッカーの代名詞となった。

小笠原満男伊太利亜移籍。
セリエA不正でユヴェントスが降格をし、その恩恵を受けたメッシーナがセリエA残留したため、マーケティングから小笠原は移籍した。
捨て試合で起用されるも、チームとの連携不足は明らか。
初ゴールは想い出として放出間近であろう。

ファビオ・サントスとダ・シルバ。
アウトゥオリ監督の要請でレンタル獲得した二人であったが、日本サッカーに馴染むことなく若きブラジル人は帰国した。
お互いに不幸な結果となったことは事実であろう。

リーグ戦6位。
何度か訪れた上位に食い込む試合でことごとく敗れた。
10月に至っては1度も勝つことなく終了。
メンタル面がコメントされたが、夏の補強失敗と考えた方がわかりやすい。
残念であった。

ナビスコ杯準優勝。
3年ぶりのファイナリストとなるも、フェルナンドの出場停止と内田篤人の不在で根負け。

天皇杯ベスト4。
リーグ戦の好調を維持し勢いがあったが、チャンスに決めきれずミスから失点する今季らしい敗戦。

本田主将、名良橋晃、アレックス・ミネイロ、フェルナンド契約更新せず。
世代交代が推し進められた。

2006年は、前掛かりに攻めたところをつまらぬミスからカウンターというシーンを何度も見せられることとなった。
チャンスを確実に決める。
これが来季への課題であろう。
ベテランを放出し若返ったチームは期待が持てる。
今季は残念だったとしても、未来への伏線と捉えたい。

良いお年を。

本田の魂よ永遠に

2006年12月31日 | Weblog
本田「6」期間限定欠番になる?
 現役を引退する鹿島MF本田の背番号6が期間限定で欠番となる可能性が出てきた。クラブ幹部が「誰かには着けてもらいたいけど、ふさわしい選手がいなければ、しばらく空けておく可能性もある」と示唆した。それに対しチームを15年間支えたミスターアントラーズは「そうなればうれしいね。とても光栄なことだよ」と満面の笑みを浮かべた。またチームはこの日で解散。本田は「ここまでできたのはみんなのおかげ」と最後のあいさつを行った。
[ 2006年12月31日付 紙面記事 ]

引退・本田、涙で別れ
 今季限りで引退する鹿島の元日本代表MF本田が30日、涙で別れを告げた。鹿嶋市内で行われた年内最後のミーティングで「15年間やってきた。正直まだ未練はある。でもここで終わるのがベスト」と目を潤ませ、「タイトルが取れるチームに成長した」と来季の国内10冠達成に太鼓判を押した。今後は未定だが、最後の試合、天皇杯準決勝の浦和戦で履いたスパイクがカシマミュージアムに展示されることが決まった。
(2006年12月31日06時06分 スポーツ報知)

本田主将と共にあった我等も精神的依存から卒業する日が来た。
魂の六番。
誰が引き継ぐのか。
楽しみである。

浦和戦報道・コメント

2006年12月30日 | Weblog
本田出番なし、現役に別れ/天皇杯

試合に敗れ引退するMF本田(左)はDF岩政と抱き合う(撮影・鹿野芳博)
 鹿島の主将本田の現役最後の仕事は、10冠の夢破れた仲間を出迎えることだった。涙も見せず「お疲れ」といつも通りにねぎらう。背中で執念のゴールを決めたDF岩政には「すみません」と謝られた。
 交代枠は最後まで1つ残っていたが、1点を追いかける展開に守備的MFに出番は回ってこなかった。だが「元日にみんなと優勝を分かち合えればベストだったけど厳しい世界だから」と納得。「何らかの形で残るにしても、別の仕事をするにしても、鹿島愛は変わらない」と語った。
 05年世界クラブ選手権を制したアウトゥオリ監督も、日本ではタイトルと無縁に終わった。

[2006年12月30日8時25分 紙面から]

鹿島今年も無冠…本田ベンチで終戦

<浦和・鹿島>号泣する岩政をなぐさめる本田
 【鹿島1―2浦和】今季限りで現役引退を表明した主将・本田泰人(37)に勝利をプレゼントすることはできなかった。鹿島DFリーダー岩政が「本田さんを正月の舞台に立たせたい」と話すなど、チームを15年間支えた“ミスターアントラーズ”のため一丸となって戦ったが、4シーズン連続の無冠が決まり10冠目のタイトルは幻に終わった。

 前半40分に先制されながらも後半24分に岩政がセットプレーから背中で押し込んで執念の同点ゴールを奪った。しかし、ポンテに決勝点を決められ万事休す。ベンチ入りした本田は最後までウオーミングアップを続けて出番を待ったが、声が掛かることはなかった。

 サポーターから万雷のコールを浴びた本田は「涙が出そうになった。終わったなという感じ。再び常勝軍団と呼ばれる強いチームをつくってほしい」と言い残し会場を去った。また、来季からクルゼイロで指揮するアウトゥオリ監督も「何とかタイトルを獲らせてあげたかった」と無念の表情を浮かべた。
[ 2006年12月30日付 紙面記事 ]


【第86回天皇杯準決勝 浦和 vs 鹿島】試合終了後のパウロ アウトゥオリ監督(鹿島)コメント [ J's GOAL ]
●パウロ アウトゥオリ監督(鹿島)
「今日の試合では、我々がシーズン中に抱えていた課題と、いい部分が出た。
立ち上がりは良くて、チャンスがありながらも決められない。自分たちがボールを保持している状況でミスをしてしまい、流れを失ってしまった。
また攻撃の効率性ということでも、レッズのポンテが決めたのに対し、ウチは決められなかった。シーズン中の問題がそのまま出てしまった。ミスを少なくしたチームが勝ったのだと思う」


【第86回天皇杯準決勝 浦和 vs 鹿島】試合終了後の各選手コメント [ J's GOAL ]
●本田泰人選手(鹿島)※この試合の出場はなし、今季で引退
「これで終わったという感じ。本音は元日に行って終わりたかったが、チームメイトには感謝している。来年につながる試合だったと思う」
Q:他の選手に何か声はかけたか?
「特に声をかけるといったことはなかった。いつもどおり自分の役割をやることだけを考えていた。
サポーターには感謝の気持ちでいっぱいです。負けから学ぶこともある。今後もアントラーズには常勝と言われる強いチームでいてもらいたい」
●岩政大樹選手(鹿島)
「決定力の差だと思う。シュート2本で2点取られた感じだから。崩された場面はほとんどなかったと思う。ボールもウチがキープしていたし。勝ちが得点だけで決まってしまうのは残念です」
Q:同点弾の場面は?
「とにかく飛び込もうと思ってた。セットプレーは相手の守りがルーズだったし、チャンスがあると思っていた」
●柳沢敦選手(鹿島)
「個人の能力の差というよりも、浦和はチームとしての戦い方が優れていると思う。今年はイタリアから戻ってきて、チームに慣れるのにも時間がかかってしまい、思ったような活躍はできなかった。来年はもっとチームのために仕事ができればと思う」


サッカー天皇杯:浦和、1点差で鹿島振り切る 準決勝
 浦和は後半37分、小野のヒールパスを受けたポンテが右足で決勝点を挙げた。前半40分、小野が外側から巻き込むようなシュートをゴール右隅に決め先制。鹿島も後半24分に左FKから岩政が体ごと押し込んで一度は追いついたが、最後は決定力の差が出た。

 ▽
鹿島・アウトゥオリ監督 チームがここ4年タイトルを取れないのには、原因がある。新しい外国人選手や監督を連れてきても、改善は出来ない。私はこれで退任するが、もっと皆さんが驚くような改革をしたかった

驚くような改革を日本人選手だけで行う。
これほど期待させておきながら、叶わぬ夢を最後に語られても、虚しいだけである。
タイトルと同様、結果が全てであろう。
出来なかったこと・やらずに去ることが事実であり、鹿島アントラーズは存続する。
変わらないこと変わることもこの先あろう。
それもまた事実である。

天皇杯準決勝 浦和レッドダイアモンヅ戦

2006年12月29日 | Weblog
シーズン終了。
結果はただの運不運。
さらばアウトゥオリ監督、ダ・シルバ。
過去となった試合、過去となった助っ人、過去となった名将。
今季の2006年の象徴となるような試合で締めたことが印象深かった。
そして最後に、お疲れ様、本田主将。

深井、甲府・新潟と交渉へ

2006年12月28日 | Weblog
深井年明けにも甲府、新潟と交渉
 鹿島FW深井正樹(26)が、オファーが来ている甲府、新潟と年明けにも交渉することが27日、明らかになった。15日の第1回契約更改交渉で「FWで、先発で1シーズン通してやってみたい」と他のJ1クラブへの移籍を直訴。この日の2回目の契約更改交渉の席上、チームから「納得した上で(鹿島に)残ってもらいたい」と他クラブとの交渉を許可された。甲府、新潟と話し合った上で、再び残留を要請している鹿島と第3回の交渉を行う予定だ。
(2006年12月28日06時04分  スポーツ報知)

外部の評価を聞くことも自分を知る上で肥やしになろう。
プロである以上、交渉をすることも悪い話ではない。
むしろ、外部から話があるということも選手として重要である。
甲斐の国へ向かうか、越後の冬を体験するか、どちらへ向かうも降格争いは熾烈である。
我等は頂点を目指す戦い、次元が異なる。
選択をするのは、本人に意思で問題はない。
ただし、別の戦力を得る黄金は置いていって貰う。
それだけを守ればよい。
無駄に囲い込む必要はないのだ。

新旧2TOP

2006年12月28日 | Weblog
鹿島天皇杯準決勝へ柳沢&田代初2トップ

風力発電の風車をバックに後藤(左)と競り合う柳沢(撮影・野上伸悟)
 鹿島がFW柳沢・田代の2トップで悲願の10冠へ王手をかける。前日26日の紅白戦から組ませているコンビの手応えを感じたのか、27日の練習後にアウトゥオリ監督は断言した。柳沢と田代の先発? 決定です」。今季、戦前に先発メンバーに言及することはほとんどなかった指揮官の異例の発言。明日29日の準決勝浦和戦の2トップ編成に迷いはなかった。
 日本代表のエースFWを張った柳沢と、リーグ戦で7得点を挙げてブレークした田代が先発でコンビを組むのは初めてだ。11月のナビスコ杯決勝以降、故障などで先発落ちしていた柳沢が23日の清水戦で決勝弾を決めたことから、同監督が決断した。
 互いの長所が融合する。動きだしに妙のある柳沢が、空中戦に強く、今季公式戦31試合11得点で得点率0・62点と代表FW我那覇(川崎F)の0・6点をしのぐ田代の得点力を高める。柳沢は「(田代は)驚異的なヘッドという武器がある。使わない手はない」とサポート役を買って出た。田代も「ヤナギさんは前でスペースをつくってくれる」と連係に自信を深める。
 本田主将の引退で来季はフィールドプレーヤーでチーム最古参となる柳沢。「いいサッカーするのと勝ち負けは別。勝ちにこだわりたい」と10冠への思いを募らせた。【広重竜太郎】
[2006年12月28日8時19分 紙面から]

 昨日の噂にあったように、新旧エース2TOP濃厚のようである。
誰とでも合うと評判も高く、実際にマジーニョ、長谷川、平瀬、隆行、エウレルと全てのFWと連携を深めてきた柳沢敦、日本代表に於いてもカズ、城、呂比須、ゴン、奥、久保、高原、小島、森島とコンビネーションを見せてきた万能型FWが、高さと強さを前面に出す田代有三と組む。
このニュースは遅れてきたクリスマスプレゼントである。
確かに伊太利亜での漫遊と怪我の影響は大きく、結果を残せずにリーグ戦は終えた。
これは残念であり、我等の期待が大きかっただけに、不満をぶつけたくなる輩も多かろう。
それ以上にプレイしている選手の方が何倍も思いは大きいのである。
悔しいのは本人である。
それは怪我で今季も昨季も不本意に終わった田代とて同じ。
この二人の勝ちたい・結果を残したい気持ちの大きさで明日の勝敗は決するであろう。
トーナメントは全てが決勝戦である。
負けたら終わりなのだ。
後世に平成の長篠と呼ぶ日が来よう。
時代を変えるのだ。


まだ2試合ある

2006年12月28日 | Weblog
鹿島MF本田、完全燃焼で花道飾る
 今季限りで現役を引退する鹿島MF本田主将が、故障を恐れることなく、10冠をかけた天皇杯のベンチ入りへ執念を燃やした。
 左太もも裏痛で23日の準々決勝清水戦(熊本)は遠征メンバーから外れた。テレビ観戦し「魂は熊本に置いた」と祈りをささげた一戦で、チームは劇的な逆転勝利を収めた。29日の準決勝浦和戦へと駒を進め、回復したことから27日の練習から合流した。
 まだ張りも残っているが「ここまできたら多少(筋肉が)伸びようが、切れようがやります」と闘志を見せた。

[2006年12月27日20時1分]

魂が燃え尽きるまで。
その魂を引き継ぐ者が誰なのか。
それも見定める日が近づいてきた。
まずは明日、12月29日。
奇しくも12月のカレンダーは鈴木隆行。
遠くを見つめる目に国立競技場が見える。
明日も元旦も心はこの地にある。
本田主将だけでなく鈴木隆行も見守っているのである。

再来季へのターゲット

2006年12月27日 | Weblog
北海道得点王はU-17の2年生エース

室蘭大谷対登別大谷 1|0の後半29分、室蘭大谷FW宮沢(中央)がオーバーヘッドを決め、2得点目
室蘭大谷のFW宮沢裕樹(2年)がチームを8年ぶりの選手権1勝に導く。今年7月にU-17(17歳以下)日本代表の強化合宿に選出され、選手権北海道予選では3試合5得点で得点王に輝いた。ボールをキープできる技術に加え、シュート力にも定評がある。昨年ベスト4の高川学園(山口)との初戦(07年1月2日)が、選手権でのデビュー戦。複数のJクラブから興味を示されているだけに、将来につなげる舞台とする。
 北海道予選決勝の登別大谷戦は衝撃的だった。チームを4年ぶり優勝に導いたのが、2年生ながらエースの宮沢だった。先制点を奪い、さらに圧巻は2点目。サッカー人生初のオーバーヘッドで、試合を決定づけた。「(2点目は)興奮していて覚えていない。最高ですね」。右足首痛のため、準決勝は欠場。決勝は痛み止めの注射を打って強行出場していた。その体で3試合5得点。得点王に輝いた資質は、北海道では抜けている。
 一気に注目の的となった。J1鹿島、地元のJ2札幌ら複数のJチームから興味を示されている。決勝戦を視察した鹿島の椎本邦一スカウト担当部長は「代表(U-17)のときも試合を見たが技術がある。点を取る感覚もある。いいものをもっている」とべた褒めだ。6月の高校総体道予選決勝ではチームの全2得点を決め、逆転勝利を呼び込んだ。GK山田賢二主将(3年)は「裕樹を起点にし、ボールを集めていければ」と仲間の信頼も厚い。

>練習試合で高いキープ力を見せる室蘭大谷FW宮沢(左)
初めて日の丸を背負ったことで、さらなる飛躍を目指すようになった。今年7月、U-17(17歳以下)日本代表の強化合宿に招集され、国際ユースIN新潟に参加。当初は選出に戸惑い、参加するか悩んだときもあったが「成長すれば、チームのためにもなる」と吹っ切った。同大会では2試合連続ゴールを挙げた。「みんな、動きが早いし、ドリブルも鋭い。うまかった。また、代表に呼ばれるようになりたい」と刺激を受けた。着実に進化している。
 夢は日本代表だ。将来のW杯を目指し、大きな夢を抱いている。「サッカーをやっているからには上でプレーしたい気持ちはある。いつかは代表に入りたい」。小学2年生からサッカーを始め、A代表の青いユニホームにあこがれている。だからこそ、プロの舞台を狙う。全国的にはまだ無名なだけに、選手権での活躍で、存在を全国に売り込むつもりだ。【長島一浩】
宮沢裕樹 (みやざわ・ひろき) 1989年(平成元年)6月28日、室蘭市生まれ。室蘭大沢小2年でサッカーを始め、中学時代は室蘭大沢FCに所属。中学卒業まではMFも、高校からFWとなり、1年からレギュラー。好きな選手は横浜FW久保竜彦。好きな教科は現代文。家族は母と兄。181センチ、66キロ。血液型はB型。

大物に狙いを付けている。
ダイナミックなプレイが持ち味で、怪我を押して出場した北海道予選で5得点を記録している。
10番を背負っている逸材。
初戦は1/2 12:10 vs.高川学園である。
池内の後輩ということもあり、得点力は折り紙付きであろう。
久保のファンだとしてもビスマルクに足を踏まれることもあるまい。
未来のことではあるが、期待を隠さずにはいられない。
セワシくんの住むピカピカの未来に。

小笠原と敦と田代と

2006年12月27日 | Weblog
メッシーナ小笠原 旧チームメイトを激励
06.12.27
 FW柳沢が29日の天皇杯準決勝浦和戦で公式戦9試合ぶりに先発することが確実になった。26日の紅白戦では主力組に入りFW田代との2トップで、11月3日のナビスコ杯決勝千葉戦以来56日ぶりの先発へ向けて猛アピール。23日の準々決勝清水戦で決勝ゴールを決めた柳沢は「レッズの2冠だけは絶対に阻止したい」。また、メッシーナのMF小笠原がクラブハウスを訪れ、かつてのチームメイトを激励した。

お正月を日本で過ごすバカンス気分の小笠原満男に激励され奮起する。
移籍後一度も勝利していない敗者からイヤなものを伝染させられぬよう気を付けたいところである。
そして、新旧エースが2TOPを組む事となりそうである。
かつて鹿島史上最高2TOPと謳われた敦+隆行を超える機会が、遂にやってきた。
得点力のある隆行と評判高い田代有三と柳沢敦が先発で組むのはこの試合が始めてである。
否が応でも期待が高まる。
実際、清水戦では短い時間で結果が出ている。
(彼等二人で崩したわけではないが)
ここは長い時間を共に戦うということで、コンビネーションを見せて欲しい。
2TOPによる得点が欲しいのだ。
最近のJは、強烈な助っ人外人の能力に任せるか、DFのミスにつけ込むゴールが目立つばかりで、2TOPである必然が乏しい。
ここはサッカー本来の姿を見せつける必要があるのだ。
阿吽の呼吸、ベジとキジの南斗双斬拳を。

立てよ!

2006年12月26日 | Weblog

フリークスに川崎フロンターレ戦の画像が記載された。
今までスカパー!放送のキャプチャー画像だけだったので取りようによっては「ノーファールじゃん」と思う輩がいたかも知れない。
明らかに足を抱え込んだGK(画像ではわかりにくいがPA外であった)。
このプレイにレッドカードを出さない審判が正しいと言えるのだろうか。
ファールすら取らず、流しておいて「正義」は貫けるのか?
多くの人々に問いたい。
 我々は勝ち点3を失った。
これは敗北を意味するのか?
否!
始まりなのだ!
岡田正義に比べ我がアントラーズの国力は30分の1以下である。
にも関わらず今日まで戦い抜いてこられたのは何故か!
諸君!
我が鹿島アントラーズの目的が正しいからだ!
一握りのエリートが11億円超にまで膨れ上がったJリーグを支配して10余年、鹿島に住む我々が自由を要求して、何度Jリーグに踏みにじられたかを思い起こすがいい。
鹿島アントラーズの掲げる、人類一人一人の自由のための戦いを、神が見捨てる訳は無い。
私の弟、諸君らが愛してくれた田代有三は倒された、何故だ!
戦いはやや落着いた。諸君らはこの戦争を対岸の火と見過ごしているのではないのか?しかし、それは重大な過ちである。Jリーグは聖なる唯一の地球を汚して生き残ろうとしている。我々はその愚かしさをJリーグのエリート共に教えねばならんのだ。
田代有三は、諸君らの甘い考えを目覚めさせるために、退場した!
戦いはこれからである。
我々の軍備はますます復興しつつある。Jリーグとてこのままではあるまい。
諸君の父も兄も、Jリーグの無思慮な抵抗の前に死んでいったのだ。
この悲しみも怒りも忘れてはならない!
それを田代は退場を以って我々に示してくれたのだ!
我々は今、この怒りを結集し、Jリーグに叩きつけて初めて真の勝利を得ることが出来る。
この勝利こそ、被害者全てへの最大の慰めとなる。
国民よ立て!
悲しみを怒りに変えて、立てよ国民!
アントラーズは諸君等の力を欲しているのだ。
ジーク・鹿島!!

秋田J2へ

2006年12月26日 | Weblog
秋田京都移籍、J1復帰へ引っ張る
 名古屋から戦力外通告を受けた元日本代表DF秋田豊(36)が来季からJ2に降格する京都に移籍することが25日、分かった。1年契約で推定年俸は2500万円。近日中に正式契約を結び、発表される見通しだ。

 秋田は日本代表として98年W杯フランス大会、02年W杯日韓大会に出場。鹿島と名古屋でJ1史上最多の391試合出場を誇るが、今季は主に控えでリーグ戦12試合2得点に終わった。名古屋から戦力外通告を受けた際には「カズさんや中山さんも現役でやっている。若手の見本になるような生きざまを見せたい」と語っていた。

 今季J1最下位に沈んだ京都は、来季1年でのJ1復帰が至上命令。主力に若手が多いだけに、長丁場のJ2では経験豊富な秋田がリーダー的な役割を担うことになる。

[ 2006年12月26日付 紙面記事 ]

05シーズンに外人FW3人を並べ、圧倒的攻撃力でJ1昇格を果たした京都パープルサンガ。
このクラブがこの名称でJ1を戦ったのは今季で最後となった。
3クラブの中で最も早く降格を決め、来季へ向けた方策を練っていたのであろう。
秋田豊に守備とチームの柱を託すのは悪くない選択肢である。
しかし、1998年には我等が黒崎比差支を始めとした元日本代表をずらりと並べ、圧倒的戦力を持ちながら低迷したチームである。
そう、基本的に場当たりなクラブなのである。
その体質が改善するには、数十年の歳月が必要とされるであろう。
つまり、炭疽菌なのである。
一度出来上がってしまったものをおいそれと無くすことも外部から手を加えることも出来ぬ。
なまじ資本が投入されているだけに手に負えない。
京都の地で隠居生活を送らすことは出来ないのであろう。
秋の紅葉を眺めて。

曽ケ端負傷

2006年12月26日 | Weblog
鹿島GK曽ケ端、練習回避も次戦OK
 鹿島の守護神、GK曽ケ端が25日の全体練習を右足首痛で回避した。23日の天皇杯準々決勝清水戦で後半途中にキックを試みた際に痛めていた。だが重傷ではなく、29日の準決勝浦和戦には出場できる見込み。香取チームドクターは「ちょっとハレはあるけど、本人もやるというでしょうし」と程度が軽いことを説明した。
[2006年12月25日21時26分]

復調した曽ケ端の負傷は痛い。
が、29日は準ホームの国立であり、本人のプレイする意識の高さから心配に至らぬと判断したい。
前面に出ていないが、彼は今季のゲームキャプテンであり選手会長である。
チームをまとめ、勝利に導く義務があるのだ。
言うならば十番隊組長であろう。
何故に「隊」で組長なのか?
それは「組」なのに局長だからである。
殿軍として名を馳せた十番隊。
それを指揮した原田佐之助とキャラが被っているのは思い入れ過ぎであろうか。
最後尾から怒号を挙げる曽ケ端準と。

野沢拓也11月度 J'sGOAL月間MIP

2006年12月25日 | Weblog
11月度 J'sGOAL月間MIP (12月3日最終節を含む:12月15日発表)

11月3日のヤマザキナビスコカップ決勝で敗れた悔しさをバネに、鹿島アントラーズの新エース・野沢拓也はJ1終盤戦で1人、気を吐いた。11月から12月にかけての5試合にフル出場し5得点。最終節のジュビロ磐田戦では自身初のハットトリックを達成するなど、チームに大きな勢いと活力を与えた。その活躍ぶりはJ's GOAL月間MIPに相応しい。
パウロアウトゥオリ監督から「小笠原満男(現メッシーナ)の後継者」に指名された野沢。彼は小笠原同様、攻撃的MFからボランチまで幅広い仕事を託された。優勝争い真っ只中にいたガンバ大阪を撃破した11月11日のゲームでは2列目の位置に入り、小気味いいパスワークや個人技術で相手守備陣を打開。最終的にはG大阪を突き放すダメ押しの3点目をマークするなど「殺し屋」としての役割を十分に果たした。増田誓志がU-21代表戦の疲労もあって欠場した11月23日のアルビレックス新潟戦ではボランチを務め、献身的な守備とチャンスメークを披露する…。そんな幅広いプレースタイルは今の鹿島に欠かせない。
11月16日のサウジアラビア戦でオシムジャパンの一員に名乗りを挙げたことも、本人の自信になっているはずだ。主導権を握った試合の後も「もっと中盤を支配してボールを回さないといけない」「決めるべきところで決めないとタイトルは獲れない」とあえて苦言を呈することが多くなった。もともと物静かで口下手な彼は、小笠原のいた頃はメディアに対してコメントすることが少なかったが、最近は発言回数も目に見えて増えている。そんな立ち振る舞いも「自分は鹿島の中心選手なんだ」という自覚が出てきた証拠だろう。

2005年J1前半戦で鹿島が首位を独走していた時、大事な場面で決勝点を挙げてきたのは野沢だった。野沢がゴールを奪っている時の鹿島は強い。そのジンクスを彼は2006年J1ラスト5試合で実証してみせた。
「いい形でJ1を終えることができたんで、天皇杯は必ず獲りたい」と話す野沢。彼自身も鹿島サポーターも悲願の10冠達成を心待ちにしている。
2006.12.15 Reported by 元川 悦子
11月度 J'sGOAL月間ベスト11 (12月3日最終節を含む:12月15日発表)


第30節ガンバ戦以降のパフォーマンスを考えれば、最終節のハットトリックを除外したとしても当然の結果であろう。
しかし、それを引き出しているのは、やはりガンバ戦からレギュラーに固定された本山であることは言うまでもない。
この二人の距離感が素晴らしい。
元川女史も書いているように2005シーズン前半の輝きもこの二人が中心であった。
当時は、黄金の4人(アレックス・ミネイロ、野沢、本山、満男)ファンタスティック・フォーと謳われたモノである。
しかし、アレックス・ミネイロ、野沢の相次ぐ怪我でシーズンを通して活躍は至らなかった。
今季は野沢のMF固定、本山の怪我、満男の漫遊と不幸が相次ぎこの形を観ることはなかった。
が、ここに来て両サイドの復活とチューヤンの好パフォーマンスで、プラチナ・コンビが光っている。
魅惑の攻撃である。
なぜならば、野沢が本山を活かすために働いているが故である。
その結果、野沢自身が光り輝いているのだ。
伊達政宗の傍らに片倉小十郎がいるように。

そして、ベスト11に野沢を筆頭としてFS、新井場、曽ケ端と選ばれている。
FSは篤人の帰還とシステムの変更でチームに居場所を見いだすことが出来たようである。
守備の負担もなく、他の選手に使われる側になったおかげで、本来の能力を発揮出来るようになったのであろう。
彼をサイドアタッカーとして起用したところに問題があった。
前目で起用しても、他の選手を活かすプレイは出来ず、SBとしては守備力もスピードも戦術眼も見劣りしたことは否めない。
守備の盲点を突いて飛び出すスタイルが彼の真骨頂であったようだ。
最終的に良いところを観ることが出来た。
助っ人としてのFSは、落第生であったが、二十歳のヤングプレイヤーとしては楽しみな選手であったと記憶に留めたい。
新井場も右では足が速いだけのSBということを改めて認識した。
屈指の左SBである。
好調時には不用意なプレイが影を潜めて攻撃力が発揮された。
そしてゲームキャプテンの曽ケ端準。
決定的ピンチを防ぐセービングを見せたことは大きい。
ただ、彼は元々のパフォーマンスに戻しただけという印象が強い。
失点はGKだけの責任ではないのだが、やはり目立っていた。
チューヤンの成長で中央からの攻めが減ったことも、復活の一つの要因ではあろう。
代表クラスのGKは重要である。
フィードも魅力。
GKの円熟は30歳から。
更なる真価を促したいところである。

契約しない事が決定しているFSを除く三人と本山、好調の田代・チューヤンを軸に来季は戦うことになろう。
田代と本山の怪我が無ければ、巧守に穴のないメンバーと言える。
一つ問題を挙げるとすると、U-20ワールドカップに篤人が出場した際の右SBであろうか。
右の新井場はもの足りぬ。
やはり、2004年にブレイクした右SB青木剛を起用することになるのであろうか。
上杉謙信にGacktを抜擢するように。
心配でもあり、楽しみでもある。

清水戦報道

2006年12月24日 | Weblog
鹿島逆転4強、柳沢が雪辱V弾/天皇杯

後半43分、鹿島FW柳沢(中央左)は逆転ゴールを決めDF内田に祝福される
<天皇杯:鹿島3-2清水>◇23日◇準々決勝◇熊本県民総合運動公園陸上競技場
 W杯で辛酸をなめた鹿島FW柳沢が、決勝ゴールでチームを4強に導いた。ずぶとく、重みのあるゴールだった。2-2で迎えた後半43分。DF内田からの低空右クロスが、FW田代をスルーしFW柳沢の前へ転がる。同36分にはフリーで右クロスを頭で合わせたが決め切れず、焦燥感を募らせていた。しかし「あの時」とは違う。焦ることなく、左足で軽く合わせて枠内に突き刺した。「今日は最初から(ゴール前に)出ていくチャンスがあった」。積極性が生んだ決勝ゴールだった。

 ゴール前、低弾道の右からのクロス-。最大の決定機を外した、あのW杯クロアチア戦を思い起こさせるようなシーンだ。チーム関係者も「W杯のような場面だった」と口にした。テレビのお笑い番組からW杯を題材にした出演依頼が届き、チーム側が断ったこともある。06年を振り返る時について回る、苦い記憶となってしまった。
 苦闘は続いた。ナビスコ杯決勝戦に敗れ10冠を逃してから、チームは公式戦7勝1敗と再生したが、柳沢は田代にレギュラーの座を奪われた。FWアレックス・ミネイロが帰国し、この日空いていた1枠も今季で退団する弱冠20歳のFWダ・シルバが選ばれ、途中出場だった。
 そんな柳沢の苦闘を気に掛けていたのが、主将の本田だった。「気持ちが切れてもおかしくないのに、よく頑張っている」。その本田と21日に食事をした時に直接、引退を伝えられた。報道陣から感想を聞かれて、柳沢は言い張った。「やめるとは思っていない。『まだできるでしょう?』と言いたい」。
 引退の現実を受け入れたくないほど、感謝の気持ちは強い。この遠征に帯同できなかった主将と1日でも長くサッカーをすることが恩返しになる。「勝って終わらないといけないのがトーナメント」。苦しい戦いから逃げることなく、10冠の1点を見据える。その先にエースの復活が見える。【広重竜太郎】
[2006年12月24日9時2分 紙面から]

鹿島、節目の10冠へ!“新主将候補”柳沢が3カ月ぶりV弾

3カ月ぶりのゴールが決勝点。チームメートから祝福を受ける柳沢(左)
 天皇杯準々決勝(23日、熊本県民総合運動公園陸上競技場)鹿島が節目の10冠に向けて清水に執念の3-2逆転勝利。勝負を決めたのは新主将候補のドイツW杯日本代表FW柳沢敦(29)だ。
 後半27分から途中出場。2-2の同43分、DF内田の低い右クロスをFW田代が空振り。絶好機を逃したかに見えたが、その後ろに柳沢が走り込んでいた。決定的な場面でゴールを逃したドイツW杯のクロアチア戦のとほぼ同じ至近距離のシュート。今度は右足ではなく左足で確実に決めた。9月20日のナビスコ杯準決勝以来、約3カ月ぶりの一発に「(久しぶりという)意識はない。いつも通り」と平静を装った。
 「チーム全体としてタイトルを獲ることが大きな目標。それに向けてがんばります」
 大先輩の元日本代表MF本田が今季限りで現役を引退。アウトゥオリ監督の退任も決まっている。10冠へのモチベーションは、柳沢を中心にこれまで以上に高まっている。29日の準決勝の相手はJリーグ王者の浦和。“赤い壁”を踏み台にして頂点を目指す。
(熊本陸)

柳沢決勝ゴール 鹿島2点差を逆転

<鹿島・清水>後半43分、勝ち越しゴールを決めた鹿島・柳沢(13)が田代と抱き合って喜ぶ
Photo By 共同

 【鹿島3―2清水】元日本代表で主将のMF本田の今季限りでの引退発表に鹿島イレブンが発奮した。今季初めて2点差をひっくり返す逆転勝ちで、3大会ぶりの4強入り。本田は左太腿裏に張りを訴えて遠征メンバー入りを回避し、後半5分までに2点を先制される苦しい展開。だが、途中出場のFW柳沢が後半43分に決勝点を挙げて激戦に決着をつけた。9月20日のナビスコ杯準決勝横浜戦以来94日ぶりに得点した柳沢だったが「タイトルを獲るまで負けられない」と笑顔はなし。
 FW深井も「本田さんのために優勝して最高の花道をつくってあげたい。元日の国立で胴上げするのがみんなの願いです」。幸い本田のケガの状態は軽く、29日の次戦浦和戦の出場は問題ない。鹿島を14年間支えた「ミスターアントラーズ」のためチーム一丸となって10冠獲りを狙う。
[ 2006年12月24日付 紙面記事 ]

柳沢V弾!鹿島0―2から大逆転…天皇杯準々決勝

 後半43分、勝ち越しゴールを決めた鹿島・柳沢(左)(右は田代)
 ◆第86回天皇杯準々決勝 鹿島3―2清水(23日、熊本県) エースが勝利を運んだ。後半43分。右からDF内田が中央に低いクロス。ファーサイドで待っていたのは柳沢だった。左足で大事にゴールへ押し込んだ決勝弾。9月20日のナビスコ杯準決勝以来、約3か月ぶりのゴールだ。「後半に点を取ってからすごい勢いが出た。その流れを大事にしたかった」。2点リードされる逆境を乗り越えた。
 今季は3月に右足小指を骨折。不屈の闘志でたどり着いたドイツW杯ではクロアチア戦でこの日の3点目と同じような決定機を逃し、不本意な大会となった。新たに発足したオシム・ジャパンにはまだ1度も名を連ねていない。だが、必死に前へ進んできた。「(練習に)取り組む姿勢は褒められるもの。3点目を決められて本人も自信につながると思う」とアウトゥオリ監督。まだその目は輝きを失っていない。
 J開幕前から15年間支え、今季で現役引退するMF本田にはこの天皇杯が最後の国内10冠のチャンス。この日は帯同していなかったが、勝利を届けた。「僕はまだ(本田が)やめるとは思ってません。鹿島にとって貴重な存在ですから」と柳沢。3年ぶり7回目の4強入り。鹿島の新たなリーダーは本田にとっての10冠をもたらすまで止まらない。
 ◆視察 日本代表の大熊清コーチ(42)とU―21(21歳以下)日本代表の井原正巳コーチ(39)が23日の天皇杯準々決勝、鹿島対清水(熊本)を視察した。
(2006年12月24日06時07分  スポーツ報知)

元代表の柳沢と本田主将引退を絡めた記事。
わかりやすい。
これが求められているのであろう。
再三チャンスを作り出した元代表本山でも、2得点のクロスを上げた篤人でも、新たなる左サイド山拓でもない。
中盤の王様中後でも、制空権を制した田代でもない。
当然、攻守の要・現代表候補の野沢でもない。
熊本は遠いが、試合を観ているかどうかすら疑問の残る記事である。

清水戦コメント

2006年12月23日 | Weblog
【第86回天皇杯準々決勝 鹿島vs清水】アウトゥオリ監督(鹿島)記者会見コメント [ J's GOAL ]
●第86回天皇杯準々決勝
12/23(土)15:00/熊本
鹿島 3-2 清水
得点:10' 矢島卓郎(清水)50' 矢島卓郎(清水)54' 田代有三(鹿島)79' 本山雅志(鹿島)88' 柳沢敦(鹿島)
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●アウトゥオリ監督(鹿島):
Q:劇的な勝利だったが、どんな気持ちが逆転につながったか?
「前半の立ち上がりのところでチャンスがあり、うちの流れになりつつあったところでゴールを決められず、不注意から失点してしまった。前半は、我々がここ最近見せているサッカーとはほど遠い内容だったので、ハーフタイムで選手たちには『気持ちを入れてほしい、試合に入ってほしい』とお願いした。後半は、それがひとつひとつのプレーに表われて、結果につながったと思う」

Q:前半の悪かった部分と、柳沢の働きについては?
「柳沢に関しては、技術的な部分ではあまり良い時期ではなく苦しんでいると思うが、人間としてプロとして取り組む姿勢というのは、褒めるべきところだと思う。3点目を取る前にもチャンスがあったし、その中で彼がしっかり決めることができたというのは、本人の自信にもつながっていくと思うし、レッズ戦でも活躍をしてくれればと思っている。苦しい時期を乗り越えていくことで、人間的にも選手としても強くなっていくと思う」

Q:2点差をひっくり返せた一番の理由は?
「自分の長年のキャリアの中でも、今年は2点差や3点差を逆転するチーム、あるいはそれを逆転されてしまうチームを多く見た。それがかなり日本のサッカーで目立っているので、特に集中、注意という部分が目立っている。成熟し、勝負にこだわっているチームは、2-0になれば、より堅く戦うはずだが、日本のサッカーでは、気が楽になってしまうのか、見せるプレーや軽いプレー、あるいは集中が切れたプレーが続いてしまって、そこでリズムを失ってしまって、相手にリズムが移って、逆転されたり引き分けたりしてしまう。それは、うちも含めてそうだが、そういう現象が日本のサッカーでは見受けられる。それは、2010年に向けて大きな日本の課題になると思う。そうしたゲーム・コントロール、どこで速攻し、どこで遅攻するのか、そういった部分をもっと見極めなければいけないと思う。それは日本のサッカーの大きな大きな課題だと思う」

Q:カウンターからピンチを招く場面が多かったが、その原因は?
「主な原因は、不注意にある。特に前半は、試合に入るというところが第一の条件であって、それができていれば戦術・技術の話もできるが、それがなければ何も話は始まらない。その中で気持ちを切り替えた瞬間に、我々らしい部分というのが少しは出始めたと思う。ただ、今シーズンの中で一番不注意という部分が目立った試合ではないかと思う。それでも、2点のビハインドを逆転できたということは、自分が言っている改善が、少しは見られたのではないかと思う。それが残り2試合の中で、継続してできるかという点が大きな課題になるし、それができれば、このチームの将来は明るくなると思う」


【第86回天皇杯準々決勝 鹿島vs清水】試合後の各選手コメント [ J's GOAL ]
●柳沢 敦選手(鹿島):
Q:9月以来のゴールだったが
「そのへんはとくに意識はなく、いつも通りプレーした。今日は最初のプレーからビッグチャンスが来たし、そういう流れがあったのかなと思う」
Q:本田選手のためにも天皇杯で10冠を決めたいという思いはあるか?
「いや、僕はまだやめないでと言っているので、それはあきらめていない。まだできるでしょと(本田に)言っている。本田さん自身に、今まで何度かこういうことを言われてきたし、チームの柱として支えてきてくれたし、個人的に大好きな選手だし、まだできると思う」
Q:10冠への意気込みは?
「あと2試合なので、ひとつひとつチームとして戦っていくだけ」

●中後 雅喜選手(鹿島):
「(前半は)だらだらというか、もっと目を覚ましてくれとハーフタイムで監督に言われた。それができれば勝てるので、切り替えてやろうという話をしたけど、後半の立ち上がりにまた失点してしまった。でも、みんな最後まであきらめないでやれたし、後半立ち上がりからも良いサッカーができていたというか、ポゼッションもできていたし、0-2になってからも自分たちのやれることをやった結果が、逆転勝ちにつながったので良かったと思う」

●深井 正樹選手(鹿島):
Q:試合前のサポーターの横断幕やコールで感じるものは?
「(移籍するかどうかは)まだ何とも言えないが、サポーターのみんながそうしてくれることは、本当に自分の気持ちが揺さぶられる。そういう部分も含めて、残留するか移籍するかはゆっくり考えていきたい。試合に出るということも自分にとって必要なことだし、自分の信念もあるし、両方真剣に考えながら1日1日過ごしていきたい」
Q:本田選手への思いは?
「この天皇杯で優勝して、最高の花道を作ってあげたいという気持ちはみんな強いと思う」

【第86回天皇杯準々決勝 鹿島vs清水】2点先取した清水がまさかの逆転負け。鹿島が試合終了直前の執念のゴールで勝ち残る [ J's GOAL ]
「日本では2点差や3点差が逆転される試合が目立つ」。天皇杯が終われば日本を去る鹿島のアウトゥオリ監督は、日本サッカーへの提言として試合後にこう語った。その言葉に込められたものは、2-0から逆転された清水にとっても、来季に向けての大きな課題となった。
両チームともスタメンは5回戦から1人変わっただけ。清水は、青山がアジア大会から復帰し、鹿島のほうアレックス ミネイロが帰国して、代わりにダ・シルバがFWとして出場した。立ち上がりは鹿島が攻勢に出て清水は受け身の展開になったが、先手を取ったのは清水。10分の藤本の左CKを中央のチョ・ジェジンがヘディングで右ポストに流し、これを矢島が身体ごと押し込み、最初のチャンスで先制点を奪った。
その後もポゼッションでは鹿島が優位に立ち、清水の攻撃もきっちり抑えたが、「前半は(精神的に)試合に入ることができていなかった」とアウトゥオリ監督は厳しい評価。たしかに攻撃面では鋭さを欠いて清水の守備組織を突き破ることができず、清水の攻撃も今ひとつ冴えず、前半のシュート数は鹿島4本、清水3本と見せ場の少ない展開のまま1-0で後半に折り返した。


ハーフタイムでアウトゥオリ監督に厳しくハッパをかけられた鹿島イレブンは、相手よりもかなり早くピッチに戻り、後半立ち上がりから再び攻勢をかける。しかし、次の1点はまたも清水。後半5分、カウンターからうまく縦に抜け出した藤本がドリブルで中に入り、チョの動きをおとりにして逆サイドの矢島にスルーパス。矢島がこれを1タッチのシュートでゴール右に決めた。この2点目は、鹿島のミスを突いたカウンターから非常にきれいな形で奪ったゴール。内容的にはやや押されながらも、試合の流れはここまで清水の狙い通りだった。
清水にとっては、あとは2点差をしたたかに守りきれば良いゲームだった。だが、「点を取った後にホッするというか、ゆったりしてしまう時がある」と長谷川監督が振り返ったように、そこから仕上げの甘さが出てしまう。
9分に、野沢の右CKから田代が頭で決めて鹿島が1点を返すと、試合の主導権は徐々に鹿島に移っていく。清水のほうは、18分に兵働を入れて中盤のタメを強化したが、セカンドボールを鹿島が拾う場面が多くなり、流れを完全に引き戻すことはできない。
そして、34分に内田の右クロスから本山が決めて同点。そこからさらにたたみかけていった鹿島は、43分に速い攻撃から途中出場の柳沢が久しぶりのゴールを決めて、土壇場でついに2点差をひっくり返した。「全体的に少し覇気がなかった」(長谷川監督)という清水に再逆転する力は残っておらず、そのまま鹿島が3-2で準決勝進出を決めた。


両チームとも失点はミス絡みが多く、勝った鹿島としても「不注意」が目立った試合。ただ、どんな形でも気持ちで勝利を引き寄せるという部分では、今日のところは鹿島が上回ったということだろう。
今年大きく躍進した清水も、勝負に徹しきれない面が出て、勝ちきれなかった試合がいくつかあった。「もう一歩上に行くためには、そういうところが必要になる」(高木和)という課題が、今年最後のゲームであらためて浮き彫りになったが、来年はこの悔しさをプラスのエネルギーに変えることを期待したい。

以上
2006.12.23 Reported by 前島芳雄


アウトゥオリ監督は選手のそして日本人のメンタリティについて語る。
精神力の弱さが今季大きくクローズアップされたと言えるであろう。
それは、わずか勝ち点1で優勝を逃した昨季、攻撃陣の空回りで中途半端な結果だった2004、残り15秒間で天国から地獄に落とされた2003とただの運では済まされない3年間を振り返えさせられる。
「一新」は戦力では無かった。
ここに来て思い知らされる。
そして「制覇」へ一歩近づいた。
まだ遠い頂点ではあるが、少し近づいたことは事実である。