鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

ジョルジーニョ監督と合意

2011年12月31日 | Weblog
ジョルジーニョ氏の来季監督就任について合意 2011/12/31
クラブOBのジョルジーニョ氏と、2012年シーズンの監督就任について合意に達しましたのでお知らせします。契約締結後、正式発表となります。

<プロフィール>
■監督名:ジョルジーニョ JORGINHO
■本名:ジョルジ・デ・アモリン・カンポス JORGE DE AMORIM CAMPOS
■生まれ:1964年8月17日、リオデジャネイロ生まれ
■指導者歴:
2006 アメリカRJ(伯)監督
2006-2010 ブラジル代表ヘッドコーチ ※2010FIFAワールドカップ南アフリカ大会出場
2010 ゴイアスEC(伯)監督
2011 フィゲイレンセ(伯)監督 ※全国選手権7位、ブラジル年間優秀監督賞第2位
■選手歴:
▽クラブチーム
アメリカRJ(1982、伯)─CRフラメンゴ(1984、伯)─バイエル・レバークーゼン(1989、独)─バイエルン・ミュンヘン(1992、独)─鹿島アントラーズ(1995)─サンパウロFC(1999、伯)─CRヴァスコ・ダ・ガマ(2000、伯)─フルミネンセFC(2002、伯) ※2003現役引退
伯:ブラジル
独:ドイツ
(西ドイツ時代を含む)
▽代表チーム世界大会
1983 FIFAワールドユース(U-20)ブラジル代表
1988 ソウル五輪ブラジル代表(現在とは出場資格が異なりますのでU-23ではありません)
1990,1994 FIFAワールドカップブラジル代表
▽主な実績
フラメンゴ 1986リオ州選手権優勝、1987ブラジル全国選手権優勝
バイエルン 1993-94ブンデスリーガ優勝
鹿島アントラーズ 1996、1998Jリーグ優勝(1996年は年間最優秀選手)
Jリーグ通算103試合17得点
1997ナビスコカップ優勝(最優秀選手)、第77回天皇杯優勝
U-20ブラジル代表 1983ワールドユース優勝
ブラジル五輪代表 1988ソウル五輪銀メダル
ブラジル代表 1989コパ・アメリカ優勝、1994FIFAワールドカップ優勝
国際Aマッチ 67試合3得点
■クラブ歴代監督 ※カッコ内は就任年月(月表示のないものはシーズン最初から)
1.宮本征勝(1992)
2.エドゥ(1994.6)
3.ジョアン・カルロス(1996) リーグ1、天皇杯1、ナビスコ1回優勝
※関塚隆氏による監督代行期間あり
4.ゼ・マリオ(1998.8) リーグ1回優勝
5.ジーコ(1999.8、総監督)
6.トニーニョ セレーゾ(2000) リーグ2、天皇杯1、ナビスコ2回優勝
7.パウロ・アウトゥオリ(2006)
8.オズワルド オリヴェイラ(2007) リーグ3、天皇杯2、ナビスコ1回優勝
9.ジョルジーニョ(2011)


来季の新監督としてジョルジーニョと合意に至ったとのこと。
年の瀬に大きな報である。
12月22日にニッカンが報じて以来、続報がなかったため、不安に思っておった者も多かったであろう。
この公式発表で安堵の気持ちになったのではなかろうか。
世界を知り、鹿島を知り、勝利を知るこの人物が指揮を採ることで、鹿島は更なる新化を遂げるであろう。
ジョルジーニョと共に勝利に向かい進んでいきたい。

今年の漢字

2011年12月31日 | Weblog
[ ゆく年くる年:今年の漢字 鹿島 ]


いろいろなものが壊れてしまった1年だったように思う。東日本大震災によりクラブの活動は休止。キャンプで積み上げたものが壊れたままAFCチャンピオンズリーグが始まり、しばらくするとJ1リーグ戦も再開。オフに加入した新戦力が融合する時間もとれないまま、シーズンが終わってしまった。
また、ホームのカシマスタジアムは地震で甚大な被害を受け、使用できるようになったのは6月から。国立競技場での代替開催の影響もあってか、毎年5割以上を保ってきたホームでの勝率も、クラブ史上初めて割り込んでしまった。鹿島が誇ってきた神話が「崩壊」。今季でオズワルド・オリヴェイラ監督も退任し、来季からは新たな監督を迎えることが決定している。一つの時代が終わったことを告げる1年だった。


Text by 田中 滋

今年の漢字に「壊」を選出する田中氏である。
震災の影響は大きく、施設も記録も、そしてチームまでも壊れてしまった。
監督は退任し、チームの主力も移籍を決断した。
この影響は来年にも及ぼされる。
とはいえ、これを機会に来季は心機一転し、災い転じて福としたい。

2011年を振り返って

2011年12月31日 | Weblog
2011年を振り返ってみたい。

大量補強。
カルロンを筆頭にアレックス、ヒゲくん、西、そしてプラチナ世代の4人に加え、三月にはアルシンドの息子であるイーゴルが加入した。
リーグ戦の巻き返し、そしてアジア制覇を目指し大型補強を敢行したことが大きく報じられた。
これほどの大量補強は鹿島に於いては珍しい。
クラブとしての意気込みを感じさせられた。
その裏ではレンタルも含む大幅な選手放出があり、寂しい思いもあったことは事実である。

ユースにキッカ監督就任
ジーコに導かれ若き世代を指導することとなったキッカ監督は、震災にも心が折れることなく強化に努めた。
その結果、ユースは大躍進し、三人のトップ昇格がかなった。
来季以降も期待したい。

ゼロックス・スーパー杯。
1-1のドローもPK戦にて惜敗。
残念な結果ではあるが、練習試合としては悪くなかったように思える。

開幕戦。
ゴラッソを決められるも、三度追いつきドロー。
アディショナル・タイムの田代のヘディングが入っておれば、劇的逆転勝利であっただけに無念なスタートとなった。

ローテーションの採用。
ACLとリーグ戦を平行で進めるため、選手のローテーションを採用した。
大量補強がそれを可能にしたが、連携不足は否めなかったように思える。
選手固定を否定する声を毎年のように聞いたが、ローテーションにも弊害があることを理解したのではなかろうか。

震災。
鹿島だけでなく、日本全体に大きく影を落とした歴史的惨事である。
ただ、残念なのは十分に被災した茨城であるが、東北に比べて報道されなかったことは悲しい事実と言えよう。

不調。
震災でチームを一時解散し、再集合してACL、リーグ戦と戦ったものの、コンディションをそろえることが出来ず、チームの調子は上がらなかった。
カルロンやガブさんは、未曾有の震災と原発事故の影響で、本来の力を発揮出来なかった。
また、岩手の惨事を目の当たりにした小笠原満男主将は、サッカーに集中することは出来ず、チームの中心選手としての役割を全う出来なかったことも大きく影響した。

ACL敗退。
グループ・ステージこそ突破できたが、Round16はFCソウルに為す術なく敗戦。
悔しいを通り越した感情を持ったことは事実と言えよう。
震災を理由にするのは簡単ではあるが、カルロンの誤算と田代の負傷が痛かったことも付け加えたい。

伊野波、カルロン移籍。
伊野波はクロアチアに、カルロンはスイスへと旅だった。
伊野波の移籍はシーズン最初から予想されており、CBは中田コとの併用が成さされておった。
カルロンはほぼ戦力外となっておったので、二人の移籍とも特に問題はなかった。

夏場の好調。
苦手の八月を無敗とする好調を維持し、一時的に希望を抱かせた。
得点だけ見れば、結果を出した田代に注目が集まるが、大迫の自覚と成長が大きかったように思う。

ナビスコ杯制覇。
不調であったリーグ戦を尻目に延長戦を三度戦い、優勝を果たした。
MVPの大迫は全ての試合で得点を挙げ貢献。
岳のプレイにも魅せられた。
若手の躍動が感じられ、未来に夢を馳せられる大会となった。

リーグ戦。
序盤の躓きが響き、夏場こそ盛り返したものの秋の訪れより勝ちきれぬ戦いが続いて結果的に六位。
序盤こそ震災をいいわけに出来ぬではないが、後半は昨季と同様の決定力不足に泣いた。
そのためのカルロンであり、田代の復帰であったが、克服出来なかったと断言出来よう。
ホーム最終戦である、清水戦で本山が輝いたことが救いであったやも知れぬ。

オリヴェイラ監督退任。
ナビスコ杯の優勝から来季も指揮を採って貰えるようオファーを出し、本人も乗り気であったが、ブラジルへ帰国し退任となった。
非常に残念と言えよう。
子供との生活が理由と語っており、決断にはかなり苦悩したとFreaksでもAntlers Reportでも述べられておる。
采配を振るったこの五年全てに於いてタイトルを得た、素晴らしい指揮艦であったと言えよう。
彼の足跡は確実にクラブの歴史に刻み込まれた。
この経験はクラブの財産になったのである。

天皇杯敗退。
オリヴェイラ監督との最後のタイトルを目指して戦ったが、四回戦にて敗退。
チャンスはあったが、不甲斐ない失点にて京都に敗れた。
リーグ戦と同様の内容であったように思える。

来季に向けて。
監督の交代、主力である田代と野沢の流出など、最後の最後に波乱があった。
不安に思う部分も多かろう。
しかしながら、ジュニーニョの獲得、岡本の獲得と補強は怠りなく、新人も、日本代表にも選出経験のある山村くんに評判の高い伊東くん、鹿島を知っているユース三人衆と強力である。
新監督の下、必ずや国内征伐を果たしてくれるであろう。

良いお年を。

大迫・山村くん、U-22日本代表候補トレーニングキャンプ選出

2011年12月30日 | Weblog
U-23日本代表候補トレーニングキャンプ メンバー(2012/1/14~22@グアム)
スタッフ

監督
関塚 隆 セキヅカ タカシ SEKIZUKA Takashi
【(財)日本サッカー協会ナショナルコーチングスタッフ】
   
コーチ
小倉 勉 オグラ ツトム OGURATsutomu
【(財)日本サッカー協会ナショナルコーチングスタッフ】
 
アシスタントコーチ
武藤 覚 ムトウ アキラ MUTO Akira
【(財)日本サッカー協会ナショナルコーチングスタッフ】
   
GKコーチ
藤原 寿徳 フジワラ ヒサノリ FUJIWARA Hisanori
【(財)日本サッカー協会ナショナルコーチングスタッフ】  
 
フィジカルコーチ
里内 猛 サトウチ タケシ SATOUCHI Takeshi
【(財)日本サッカー協会ナショナルコーチングスタッフ】
     
選 手

Pos. No. 選手名 (アルファベット表記)
生年月日 身長 体重 所 属

GK
権田 修一  ゴンダ シュウイチ GONDA Shuichi 
1989.03.03 187cm 83kg FC東京

大谷 幸輝 オオタニ コウキ OTANI Koki
1989.04.08 185cm 80kg 浦和レッズ

増田 卓也 マスダ タクヤ MASUDA Takuya
1989.06.29 183cm 77kg 流通経済大学

安藤 駿介 アンドウ シュンスケ ANDO Shunsuke
1990.08.10 185cm 78kg 川崎フロンターレ
     
DF
薗田 淳 ソノダ ジュン SONODA Jun
1989.01.23 182cm 78kg 川崎フロンターレ

比嘉 祐介 ヒガ ユウスケ HIGA Yusuke
1989.05.15 168cm 68kg 流通経済大学

大岩 一貴 オオイワ カズキ OIWA Kazuki
1989.08.17 182cm 76kg 中央大学

鈴木 大輔 スズキ ダイスケ SUZUKI Daisuke
1990.01.29 181cm 78kg アルビレックス新潟

吉田 豊 ヨシダ ユタカ YOSHIDA Yutaka
1990.02.17 168cm 66kg ヴァンフォーレ甲府
 
丸山 祐市 マルヤマ ユウイチ MARUYAMA Yuichi
1989.06.16 183cm 68kg 明治大学

酒井 宏樹 サカイ ヒロキ SAKAI Hiroki
1990.04.12 183cm 70kg 柏レイソル

濱田 水輝 ハマダ ミズキ HAMADA Mizuki
1990.05.18 185cm 80kg 浦和レッズ
     
MF
山本 康裕 ヤマモト コウスケ YAMAMOTO Kosuke
1989.10.29 177cm 76kg ジュビロ磐田

清武 弘嗣  キヨタケ ヒロシ KIYOTAKE Hiroshi
1989.11.12 172cm 66kg セレッソ大阪

山村 和也 ヤマムラ カズヤ YAMAMURA Kazuya
1989.12.02 184cm 75kg 流通経済大学


齋藤 学 サイトウ マナブ SAITO Manabu
1990.04.04 165cm 64kg 愛媛FC

山田 直輝 ヤマダ ナオキ YAMADA Naoki
1990.07.04 166cm 64kg 浦和レッズ

東 慶悟 ヒガシ ケイゴ HIGASHI Keigo
1990.07.20 178cm 69kg 大宮アルディージャ

山口 螢 ヤマグチ ホタル YAMAGUCHI Hotaru
1990.10.06 173cm 72 kg セレッソ大阪

登里 享平 ノボリザト キョウヘイ NOBORIZATO Kyohei 
1990.11.13 168cm 65kg 川崎フロンターレ

扇原 貴宏 オウギハラ タカヒロ OGIHARA Takahiro
1991.10.05 183cm 71kg セレッソ大阪

高橋 祥平 タカハシ ショウヘイ TAKAHASHI Shohei
1991.10.27 180cm 70kg 東京ヴェルディ
     
FW
永井 謙佑 ナガイ ケンスケ NAGAI Kensuke 
1989.03.05 177cm 74kg 名古屋グランパス

山崎 亮平 ヤマザキ リョウヘイ YAMAZAKI Ryohei
1989.03.14 171cm 66kg ジュビロ磐田

大迫 勇也  オオサコ ユウヤ OSAKO Yuya
1990.05.18 182cm 70kg 鹿島アントラーズ


杉本 健勇  スギモト ケンユウ SUGIMOTO Kenyu
1992.11.18 187cm 76 kg セレッソ大阪

関塚隆監督コメント
グアムキャンプは、2月5日の最終予選U-23シリア戦への準備キャンプとなります。また、同22日には高温多湿のマレーシアでアウェー戦を戦います。その試合に向けての暑熱対策も兼ねています。
現在、同グループ2位のシリアにアウェーであっても勝利することが、最終予選突破への大きな前進になります。チーム内で切磋琢磨し、個人としてチームとしても成長の歩みを止めないことが大事。しっかりと良い準備をして、結果を残したいです。


今後の予定
2012年2月5日(日) アジア最終予選/ロンドンオリンピック予選 U-23シリア戦


U-22日本代表のキャンプに大迫と山村くんが招集された。
これで二月のロンドン五輪予選への選出は堅いものとなろう。
是非とも日本を五輪へ導くべく尽力して欲しい。
キャンプで身体を作り、戦術を体得して、母国に尽くすのだ。
期待しておる。

田代、神戸の納会に出席

2011年12月30日 | Weblog
三木谷会長、熱望!「ACLに出て」
 J1神戸の三木谷浩史会長(46)が29日、13年のアジアチャンピオンズリーグ(ACL)の出場権獲得を熱望した。

 都内で開かれた楽天グループの納会に姿を見せた三木谷会長は、クラブ史上最高の9位と躍進した今季を「去年から継続してきたことと、今季やってきたことの積み上げができてきた」と評価。その上でFW田代、MF野沢、橋本らを獲得したことに「(未知数の)外国人よりも、信頼度の高い日本人が取れた」とうなずいた。

 同会長は、来季に向けて「4位以内。アジアに向けた戦いもしてほしいし、ACLに出てくれば。露出も増えるし頑張ってほしい。今年の上に積み上げができればやってくれると思う」と次年度の出場権が得られる成績を強く期待。さらに「育成とのバランスも考えながらだが、今後も中長期的な視野の補強をしていければ」と“後方支援”も約束した。

 納会に参加した新戦力の田代は「何かの縁があって、ここに来ている。神戸の力になりたい」、橋本も「将来的に、何か一つ、タイトルを。それが一番の目標」と抱負を述べた。新たな力が加わった神戸が、さらなる躍進を目指す。

(2011年12月30日)

来年、4位以内狙う J1神戸三木谷会長が会見
 J1神戸の三木谷浩史会長と、新加入したMF橋本英郎、FW田代有三の両選手が29日、東京都内で会見した。三木谷会長は過去最高の9位だった今季について「(基本戦術の)堅守速攻に、つなぐサッカーを積み上げられた」と評価し、「来季は(アジア・チャンピオンズリーグ出場の可能性がある)4位以内を狙う」と明言した。
 今オフはG大阪から橋本、鹿島から田代やMF野沢拓也らタイトル経験を持つ実力派を獲得。三木谷会長は「目指す戦術に合う総合力の高い選手を補強できた」と来季に期待を寄せた。
 戦術理解度に優れる橋本は「ほかの選手の強みが発揮できるようなプレーを心がける」と意気込み、空中戦に強い田代は野沢のキック精度の高さに触れ、「注文したところに蹴ってくれる。セットプレーには自信がある」と力を込めた。(佐藤健介)


神戸の納会に出席した田代である。
何かの縁とは如何様なものであったのかは知る由もないが、田代は既に神戸の選手ということである。
来季は全力で田代を止めねばならぬ。
野沢とのホットラインは驚異と言う以外にない。
どう抑えるのかを新監督には熟考して貰おうではないか。
対戦を楽しみにしたい。

U-17アルカス国際大会概要

2011年12月29日 | Weblog
ユースチームの国際大会参加について 2011/12/29
アントラーズユースがカタールで行われるU-17アルカス国際大会に参加することになりましたのでお知らせします。大会レギュレーションに準じ、17歳以下によるチーム編成となります。

≪U-17アルカス国際大会≫ AL KASS INTERNATIONAL U17 CUP

■期間:
2012年1月8日~17日

■開催場所:
カタール・ドーハ

■出場チーム(10):
アスパイアⅠ、アスパイアⅡ(以上カタール)、アーセナル(イングランド)、ユベントス(イタリア)、バルセロナ(スペイン)、鹿島アントラーズ、ヴァスコ・ダ・ガマ(ブラジル)、アルアハリ(エジプト)、アルジャジーラ(アラブ首長国連邦)、パリ・サンジェルマン(フランス)

■大会方式:
3組に分かれてのグループリーグの後、4チームによる決勝トーナメントを実施(4チームの組から2チーム、3チームの組からは1チームが準決勝進出)。グループリーグ下位チームは順位決定戦に回る。

■アントラーズの対戦日程(グループA):
1月9日(月)16:00 vsユベントス
1月10日(火)16:00 vsアルジャジーラ
1月12日(水)16:00 vsアスパイアⅡ

■出発・帰国日:
1月5日(木)出発・1月18日(水)帰国


12月25日にニッカンが報じたU-17アルカス国際大会の概要が公式に発表された。
グループステージではユヴェントス、アルジャジーラ、アスパイアⅡと対戦するとのこと。
是非とも決勝トーナメントに進んで欲しいところ。
若い世代が経験を積むことはトップにも影響を及ぼす。
是非とも良い結果をもたらせて欲しい。
楽しみにしておる。

マルキーニョス、Fマリノスへ

2011年12月29日 | Weblog
日本復帰へ前向き!横浜 マルキーニョス獲得決定的
 J1通算109得点を誇るFWマルキーニョス(35)を横浜が獲得することが決定的になった。ブラジルのメディアによると、今季途中に仙台から加入したアトレティコ・ミネイロ(ブラジル)との契約を既に解除したという。

 横浜は現地視察を終え、既に年俸1億円(推定)のオファーを出している。本人も日本復帰に前向きで、「横浜マルキーニョス」誕生は秒読みとなった。

[ 2011年12月29日 06:00 ]

12月22日に報じられたFマリノスのマルキーニョスへのオファーであるが、合意に至る模様である。
これは恐ろしい男が敵として日本に戻ってくる。
そのマルキーニョスはエルゴラッソのインタビューに於いて「小笠原は試合の状況を的確に判断して、自分のプレーはもちろん、チーム全体のプレイの強度やリズムをコントロールしていた」
「若手では興梠がいい。スピードとテクニックがあって、どん欲にゴールを狙う姿勢がある」と述べておる。
小笠原主将が試合をコントロールし、興梠がゴールを狙えば、マルキーニョスを相手としたとしても、勝利を掴むことが叶うであろう。
強い気持ちで対戦し、確実に抑えようではないか。
相見える日を楽しみにしておる。

野沢ショック、二度と起こらぬよう

2011年12月29日 | Weblog
補強の目玉!鹿島MF野沢獲得
 神戸は28日、来季の新戦力として鹿島MF野沢拓也(30)の完全移籍での獲得を発表した。

 茨城県出身の野沢は鹿島ユースからの生え抜きで、ブラジル留学した99年に所属したCFZド・リオを除けば、初めての移籍になる。

 今季のリーグ戦は34試合出場6得点。J1通算でも254試合50得点。経験豊富な攻撃的MFの加入は、神戸にとっては今季の補強の目玉とも言える。

 野沢は生まれ育った鹿島のクラブを通じて「悩みに悩んで移籍を決断しましたが、これからの人生は、さらにプレッシャーや不安でいっばいです。良くも悪くも、遠まわりしてもいい、それが糧となり財産にもなり、僕の人生は常にそうだったと思います」とコメント。

 さらに「サッカーは1人ではできません。みんながいるから成長できたことを誇りに思い、感謝しています。アントラーズに在籍して今日までの17年、ここまで育ててくれてありがとうございました」と自身の原点でもある鹿島へ感謝の言葉を残した。
 [2011年12月28日18時9分]

鹿島・野沢、FW田代に続き神戸移籍
2011.12.29 05:00

 J1鹿島のMF野沢拓也(30)のJ1神戸への完全移籍が28日、両クラブから発表された。不動の司令塔としてJ1通算254試合で50得点。FW田代に続く神戸流出を阻止しようと、鹿島側は説得を続けたが翻らなかった。野沢は「チームのために努力し汗をかき、戦います」と飛躍を誓った。

(紙面から)

神戸、鹿島MF野沢完全移籍で獲得
 J1神戸は28日、J1鹿島から元日本代表MF野沢拓也(30)を完全移籍で獲得したと発表した。複数年契約で、鹿島との契約を1年残す野沢の獲得に、推定6000万円の違約金を支払ったとみられる。

 高い技術を持つ野沢獲得に向けて、クラブ側は熱意を持った交渉を重ねてきた。鹿島への愛着は強かったが「神戸のチャレンジに理解をもらえた」とクラブ幹部。野沢も「自分の経験を生かして、タイトルを目指し、チームのために戦います」とコメントした。

 MF橋本、DF高木、FW田代に加え、野沢の加入で今オフの補強は終了。FWポポの浦和移籍が正式に決まり、来季は“アジア人”のみでの戦いとなるが、大型補強を敢行しながら総年俸に大きな変動はなし。飛躍の準備を整えて、神戸は来季を迎える。

(2011年12月29日)

野沢の移籍がニュースになっておる。
鹿島のバンディエラが引き抜かれたとあれば、それは大きな事件と言えよう。
鹿島はそれほど結束力があり、絆の強いクラブと認識されておる。
何故、このような事件が起こったのかクラブは原因を突き詰め、二度とこのようなことが起こらぬよう尽力して欲しい。
なにも野沢のようなユース生え抜きの選手が移籍ということではなく、鹿島の主力がステップアップとは思えぬ移籍を決断することを防ぐことが重要なのである。
しかしながら、今年のヒゲくん、西、来年の岡本のように、弱点を的確に引き抜いてくるクラブへ変貌するようにとらえる輩もおるやも知れぬ。
それはそれで、クラブの姿勢ではあるが、それでは普通の特色のない他のクラブと変わらぬ。
鹿島は鹿島の流儀で突き進むのだ。
選手を大事にし、選手と共にクラブがあることに意義を見つけていくのである。
野沢のことは残念であるが、鹿島アントラーズは今後も存続し、強くあり続けなければならぬ。
そのためにフロントは努力して欲しい。

宮崎、ジュビロにレンタル移籍

2011年12月28日 | Weblog
宮崎 智彦選手がジュビロ磐田に期限付き移籍 2011/12/28
宮崎 智彦選手(2011年は横浜FCに期限付き移籍)が2012年シーズンはジュビロ磐田に期限付き移籍することとなりましたので、お知らせいたします。1年間の期限付き移籍となります。

<選手プロフィール>
■選手名:
宮崎 智彦(みやざき・ともひこ)
■生まれ:
1986年11月21日、東京都出身
■ポジション:
DF
■サイズ:
170センチ、65キロ
■経歴:カッコ内は加入年
田無SC(田無小学校)‐横河SC(田無第二中学校)‐FC東京U18(都立清瀬高校)‐流通経済大学‐鹿島アントラーズ(2009)‐横浜FC(2011)
・2006 関東大学サッカーリーグ優勝
・2007 総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント優勝
■代表歴
2008 全日本大学選抜
■公式戦成績:
J1リーグ 4試合0得点
J2リーグ 28試合1得点
天皇杯 9試合1得点(鹿島で4試合、横浜FCで1試合)

■宮崎選手コメント
自分自身が成長するために、もう1年期限付きで磐田に移籍することになりました。早く鹿島で必要とされるよう、もっと力をつけて戻ってきたいと思います。

宮崎智彦選手鹿島アントラーズより期限付き移籍加入のお知らせ
この度、鹿島アントラーズの宮崎智彦選手(DF)が、ジュビロ磐田へ期限付き移籍することが決定しましたのでお知らせ致します。尚、期限付き移籍期間は、2012年2月1日から2013年1月31日です。
宮崎 智彦選手のコメント


この度、ジュビロ磐田に期限付き移籍をすることになりました、宮崎智彦です。
ジュビロ磐田という素晴らしいチームで、来年サッカーができることを非常に嬉しく思うと同時に、少しでも僕の力が加わることで、チームがよりいい成績を残せるように一生懸命頑張ります。応援よろしくお願いします。


宮崎がジュビロにレンタル移籍とのこと。
これは三方に得がある移籍ではなかろうか。
ジュビロとしては手薄な左サイドバックに大いなる補強が出来、宮崎は出場機会が望める。
そして鹿島としては、アレックスに新井場がおる左SBに第三の戦力として戻すにはもったいない選手と言えよう。
ジュビロで更なる攻撃的センスを磨き、そして鹿島に凱旋するのだ。
鹿島の左サイドを担う未来の宮崎が楽しみである。

さらば、鈴木修人

2011年12月28日 | Weblog
鈴木 修人選手が栃木SCに完全移籍 2011/12/28
栃木SCに期限付き移籍中の鈴木 修人選手が、同クラブに完全移籍することが決まりましたのでお知らせします。

<選手プロフィール>
■選手名: 
鈴木 修人(すずき・しゅうと)
■生まれ:
1985年8月31日、千葉県出身
■サイズ:
171センチ、67キロ
■ポジション:
MF
■経歴:カッコ内は加入年
船橋FC-鹿島アントラーズジュニア(1995)-鹿島アントラーズジュニアユース(1998)-市立
船橋高校(2001)-早稲田大学(2004)-鹿島アントラーズ(2008)-湘南ベルマーレ(2009.7~)-鹿島アントラーズ(2010)-栃木SC(2011)
・2002年度全国高校サッカー選手権優勝
・2007年度全国大学サッカー選手権優勝
■公式戦成績:
J2リーグ 21試合0得点
天皇杯 1試合0得点
■代表等:
2007年U-22(22歳以下)日本代表
北京五輪アジア2次予選出場(1試合1得点)
2007年度ユニバーシアード・バンコク大会代表
2002、2003年度日本高校選抜

■鈴木選手コメント

ジュニア、ジュニアユース、プロと、ずっと育ててきてくれたアントラーズには本当に感謝しています。栃木SCをJ1に上げてカシマで戦えるよう、鹿島での経験を活かしてこれからも頑張っていきたいです。

鈴木修人選手 完全移籍加入のお知らせ
2011シーズンに鹿島アントラーズ(J1)より期限付き移籍加入しておりました鈴木修人選手が、2012シーズンより栃木SCに完全移籍することが決まりましたのでお知らせ致します。本人のプロフィール、コメントは下記の通りです。



鈴木 修人(Shuto SUZUKI)選手
 ■生年月日 :1985年8月31日生(25歳)
 ■出身地 :千葉県
 ■ポジション :MF
 ■身長/体重 :171cm/67kg
 ■利き足 :右
 ■所属歴 :鹿島アントラーズジュニアユース→市立船橋高→早稲田大→鹿島アントラーズ(2008)
→湘南ベルマーレ(2009.7)→鹿島アントラーズ(2010)
 ■出場記録
     シーズン   所属チーム     リーグ戦      カップ戦       天皇杯
                         出場  得点    出場  得点    出場  得点
      2008    鹿島 J1      0    0      ―   ―      0    0
      2009    鹿島 J1      0    0      ―   ―      0    0
      2009    湘南 J2      6    0      ―   ―      1    0
      2010    鹿島 J1      0    0      ―   ―      0    0
      2011    栃木 J2      15    0      ―   ―      0    0

【鈴木修人選手コメント】

「今シーズンは、チームも自分も悔しい終わり方になってしまいましたが、このチームならJ1にいけると思い決断しました。来シーズンは、一年を通してフル活動できるように頑張りたいと思います。来シーズンもよろしくお願いします。」

栃木SCにレンタル移籍しておった鈴木修人が完全移籍とのこと。
レンタル移籍した当時に、一年後に完全にて移籍するような旨が栃木のサイトにてフライングされたので、驚きはない。
更に修人自身のインタビューでも背水の陣であることを述べておった。
本人が語るように栃木SCをJ1に上げるべく尽力して欲しい。
右サイドを駆け上がるであろう當間に絶妙なパスを出すのだ。
遠くから活躍を祈っておる。

さらば、野沢拓也

2011年12月28日 | Weblog
野沢 拓也選手がヴィッセル神戸に完全移籍 2011/12/28
野沢 拓也選手がヴィッセル神戸に完全移籍することとなりましたので、お知らせいたします。

<選手プロフィール>
■選手名:
野沢 拓也(のざわ・たくや)
■生まれ:
1981年8月12日、茨城県出身
■ポジション:
MF
■サイズ:
176センチ、70キロ
■経歴:カッコ内は加入年
稲田サッカースポーツ少年団-鹿島アントラーズジュニアユース(1994)-鹿島アントラーズ ユース(1997)-CFZ ド・リオ (ブラジル/1999)-鹿島アントラーズ
■公式戦成績:
J1リーグ通算 254試合50得点
ナビスコカップ通算 43試合7得点
天皇杯通算 36試合11得点
AFCチャンピオンズリーグ 29試合10得点
ゼロックススーパーカップ 4試合3得点
アジアクラブ選手権 3試合0得点
A3チャンピオンズカップ 1試合0得点
■代表歴等:
国際Aマッチ0試合0得点(AFCアジアカップ2007予選)
U-19日本代表、U-21日本代表

■野沢選手コメント※本人自ら書き記したものを、原文のまま記載します。
僕はジュニアユースからユース、そしてトップチームとアントラーズでプレーしましたが、全てが順風満帆ではなく、葛藤、不安、緊張、プレッシャーのなかでサッカーをしてきました。偉大な背番号8番をもらったことは大きな喜びでしたが、一方でそれは大きな重圧でもありました。その責任を果たすため、できる限りのことをしてきたつもりです。
悩みに悩んで移籍を決断しましたが、これからの人生は、さらにプレッシャーや不安でいっばいです。良くも悪くも、遠まわりしてもいい、それが糧となり財産にもなり、僕の人生は常にそうだったと思います。新天地ではアントラーズの素晴らしさを伝えつつ、もう一度チームの為に努力し、汗をかき、戦います。長く険しい道のりだけど、それらを力にかえて覚悟をもって戦います。
最後になりますが、アントラーズをサポートしてくださるスポンサーさん、選手が最高な環境でできる為に頑張っている会社の皆さん、スタッフ、特に12番サポーターの皆さんに、苦しい時幾度となく助けてもらい、自分の成長も、皆さんと「時には怒り、悲しみ、笑顏、喜び」があり、一緒に戦ってきました。横断幕と応援歌、すごく嬉しかったです。ありがとう。そして、日々共に努力し、競い合い、汗を流しあったチームメイトのみんな、サッカーは一人ではできません。みんながいるから成長できたことを誇りに思い、感謝しています。アントラーズに在籍して今日までの17年、ここまで育ててくれてありがとうございました。


2011/12/28 鹿島アントラーズよりMF野沢拓也選手移籍加入決定のお知らせ
この度ヴィッセル神戸では、2012シーズンの新戦力として、鹿島アントラーズよりMF野沢拓也選手(30)の完全移籍加入が決定しましたのでお知らせいたします。

野沢 拓也(Takuya NOZAWA)
■生年月日:1981年8月12日(30歳)
■身長/体重:176cm/70kg
■ポジション:MF
■出身地:茨城県笠間市
■チーム歴:稲田サッカースポーツ少年団(茨城県)
1994~1996 鹿島アントラーズジュニアユース
1997~1999 鹿島アントラーズユース
1999 CFZド・リオ(ブラジル)
1999~2011 鹿島アントラーズ

■出場歴:
J1リーグ戦通算 リーグ戦254試合出場50得点、リーグカップ戦43試合出場7得点、天皇杯34試合出場10得点
※2011シーズン リーグ戦34試合出場6得点、リーグカップ戦3試合出場0得点、天皇杯2試合出場1得点

■その他公式戦出場記録:
1999-2000年 第19回アジアクラブ選手権 1試合出場0得点
2001-2002年 第21回アジアクラブ選手権 3試合出場0得点
2003年 A3マツダチャンピオンズカップ 1試合出場0得点
2002-2003年 アジアチャンピオンズリーグ 2試合出場1得点
2008年 アジアチャンピオンズリーグ 6試合出場4得点、ゼロックススーパーカップ1試合出場1得点
2009年 アジアチャンピオンズリーグ 7試合出場2得点、ゼロックススーパーカップ1試合出場1得点
2010年 アジアチャンピオンズリーグ 7試合出場1得点、ゼロックススーパーカップ1試合出場0得点
2011年 アジアチャンピオンズリーグ 7試合出場2得点、、ゼロックススーパーカップ1試合出場1得点

■代表歴:
U-19日本代表(2000年)
U-21日本代表(2002年)
日本代表(2006年)

■野沢拓也選手コメント:

「この度、神戸でプレーすることを決断しました。自分の経験を生かして、クラブの目標であるタイトルを目指し、チームのために汗をかき、努力をし、戦います。応援よろしくお願いします。」

野沢の神戸移籍が正式に発表された。
決定と報じられておったが、一縷の望みを持っておった者も多かったので辛い気持ちである。
ここまでの経緯を今更掘り返したりはせぬ。
そして、野沢本人はかなり苦悩して決断に至った模様である。
その結論は尊重したいと思う。
野沢と申せば、二種登録で出場した1999年4月10日の京都パープルサンガ戦が有名であろう。
延長に入ったところでビスマルクに替わりピッチに入った野沢は、高校生とは思えぬプレイを魅せたものである。
そして、野沢の存在を我等の大きく知らせ締めたのは2005年であろう。
FWに抜擢された野沢は、アレック・ミネイロと2TOPを組み、満男と本山の4人でファンタスティック・フォーと呼ばれたものである。
当時のサッカーマガジンに於いて、「鹿島の4人は黄金か」と特集されたことも懐かしい。
2006年後半からは攻撃の中心選手として中盤に君臨し、代表候補にも選出された。
2007年の水戸戦で負った怪我が癒えた後の快進撃から奇跡の逆転優勝に貢献したことも記憶に残る。
オリヴェイラ政権では、特に野沢に頼るところが大きかった。
野沢の力で三連覇を勝ち得たといっても良かろう。
その野沢が、来季からは、巨大なる敵として立ちはだかってくることとなる。
我等は強い気持ちで叩きのめさねばならぬ。
野沢の今後のサッカー人生、そして野沢抜きの鹿島アントラーズに光が差すことを祈りたい。

箕輪氏、オリヴェイラ監督を抑え続けた男

2011年12月28日 | Weblog
「来年からは監督を止めに入らなくていい。それもさみしい」(鹿島運営担当・箕輪氏)
12月18日、今季限りで退任するオズワルド・オリヴェイラ監督のお別れ会がカシマスタジアムで開かれた。約400人のサポーターが駆けつける中、5年間で6つのタイトルをもたらした鹿島のレジェンドは「さよならとは言わない。また、会おう」の言葉を残し、日本を去った。多くのサポーターが涙で別れを惜しんだように、あるスタッフも特別な思いで立ち会っていた。
 鹿島運営担当の箕輪公成氏である。オリヴェイラ監督と言えば、判定へ激しく抗議する姿が思い出される。それも、スタジアムの大歓声を貫く、大きな声とジェスチャーで。実際に毎試合のように、主審から注意を受けていた。度が過ぎると、退席処分を受けるため、そうならないように監督と主審の間に割って入るのが同氏の務めだった。
 監督就任2年目を迎えた頃だろうか。試合中、同氏のポジションは決まった。ベンチ右後方5メートル。「そこがいつでもベンチ前に行ける位置。やばいな、そこからと思えば徐々に距離を詰めて、走り寄る」。大の大人の怒りを静めるのは、大変な作業である。時には「邪魔するな」などと怒声を浴びせられたが、頑として間に入り、監督をベンチに戻し続けた。
 雨の日はスーツの上にカッパを着て、ポジションについた。試合中、ベンチ前のコーチングエリアには、ベンチ入りの者しか出られないため、毎試合のように仲裁に入る同氏はJリーグから厳しく指導を受けていたが、「僕は処分を受けてもいいけれど、監督を退席させるわけにはいかない」と務めを果たした。
 我々、報道陣は敬意を表し、「ミノワマン」と呼んでいた。「リアルプロレスラー」のキャッチフレーズを持ち、屈強な総合格闘家として知られる美濃輪育久に例えたのだった。監督は5年間で4度の退席処分を受けることになったが、箕輪氏がいなければ、もっと多かったのではないだろうか。史上初のリーグ3連覇を成し遂げるなど、多くのタイトルを獲得できた陰には、汚れ役を買って出る人物がいた。
 鹿島のミノワマンは目を真っ赤にして言った。「来年からは監督を止めに入らなくていい。それもさみしい」。同監督がブラジルに発つ前、けんか腰で突き合わせていた胸を、初めて強く寄せ合った。(鹿島担当・内田知宏)


報知新聞の内田記者による囲み記事である。
鹿島のミノワマンが語るオリヴェイラ監督との思い出が綴られておる。
確かに激高するオリヴェイラ監督を何度も目の当たりにした。
それを抑える役目がミノワマンこと箕輪氏であった。
「来年からは監督を止めに入らなくていい。それもさみしい」
まさに寂しい。
それを乗り越えて、我等は前へ進みたい。
新たなる監督はどのようなパーソナリティを持っておるのであろうか。
それも楽しみである。

ジュニーニョ、競合を経て鹿島へ

2011年12月28日 | Weblog
川崎F退団ジュニーニョを鹿島が獲得
 鹿島は27日、今季限りで川崎Fを退団したFWジュニーニョ(34)を獲得したと発表した。完全移籍で、契約期間は1年。今季は6位に終わり、攻撃力アップを図るため、9年間で214得点を誇る点取り屋に白羽の矢を立てた。ジュニーニョには、札幌などのJクラブや、前日本代表監督の岡田武史氏(55)が監督に就任する中国スーパーリーグ杭州緑城もリストアップしていたが、元ブラジル代表で、来季監督に就任するジョルジーニョ氏(47)の下でのプレーを決断した。
 [2011年12月28日7時5分 紙面から]

昨日、獲得が発表されたジュニーニョであるが、札幌などの国内、そして中国の杭州緑城もリストアップしておったとのこと。
これらの魅力的なオファーの中から鹿島を選んだことを誇りに思う。
ニッカンではジョルジーニョの監督就任が決め手のように報じられておるが、本人のコメントを取ったようには受け取れぬ。
ここはスポーツ紙特有の推測からの記事であろう。
とはいえ、元セレソンであり、セレソンのヘッドコーチまで務めたジョルジーニョの下でプレイしたいと思うブラジル人は多かろう。
ジョルジーニョと共に一致団結し、勝利を得座したい。
その最先鋒がジュニーニョとなるのである。
楽しみにしたい。

ジュニーニョ、田代・野沢の穴埋めとなる

2011年12月28日 | Weblog
鹿島がジュニーニョ獲得発表 田代、野沢の穴埋めに
 鹿島が来季の戦力補強として、川崎FからFWジュニーニョを獲得することを発表した。来季終了までの1年契約。既に今季チーム得点王のFW田代と司令塔のMF野沢の神戸移籍が決まっており、J1通算205試合107得点を誇る助っ人に掛かる期待は大きい。

 また、今季、福岡で30試合8得点を挙げたFW岡本の獲得も決定。今季限りで契約を満了するGK杉山の札幌移籍、仙台に期限付き移籍していたGK川俣の復帰も発表された。

[ 2011年12月28日 06:00 ]

ジュニーニョの獲得を田代と野沢の穴埋めと報じるスポニチである。
ジュニーニョはそれだけの能力のある選手であることは周知の事実であろう。
また、田代と野沢の移籍は決定と言い切っておる。
ここで、田代こそ公式発表がなされておるが、野沢については音沙汰がなかった。
しかしながら、野沢本人は神戸移籍をフロントに伝えた報じられており移籍は決定的であることは紛れもない事実である。
後はクラブ間交渉を詰めるだけであろう。
金銭の支払い条件あたりがネックとなっておるのであろうか。
とはいえ、公式発表以前に決定と報じるのはルール違反である。
もう、今日にもオフィシャルに出ることは理解しておるが、我等には心情というものがある。
そこをメディアには察して欲しかったと願うのである。

サントス、新潟を退団

2011年12月28日 | Weblog
サントス コーチ 退団のお知らせ
いつもアルビレックス新潟に温かいご声援をいただきまして、誠にありがとうございます。当クラブでは、サントスコーチ(51)が、2011シーズンをもちまして退団することが決定いたしましたので、お知らせいたします。


サントス Carlos Albelto Souza Dos SANTOS
■生年月日
1960年12月9日(51歳)

■出身地
ブラジル・ゴイアス州

■選手歴
ゴイアスEC ※→GEノヴォリンゾチーノ ※→ボタフォゴFR ※→カステロブランコ ※→鹿島アントラーズ→清水エスパルス→ヴィッセル神戸→ザスパ草津
・※はすべてブラジル
・J1リーグ通算:265試合出場33得点

■指導歴
2004年 エスタシオ大学サッカー部監督
2005年 清水エスパルス ヘッドコーチ
2011年 アルビレックス新潟 コーチ


今季、新潟のコーチを務めておったサントスであるが、退団が決定したとのこと。
黒崎監督の右腕として辣腕を振るい、鹿島を苦しめたことで記憶に新しい。
新潟は良いコーチを得たと思ったものである。
来年からは新しい人生を歩むこととなる。
サントスと再び会うこともあろう。
そのときを楽しみにしたい。