鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

ナビスコ杯優勝コラム三本

2011年10月31日 | Weblog
【Jリーグ】鹿島がナビスコカップ優勝。明暗を分けた世代交代の"伝統"
浅田真樹●文 text by Asada Masaki
梁川 剛●撮影 photo by Yanagawa Go



決勝ゴールを決めた大迫をはじめ、着実に若い選手が育ってきている鹿島。

 ナビスコカップ決勝の前夜祭でのことである。浦和が優勝した2003年大会の決勝を振り返りながら、司会者が原口元気に尋ねた。
「当時はユースチームの選手たちも、スタンドで見ていたそうですね」
 すると、原口がポツリとひと言。
「いや、僕はまだ小学生だったんで……」
 傍(かたわ)らに立っていたキャプテンの鈴木啓太は、堀孝史監督と顔を見合わせて、苦笑いするしかなかった。その決勝でピッチに立っていた鈴木にしてみれば、改めて歳の差を思い知らされた、といったところだろう。
 実際、原口に代表されるように、浦和は若い選手が増えた。だが、言い方を変えると、世代交代があまりにも急激に進み過ぎた。
 延長の末に0-1で鹿島に敗れ、8年ぶりのナビスコカップ優勝を逃した試合を振り返り、堀監督は「鹿島のほうが、試合運びが一枚上だった」と言った。そして、「一枚上」の要因として挙げたのが、「経験」だった。
「前半、(浦和の選手は)積極的にゴールへ向かおうとしていたが、そこで(ボールを)引っかけられてカウンターを受けるという場面が、想定していた以上に出てしまった。もっと余裕を持って、どのタイミングでゴールへ向かうのがいいのかを考えなければならなかったし、私も指示すべきだった」
 確かに試合運びという点で、両者の間には経験の差が感じられた。浦和に退場者(山田直輝)が出たことをきっかけに、がっちりと試合の主導権を握り、それを最後まで放さなかったあたりは、さすが鹿島だ。

 とはいえ、決勝ゴールを決め、MVPを獲得した大迫勇也や、高卒ルーキーの柴崎岳に象徴されるように、鹿島でも世代交代は進んでいる。

 にもかかわらず、堀監督のコメントを引くまでもなく、鹿島からは経験不足ゆえの不安定さをそれほど感じることはなかった。

 もちろん、選手個々の素養によるところもあるだろう。中堅の立場に立つ29歳の青木剛は、19歳の柴崎について「自分が1年目のときは、あんなに落ち着いてプレイできなかった」と、冷静なプレイぶりに舌を巻く。また、大迫についても「高校時代に練習参加に来ているときから、すでにプロのDFを背負って堂々とやっていた」と振り返る。

 だが、決してそれだけではない。黄金世代のひとりとして、数々のタイトルを鹿島にもたらしてきた中田浩二は言う。

「(ナビスコカップ決勝のような)こういう試合で、勝つと負けるとでは大きな違い。勝って気づくことがあるから。自分も若いときは(年齢が)上の人に助けてもらって、いろんなことを学んだ。今日は、僕らが(柴崎)岳たちにそうしてあげられたと思うし、彼らもまた、下の世代に伝えていってくれればいい」

 鹿島はこのナビスコカップでこそ、優勝という最高の結果を手にしたものの、J1では波に乗り切れていない。首位・柏と勝ち点差17の6位(第30節終了時点)は、すでに優勝はおろか、AFCチャンピオンズリーグ圏内の3位の可能性も消えている。その状況は、世代交代途上ゆえの苦しみに見えなくもない。

 しかし、オズワルド・オリヴェイラ監督は「今季はチャンスを作っても決め切れず、引き分ける試合が多い。ゴール数がチャンスの数と質に見合っていない」と拙攻(せっこう)を嘆きながらも、「ゲームコントロールは、私が監督になってからの5年間で一番安定している」と自信を見せた。

 世代交代がひとつのキーワードとなった、今年のナビスコカップ決勝。交代出場も含めれば、21歳以下の選手が5人もピッチに立ち、見た目のインパクトで勝ったのは浦和である。

 しかし中田が言うように、鹿島には19年間、淀みのない世代交代で確実に受け継いできた「強さ」があった。この試合でも先発11人中30代が5人と、高齢化が目立つ鹿島だが、頼もしい若手は確実に育ってきている……、というより、頼もしくなるよう育てているわけだ。

 今年のナビスコカップ優勝で15冠目のタイトル獲得。世代交代において一日の長があったのは、やはり鹿島のほうである。

ナビスコカップ決勝戦後、「これは冗談です」と言ったオリヴェイラ監督
90分では勝ちきれずとも、120分戦えば勝利の確率が上がる鹿島のサッカー

Text by 後藤 健生

鹿島アントラーズのオズバルド・オリヴェイラ監督は、記者会見の最後に立ち上がって挨拶をした後、「先ほどの話は冗談だった」とわざわざ言い残し、拍手を受けながら会見場を去っていった。オリヴェイラ監督が「冗談だった」と言ったのは、会見の冒頭に「今シーズン、攻めていながら点が取れずに引き分けに終わった試合がいくつもある。今日のように延長まであれば勝てていたはず。来シーズンから、Jリーグは延長120分まで戦うようにしたらいい」と言ったことである。

当然、冗談である。当たり前だ。

わざわざ、「冗談です」と言わなくてもいいじゃないかとも思うが、何しろ、この国のサッカージャーナリストはすぐに発言を真に受けてしまう傾向がある。岡田武史監督が「会長に『私が監督をやっていていいでしょうか?』と聞いた」と冗談を言ったら、真に受けた新聞が本気で「岡田監督が進退伺い」と記事を書いてしまった事件すらあった。「一応、『冗談です』と言っておかないと、また何か書かれてしまうかもしれない」とオリヴェイラ監督は思ったのだろう。

そう、リーグ戦で延長をやるべきだなどというのは、もちろん冗談である(もっとも、Jリーグ発足当初は、実際にリーグ戦でも延長・PK戦をやっていたのだが……)。しかし、よく考えてみると、この発言は、じつは冗談のようであって、真実を衝いた発言だったのかもしれないような気もする。なぜ、鹿島アントラーズはあれだけ一方的に攻め続けながら、90分までに決着を着けることができず、なぜ、延長まで戦わなければならなかったのか?それは、鹿島というチームが無理な攻めをしないチームだからだ。ナビスコカップ決勝の浦和レッズ戦。鹿島は、120分間、試合を完全にコントロールし続けた。

山田直輝の退場で鹿島が1人多くなった30分間だけではなく、青木剛の退場で再び同数になった後の40分間も、そして山田退場の前の50分までも、すべての時間帯で鹿島は優位に立っていた。低迷する浦和を相手にして、鹿島にとって怖いのは速攻くらいのものだったろう。そこで、パスの出し手にプレッシャーをかけることよりも、受け手が入り込むスペースを消すことによって、鹿島は浦和の速攻の芽を完全に摘み取った。時折、エスクデロが上がってくるのを、中田浩二と青木の急造CBコンビが捕まえきれずにピンチを招いた場面があったが、それ以外には浦和にはチャンスらしいチャンスはなかった。

こうして、鹿島はしっかり守ってから、攻撃に移った。CBの2人はもともとがボランチの選手だけに、パスセンスがある。さらに、名手、小笠原満男からのロングボール。そして、野沢卓也の正確なロングボールが噛み合って、鹿島は浦和陣に攻め込み続けたのだ。だが、点は入らない。それでも、強引な攻め、無理はけっしてしない。したがって、前半の45分はどちらにもビッグチャンスがほとんどな膠着状態にも見えた。だが、「ゆったりした展開の膠着状態」というのは、鹿島側がイメージしていた通りの展開だったのだろう。

こうして、無理をせず、焦らずに攻めていればいつか点が入る。点が入らなくても、相手のDF陣に足を使わせることによって、相手を追い込んでいける。そして、チャンスの到来を辛抱強く待つ。それが、鹿島アントラーズのサッカーである。攻めていても、浦和も人数をかけてしっかり守っており、なかなかシュートまで行かない。シュートを打てるような場面でも、鹿島の選手はより安全な、より確実な状況を作り出そうと、さらにパスを回す……。もっと積極的にできないのか!とも叫びたくなる。そんな展開が続いた。

最後は、そういったコンセプトが功を奏して、浦和DFの足が止まっていたところを衝いて、鹿島が決勝ゴールを決めた。左サイドの興梠慎三がボールを受け、ドリブルに入ると、マークしているべき山田暢久が付いていけずに、田代有三とパス交換した興梠が抜け出し、最後は逆サイドをフリーで走りこんだ大迫勇也が決めて、これが決勝ゴールとなった。たしかに、これは必然のゴールだった。鹿島のロジカルな勝利と言うこともできる。だが、もし、これが延長のないリーグ戦だったら、試合は0-0の引き分けとなっていた。

そして、重要なのは、そういう展開になったのは、けっして偶然の出来事ではないということだ。点が入らなかったのは、シュートが雨あられのように飛んで、バーやポストに嫌われ続けたからではない。鹿島の攻めが慎重で、なかなか強引なところからはシュートを打たなかった。相手が疲れてから仕留めようとしていたからなのである。そう、オリヴェイラ監督が会見場で語ったように、「リーグ戦でも延長があったら」鹿島の勝点はかなり伸びていたはずなのだ。そういう攻め方をしているからである。

それは、ゆっくり、正確にパスを回して攻め続け(ただし、無理はせずに)、最後に相手の足が止まったところでトドメを刺す。それが、鹿島のサッカーなのだ。きわめてロジカル。ではあるが、相手の足がなかなか止まらないと、なかなか点が取れないまま90分が過ぎてしまう危険もあるわけだ。120分やれば、必ず、完全に相手の足を止められるが、しかし、90分では抵抗が続くこともある。そういえば、ワールドカップ3次予選の初戦、北朝鮮との試合がそうだった。日本が攻めに攻め、相手の足が止まり、そして後半のアディショナルタイムに吉田麻也のヘディングが決まって、日本が勝点3を確保した、あの試合だ。

あれも、もし、「0-0で終わった場合には30分の延長」というレギュレーションだったとしたら、日本は確実に勝てたはずだ。だが、90分だと、最後まで守りきられてしまう(勝点2を失う)可能性が残る。ううん、延長の30分間がどうしてもほしいのはオリヴェイラ監督ではなく、いつもベタ引きの相手と戦わなければならないザッケローニ監督の方なのかもしれない……。

ナビスコカップ決勝、黄金世代と新世代が融合。鹿島が15冠目のタイトル
Text by 元川 悦子

東日本大震災の影響でリーグ戦が1ヶ月半中断されるなど、混乱が続いた2011年のJリーグ。ヤマザキナビスコカップも大会日程が大幅に変わり、準々決勝以降のホーム&アウェー方式も取りやめになった。そういう難しい環境の中、ファイナルまで勝ち進んだのは浦和レッズと鹿島アントラーズ。浦和は1回戦から参戦し、モンテディオ山形、大宮アルディージャ、セレッソ大阪、ガンバ大阪と合計6試合を戦ったが、アジアチャンピオンズリーグ(ACL)のため2回戦までを免除された鹿島は横浜F・マリノス、名古屋グランパスとの2試合に勝っただけで、決勝までやってきた。

この過程を考えると、浦和の方が勝者に相応しかったのだが、やはり試合巧者の鹿島は要所要所を確実に締めてくる。29日の決勝戦でも危なげない戦いを見せ、大迫勇也が挙げた決勝点を守りきって1-0で勝利。クラブ15冠目のタイトルを手中にした。

とはいえ、今季の鹿島は順風満帆というわけにはいかなかった。3月の大地震で本拠地のカシマスタジアムやクラブハウスが被災。福島第一原発事故の影響もあって、一時は活動休止にまで追い込まれた。その後、再び始動したものの、序盤はチームがかみ合わずに大苦戦。鹿島最大の武器である堅守が崩れ、さらには昨季限りでチームを去ったマルキーニョスの穴が大きく、決定力不足にあえぐことになったのだ。カルロン、本田拓也など期待の新戦力たちも思うようにフィットせず、西大伍もケガからのスタートを余儀なくされたうえ、小笠原らベテラン勢もコンディションが上がらないなど、あらゆる意味で誤算が続いた。

このため、やっとの思いで1次リーグを2位通過したACLもラウンド16で早々と敗退。リーグ戦でも足踏み状態が続いた。夏以降調子を上げてきて巻き返したものの、序盤戦の取りこぼしの影響が大きく、柏レイソル、ガンバ大阪、名古屋グランパスの上位陣とは大きな差をつけられてしまった。

オズワルド・オリヴェイラ監督はこの苦境を乗りきるために、若手とベテランをローテーションさせながら使うという策を推し進めた。サイドバックなら新井場徹とアレックス、西、ボランチなら小笠原、青木剛、増田誓志、柴崎岳、FWは興梠慎三、大迫勇也、田代有三というように、1つのポジションを複数メンバーにやらせて、穴ができないように配慮したのだ。層が薄かったセンターバックにしても、岩政大樹がケガをしたら、青木を下げたり、新人の昌子源を起用したりと、使える陣容をできる限り増やした。

そんな指揮官の「選手層の充実」と「緩やかな世代交代」の効果が、この浦和との大一番に出たといえるのではないか。

立ち上がりの鹿島は守護神・曽ケ端準、最終ラインを統率する中田浩二、中盤の要・小笠原満男の黄金世代トリオがチームを締めていた。98年入団で、鹿島の10個のタイトルに貢献してきた彼らが軸にして、同世代の新井場と野沢拓也が脇を固めることで、それ以外の若手たちも安心して戦えたに違いない。そしてプレッシャーのかかる場の空気に慣れた時点でキャプテン・小笠原を下げ、増田を起用。ボランチを増田と野沢にして、攻撃にさらなるてこ入れを図ったのだ。

勝負のかかる一番重要な局面で、小笠原を下げるというのはリスキーではないかと正直、思った。だが、増田が積極的ミドルで相手を脅かし、不慣れな右サイドに入った柴崎が相手の裏を取りつつ、強烈シュートをクロスバーに当てる働きを見せ、興梠や大迫も足がつりそうになりながら前線に飛び込み続けるなど、小笠原がいない影響は攻撃陣には全くなかった。

もちろん、曽ケ端と中田浩二、新井場というベテランが守備をリードしていたことが大きかっただろうが、若手たちも自信を持って堂々と自分たちの力を発揮していた。その結果として延長前半15分の大迫のゴールが生まれる。これも田代が得意のポストプレーで敵をひきつけ、興梠が快足を生かしてスペースを突き、大迫が逆サイドで飛び込むというそれぞれの長所が前面に押し出されたゴールだった。

「今のウチは年齢バランスがすごくいいと思う」と小笠原も語っていたが、鹿島はいい具合に世代交代を推し進めつつある。今回のタイトルは、黄金世代と新世代が融合して取った初めてのタイトルといっていい。かつて栄華を誇ったヴェルディ川崎やジュビロ磐田らができなかった「世代交代しながらの勝利」を鹿島は確実に遂行しつつある。来年には大学ナンバーワンMFといわれる山村和也(流通経済大)や内田篤人(シャルケ)の後釜といわれる伊東幸敏(静岡学園)ら大きな可能性のある若手も加入する。彼らが不安のある守備陣の一角を占めるようになれば、鹿島の選手層はさらに厚くなるだろう。

オリヴェイラ監督の手腕ももちろん大きいが、巧みなクラブ強化はJリーグのいいお手本。他クラブの強化関係者も彼らの15冠獲得にいい刺激を受け、学んでほしいものだ。


浅田氏、後藤氏、元川女史のコラムである。
それぞれ見解・視点が異なって面白い。
しかしながら、結果的にタイトルを得た鹿島を褒め称えることとなる。
今年のナビスコ杯優勝だけでなく、ここまで積み重ねてきた実績・経験がこの結果を呼び込んだこととなろう。
これからも、歴史を積み重ね、更なるタイトルを狙っていきたい。
それが鹿島アントラーズである。

誓志、ミニゲームの王様

2011年10月31日 | Weblog
2011年10月31日(月)

浦和戦にスタメン出場した選手たちはランニングなど、リカバリートレーニングを実施しました。その他のメンバーはミニゲームを行っています。

ミニゲームを行う誓志である。
若手への手本となり、素晴らしいボールコントロールを魅せる。
中盤の底という適職に馴れ、躍動感を感じさせておる。
今後の鹿島を引っ張っていく選手であろう。
頼もしい誓志と共に勝利を喜びたい。

おしゃべりな岳の素顔

2011年10月31日 | Weblog
鹿島のルーキー柴崎岳、高いレベルに順応できる力
「情熱的で献身的なマイペース」の19歳

2011年10月31日(月)

■宇佐美、宮市ら「プラチナ世代」の筆頭


ナビスコカップ決勝で高卒ルーキーながら先発フル出場を果たした柴崎(左)。1年目で自身初となるタイトルを獲得した【写真は共同】

 ナビスコカップ決勝でただ一人、高卒の新人選手がスタメンに名を連ねた。鹿島アントラーズ期待のルーキー柴崎岳は、試合開始のホイッスルから優勝が決まったタイムアップの瞬間まで、国立のピッチに立ち続けた。
 現在、日本サッカー界の将来を担うネクストジェネレーションとして頭角を現しつつある「プラチナ世代」。その筆頭には、宇佐美貴史(バイエルン・ミュンヘン)、宮市亮(アーセナル)と若くして海を渡った者が挙げられるが、柴崎もまた、その最前線を走る才能豊かな選手の1人である。

 青森県の北東部にある野辺地町で生を受けた柴崎。東北の天才少年として、野辺地SSS時代から県内では注目の存在であった。中学校は名門・青森山田中に進学。中学生とは思えない落ち着きはらったプレーを見せつけ、中学3年時には飛び級で青森山田高のレギュラーをつかむまでになった。中学2年生から3年生に進級する春、柴崎と初めて会った時に強烈な印象を受けた。彼は関東でのフェスティバルに青森山田高の一員として参加。当時から表情は大人びていて、プレーも落ち着いていた。
「年齢は関係ないと思っています。僕は一番年下ですが、サッカーなのでやることは変わらないし、こうしてうまい人たちとできるので、チャンスだと思っています」

■百戦錬磨の選手がそろう鹿島でも出番をつかむ

 柴崎は上のカテゴリーに放り込まれても、すぐに順応する能力を兼ね備えていた。中学生で高校生のチームに順応するのは非常に難しい。この年代の1学年差は成長速度から言っても非常に大きく、ましてや彼が務めるボランチは周りを動かす立場であり、思い切りトライできるサイドMFやFWなどと違って、難しいポジションでもある。だが、中学生の柴崎は、デビュー戦からすんなりとフィットした。それどころか、柴崎が指示を出して、自らボールを呼び込んでは、上級生たちを巧みに操っていたのだ。

 それは年代別の日本代表においても変わらなかった。プラチナ世代と呼ばれる同年代には、宇佐美、高木善朗(ユトレヒト)、宮吉拓実(京都)、堀米勇輝(甲府)と技術の高いJユースのタレントがそろっていたが、その中でも柴崎の存在は際立ち、チームにとって欠かせない存在になっていった。しかも、彼は単にフィットするだけでなく、そこから突き抜けることができる。青森山田高では中学3年生ながら不動のレギュラーに定着し、進学後は絶対的な存在に。また、U-17日本代表ではナンバー10を背負い、U-17ワールドカップで中盤の核を担った。

 そして鳴り物入りで入団した鹿島においても、けがこそあったが、百戦錬磨の選手がそろう中で、1年目から早々と出番をつかんだ。気がつけばスタメン起用されるようになり、冒頭で述べたように、ナビスコカップ決勝で120分フル出場し、自身初のタイトルを手に入れた。また、ロンドン五輪を目指すU-22日本代表候補にも選出されている。

■クールに映るも、素顔はおしゃべりで熱血漢


U-22日本代表にも選出。チームの状況に自分のプレーをアジャストできる能力も強みだ【写真は共同】

 なぜ、柴崎は高いレベルでもすぐに順応できるのか。それは卓越した技術だけが理由ではない。彼は一見クールに映るが、実はかなりの熱血漢である。メディアは柴崎を語る際、冷めている、動かない、口数が少ないと表現しがちだが、それは高校時代のマスコミ応対、プレースタイルの印象が強いからだろうか。

 しかし、実際の柴崎は非常におしゃべりだし、言葉をよく知っている。頭の回転が速く、思っていることを言葉にするのもうまい。何より、言われたことに対する反射神経もいい。青森から鹿島に移る時、「ずっといた青森を離れるのは寂しい?」と聞くと、「青森県に18年間住んでいますからね。雪がないところでサッカーができるということは最高なんじゃないですかね(笑)。地元を離れる寂しさはありますが、年に何度かは帰って来れますし、新青森駅もできましたからね(笑)。青森新幹線に乗ってみたいな。ファーストクラスとかありますからね」と18歳(当時)らしい無邪気な一面を見せた。かと思えば、「プロに入ってから対戦したい選手は?」と尋ねると、「ガンバ大阪の某選手の名前(=宇佐美)を口にすればいいですか(笑)」と返す余裕もある。

 サッカーに対する情熱、向上心も強烈だ。加えて、現在の自分の立ち位置を冷静に受け入れ、周りを見て判断できる力を備えている。最後の高校選手権を迎えるにあたって、彼はこう語っている。
「自分がこれから行く世界は、より自立しないといけない世界。親からの自立、監督からの自立、周りからの自立。こういう周りの人たちからサポートされながらサッカーができるのは、高校サッカーまでですよね。ここから先はそんな優しい世界ではないことは理解しています。だからこそ選手権は、今までサポートをしてくれた人たちに感謝の気持ちを表現する大会にしたい」
 これはそう簡単に口にできる言葉ではない。周りに対して素直に感謝し、行動に移す。そこにはオーバーなリアクションや派手なリップサービスはいらない。あくまで自分の表現方法で分かってもらえればいいという考えだ。

■状況に応じて生かす側、生かされる側を選択

 プレー面でも常に練習から味方のスタイル、チームの状況を客観的にとらえ、それに対して自分のプレーをアジャストできるのも強みだ。

 U-22日本代表合宿時、「元からあったチームに入る難しさはあります。既存のチームに溶け込むには努力しないといけないし、チームのコンセプトを理解して、自分のプレーをアジャストさせないといけない。自分勝手なプレーはあってはならないことなので、まずチームの理解を深めて、自分のプレーを出していきたい。基本的には鹿島でやっていることがベース。鹿島でやっていることが評価されて、こうして呼ばれたわけですから、まずはその部分を出して、プラスアルファでこのチームのコンセプトに合わせたい」と語っていた。我を貫くのは、それがチームとして機能すると確信した時で、それ以外では周りの状況を見ながら、チームとして生きるプレーを選択できる。その証拠に、彼は生かすプレーだけでなく、生かされるプレーも好む。

「誰かのパスに操られたり、誰かのためにスペースを作ったりと、相手に使われるプレーも好きなんです。特にうまい選手には生かされたい気持ちが強い。別に自分が使う側に立たなくても、自分がより生かされるのであれば、それでいい」
 この言葉の裏には、自らが率先して献身的に動きたいという意思が見える。実際、青森山田では絶対的司令塔だったため、周囲を生かす側に立ったが、U-17日本代表では、宇佐美や小島秀仁(浦和)など実力者がいたため、生かされる側に回ることもあった。現在、鹿島では何度もフリーランニングを繰り返して生かされる側に、U-22日本代表では中盤の底で生かす側と、状況を見ながら自分のプレーを選択し、高いレベルでこなしている。

 精神的にも落ち着いて周りが見えている。だが、決して冷めているわけではなく、負けず嫌いで、向上心は絶やさない。
「あくまで僕は僕だし、人に流されるような性格ではないので、常にマイペースでいきたいですね。いきなりドンと活躍して、その後、トーンダウンしてしまう選手もいると思うので、そうならないようにしないと」
 こう話す柴崎を表現するならば、『情熱的で献身的なマイペース』とでも言おうか。これこそ、彼のスタンスである。今後、鹿島で、そしてU-22日本代表でどう進化していくのか。楽しみな19歳の行く末を、これからも追い続けたい。

<了>


プレイに於いては沈着冷静な岳の素顔はおしゃべりで熱血漢とのこと。
頭の回転が早く、良い頭脳を持っておることもわかる。
サッカーに必要な「3つのB」のうち最も鍛えにくいBrainを有している選手と言えよう。
今も素晴らしいプレイを魅せてくれるが、今後が更に楽しみである。

ユース、欧州遠征へ

2011年10月31日 | Weblog
鹿島ユースが来年3月に欧州遠征
 鹿島ユースが選手強化のため、来年3月に欧州遠征を計画している。スペインなどが候補地に挙がっており、バルセロナユースとの対戦も視野に入れ、調整に動いている。クラブ幹部は「野沢、曽ケ端に続き、定期的にレギュラーで活躍できる選手を育成したい」と意気込む。今季は初のブラジル人監督キッカ氏を招聘(しょうへい)し、本格的な育成強化に着手。大手菓子メーカー明治とアドバイザー契約を結び、栄養士から寮の食事のメニューなどアドバイスを受けている。成果は出ている。今年8月のルーマニア遠征では親善試合でRマドリードユース(スペイン)を撃破。来季は3人がトップチームに昇格することが決定し、常勝鹿島は土台固めも着実に行っている。
 [2011年10月31日7時38分 紙面から]

鹿島ユースが2012年3月に欧州に遠征を計画しておるとのこと。
これは素晴らしい。
鹿島アントラーズは若年層の育成に余念がない。
一昨年のいまいち君去年の聖真今年の鈴木隆雅くん・中川くん・宮内くんと定期的に昇格しており、育成は確実に成果を上げておる。
更に、ユースにキッカ監督を招聘つくばにアカデミー施設を造るなど、未来を見据えた投資を怠っておらぬ。
若き世代から育成を行い、未来永劫勝利を積み重ねていきたい。
鹿島は目先の勝ちだけを求めているだけではないのだ。
過去も、現在も、未来も鹿島と共に歩んで行こうではないか。
楽しみである。

エルゴラッソ、十五冠。そして鹿島は鹿島らしく

2011年10月31日 | Weblog
[1079号]十五冠。そして鹿島は鹿島らしく


ナビスコ杯を戴冠し十五個目のタイトルを得た鹿島を報じるエルゴラッソである。
マッチレポートも写真も豊富であり、購買地域の民は必ずや購入すべきであろう。
これからもこの最後の新聞に多くのページを割いてもらえるよう勝利を積み重ねたい。

シャルケ・篤人、15冠を祝福

2011年10月31日 | Weblog
ナビスコV鹿島、内田からも祝い花&メール
2011.10.31 05:01


鹿島クラブハウスに届いた内田篤人からの祝い花

 鹿島は30日、ナビスコ杯制覇から一夜明け、練習オフのクラブハウスにはひっきりなしに電報や祝い花が届いた。昨季途中まで所属した日本代表DF内田(シャルケ)からもクラブ通算15冠目を祝う花が贈られ、選手やスタッフには「優勝おめでとう!」とメールが届いたという。内田は現地時間29日のホッフェンハイム戦に右太もも痛で離脱してから約1カ月ぶりのベンチ入り。出番はなかったが、古巣の劇勝を励みに順調な回復をアピールした。
(紙面から)

ナビスコ杯優勝に祝福したシャルケの篤人である。
篤人在籍時には得ることの出来なかったタイトルだけに、彼も喜んでおろう。
遠く離れても、鹿島はもうひとつの故郷として心の片隅においてくれておる模様。
我等も嬉しい。
これからも共に戦っていきたい。

JEF・深井、PK失敗

2011年10月31日 | Weblog
【J2:第33節 千葉 vs 徳島】試合終了後の各選手コメント(11.10.30)
●深井正樹選手(千葉):
「(PKを蹴った場面は)コースは甘くなかったと思います。完全に(徳島のGKに)読まれただけだと思います」

Q:チームがなかなか得点できていない中でプレッシャーはありましたか?
「いや、特にありませんでした。でも、これがシーズンの初めの頃だったり、中間ぐらいだったりしたら許される失敗かもしれないけど、シーズンも終盤でJ1昇格争いをしている中で、しかもホームゲームで先制しなきゃいけない状況で、ああいうミスをしてしまったのは残念です。チームとしては、アタッキングサードのところで誰がどうするのかという課題が残っている。その場面でシュートを打つのは誰が一番いいのかっていうのは、ボールを受けて持っている選手が判断するところだけど、周りの選手もいい状況を作れるようにサポートしないといけない。
(試合の終盤にオーロイ選手とファン ゲッセル選手が入って、ロングボールを入れるパワープレーになった時は)僕としては2人のこぼれ球を狙っていたんですけど、攻撃的な選手が全員、そのラインに入りすぎていたかなと思う。そのへんは後ろでバランスをとってもらわないといけないかなと思います」


PKを失敗したJEFの深井である。
結果的に敗戦となり、J1昇格が遠のいてしまったことは事実であろう。
我等としても深井との対戦が楽しみであるため、J1復帰をお願いしたいところ。
とはいえ、弱いままで上がってきても、不甲斐ない結果がつきまとうだけである。
監督をコロコロ変え、戦術も一定させられぬようなクラブは、目先の結果に囚われてしまうであろう。
しかしながら、他所様の心配をする余裕は我等にはない。
鹿島は継続を伝統に勝利を積み重ねていくだけである。
長い目で戦っていこうではないか。

ナビスコ杯優勝をリーグ戦へ活かせ

2011年10月30日 | Weblog
ナビスコ決勝から得られるもの
ナビスコ杯決勝 浦和レッズ0-1鹿島アントラーズ

2011年10月30日(日)

■10月29日のファイナルに思うこと


ナビスコ杯決勝は晴天の下で行われ、観客数は6年ぶりに4万5000人超に。国立競技場は真っ赤に染まった【Getty Images】

「ナビスコカップ決勝といえば、文化の日」
 そんな感覚が染みついている日本のサッカーファンにとり、10月29日のファイナルというのはちょっと意表を突く日程に感じられたのではないか。調べてみると、10月下旬にナビスコカップ決勝が行われたのは、2001年のジュビロ磐田対横浜F・マリノス以来のこと(PK戦の末、横浜FMが優勝)。以降9大会、ずっと文化の日の休日を中心に、いずれも11月初旬に国立競技場で決勝が行われている。余談ながら、文化の日である11月3日は「特異日」の1つとして知られており、かなりの確率で快晴になっている(そういえば、ナビスコ杯決勝が雨にたたられたという記憶はほとんどない)。幸いにしてこの日は、文化の日に負けないくらいの晴天に恵まれた。

 今年のナビスコカップが「いつもと違う」ことについて、もう少し言及しておきたい。今大会は、決勝の日が前倒しになったことよりも、試合数そのものが激減していることに留意すべきであろう。このファイナルにたどり着くまでに、浦和レッズは6試合、ACL(アジアチャンピオンズリーグ)に出場していた鹿島アントラーズは2試合しか経ていない。近年は、予選リーグ(6試合)+トーナメント(5試合)というのが、大会の基本フォーマットであった。しかし3月11日に発生した東日本大震災の影響で、大会方式は大きな見直しを迫られることとなる。具体的には、予選リーグの廃止、そして準々決勝と準決勝がホーム&アウエーから一発勝負となった。

 以前、大東和美Jリーグチェアマンにインタビューした際、震災からわずか3日後の3月14日にヤマザキナビスコ社を訪れていることを明かしてくれた。いわく「14日の午前中に私どもの思いを説明し、事情を分かっていただきまして、ヤマザキナビスコカップ(の日程変更)については『Jリーグさんに一任します』というお話をいただきました。その日のうちに、3月の試合は全部中止にするということを決断、発表しました」。主催者側の迅速な対応もさることながら、その決断を全幅の信頼をもって「一任します」としたスポンサーとの強固な結びつきも感じさせる証言である。
 残念ながら今大会は、試合数の激減に加えて、1試合あたりの入場者数も振るわなかったようだ(決勝までの26試合のうち、1万人を超えたのは10試合にとどまった)。それでもこの晴天の下、無事にファイナルが開催されたことを、本当に喜ばしく思う。人気クラブ同士の対戦ということもあり、この日の観客数は6年ぶりに4万5000人を超えた(4万6599人)。

■「ナビスコ杯どころでない」浦和と「やっぱりタイトルが欲しい」鹿島

 浦和のレッドと鹿島のワインレッドで真っ赤に染まった国立のスタンド。両者が決勝で対戦するのは、02年大会と03年大会に続いて今回が3度目となる。ここで両チームの立ち位置を確認しておく必要があるだろう。浦和と鹿島とでは、この大会に向けてのスタンスが大きく異なるからだ。

 浦和はJ2降格の危機におののく日々が続いていた。8試合連続で勝利から見放され、降格圏内の16位に沈んだ時点でゼリコ・ペトロヴィッチ監督が辞意を表明。ユースチームの監督だった堀孝史が後任監督に選ばれ、その初戦となる22日の横浜FM戦には勝利したものの、依然として予断を許さぬ状況に変わりはなかった。大部分のサポーターも「今年はタイトルよりも、まずJ1残留」というのが偽らざる心情であろう。それにしても、初めてトップチームを率いることになった2試合目で、いきなりリーグカップの決勝に臨む堀監督の心情は、いかばかりであろうか。

 対する鹿島はどうか。こちらは現在リーグ6位。一時の低迷を脱したとはいえ、首位の柏レイソルとは17ポイントも引き離されており、残り4試合での王座奪還は不可能となっている。震災の影響に加えて、退団したマルキーニョスの穴を埋める選手の獲得にも失敗。さらには、ACLの過密日程にも悩まされるなどして、今季の鹿島はチームが本来持っていたポテンシャルを発揮できないまま、雌伏の日々を過ごすことを余儀なくされた。

 この試合を中継したテレビ局は、鹿島について盛んに「常勝軍団」を連呼していたが、こと今季に関しては、その表現がおよそ適切だったとは思えない。とはいえ、彼らがタイトルに貪欲であることに変わりはない。この決勝に勝利すれば、鹿島にとっては15回目のタイトルであり、5年連続の3大タイトル獲得となる。またオリヴェイラ監督にとっても、初のナビスコカップ優勝となるのだ。少なくとも、タイトルへの飢餓感という意味では、戦前から鹿島の方が上回っていたことは間違いないだろう。

 ナビスコカップに優勝すれば、1億円の賞金といくつかのトロフィー、そしてスルガ銀行チャンピオンシップ(コパ・スダメリカーナ優勝チームと対戦)の出場権が得られるものの、降格が免除されるわけでもなければ、ACLに出場できるわけでもない。そんな中、リーグ戦での不調にあえぐ両チームが、この試合から何を得ることができるのか。今年のナビスコカップ決勝は、むしろそこに着眼点を置くべきなのかもしれない。

■不可解な退場にも冷静に対応した鹿島


喜ぶ鹿島の選手たち(手前)とうなだれる浦和の原口(奥)。決勝の戦いが両チームの今後にどのような影響を与えるのだろうか【Getty Images】

 攻める鹿島、耐える浦和。試合のトーンは延長戦を含む120分間、ほぼ変わることはなかった。鹿島は、野沢拓也の正確無比なキック、新井場徹の思い切り良い右サイドからのオーバーラップ、そして中盤に君臨する小笠原満男のラストパスから再三チャンスを演出。これに、前線の大迫勇也と興梠慎三が積極的に絡んでいく。対する浦和は、好調の梅崎司が右サイドで起点となり、逆サイドの原口元気、そして1トップのエスクデロ・セルヒオが、カウンターからドリブルで仕掛ける。しかし攻撃のチャンスは極めて限られており、時折、敵陣に攻め上がっても、中田浩二を中心とする鹿島の守備網に絡め取られてしまうシーンが繰り返された。

 ポゼッションでも戦力でもベンチの人材でも圧倒的な鹿島に対し、果たして浦和にいかほどの勝機があるのか。そんなことをつらつらと考えていた後半5分、MF山田直輝が2枚目のイエローカードをもらって退場。ただでさえ劣勢の浦和は、さらなる窮地へと追い込まれてしまう。ここからは鹿島の、というよりも野沢の独壇場。セットプレーやクロス、さらには自らもシュートを放つことで、何度となく浦和のゴールを脅かす。しかしこの日は、浦和の新しい守護神・加藤順大が何度となくファインセーブを連発。浦和の守備陣も驚異的な粘りを見せ、容易にゴールを割らせようとしない。

 スコアレスの均衡が続くうちに、それまで劣勢を強いられていた浦和に追い風が吹く。後半35分、鹿島のセンターバック青木剛が、これまた2枚目のイエローで退場。ドリブル突破を試みる原口に、腕を絡ませながら阻止したというものだが(記録上では「反スポーツ的行為」)、それほど悪質だったとは思えないし、原口が倒されたわけでもない。いずれにせよ、これで双方10人ずつとなり、それまで耐えに耐えてきた浦和が盛り返す契機となる。それでも鹿島は、右サイドの新井場がセンターバックに、そしてボランチの柴崎岳が右サイドにスライドすることで、この窮地に迅速に対応。青木の抜けた穴をしっかりふさいで、0-0のまま90分を終えた。

 この試合、唯一のゴールが決まったのは、延長前半終了間際であった。左に展開した興梠から、途中出場の田代有三にロビングのパスが渡り、田代が胸トラップからリターン。これを興梠がゴール前にラストパスを送り、最後は大迫が右足ワンタッチでネットを揺らす。何度となく攻め続けながら、ようやくもぎ取った1点。結局、この大迫の一撃が決勝点となった(大迫はこの試合のMVPにも輝いている)。

■ナビスコ杯決勝で得た教訓が、今後のリーグ戦にどう生かされるか?

「震災後初めてのタイトルを僕らが取れたことは大きいと思う。東北だけじゃなくて、茨城も、鹿島のファンも被災されている方が多い。そういう人に勇気だったり、希望を与えられたんじゃないかと思う」

 この日は守備の要として、目立たないところで失点ゼロに貢献した鹿島の中田は、このようにコメントしている。つい忘れられがちなことだが、今回の震災では茨城も、東北3県に続くれっきとした被災地であった。そうした状況を考えるなら、震災後初のタイトルとなるナビスコカップを鹿島が制したのは、非常に象徴的かつ意義深いものであったと言えよう。もっとも、今回のタイトルが「たった3勝しただけ」で得たものであることを揶揄(やゆ)する意見もあるかもしれない。とはいえ準々決勝で横浜FMを、そして準決勝で名古屋グランパスを、いずれも延長戦の末に下し、そして決勝でも120分の死闘を制したのである。この憎らしいまでの勝負強さを思えば「たった3勝しただけ」という評価は、いささか説得力を欠くと言わざるを得ないだろう。

 一方で、この「120分での勝利」という結果は、裏を返せば「90分で決着をつけられない」ことと同義でもある。今季の鹿島は、第30節を終えて引き分けが9試合。ずい分と勝ち点を取りこぼしている。試合後の会見でオリヴェイラ監督は「来季のJリーグは120分でやってほしい」と冗談を言いながらも、「チャンスの数と質に対して、どうすれば成果を出せるようになるのか」と苦しい胸の内を垣間見せている。昨年度の天皇杯覇者でもある鹿島は、もしかしたら「カップ戦に強いチーム」になってしまったのだろうか(ただしACLの戦績は芳しくなかったが)。タイトルこそ獲得したものの、常勝軍団復活のための鹿島の模索は、今後も続くことになりそうだ。

 では、準優勝の浦和についてはどうか。堀監督は、いくつかのさい配ミスを認めた上で「やはり向こうの方が一枚上手でした」と完敗を認めている。確かに、経験値でも戦力でも、浦和は鹿島に大きく水をあけられていたことは間違いない。しかしながら、1人少なくなってからイーブンになるまで、浦和がチーム一丸となってゴールを死守し続けた30分間は、見る者に少なからぬ感動を与えていたように思う。結果として敗れはしたが、このナビスコカップ決勝で得た経験は、今後の残留争いを戦い抜く上で、何かしらの示唆をチームに与えたのではないか。

 かくして、日本3大タイトルの1つは、鹿島が獲得することとなった。だが、これですべてが終わったわけではない。この決勝が両チームの今後の戦いに、どのような影響を与えていくのか――残り4試合となったリーグ戦を観察する上で、非常に興味深いテーマとなりそうな気がする。いずれにせよ鹿島も浦和も、ナビスコ決勝で得た教訓を生かしながら、納得できるリーグ戦のフィナーレを迎えてほしいところだ。

<了>


宇都宮氏によるナビスコ杯決勝戦のコラムである。
2003年の文化の日は特異日であっということか。
そうでなければ、浦和に負けるはずなど無い。
などと、今更持って悔しさをぶつけてみたくもなる。
とはいえ、あの年の決勝戦は平瀬とフェルナンドが出場停止であり、熊谷・中田コは欠場、相馬も負傷で先発起用できず、エウレルも負傷明けと満身創痍で、ベストメンバーが組めなかった。
エースのエウレルも怪我が悪化し途中交代となり、万事休すであったと言えよう。
これでは、勝利するのは困難だったと言えよう。
それはそうと、このコラムは不可解な青木の二枚目のイエローカードについて言及しており、メディアとしての正義を感じる。
宇都宮氏が申すように、このカップ戦での勝利をリーグ戦へつなげ、ひとつでも順位を上げて行き、今季を終えたい。
それこそ我等が望むことである。
期待しておる。

ナビスコ杯決勝戦レポート

2011年10月30日 | Weblog
【ヤマザキナビスコカップ:決勝 浦和 vs 鹿島】鹿島側レポート:鹿島側FW3人の特長が出た美しいゴールで鹿島が15冠を達成!オリヴェイラ監督も自身初のヤマザキナビスコカップ制覇を成し遂げる。(11.10.30)
10月29日(土) 2011 ヤマザキナビスコカップ 決勝
浦和 0 - 1 鹿島 (13:10/国立/46,599人)
得点者:105' 大迫勇也(鹿島)


延長前半もスコアレスのまま終わろうとしたときチャンスは来た。左サイドでパス交換を試みた興梠慎三だが、それに失敗。しかし、そのこぼれ球に100分以上走り回ったとは思えない速さで駆け寄り、再びボールをおさめてしまう。もしかしたら、この時点で勝負ありだったのかもしれない。ゴール前にはディフェンスを背負った田代有三。左の興梠からのパスを胸トラップした田代が、DFラインの裏に飛び出した興梠に再びパスを戻すと、マークしていた山田暢久はその速さに付いていけない。フリーの興梠は落ち着いて中央にクロスを送ると、逆サイドに飛び込んでいたのは大迫勇也。「合わせるだけでよかった」と言うクロスを難なくゴールへ蹴り込み、鹿島が待望の先制点を奪う。それは、田代の高さ、興梠の速さ、大迫の決定力という三者三様の特長が織りなす美しい決勝ゴールだった。

「今年は本当にいろんなことがあった」
キャプテンの小笠原満男がそうふり返るとおり、簡単なシーズンではなかった。震災によりクラブは活動休止に追い込まれ、ホームタウン一帯はあちこちにヒビ割れが走り、断水した地域も多かった。ホームスタジアムであるカシマスタジアムも使用できず、ホームゲームは国立競技場で代替開催しなければならなかった。
活動を休止した影響は予想外に大きかった。選手たちのコンディションは揃わず試合のパフォーマンスも安定しない。世代交代を図りチームの3分の1の選手が入れ替えたが、その連携を深めるための時間は奪われ、らしさを失ったままアジアチャンピオンズリーグではFCソウルの前に惨敗。リーグ戦でも16位まで順位を下げる出だしだった。

しかし、そこから再浮上。田代の高さと増田誓志のフィジカルの強さでゲームの主導権を握れるようになると徐々に勝ちを重ね、大迫や柴崎岳が台頭し、小笠原も復活。いつの間にか、リーグ屈指の陣容に生まれ変わっていた。それが花開いたのがこのヤマザキナビスコカップだったと言えるだろう。大迫は3戦連発で文句なしのMVPを獲得。柴崎も3試合すべてが延長戦となるなか、フル出場してチームのクオリティを保った。

試合後に、サポーターに招き入れられ観客席まで登って歓喜を分かちあったオリヴェイラ監督は、「まず、アントラーズの選手たちにおめでとうと言いたい」と言って会見に入った。いつもは質疑応答から始める監督だが、この日は選手への感謝を口にせずにはいられなかったのだろう。相手が一人少ないなか、点を取るために攻撃のカードを切った直後にこちらも退場者が出る苦しい展開。最終ラインには中田浩二しかレギュラーがおらず、新井場徹がセンターバック、柴崎とフェリペ ガブリエルが両サイドバックを務めるという窮余の策を取らざるを得なかった。にもかかわらず、安定感のある戦いを披露。「全体で共通意識を持って上手くできた」という中田の言葉通り、意思疎通の賜物だろう。指導する監督とすれば、これほど嬉しいことはなかったはずだ。
「僕の決めたことに対して、“受け入れて、やろう”という気持ちを持ってくれたことを5年間の中で感じている」
そう言って、オリヴェイラ監督は選手たちに感謝の意を示した。

これでオリヴェイラ監督はクラブ史上最多となる6冠目のタイトルを獲得。自身初のナビスコ戴冠は、史上単独トップとなる4回目の優勝。そして他のクラブを圧倒する15冠を達成することとなった。しかし、試合後のミックスゾーンでは、すでに勝利の余韻に酔いしれる選手は一人もいなかった。悲願のACL制覇のためには、天皇杯を制し出場権を獲得しなければならず、リーグ戦もまだ終了していない。また試合に出場できなかった選手のなかには悔しさを露わにする選手も見られた。

「嬉しい気持ちは少しだけ浸って、あとは天皇杯だったり、リーグ戦がまだ残っているので気を引き締めてやっていきたいと思います」
チーム最年少の柴崎のコメントが、鹿島というクラブを象徴していた。


以上
2011.10.30 Reported by 田中滋


MVPとなった大迫のゴールをお膳立てしたのは興梠であった。
ほとんど彼の得点と言っても過言ではなかろう。
興梠は2009年の最終節で優勝を決める得点をアウェイの浦和戦でも決めており、浦和は相性が良い相手である。
それを考慮した上で、オリヴェイラ監督はリーグ戦では途中出場が続いた興梠を先発に戻したのであろう。
やはり策士である。
それに応えた選手に感謝する姿は、策士であると同時に紳士と言えよう。
上に立つ者は、人間性が重要である。
監督に影響され、鹿島の選手は人間としても成長しておる。
残り僅かなリーグ戦、ACL出場権の懸かる天皇杯をチーム一丸となって戦っていきたい。
楽しみである。

オリヴェイラ監督、契約延長か否か

2011年10月30日 | Weblog
鹿島・オリベイラ監督“勇退”も/ナビスコ杯 
2011.10.30 05:01
 Jリーグ・ヤマザキナビスコ・カップ決勝(29日、浦和0-1鹿島、国立)鹿島のオズワルド・オリベイラ監督(60)は、唯一なかったナビスコ杯のタイトルを奪い、自身6冠目。Jリーグの監督では、5冠で並んでいた同じ鹿島のトニーニョ・セレーゾ氏を上回り、史上最多のタイトルホルダーとなった。3試合すべてを延長で制し、「道のりは厳しかったが、120分間あればどんな試合も制することを証明できた」と喜んだ。

 鹿島との契約は今季限りで切れる。契約延長については11月初旬にクラブと話し合う予定。今季はリーグ戦で低迷していることもあり、「大満足ですとはいかない。ただ(低迷の)要素は大いにある年だったので、しっかり分析して考える」と鹿島幹部。クラブのテーマが世代交代・刷新ということもあり、ナビスコ杯Vを置き土産に“勇退”の可能性もある。
(紙面から)

オリヴェイラ監督に続投要請へ 5季連続タイトルを評価

<鹿島・浦和>自身6冠達成に両手の指を6本立てるオリヴェイラ監督
Photo By スポニチ


 鹿島が、今季限りで契約の切れるオズワルド・オリヴェイラ監督(60)に続投要請する方針を固めたことが29日、分かった。近日中に条件面や来季構想などの交渉を開始する。クラブ幹部は「5季連続でタイトルを獲った監督を代える理由はない。来季に向けて前向きな話し合いをしたい」と明かした。

 オリヴェイラ監督は就任1年目の07年にリーグと天皇杯の2冠を達成。07~09年には史上初のリーグ3連覇を成し遂げた。今回のナビスコ杯は自身6個目のタイトル。大迫、遠藤、柴崎ら若手を積極起用して、世代交代を進めながら結果を出した手腕に対する評価は高い。

 海外からの注目も高く、水面下では中東や母国ブラジルの複数クラブが招へいに動いている。それでも指揮官は鹿島で采配を続けることに前向きで、交渉はまとまる公算が大きい。6季目に突入すれば、00~05年に指揮したトニーニョ・セレーゾ氏と並ぶクラブ最長タイの政権となる。
[ 2011年10月30日 06:00 ]

鹿島・オリヴェイラ監督続投へ!5年で6冠に高評価…ナビスコ杯

スタンドに上がってサポーターと喜びを分かち合った鹿島・オリヴェイラ監督

 ◆ヤマザキナビスコ・カップ決勝 鹿島1―0浦和(29日、東京・国立競技場) 鹿島が浦和を延長戦の末に1―0で下し、9年ぶりJクラブ最多となる4度目の優勝を果たした。両チーム退場者を出し、決定機に欠けた展開で迎えた延長前半15分、U―22日本代表FW大迫勇也(21)が決勝点を挙げMVPに輝いた。今年3月、東日本大震災で2週間の活動停止を受けた中で、オズワルド・オリヴェイラ監督(60)は的確な手腕で、J新記録となる5年連続タイトル獲得へチームを導いた。

 オリヴェイラ監督はピッチ上から目を細めていた。その視線の先には、メーンスタンドの表彰台に向かうイレブンがいる。「今年はいろいろなことが起きた。選手はストレスも感じただろう。やってくれたのは選手たちだ」。就任5年目で毎年となる5年連続、自身通算6つ目のタイトルを獲得した。ともにJ新記録だが、まず「息子たち」と称する選手に感謝した。

 苦しいシーズンを象徴する試合だった。一度は数的優位に立ちながら、不可解な判定で青木が退場。交代枠が限られる中でセンターバック経験のない新井場を移すなど大胆な采配を振った。DF4人のうち3人が本職ではなかったが、「選手は柔軟に対応する力を持っている」と信じた。「オズの魔法使い」と称される手腕を、ここ一番で見せた。

 今年3月、震災により鹿嶋市が被災。自宅のライフラインは全てストップした。それでも「練習をするぞ」と声をかけた。選手会は練習ができる状況ではないことを主張。言い争いにまで発展した。最終的に2週間の活動中止となったが、「悔いが残る。違う場所で練習するとかすれば、違ったかもしれない」と自問自答する日々を送った。

 震災後、福島第1原発の放射能漏れなど心身ともに追い込まれたフェリペ・ガブリエルを励まし続けた。選手も空白の2週間、興梠が中心になって宮崎で合宿を張るなど、コンディション維持に努めた。リーグ戦でJ2降格圏まで落ちた時期には眠れない日々を過ごし、「朝までどうすれば勝てるか、考え抜いた時もある」と同監督。手を取り合って、たどり着いた15冠目だ。

 クラブはオリヴェイラ監督を評価し、11月中旬に続投を見据えた話し合いに入る。「条件や来季のビジョンについて話す。そこでギャップがなければ」とクラブ幹部。続投となれば、トニーニョ・セレーゾ監督(00~05年)と並びクラブ最長となる。延長戦3試合を戦い抜き、頂点に立った鹿島。試合後、全員で肩を寄せ合ってできた大きな歓喜の輪。そこには苦難を乗り越えた男たちの笑顔があった。

(2011年10月30日06時01分 スポーツ報知)

オリヴェイラ監督へ契約延長のオファーを考えるフロントである。
これだけの結果を残す指揮官を手放すのは愚行と言えよう。
報知が報じるように、チームの勝利のために尽力を惜しまぬ素晴らしき人である。
そんな中で、サンスポが勇退を報じておる。
とはいえ、クラブ幹部の言葉尻を捉えたものからの推測であり、スポニチや報知が報じるように母国ブラジルからのオファーや条件面などが合意に至らなければ、袂を分かつ可能性もある。
ここはフロントの腕の見せ所である。
経緯を静かに見守りたい。

栄冠はひとつ

2011年10月30日 | Weblog
栄冠は鹿島アントラーズに
29 10月 2011



90分で決着のつかない死闘は、1-0という最少得点差で幕を閉じた。

接戦の末に勝利をつかんだのは鹿島アントラーズ

常勝の「誇り」を胸に、史上最多となる4度目の戴冠を果たした。

栄冠はひとつ。だが、10.29の頂上決戦が、栄冠に値する2チームによる闘いであったことは、試合を見守った誰もが理解したはずだ。


ナビスコ杯優勝を記すナイキである。
ナイキは鹿島を常勝と語る。
確かに得たタイトル数、毎年のように上位に顔を出すクラブは他にない。
その裏には脈々と受け継がれたメンタリティがあるのだ。
伝統を継続する、その力こそがこの結果を、歴史を作っておるのである。
これからも、強くあって欲しい、強くあらねばならぬ。
それが鹿島アントラーズである。

宮崎、復帰方針・植田くん獲得を目指す

2011年10月30日 | Weblog
鹿島、補強着々 レンタル中のDF宮崎呼び戻す
 鹿島が、J2横浜FCに期限付き移籍中のDF宮崎智彦(24)を復帰させる方針を固めたことが分かった。昨季天皇杯制覇に貢献した左利きの左サイドバック。今季はJ2横浜FCで主力としてフル回転した。

 鹿島は今季、山形への期限付き移籍から復帰したFW田代、MF増田が主力として活躍。J2で経験を積んだ宮崎にも同様の成長を期待している。また、13年度の新戦力としてU―17日本代表DF植田直通(17=大津高2年)の獲得に動くことも判明。来季は既にU―22日本代表MF山村和也(21=流通経大)らの加入が内定し、U―17日本代表DF鈴木隆雅(17)らユースから3選手の昇格も決まっている。

[ 2011年10月30日 06:00 ]

今季、横浜FCにレンタル中の宮崎であるが、来季は鹿島に復帰させる方針とのこと。
宮崎は昨季の天皇杯優勝に大いに貢献したことで記憶に残る。
天皇杯制覇直後にレンタルが発表され、惜しまれつつも移籍したことは記憶に新しい。
今季はJ2で経験を積み、アシストも記録しておる。
来季はレギュラーの一角に割り込んで、左サイドを活性化させて欲しい。
また、昨年より徹底マークしておる大津高校の植田くんの獲得にも動くとのことで、将来のDFラインに着手がかかった。
植田くんはユースから昇格する鈴木隆雅くんと年代別日本代表でDFラインを組んでおり、コンビネーションが期待できる。
宮崎、山村くん、隆雅くん、植田くんに當間、昌子が切磋琢磨し、鹿島の堅固な守備を担うのだ。
楽しみである。

鹿島アントラーズ、活動区域拡大へ

2011年10月30日 | Weblog
「活動区域」千葉にも拡大へ…鹿島
 鹿島がクラブの「活動区域」を千葉県に広げることを目指し、Jリーグに要望書提出の準備を進めていることが29日、分かった。現在、各クラブの活動区域は「所在する県」となっているが、Jリーグ加盟時に自動的に決められたもので、拡大について明確な規定はない。鹿島は同県成田市、香取市、東庄町でサッカースクール開催など活動を行うために、活動区域の拡大を目指す。

 千葉県では柏、J2千葉が活動地域としているが、その3市町に関しては定期的な活動はしていないことから妨害にならないことや、各自治体からも鹿島の活動を誘致、支援する動きもあることなどから準備に取りかかった。ホームタウンではないが、認可されれば、人材発掘の拠点、集客増大などメリットがある。

(2011年10月30日06時01分 スポーツ報知)

鹿島アントラーズの活動区域が千葉県にも拡大とのこと。
これは重畳。
鹿島・神栖地域は茨城北部よりも千葉県東部に親密である。
これまでもフレンドリータウンとしてお付き合いがあり、サポーターも多く在住する。
これまで以上に支援を得、多くの民と共に鹿島を盛り上げていきたい。

スルガ銀行チャンピオンシップ出場

2011年10月30日 | Weblog
鹿島、南米カップ王者と来夏対戦
2011.10.29 19:45

 日本サッカー協会は29日、Jリーグのヤマザキナビスコ・カップで優勝した鹿島が南米カップ王者と対戦する来夏のスルガ銀行チャンピオンシップに出場すると発表した。相手や日時、会場は未定。(共同)

ナビスコ杯優勝によりスルガ銀行チャンピオンシップ出場権を得た。
これまで得たことのないタイトルにチャレンジできることを幸せに思う。
来年の夏は熱い戦いが繰り広げられるであろう。
楽しみである。

ナビスコ杯優勝報道

2011年10月30日 | Weblog
【鹿島】オリベイラ監督6冠目/ナビスコ杯

4度目の優勝を果たしトロフィーを手に喜ぶ鹿島オリベイラ監督(共同)

<ナビスコ杯:鹿島1-0浦和>◇決勝◇29日◇国立

 鹿島のオリベイラ監督はナビスコ杯を初制覇し「唯一、取れていなかったタイトルだし、うれしい」と喜んだ。これで自身6冠目。5冠で並んでいたトニーニョ・セレーゾ氏を上回り、鹿島で最も多くタイトルを獲得した監督となった。

 「チャンスの数や質と、得点の比率が合っていないのは心配している」と話したように、勝ち切れない今季を象徴するような展開だった。それでも最高の結果で終え「リーグも120分にしてもらえればいいのに」と口も滑らかだった。
 [2011年10月29日18時37分]

【鹿島】小笠原「震災を力に」/ナビスコ杯

サポーターの前でバンザイするMF小笠原(左から2人目)ら鹿島イレブン

<ナビスコ杯:鹿島1-0浦和>◇決勝◇29日◇国立

 鹿島が延長戦を含め120分間を戦い抜き、FW大迫勇也(21)の延長前半15分のゴールで1-0で9年ぶりの優勝を成し遂げた。主将のMF小笠原満男(32)は序盤から攻守の軸としてピッチに君臨。前後半90分を終えた時点で退いたが、存在感を示し「東日本大震災があって自分たちも練習ができないこととかがあったけど、それを言い訳にせず、パワーに変えようと思っていた。これまで結果が出ずにもどかしく思っていたけど、やっと応援してくれた人が喜んでくれると思う」と話していた。
 [2011年10月29日18時42分]


決勝ゴールを決め、FW興梠(左)と抱き合って喜ぶ鹿島FW大迫(撮影・栗山尚久)

鹿島大迫が延長前半に決勝弾/ナビスコ杯

優勝カップを高々と掲げる鹿島MF小笠原らイレブン(撮影・栗山尚久)

<ナビスコ杯:鹿島1-0浦和>◇決勝◇29日◇国立

 立ち上がりから一進一退の攻防が続いた。前半11分に最初のチャンスを作ったのは鹿島。MF野沢のFKからエリア内でFW興梠が頭で合わせたが、ボールはバーを越えた。浦和は同20分にMF山田、MF原口の連係から最後はMF梅崎がエリア内左から左足シュートを放ったが、枠をとらえることはできなかった。前半は0-0で折り返した。

 浦和は後半の立ち上がりで、数的不利な状況に陥った。同2、5分とMF山田直がイエローカードをもらい退場となった。攻勢に出る鹿島は、同18分にFW田代を投入して前線にFWを3枚並べたが、幾度の決定機を決めきれず。逆に同35分にDF青木がこの日2枚目のイエローカードで退場となった。試合は0-0のまま延長戦に突入した。

 浦和はMF鈴木に代えてMF小島、鹿島はMF小笠原に代えてMF増田を投入して延長前半を開始した。同4分にはその増田が約25メートルのミドルシュートもGK正面。浦和も同13分に原口のドリブル突破から、最後はDF高橋がシュートもGKに防がれた。均衡を破ったのは鹿島。前半終了間際にエリア内からのFW興梠の右クロスにFW大迫が右足で合わせて、先制点を奪った。1-0と鹿島がついにリードを奪い、延長前半を折り返した。

 攻めるしかない浦和は延長後半2分に、左クロスにDF高橋が飛び込んだが、ヘディングシュートは右に外れた。逃げ切りに入る鹿島はコーナーポスト付近でのボールキープで時間を稼ぎながら、同8分にはMF柴崎のシュートがバーをたたいた。試合はそのまま1-0で終了。鹿島が9年ぶり4度目の優勝を飾った。
 [2011年10月29日19時0分]

【鹿島】柴崎SBも柔軟対応/ナビスコ杯
 <ナビスコ杯:鹿島1-0浦和>◇決勝◇29日◇国立

 突然のポジションチェンジにも、大型ルーキーに戸惑いはなかった。ボランチとして攻守に貢献していたMF柴崎岳(19)は、後半35分にDF青木剛(29)が退場すると、右サイドバックに。シーズン開幕前の合宿で経験したことはあったが、本職ではない位置にも「カウンターを受けないように、バランスを崩してはいけない。バランスを重視しながらやっていました」とそつないプレーをみせた。柔軟な対応でつかんだプロ初タイトルに「自信というよりは、まだまだ上がある」と貪欲(どんよく)な姿勢をみせていた。
 [2011年10月29日19時12分]

【鹿島】大迫V弾興梠に感謝/ナビスコ杯

MVPボードを手に記念撮影に応じる大迫。右は興梠(撮影・松本俊)

<ナビスコ杯:鹿島1-0浦和>◇決勝◇29日◇国立

 鹿島のU-22日本代表FW大迫勇也(21)が、大仕事をやってのけた。0-0で迎えた延長前半15分、FW興梠慎三(25)のクロスを右足で流し込み、値千金の決勝点を挙げた。「慎三さんからいいボールがきたので感謝してます。満員の中でプレーができて、優勝したことは本当にうれしいです」と話した。
 [2011年10月29日20時28分]

鹿島15冠!大迫がMVP弾/ナビスコ杯

サポーターと一緒に歓喜の記念撮影。前列右から中田、MVPの大迫、小笠原

<ナビスコ杯:鹿島1-0浦和>◇決勝◇29日◇国立

 鹿島がU-22日本代表FW大迫勇也(21)の決勝弾で、9年ぶり4度目の優勝を飾った。ともに1人ずつ退場者を出して0-0で迎えた延長前半15分、FW興梠慎三(25)のクロスを大迫が柔らかいタッチでゴールに流し込み、浦和を下した。3戦連発で優勝の原動力になった若きエースはMVPにも選ばれた。優勝賞金1億円を獲得した鹿島は、同杯、Jリーグ、天皇杯の3大タイトルの獲得数を15個とし、それぞれで単独最多優勝達成クラブとなった。

 大迫がカップ戦男の本領を発揮した。ボールを支配しながら得点が決められず、停滞ムードが漂い始めた延長前半終了間際だった。FW田代がポストプレーとなったボールを、左サイドで興梠が受け、ドリブル突破。逆サイドからクロスに走り込んできたのが大迫だった。「慎三さんはぼくしか見てなかった。いいボールがきたので、枠の中に入れればいいだけだった。慎三さんに感謝したい」と振り返った。

 じりじりとした展開が続いた。後半5分、浦和MF山田直が累積警告で退場。だが、10人の相手を攻めあぐねた。大迫もポストプレーヤーとしてチャンスメークしたが、得点を挙げるまでには至らなかった。同35分にはDF青木が2枚目の警告を受け退場し、五分五分の条件で延長に突入。その嫌な流れを振り払った決勝点だった。「青木さんもしっかり守ってくれていたので青木さんのためにも決めたかった」と先輩を気遣った。

 鹿島がほれたボールタッチが15冠目をもたらした。鹿島スカウト陣は大迫が鹿児島城西高2年の春、沖縄での九州新人大会を視察に訪れた。この時、大迫は相手DFを1発のトラップで抜き去った。スカウト担当は「ファーストタッチで、彼を獲得することを決めた」と話した。この日のゴールも、角度のないところから鮮やかなボールタッチで流し込んだ。

 プロ入団3年目。決して順風満帆ではなかった。1年目は先輩に言われるがままでとまどうことが多かった。だが、今季は戦術などについて積極的に意見交換するようになった。主将のMF小笠原も「頑張って守備もするようになったし、周りを使って動けるようになった。あいつなりに考えながらやっている」と成長を認めた。

 同世代対決でも存在感を見せつけた。ニューヒーロー賞を獲得した浦和FW原口が延長突入後、右足をけいれんさせる中、120分間フルに動き続けた。U-22日本代表では名古屋FW永井とのレギュラー争いを繰り広げるが、関塚監督の御前試合でMVPを獲得し、結果を出した。それでも大迫は謙虚な姿勢を崩さなかった。「得点はみんなのおかげです。賞金はみんなで使いたい。賞品のお菓子は(小笠原)満男さんにあげます」。鹿島の、日本の将来を担う若きFWが、晩秋の聖地で輝いた。【塩谷正人】
 [2011年10月30日9時4分 紙面から]

鹿島小笠原、魅せた東北人魂/ナビスコ杯

ナビスコ杯を制し、優勝カップを高々と掲げ喜ぶ鹿島MF小笠原

<ナビスコ杯:鹿島1-0浦和>◇決勝◇29日◇国立

 東日本大震災被災地の岩手県大船渡市、大船渡高出身の鹿島MF小笠原満男(32)が、被災地に「恩返し」の優勝を届けた。優勝カップを天に突き上げた後「茨城も被災地だし、うちは東北出身の選手も多い。勝って被災地の方々を喜ばせてあげたいと思ってやってきたけど、ここまでふがいない結果に終わっていた。少しは恩返しができたかなと思う」としみじみと語った。

 ACLは敗退が決定し、リーグ戦はV消滅。負けられない一戦だった。小笠原は中盤でチャンスメークした。守備でも必死にボールを追い掛け、浦和のカウンターの芽を摘んだ。90分で交代するまで攻守にチームを鼓舞した。大迫は「焦りもあったけど満男さんや浩二(中田)さんに90分ある、120分ある、と声を掛けられて落ち着けた」。MF柴崎も「満男さんや周りの先輩が常に声を掛け続けてくれたので集中力が切れなかった」と振り返った。

 被災した東北サッカー界復興を掲げ「東北人魂を持つJ選手の会」発起人となった。7、8月にはリーグ戦に被災地の子どもたちを招待。負けた試合のあとは、子どもたちの前で土下座したこともある。「励まそうと思って企画したけど、逆にこっちが励まされて。子どもたちの笑顔を見ると、おれも頑張らないとと思う」と感謝していた。

 支援活動に熱心になるあまり、調子を崩した。5~6月にかけての一時期は負傷以外でメンバー外となった。07年8月にメッシーナから復帰後、初めてサブ組と練習した。1人別メニューをこなす日々も過ごした。だが、主将としてチームを思う前向きな姿勢は変わらなかった。

 小笠原 チーム状態が悪いとき、もっともまずいのは、陰で不平、不満が出ること。サブ組に落ちて、まず伝えたのは、いつかはチャンスがくるから腐らずやろう、と言うこと。サブに落ちたからこそ、説得力があった。

 レギュラー復帰後は中盤で存在感を見せつけ、7月以降の躍進につなげた。「Jリーグでももっと上の順位にいきたいし、天皇杯もある。これからです」。スパイクには「東北人魂」の刺しゅう。小笠原の被災地への恩返しは、まだまだ終わらない。【塩谷正人】
 [2011年10月30日9時4分 紙面から]

鹿島中田が急増DF陣統率/ナビスコ杯
<ナビスコ杯:鹿島1-0浦和>◇決勝◇29日◇国立

 鹿島MF中田浩二(32)は、初顔合わせの守備ラインをまとめきった。DF青木が退場し、4枚の並びは右から柴崎、新井場、中田、フェリペ。初の組み合わせ、中田以外は本職でなかったが「みんな指示通り動いてくれて、混乱はなかった」と見事に統率した。スパイクには「3 FOREVER」の文字。日本代表で同僚だった、故松田直樹さんへの思いも背負っていた。若手をまとめて優勝に導いたベテランは、「(自分も)もうちょいやれるかな」と照れ笑いを浮かべていた。
 [2011年10月30日8時18分 紙面から]

鹿島興梠、絶妙アシスト/ナビスコ杯
<ナビスコ杯:鹿島1-0浦和>◇決勝◇29日◇国立

 鹿島FW興梠慎三(25)は、貴重な決勝アシストで勝利に貢献した。大迫への絶妙なクロスで得点をお膳立て。延長後半には左足と腹筋をけいれんさせながら、120分間走り続けた。リーグ戦では22日の神戸戦で先発を外されていただけに期するものがあった。「チャンスをもらったので、結果を出したかった。疲れました。でも、ほっとした」と笑顔だった。
 [2011年10月30日8時21分 紙面から]

鹿島オリベイラ監督最多6冠/ナビスコ杯
<ナビスコ杯:鹿島1-0浦和>◇決勝◇29日◇国立

 鹿島のオズワルド・オリベイラ監督(60)が自身初のナビスコ杯制覇で、チーム歴代監督最多の6冠を達成した。5回で並んでいたトニーニョ・セレーゾ元監督を抜き「みなさんの理解と協力があって6冠ができたと思う。ありがとうございます」と一礼。今大会は準々決勝の横浜戦、準決勝の名古屋戦に続いて延長戦での勝利。リーグは9引き分けと勝ちきれない試合が多いだけに「来年からリーグ戦を120分にしてくれないかな」と冗談を飛ばすほど上機嫌だった。
 [2011年10月30日8時22分 紙面から]

鹿島柴崎、右SBで体張った/ナビスコ杯
<ナビスコ杯:鹿島1-0浦和>◇決勝◇29日◇国立

 鹿島MF柴崎岳(19)は、大型ルーキーが急なポジション変更にも臨機応変な対応をみせてプロ初タイトルをつかんだ。後半にDF青木が退場すると、ボランチから右サイドバックに。シーズン開幕前の合宿で経験していたとはいえ、慣れない位置だったが、「どこでも高いレベルでやるのが鹿島」と体を張った。豊富な優勝経験を持つ小笠原らがみせた声を切らさない集中力に、「学ぶところがあった」という。「まだまだ僕には力がない。まだ(タイトルは)1つ。満足せずにやっていきたい」と成長を誓った。
 [2011年10月30日8時15分 紙面から]

大迫V弾!鹿島が最多更新15冠/ナビスコ杯
2011.10.30 05:04


アントラーズレッドに染まったスタンドを背に、大喜びの鹿島イレブン (撮影・大橋純人)

 Jリーグ・ヤマザキナビスコ・カップ決勝(29日、浦和0-1鹿島、国立)鹿島が延長の末に1-0で浦和を破り、9年ぶりで最多となる4度目の優勝を果たした。U-22(22歳以下)日本代表FW大迫勇也(21)が3試合連続のゴールで決勝点を奪い、最優秀選手に輝いた。3月の東日本大震災で本拠地の茨城が被災しただけでなく、大きな被害を受けた岩手県の出身でもある主将MF小笠原満男(32)は、万感の思いでクラブ15冠目のタイトル獲得を喜んだ。賞金は鹿島が1億円で、浦和は5000万円。

 アントラーズレッドの歓喜を背に、21歳のストライカーが聖杯を突き上げた。表彰式の記念撮影で主将の小笠原から任された“大役”。「勝ってよかった。絶対にチャンスは来ると思っていました」。大迫の頬も紅く染まった。

 今季を象徴する忍耐の戦いだった。後半5分、浦和のMF山田直が退場となったが数的優位を生かせない。同35分にはDF青木が退場。延長前半15分、FW興梠からグラウンダーのクロスを大迫が右足で合わせ試合を決めた。9年ぶりで最多となる4度目の優勝だ。

 「このタイトルは特別。今季は頭の中にずっと震災のことがあった。リーグ戦では結果が出ず、ふがいなくて…。(低迷を)震災の影響と言われるのも悔しかった」。万感の思いを口にしたのは小笠原だった。

 3月11日。チームの本拠・茨城も、故郷・岩手も襲った東日本大震災の衝撃は、無口な男を変えた。クラブ側の制止を振り切り被災地に直行。日夜問わず奔走して集めた物資を届け、苦手だったメディアの前で支援を呼びかけた。

 「被災した子どもたちからJ選手が生まれてほしい。新たな夢ができた。何もなかったらサッカーをやめていたかもしれない」。『東北人魂』の会を立ち上げ、チャリティーオークションやイベントへの選手派遣などを企画、交渉。東奔西走する姿は故郷の詩人・宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」そのものだった。

 リーグ戦序盤は不調から先発を外れることもあった。両ひざや股関節、右足首に痛みを抱えていたが隠し通し、練習で手を抜くことはなかった。「一緒にがんばって上に行こう」。サブ組に入ると若手に積極的に声をかけた。「試合に出ているときに言っても響かないから、逆にこういう話ができるチャンスと思った」と振り返る。

 09年にリーグ3連覇した小笠原ら主力が全盛期を過ぎ、鹿島は過渡期を迎えている。ACLは決勝トーナメント1回戦で敗退し、リーグ戦制覇の可能性も既になくなった。それでも、震災を乗り越えつかんだ15冠目。2連覇が懸かる天皇杯で、16個目のタイトル獲得に挑む。若手の台頭の陰で、『雨ニモ負ケズ』進むベテランの献身がチームを支えている。 (佐藤ハルカ)
(紙面から)

鹿島・大迫MVP弾!先輩に感謝/ナビスコ杯
2011.10.30 05:03


先制弾を決め、両人さし指を掲げて大喜びの大迫。これが決勝点となり、鹿島は4度目の優勝に輝いた (撮影・吉澤良太)

 Jリーグ・ヤマザキナビスコ・カップ決勝(29日、浦和0-1鹿島、国立)決勝弾を決めて鹿島を2002年以来9年ぶり4度目の優勝に導き、最優秀選手(MVP=賞金100万円)に選ばれたU-22日本代表FW大迫勇也(21)がサンケイスポーツに独占手記を寄稿。リーグ戦での苦戦を契機に、先輩にも背中を押されて「ピッチ上ではワガママになる」と決意したことを激白した。

 本当に感謝したい。みんなに感謝したいです。勝ててよかった。必ずチャンスはあると思っていました。

 マルキーニョスが抜けた今季、結果を出さなければ終わりという決意で臨みました。ダメと思われたらまた、すごい外国人がやってきてしんどくなる。瀬戸際の思いでした。

 序盤は先発しても勝てない試合が続いた。今思えば、周りに気を使いすぎていました。考えが「パス」から始まっていた。6月にU-22日本代表で遠征中、チームが勝ったという話を聞いても複雑で。その分、ここで頑張ろうと言い聞かせていました。

 7月27日のJリーグ・G大阪戦は忘れられない。ホームで1-4の大敗なんて、プロに入って初めてで衝撃的でした。どん底まで落ちて悩んで、たどり着いたのは原点でした。高校の時は何も考えずやりたいようにやっていた。それが自分の良さだと思い出した。ピッチに入ったらワガママに。「ボールを持ったら仕掛ける」を徹底しました。本当に意識ひとつ。それから結果が出るようになった。

 感謝-。きっかけをくれた先輩たちに。(中田)浩二さんは「ダメなら俺が点をとるからとにかく仕掛けろ」、(小笠原)満男さんは「遠慮するな。ガンガンいけ」と言ってくれた。大震災後の満男さんの姿は忘れられない。朝は一番早く、練習後は最後までクラブハウスにいて、支援物資を仕分けしたり、大量のサインを書いていた。人として、男としてすごい。自分も11年後、そういう男になりたいなと思いました。

 来年はロンドン五輪。絶対に出なきゃいけない大会。同世代には負けたくない。前回はテレビで見ていた。(内田)篤人さんとか出てたのに、ナイジェリアに圧倒されていた。自分も圧倒されるガチンコの戦いを経験したい。ロンドンでどれだけできるかで、自分の未来が決まる、と思っています。これからも結果にこだわりたいです。 (鹿島アントラーズFW)
(紙面から)


大迫勇也のサイン色紙


MVPを獲得した鹿島・大迫勇也


鹿島・柴崎、初タイトルに感激/ナビスコ杯
2011.10.30 05:01

 Jリーグ・ヤマザキナビスコ・カップ決勝(29日、浦和0-1鹿島、国立)胸元に輝く金色を見ていると、自然と口元が緩んだ。鹿島のMF柴崎が喜びに酔いしれた。

 「うれしいです。初めてなので。カップだったり、金メダルだったり」

 今季入団の黄金新人だが、意外にも日本タイトル獲得は初体験。中・高(ともに青森山田)時代は全国大会決勝で涙をのんでいた。

 心身ともに成長しながら、頂に登り詰めた。準々決勝から3試合連続で延長120分フル出場。決勝は本職のボランチで先発も、DF青木が退場した後半35分からは右サイドバックを任された。鹿島入団直後に練習で指示され、戸惑いを隠せなかった位置だ。だが、「どのポジションでも高いレベルでやるのが鹿島」。終了までの約40分間、必死にサイドを走った。

 「まだまだ獲れるタイトルはあるので、満足せずにやりたい」。鹿島の輝く歴史に、柴崎岳の名も加わった。 (須田雅弘)


延長前半、決勝ゴールを決め喜ぶ鹿島・大迫=国立競技場(撮影・吉澤良太)


試合前、国歌斉唱する倉木麻衣=国立競技場(撮影・川口良介)


試合前、国歌斉唱する倉木麻衣=国立競技場 (撮影・川口良介)


後半 競り合う浦和・エスクデロ・セルヒオ(左)と鹿島・小笠原=国立競技場(撮影・川口良介)


延長後半、ボールを要求する鹿島・大迫=国立競技場(撮影・川口良介)


優勝し、表彰台で喜ぶ小笠原満男(中央40番)ら鹿島イレブン=国立競技場(撮影・吉澤良太)


スタンドでサポーターと喜びを分かち合う鹿島・オズワルド・オリベイラ監督(中央)=国立競技場(撮影・吉澤良太)


サポーターと一緒に記念撮影する鹿島アントラーズの選手たち=国立競技場(撮影・大橋純人)


“国立男”大迫15冠弾!!鹿島、被災地に贈るV
ナビスコ杯決勝 鹿島1―0浦和 (10月29日 国立)


<ナビスコ杯決勝 鹿島・浦和>延長前半15分、ゴールを決めた大迫は両手を広げて喜ぶ
Photo By スポニチ


 鹿島が浦和を1―0で破り、9年ぶり4回目の優勝を果たした。0―0で突入した延長前半15分にU―22日本代表FW大迫勇也(21)が右足で決勝弾。今大会3試合連続ゴールでMVPに輝いた。チームは5季連続のタイトル(リーグ、天皇杯、ナビスコ杯)で15冠を達成。いずれの大会でも優勝回数で単独トップに立ち、南米カップ戦王者と対戦する来夏のスルガ銀行杯出場も決めた。

 勝利の興奮冷めやらぬピッチ上での記念撮影。MVPに輝いた大迫が小笠原主将に促され、優勝カップを掲げた。「本当に勝てて良かった。ゴールは慎三さん(興梠)からいいボールが来た。MVPは、みんなに感謝です」。クラブにとって5季連続となる通算15個目のタイトル。若きストライカーが常勝の歴史に新たな一ページを刻んだ。

 鹿島の強さの秘けつが凝縮された決勝弾だった。0―0で突入した延長前半15分、大迫が、田代のワンツーで左サイドを突破した興梠のクロスを右足で押し込み均衡を破った。「結果を出さないと出られなくなるのが鹿島。ゴールはFW3人で完全に相手を崩せた」。今季は2トップが固定されず、大迫、田代、興梠の3人が定位置を争った。この日はチーム得点王の田代が先発落ちし、興梠が公式戦3試合ぶりに先発復帰。今季は大迫も先発落ちを繰り返しながら、激しいチーム内競争の中で成長。U―22日本代表の関塚監督が視察した大舞台で結果を出した。

 後半5分に相手に退場者が出て数的優位になったが、35分に青木がこの試合2度目の警告を受けて退場。終盤の最終ラインは右から柴崎、新井場、中田、フェリペ・ガブリエルと本職が一人もいない急造布陣だった。それでも中田は「大きな問題はなかった」と冷静に対応。クラブハウスのロッカーにはポルトガル語と日本語で「献身・誠実・尊重」がプロの魂というジーコの教えがつづられているが、大一番でもジーコ・スピリットで総力戦を制した。

 今季は既にリーグ優勝の可能性が消滅し、ACLも16強で敗退。大迫は「もっと決められるチャンスはあった。勝ったけど、課題は多い」と早くもリーグ残り4戦と天皇杯連覇に視線を向けた。優勝が毎年の恒例行事と化している常勝軍団にとって、15冠達成もさらなる進化への通過点にすぎない。


<鹿島・浦和>延長前半15分、ゴールを決める大迫
Photo By スポニチ


[ 2011年10月30日 06:00 ]

“特別なVだもの”小笠原「やっと結果届けられた」
ナビスコ杯決勝 鹿島1―0浦和 (10月29日 国立)


<鹿島・浦和>イレブンの前でトロフィーを掲げる小笠原
Photo By スポニチ


 被災地を勇気づける優勝に、鹿島のMF小笠原満男(32)は感慨深げだった。「鹿島も練習できなくなったり、今年は本当にいろいろあった。個人的には震災のことが頭の中にあった。だから、特別な思いがあった」。震災を乗り越えて手にした自身12度目のタイトルは、今までで最も欲しかった勝利だった。

 3月11日の東日本大震災後、岩手県出身の小笠原は積極的に支援活動を行ってきた。だが、ピッチでは本来のプレーを見せられずに先発から外され、チームも低迷。「勝利をプレゼントしたかったが、結果が出ず、もどかしく思っていた」と振り返った。

 そんな時、被災地で詩人の相田みつを氏の「奪い合えばなくなるものも、分け合えば足り、譲り合えば余る」という言葉を知った。「サッカーも同じ。協力することが大切」と共感し、先発落ちの悔しさを押し殺し、控え選手とともに先発獲得を目指した。調子を取り戻したベテランは、決勝戦でも不動のボランチとしてピッチに立った。

 「勝っている姿を見せたかった。やっと結果を届けられたかなと思う」。この日も「東北人魂」の刺しゅうが入ったスパイクを履いてプレーした鹿島の主将は、少しだけ笑顔を見せた。
[ 2011年10月30日 06:00 ]

退場青木ホッ…「勝ったのでいい経験と言える」
ナビスコ杯決勝 鹿島1―0浦和 (10月29日 国立)

 鹿島のMF青木が優勝に安どの表情を浮かべた。後半35分に原口のドリブルに対応した際に不可解な判定で2度目の警告を受けて退場。故障離脱中の岩政の代役としてセンターバックで献身的なプレーを見せていたが、不測の事態が待ち受けていた。

 「自分としてはベストの対応だったと思うし、チームメートも“あれは反則じゃない”と言ってくれた」と不満げだが「満員の観衆の前でレッドカードを突きつけられることはあまりない。勝ったのでいい経験と言える」と苦笑いも浮かべていた。
[ 2011年10月30日 06:00 ]

大迫、延長前半に決勝弾!鹿島が最多4度目V…ナビスコ杯

延長前半15分、決勝ゴールを決めた鹿島・大迫(奥、手前は浦和GK加藤)

 ◆ヤマザキナビスコ・カップ決勝 鹿島1―0浦和(29日、東京・国立競技場) 鹿島が浦和を延長戦の末に1―0で下し、9年ぶりJクラブ最多となる4度目の優勝を果たした。両チーム退場者を出し、決定機に欠けた展開で迎えた延長前半15分、U―22日本代表FW大迫勇也(21)が決勝点を挙げMVPに輝いた。今年3月、東日本大震災で2週間の活動停止を受けた中で、オズワルド・オリヴェイラ監督(60)は的確な手腕で、J新記録となる5年連続タイトル獲得へチームを導いた。

 スタンドを赤く染めた浦和サポーターの大歓声に包まれ、ヒーローの笑顔も秋の夕陽で赤く輝いた。延長前半ロスタイムだ。田代とのワンツーで抜け出した興梠が、左サイドから中央へ速く柔らかいパス。相手のマークを外してフリーになった大迫が落ち着いて蹴り込み、ゴールを揺さぶった。

 「いいボールがきた。枠の中に“入れればいい”というパスだった」。ナビスコ杯3戦連続ゴール。最後はチームを頂点に導く一撃に立役者は「みんなに感謝したい」と自分のことより仲間への気持ちを口にした。

 ボールを支配しながらも遠いゴール。今回も120分は覚悟していた。後半5分に浦和の山田直が退場となり、相手は10人に。鹿島は田代を投入して3トップに変え、勝負をかけた。「(中田)浩二さんや(小笠原)満男さんが“落ち着いてやれ”と言ってくれていた」。冷静に、期待通りに、この3人の連係で好機をモノにした。

 鹿児島城西高時代は高校選手権で大会新記録の10得点を記録した生粋のストライカー。だが、そんな怪物も、しばらくは鳴りを潜めていた。本来の姿を取り戻したのは昨秋のこと。出番が少なく集中力が切れかけていた大迫へ、親代わりの椎本邦一スカウト部長が愛のムチを振った。「俺はプロサッカー選手を獲ったんだ。違うことをやりたいなら出て行け!!」。目が覚めると、成長が加速した。

 視線の先には来年のロンドン五輪を見据える。U―22には永井謙佑(名古屋)らFWに強力なライバルもいるが、小笠原から「安全なパスよりシュートを」とアドバイスを受けて、ゴールへの意識がさらに強まった。

 表彰式では小笠原から促され、一番最初に優勝カップを掲げてみせた。MVPの賞金100万円は「みんなで分ける」といい、賞品のお菓子1年分はお世話になった小笠原にプレゼント。チームでの信頼も力にして開花した21歳が、真のストライカーとしてロンドンへ突き進む。

 ◆大迫 勇也(おおさこ・ゆうや)1990年5月18日、鹿児島・加世田市(現南さつま市)生まれ。21歳。3歳でサッカーを始める。09年、鹿児島城西高から鹿島入り。同年3月15日の新潟戦でJリーグデビュー。初ゴールは同年4月12日のF東京戦。Jリーグ通算72試合11得点。U―22日本代表。血液型O。182センチ、70キロ。
(2011年10月30日06時01分 スポーツ報知)

鹿島ルーキー・柴崎、公式戦初体験の右SBで魅了…ナビスコ杯

前半、浦和・山田直(左)と競り合う鹿島・柴崎

 ◆ヤマザキナビスコ・カップ決勝 鹿島1―0浦和(29日、東京・国立競技場) 鹿島が浦和を延長戦の末に1―0で下し、9年ぶりJクラブ最多となる4度目の優勝を果たした。両チーム退場者を出し、決定機に欠けた展開で迎えた延長前半15分、U―22日本代表FW大迫勇也(21)が決勝点を挙げMVPに輝いた。今年3月、東日本大震災で2週間の活動停止を受けた中で、オズワルド・オリヴェイラ監督(60)は的確な手腕で、J新記録となる5年連続タイトル獲得へチームを導いた。

 鹿島期待の新人MF柴崎は、大舞台にも物おじしないプレーで観客を魅了した。ボランチで先発も、DF青木が退場した後半35分からは右サイドバックに。入団当初の紅白戦では経験していたが、公式戦では初。「どのポジションでも高いレベルでやるのが鹿島。誰がどのポジションでもできるのが鹿島」と堂々と自身の役目を果たした。

 延長後半10分にはバー直撃のシュートを放つなど120分間攻守に貢献。プロ初タイトルに「うれしいです。優勝カップやメダルを見て『優勝したんだな』と思った」と常勝クラブの次世代を担う19歳は落ち着いた口調で喜びを語った。
(2011年10月30日06時01分 スポーツ報知)

鹿島・小笠原「勝っている姿見せたかった」被災地へ贈る栄冠…ナビスコ杯

ナビスコ杯最多となる4度目の優勝を果たし優勝杯を掲げ喜ぶ小笠原(中央)ら鹿島イレブン

 ◆ヤマザキナビスコ・カップ決勝 鹿島1―0浦和(29日、東京・国立競技場) 鹿島が浦和を延長戦の末に1―0で下し、9年ぶりJクラブ最多となる4度目の優勝を果たした。両チーム退場者を出し、決定機に欠けた展開で迎えた延長前半15分、U―22日本代表FW大迫勇也(21)が決勝点を挙げMVPに輝いた。今年3月、東日本大震災で2週間の活動停止を受けた中で、オズワルド・オリヴェイラ監督(60)は的確な手腕で、J新記録となる5年連続タイトル獲得へチームを導いた。

 これまで手にしたタイトルとは、違う思いが小笠原の心を支配していた。「震災もあったし、勝っている姿を見せたかった。すごく意味のある優勝だと思います」。柴崎とダブルボランチを組んで浦和の攻撃を封じ、後半10分にはエスクデロの突破を止めた。緩急をつけたパスで攻撃の起点にもなり、震災後初めての優勝を被災地に届けた。

 高校時代を過ごした岩手・大船渡市が壊滅的な被害を受けると、直後から支援物資の仕分けや荷造りに奔走した。昼過ぎに練習を終えた後、夜までクラブハウスに残った。必要な物資を書き留めるノートは、わずか2日間で1冊埋まった。練習の合間を縫って、何度も被災地に足を運んだ。

 チームメートも賛同して大量の物資を送れたが、皮肉にも自身のパフォーマンスとチームの成績は下降線をたどった。5月下旬にはクラブ幹部に「結果を出した上でやる方が、喜んでもらえるんじゃないか」と諭された。その後は「東北人魂を持つJ選手の会」という組織を立ち上げ、スタッフの力も借りた。負担が軽減されても、心はいつも東北とともにあった。

 「みんなが頑張って、みんなでつかんだ勝利。練習できないときもあったけど、それを言い訳にするんじゃなく、パワーに変えて優勝をプレゼントしたいと思ってましたから」。心優しき主将が有言実行で勝ち取った栄冠には、カップ以上の重みがあった。
(2011年10月30日06時01分 スポーツ報知)

鹿島がチーム一丸V!“東北人魂”見せた

 ナビスコ杯を制し大喜びの鹿島・オリヴェイラ監督=国立競技場(撮影・三好信也)

 「ナビスコ杯・決勝、浦和0-1鹿島」(29日、国立)

 鹿島が浦和を延長の末、1‐0で下し、9年ぶり史上最多となる4度目の優勝を成し遂げた。優勝賞金1億円を手にするとともに、クラブとして通算15個目のタイトルを獲得。最優秀選手には延長前半15分、決勝弾を放ったU‐22日本代表FW大迫勇也(21)が選ばれた。

 鹿島の勝利を告げる笛が、快晴の空に響き渡った。ヒーローの大迫を中心に歓喜の輪が広がった。「優勝は何度してもうれしい。個人的には震災があって、勝っている姿を見せることができた。そういう意味でうれしい」。この日もスパイクに“東北人魂”の刺しゅう。岩手県出身のMF小笠原は、熱い思いを口にした。

 チーム15個目のタイトルは、特別なものだった。3月に東日本大震災が発生。ホームタウンとする茨城県も被災し、東北ゆかりの選手も多い。被災地のために‐。「口にしないけど、みんなそういう意識はある」(DF中田)。強い思いは共通意識だった。

 クラブも苦しい時期を乗り越えた。ホームのカシマスタジアムは、落下の危険があった照明を撤去した。復旧工事が終わる6月まで試合を開催できなかった。クラブハウスは、壁や屋根が崩壊。小笠原は「練習ができなくなる被害もあった。言い訳にしたくなかった」と振り返った。

 被災地に勇気と希望を与えたい‐。リーグ戦では優勝は消滅している。タイトルを獲得するしかなかった。「結果が出ず、もどかしかった。茨城や東北出身の選手も多い。喜んでくれると思う」。ようやく明るい話題を届けることができた。

 チャンスは今回だけでは終わらない。DF中田は「天皇杯もあるし、いい形でやっていきたい」と次なるタイトルへ意気込んだ。良いニュースは多ければ多いほどいい。もう一度、頂点を目指す。
(2011年10月30日)

大迫、成長見せた決勝弾!次は五輪予選
 「ナビスコ杯・決勝、浦和0-1鹿島」(29日、国立)

 鹿島FW大迫が決勝弾を放った。延長前半15分、FW田代が競り勝ったボールは、左から駆け上がったFW興梠へ。絶好のラストパスを右足で丁寧にけり込んだ。「合わせるだけだった。自分が出て優勝するのはうれしい」と喜んだ。MF小笠原も「頑張って守備をするようになったし、周りに合わせて動けるようになった。バカだけど頭を使ってやっている」と辛口に成長を評価。「次は五輪予選を頑張りたい」と次なる目標を掲げた。
(2011年10月30日)

鹿島15冠 ナビスコ杯、延長で浦和下す

【写真説明】
トロフィーを掲げて優勝を喜ぶ大迫(中央)ら鹿島イレブン=国立競技場


サッカーJリーグのヤマザキナビスコ・カップ決勝は29日、秋晴れの東京・国立競技場に4万6599人の観衆を集めて行われ、鹿島が延長の末に1-0で浦和を下し、9年ぶりで最多となる4度目の優勝を飾った。ことしクラブ創設20年を迎えた鹿島のタイトル獲得は15個目となり、最多を更新した。優勝賞金は1億円。浦和は8年ぶり2度目の栄冠はならなかった。

両チームのナビスコ杯決勝での顔合わせは今回で3度目。鹿島は立ち上がりからボールを支配し、何度も浦和ゴールを脅かしたが、後半開始早々に1人退場して守りを固めた相手にゴールを決められず苦しんだ。鹿島も35分にDF青木が退場し、一進一退の攻防が続く中で延長戦に突入した。

延長前半の終了間際、鹿島は田代、興梠とFW2人の連係で突破し、最後はU-22(22歳以下)日本代表のFW大迫勇也がゴールを決め、これが決勝点となった。3試合連続得点の活躍を見せた大迫は最優秀選手に選ばれた。


チーム一丸となって獲得したナビスコ杯のタイトルを素直に喜びたい。