鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

北の怪物・宮澤くん

2007年07月31日 | Weblog

室蘭大谷、PK発進…全国高校総体
 ◆全国高校総体第3日 ▽サッカー1回戦 室蘭大谷2(PK5―4)2山形中央(30日・白水大池公園) サッカーは室蘭大谷がPK戦で山形中央(山形)を下した。エースストライカー・宮沢裕樹(3年)の1ゴール1アシストで残り2分で2点差を追いつき、PK戦を制して04年以来3年ぶりの総体白星を挙げた。31日、2回戦では丸岡(福井)と対戦する。

 初戦の緊張も相手のマークも北の怪物・宮沢は最後に克服した。2点ビハインドの後半33分、PKを冷静にゴール左に流し込んだ1分後、左サイドのFW柿本隆(3年)にスルーパスを通して同点弾のおぜん立て。「時間がなかったので焦りはあった。ただ(柿本)隆との関係を意識して点を取ろうと思っていた」北海道予選準決勝から3試合連続ゴールを含む1ゴール1アシストで、エースがPK戦での勝利を呼び込んだ。

 北海道より10度以上は高い気温33度に、チーム自慢のサイド攻撃が影を潜めた。宮沢は山形中央の高めのDFラインにプレッシャーをかけられて前線に上がれない。後半1分、20分と失点。相手の術中に陥りかけたが、Jリーグ5クラブが注目する男は勝機を見逃さなかった。「気持ちを切らさないように声をかけ続けた」主将として声をかけ続け、同時に前に上がることで活路を開いた。

 今大会で1、2を争う注目株。後半4分には左サイドを抜け出して豪快に左足を一せん。シュートはポストを叩いたが場内は大きなどよめきが起きた。開会式では日本サッカー協会の田嶋幸三専務理事が来賓として出席。席上アジア杯を4位で終えた日本代表の課題を口にした。「失敗を恐れずシュートを打つこと。そういう選手を求めています」この言葉はまるで宮沢に向けられていたようだった。

 前回選手権では3回戦で作陽(岡山)にPK負け。ジンクスを打ち消す意味でもこの勝利は大きかった。「PKでも勝つ。こいつらにはすごい意味がある。次も試合できるしね」と結果が出て加藤栄治監督(50)も満足顔。2回戦の丸岡戦では192センチのセンターバック梅井大輝(3年)とのマッチアップは必至。文字通りの大きな“カベ”を突破してこそ、逸材の価値がはかれる。(2007年7月31日10時08分  スポーツ報知)

一ヶ月ぶりの宮澤くん情報。
北の怪物とは大物である。
2点差を詰め寄る1G1Aはその名に恥じぬ活躍であろう。
そしてPK戦での勝利。
勝者としての階段を上っているのである。
鉄砲百挺程の攻撃力と考えたい。
迎え入れるには港が必要であろうか。
幸いにも鹿島には十分な港も舟もある。
安心して天下を共に取ろうではないか。


魂継承

2007年07月31日 | Weblog

鹿島青木ら偉大なOBからスピリット継承
 鹿島が偉大なOBから王者のスピリット(魂)を継承された。30日、若手選手は貴重な助言を胸に秘め、練習に臨んでいた。29日の本田氏の引退試合で常勝時代を支えた外国人OBとトークショーで接する機会を持った。ブラジル代表の名選手でもあったジョルジーニョ氏と話したMF青木は「昨日より今日、今日より明日はもっとうまくなりたいという気持ちを持てと。ブラジル代表でやっていた人が日本のクラブで力を抜かなかったのだから説得力がある」と目を輝かせた。
 今季リーグ戦12試合1得点と結果が出ていないFW田代もアルシンド氏からストライカーのあるべき姿を学んだ。「誰でも点の取れない時期はある。結果が出ない時になにをすべきか。チームが勝つことで必然と自分の調子も上がる」と言われ、勇気づけられた。4シーズンもタイトル獲得から遠ざかり、優勝の味を知らない若手選手も増えてきた鹿島にとって、金言となった。
【広重竜太郎】 [2007年7月31日9時31分 紙面から]

青木と田代が金言を得、一皮剥けたとのこと。
特に現在の中心選手である青木が毎日うまくなりたいと更なる向上心を得たことは大きい。
長尾影虎が嫡子ならずとも兄の養子となることで家督を譲り受け守護代への道を切り開き、後の守護そして関東管領への伏線を張った。
これも女人を近付けぬ精神力のたまものである。
青木も愛犬を野に放ちメンタルを強化するのだ。


飛び入り内山くん、入団直訴

2007年07月27日 | Weblog

7月25日(水) 福島Jヴィレッジキャンプレポート 3日目
 午前のトレーニングは選手にとって非常に厳しいものになった。人を使った筋力トレーニングに加え、6色のビブスを使い4人ずつ6組に分かれてボールを奪い合う激しいトレーニングも行われた。4人組×3が1セットとなり、ボールをとられたグループ(4人)が「鬼」になり、残りの2グループ8人がボールを回す。

 このトレーニングを行うためには、12の倍数のフィールドプレーヤーが必要だったが、この日プレー可能だったのは23人。1人足りないためにJヴィレッジで合宿を行っていた地元高校から1人借りてトレーニングを行った。

 練習を助けてくれたのは福島・尚志高校3年の内山俊彦君。アントラーズにとって幸いだったのは、内山君が大分トリニータの練習に参加するほどのレベルの選手だったこと。おかげで支障なくトレーニングを行うことができた。1人だけ白パンツで目立っていたからなのか、練習後にはアントラーズのサポーターからサインを求められる場面も。「すいません、サイン...ないです」と恥ずかしそうにサポーターの中を引き上げた。尚志高校は今夏のインターハイに出場するということで、ぜひ応援してあげてください。

 午後の練習は室内での筋力トレーニングとなり、マシンを使って汗を流した。ピッチで練習したのはGK陣4選手だけで、こちらは普段以上のサポーターの視線を受けながらトレーニングに励んでいた。

 柳沢は発熱のためこの日も練習を休んだ。一方、ブラジルに帰国していたマルキーニョスが夜、チーム宿舎入り。26日の練習から合流する。

エルゴラの記事

「鹿島に入団したいです」とは、若いうちから口が達者な男である。
リップサービスといえども嬉しいものだ。
ここだけは小笠原選手のようにはなって欲しくない。
彼のポジションはFWとのこと。
となれば今季獲得に動いている宮澤くんのライバルということになろうか。
もし入団が叶った暁には切磋琢磨して欲しいものである。
また、来て貰えるよう我等も良いプレイ・良いサッカーを心がけようではないか。
かの片倉小十郎も伊達成実いてこその潔物であった。
二人が競い、また異なるキャラクターであったからこそドラマも光ったのである。
北の地から南に下るのは容易ではない。
だが、結束を固め団結すれば不可能ではないのである。


U-22代表候補選出

2007年07月25日 | Weblog

 U-22日本代表候補メンバーに内田・増田選手が選出
7/27(金)~29(日)まで行われるU-22日本代表候補・神戸合宿メンバーに内田篤人選手と増田誓志選手の2名が選出されました。
DF 内田篤人
MF 増田誓志
内田選手コメント
「自分が選ばれるとは思ってなかったし、代表の発表があるのも知らなかったくらいなのでビックリです。しっかりとアピールできるよう頑張ります。」
増田選手コメント
「また代表に選んでもらえて嬉しいです。貴重な機会だと思うので頑張ります。」
日本サッカー協会
http://www.jfa.or.jp/

U-22日本代表神戸合宿メンバー [ JFA ]
U-22日本代表神戸合宿中国遠征メンバーをお知らせします。
■GK:
松井 謙弥/ジュビロ磐田
西川 周作/大分トリニータ

林 彰洋/流通経済大学
■DF:
千葉 和彦/アルビレックス新潟
河本 裕之/ヴィッセル神戸
水本 裕貴/ジェフユナイテッド千葉
小林 祐三/柏レイソル
田中 裕介/横浜F・マリノス
細貝 萌/浦和レッズ
青山 直晃/清水エスパルス
槙野 智章/サンフレッチェ広島
安田 理大/ガンバ大阪

内田 篤人/鹿島アントラーズ
■MF:
本田 拓也/法政大学
菅沼 実/柏レイソル

増田 誓志/鹿島アントラーズ
梶山 陽平/FC東京
青山 敏弘/サンフレッチェ広島
上田 康太/ジュビロ磐田
家長 昭博/ガンバ大阪
本田 圭佑/名古屋グランパスエイト
高柳 一誠/サンフレッチェ広島
枝村 匠馬/清水エスパルス
梅崎 司/大分トリニータ
柏木 陽介/サンフレッチェ広島
■FW:
平山 相太/FC東京
カレン ロバート/ジュビロ磐田
李 忠成/柏レイソル
岡崎 慎司/清水エスパルス

J1鹿島サマーキャンプ 本山 ボール使い技術練習
2007/07/25(水) 本紙朝刊 スポーツ A版 6頁
「欠点詰めていきたい」
 Jリーグ1部(J1)鹿島は24日、福島・Jヴィレッジで合宿2日目の練習を行った。
 午前の部では筋力トレーニングとインターバル走を実施し、心拍数や乳酸値を計測。午後からは初めてボールを使ったトレーニングを行い、2人1組でパスやヘディングなどを織り交ぜた練習や3人1組でのパス練習など、フィジカルトレーニングと技術練習を兼ねたメニューをこなした。柳沢は発熱のため練習を休んだ。
 小笠原とコンビを組んで練習した本山は、「連係を高めることも必要だし、前半戦で良い点や悪い点が分かったので、欠点を詰めていきたい」と意気込みを語った。
 第3日の25日は午前、午後の2部練習を行う。

■「プレー学ぶ」内田「頑張りたい」増田
 ○…24日に発表されたU-22日本代表候補に、鹿島からMF増田誓志(22)、DF内田篤人(19)が選出された。
 内田は4月の代表合宿以来2度目。U-20W杯(カナダ)から帰国して約2週間。オフを実家で過ごし、英気を養って臨んだ合宿中に吉報。「入るとは思っていなかったし、発表があるのも知らなかった」と驚きを隠さなかった。
 それでも、「前回は体が動かなくて納得できなかった。U-22のサイドには良い選手がいるので、先輩のプレーを学びながらやりたい」と抱負。合宿を途中で抜けるが、「ポジションを取られるなら自分はそれまでの選手。先輩と互いに鍛え合って成長したいと思っている。チームを離れるのは嫌とは思わない」と意気込みを示した。
 五輪代表常連の増田「また選んでもらえてうれしい。貴重な機会だと思うので頑張りたい」と代表でのレギュラー奪取に意欲を見せた。

北京五輪を目指すU-22代表合宿に増田誓志に加え内田篤人も招集された。
さして驚きはない。
U-20に於ける不動の右SBであったし、過去にも招集され、フル代表にも呼ばれておるのである。
当然の選出であろう。
選出あれば落選有り。
興梠慎三と鈴木修人くん消化試合の盛り上げ役であったことが証明された。
心底残念である。
板垣を想い殉死したいところではあるが、所詮伝兵衛は百姓である。
妹のミツの分まで長生きすべきであろう。


逆転優勝の鍵を握るのは

2007年07月24日 | Weblog

鹿島逆転Vへ残り全勝宣言
 鹿島が23日、福島県双葉郡のJヴィレッジで6日間の合宿をスタートさせた。リーグ戦は首位のG大阪に勝ち点11差の4位だが、オズワルド・オリヴェイラ監督は逆転Vに向け「全勝すること。それを可能にするメンバーはいる」と残り16試合全勝を目標に掲げた。
 期待するのは、メッシーナから復帰したMF小笠原だ。ナビスコ杯広島戦(15日)で復帰。卓越したボールさばき、守備力でチームを勝利に導いている。指揮官も「小笠原はこの合宿でチーム内連係、約束事を徹底させたい」と、さらなる融合化でチームの底上げを図る考えを明かした。
 鹿島は2005年、リーグ中断前まで2位に勝ち点差10をつけながら、終盤で逆転された経験がある。当時を経験しているMF小笠原は「不可能な数字じゃない。いい時、悪い時がある」と断言。鹿島が16試合全勝の土台を、今合宿で築き上げる。
(2007年7月24日06時02分 スポーツ報知)

再開後の巻き返しに小笠原をキーマンとするということか。
実力と実績を考慮すれば当然であろう。
実際に連携が取れていない状態で戦ったナビスコ杯準々決勝2nd legでは存在感を見せつけたこともまた事実である。
しかしながら一人の力で何もかも好転するわけではないのがサッカーという球技である。
スタメンを外れることとなるであろうチューヤンか青木が常に出場に備えられるのかどうか。
ベンチすら遠くなるであろう興梠・誓志のメンタルは如何に。
選手の層が厚くなったが故の悩みは多い。
控える選手陣のこそが雌雄を決するファクターと言えよう。
が、それ以上に問題は、ポカーンと試合中に切れる瞬間の存在である。
ナビスコ杯準々決勝然り、ホーム浦和戦然り。
なぜか、突然集中力が切れる瞬間が存在する。
今季はそれが顕著であり、その瞬間にはスタジアム全体がサポも含め凍り付くのである。
これは誰がどうすれば良いのであろうか。
今季の大きな問題点である。
緩んでいるというわけでも無かろうに。
夏の酷暑に緩みきった軍に苦言を呈した高遠頼継であるが立て直すことなく捕縛される。
流石にこれで出番は打ち止めで御座ろう。
まさか高遠も幽霊として現れるということはあるまいな。


ユダ改めて断念

2007年07月22日 | Weblog
鹿島、中田浩二の獲得を断念…バーゼルに放出の意思なし
 J1鹿島がスイスリーグ・バーゼルDF中田浩二(28)の獲得を断念したことが21日、分かった。「すでに断りの連絡が入っているし、これ以上うちからアクションを起こすことはない」と鹿島幹部。鹿島は今夏の獲得を目指していたが、08年夏まで契約を残すバーゼルに放出の意思はなく、移籍には至らなかった。
 バーゼルは22日のリーグ開幕戦でチューリヒと対戦。「どこでプレーするにしても準備だけはしておく」と話していた中田浩は先発が濃厚。希望していた鹿島復帰は実現せず、バーゼルの一員として今季のスタートを切る。


2週間も前の7月7日の報道で終わったものと思っておったユダ獲得問題であるが、ここに来て獲得断念の記事が改めて載った。
今更感漂う報道である。
が、この選手がオフの時期にメディアの目が向くことは嬉しい誤算である。
選手がオフでもスタッフが業務を続けていることも分かった。
ここで予算の1億円をどう使うか検討しておるのであろうか。
親会社の頭を下げてまで無心して組んでしまった予算である以上、無策にするわけには行かぬ故、頭を悩ませておろう。
現状で最も手薄なSB獲得に使うにもJには人材がおらぬ。
中断明けには當間も戻ってくる。
結局のところ冬のマーケットで改めてオファーという失態を犯すのであろうことが予想される。
残り契約が半年を切れば違約金も軽減されるであろうという安易な読みと加藤あいへの愛情がそうさせると思われる。
代理人も給料を最も払うところへ契約を持っていこうとするであろう。
テレ朝版諏訪の姫の思いは故郷にあるやも知れぬ。
であれば、冬のマーケットも惨敗となろう。
備えて別の策を練っておいて欲しいものである。
頭を悩ませて、浦和から山田を抜くくらいの策を。

ジョルジと本田泰人

2007年07月20日 | Weblog
エルゴラの記事稿にて
「ずっと右サイドでプレーしていたジョルジが、いきなり自分で『俺は日本だったらボランチの方が機能する』と言ったんです」
この結果、最強の97年となるのである。
だがこれはJリーグがドメスティックで閉鎖的であったことを物語るエピソードである。
ブラジルやドイツではダメだがJならOKなのである。
奇しくも元日本代表FWである大黒がトリノで右サイドにコンバートされた。
我等が柳沢敦もイタリアではサイド起用であった。
現在、フランスの松井もスコットランドの俊輔も然りである。
日本人選手は背骨になれぬと言いたげだ。
実際のところセンターがしっかりしておればサイドはある程度の選手でまかなえる。
攻撃的であれば良い程度のものなのである。
ところで、今季も昨季と同様にSBに不安を抱えておる。
が、サブを豪華にする意味は少ない。
ジョルジの97年もSBの控えは内藤就だけである。
相馬に怪我もカードも少なかったこともあるが、サイドはその程度で十分と言い切りたい。
今季は篤人のU-20ワールドカップ出場が痛手であったが、青木の3年ぶりの右SBで目処が立った。
これで青木は正ボランチ、CB、右SBと手薄なポジション全てを制覇したこととなる。
まさに青木のチームである。
鹿島の皇帝青木剛。
本田泰人の後継者と言えよう。

広島戦レビュー

2007年07月16日 | Weblog

鹿島3-1広島 鹿島逆転4強
2007/07/16(月) 本紙朝刊 スポーツ A版 8頁
 Jリーグ・ヤマザキナビスコ・カップ準々決勝第2戦最終日(15日・カシマスタジアムほか=2試合)鹿島と川崎が2年連続の準決勝進出を決め、G大阪、横浜Mとの4強が出そろった。
 アウエーでの第1戦は0-1で敗れた鹿島は、マルキーニョスの2得点などで広島に3-1で勝ち、2試合合計を3-2とした。アウエーの第1戦を落としていた川崎は、2試合合計5-5でもつれた延長後半8分、途中出場の黒津が決勝ゴールを決めた。
 準決勝は第1戦が10月10日、第2戦が同13日。組み合わせ抽選は8月上旬に実施される。

 【評】鹿島が自在な攻めで快勝した。前半はマルキーニョスが2得点。15分に縦に抜け出して先制し、40分には柳沢のパスから決めた。後半2分には柳沢の左クロスを野沢が合わせた。広島は守備が乱れ、早々と失点したのが響いた。

自在な攻め、集中力切れず
 後半のロスタイム4分が経過した直後、台風が去ったカシマスタジアムに鹿島をたたえる祝福の笛が鳴り響いた。2点差以上での勝利が必要という厳しい状況をはね返して、2年連続の準決勝進出を見事に決めた。
 鹿島にとって理想の展開だった。前半15分に本山からの約40?のスルーパスを受けたマルキーニョスが右足で冷静に流し込み先制。本山が「練習してきた形で取れた」という形で、初戦からのスコアを1-1とし、試合を振り出しに戻すと、その後も勢いを失うことなく攻撃を仕掛けた。40分には小笠原のパスカットから中後、柳沢とつなぎ、最後はマルキーニョスが2点目をねじ込み、合計スコア2-1と逆転した。
 それでも、予断を許さない状況は変わらなかった。アウエーゴールの関係で1点でも失点してしまえば、再び2点差をつけなければ敗退してしまうからだ。
 だが、それも後半が始まってしまえば杞憂きゆうに終わった。2分にファボンのロングフィードを柳沢が競り勝ち、走りこんだ野沢が頭で決め、欲しかった3点目を奪った。「ヤナギさんのパスが良かったから、当てるだけで良かった。意志の疎通だね」と公式戦初得点を喜んだ野沢。その後は、2点が必要になった広島の猛攻を受けたが、最後まで集中力を切らさずに、なんとか1失点で守りきった。
 中盤を支えた小笠原、2アシストの柳沢らの復帰がチームを生き返らせた結果にオズワルド・オリベイラ監督は言った。「(2人が入ることで)経験や余裕がチームの中に生まれた。他の選手も自信を持ってやってくれるようになる」。10冠へのステップをまた1つ上がっただけでなく、後半戦に向けての大きな可能性を示してくれた試合でもあった。

柳沢2アシスト
 約3カ月ぶりの公式戦のピッチで鹿島のFW柳沢が2アシストと躍動。主将としてあらためて存在感を示した。
 まずは前半40分、味方のパスカットから中央でボールを受けるとゴール前へドリブル。同時にFWマルキーニョスの動きを見ながら抜群のタイミングでスペースへパスを出し、追加点をおぜん立てした。後半2分にはDFファボンの縦パスにいち早く反応して左サイドを抜け出すと、MF野沢の頭へどんぴしゃりのクロスを送り貴重な3点目をアシストした。復帰戦初ゴールこそならなかったが、「自分のプレーには細かいことを言えばきりがないが、次に進めたことが何より1番」と逆転での準決勝進出を素直に喜び、「リーグ戦再開まで時間があるので、またいい試合ができるように頑張りたい」頼れる主将がさらなる活躍を誓った。

【ヤマザキナビスコカップ 鹿島 vs 広島 レポート】柳沢、小笠原の復活で鹿島が貫禄の勝利。2年連続の準決勝を果たす。 [ J's GOAL ]
7月15日(日) 2007 ヤマザキナビスコカップ
鹿島 3 - 1 広島 (18:30/カシマ/8,647人)
得点者:'15 マルキーニョス(鹿島)、'40 マルキーニョス(鹿島)、'47 野沢拓也(鹿島)、'63 ウェズレイ(広島)

試合前のウォーミングアップ。フィジカルコーチの指示で鹿島の選手たちが短い距離のダッシュを繰り返す。その表情は引き締まり全力でのダッシュを黙々と繰り返す。フィジカルコーチが手を叩くリズムが全く乱れない。毎試合見られる光景とどこかなにかが違う。ピーンと張りつめた緊張感。選手たちからは溢れんばかりの闘志がみなぎっていた。

この試合、鹿島にとっては難しい状況でのスタートだった。まずはアウェイゴール。第1戦を0-1で敗れたためアウェイゴールを奪うことができず、第2戦での失点は大きなビハインドとなる可能性を抱えていた。また、戦術的にもなにかしらの対策を講じる必要があった。前の試合では、中盤の配球役だった青木が激しくすばやいマークにあい、ボールの展開を阻害され攻めの形がつくれずに終戦していた。
だが、鹿島のオズワルドオリヴェイラ監督にとって、これらの問題に答えを出すことは意外と簡単だったのかも知れない。柳沢敦と小笠原満男という、チームに大きな影響を与える2人の選手が戻ってきたからだ。監督は試合後、「彼らがチームに与える影響というのは計り知れない」と語っている。実際、試合のなかで彼らの存在感は際だっていた。

ゲームは大荒れの天気のなか始まった。いったんは雨も止み青空が顔を出したものの、試合開始直前から雨と風が激しくなる。強い風がスタジアム内で巻くなか前半は鹿島が風上に立った。鹿島が攻め、広島が守るという第1戦の構図は変わらない。鹿島は本山と新井場のコンビネーションで左サイドを突破し、何度かチャンスをつくる。しかし、序盤目立ったのは広島の速攻だった。鹿島はセンターバックにファボンを起用していたが、岩政との連携がいまひとつ。開始早々の FKではマークミス。時おり繰り出される広島の鋭い速攻に対してはマークに付ききれずシュートまで行かれてしまっていた。
だが、前半15分、鹿島に待望の先制点が入る。それまでも何度と無くDFラインの裏側を狙う動きをしていたマルキーニョスへ本山から絶妙のパス。森崎和幸を振り切ったマルキーニョスはフリーでシュート。キーパーの届かないコースへ確実にコントロールし、初めてのチャンスをきっちりものにした。

このあたりから鹿島の攻勢が一気に強まる。相手にボールを奪われると前線から激しくチェック。中盤に出たボールに対しても、すばやく相手を囲みボールを奪っていった。特に、相手陣でのスローイングに対しては、マークをはっきりさせプレッシャーを与えた。事前のスカウティングで広島の選手の対応に問題があることを見抜いていたのか、スローイングの機会は「ボールを奪うチャンス」とチーム共通の狙いを定めていたようだった。実際、広島の選手たちはボールの出し所がなく、スローを受けた選手が苦し紛れに前線に蹴り出す場面が続出していた。
そして40分、鹿島が2戦トータルでの勝ち越しとなる2点目をあげる。決めたのはまたもマルキーニョス。小笠原の中盤でのパスカットから、中後、柳沢とつながったパスを決めたものだった。柳沢をマークしていた盛田はしばしば鋭い動きについて行けず対応に苦慮していたため、多少距離をとってマークしていたのが災いしてしまった。

後半も鹿島のペースで試合が進む。開始早々、ファボンからのロングフィードを受けた柳沢が左サイドを抜け出てセンタリング。走り込んだ野沢が頭で合わせ、決定的3点目が鹿島に入った。前半は前線から激しくチェイスしたことから鹿島のペースで試合が続くことはないと思われた。それだけに、この3点目は大きな大きな追加点となった。
その後、平繁、柏木と若手選手を立て続けに投入した広島が、ウェズレイの得点で一矢報い、あと1点で準決勝に進める状況をつくる。さらに槙野を入れ、4バックにして攻勢をかけるも効果的な戦術変更とはいかず、鹿島に時間を使い切られてタイムアップ。鹿島アントラーズが2年連続の準決勝進出を決めた。

鹿島の勝因は、やはり柳沢、小笠原の復帰が大きかった。柳沢はパートナーとなるFWを活かす選手。サポートを受けたマルキーニョスが2得点の活躍し、柳沢自身も2アシストとらしさを見せた。また、小笠原の起用は、広島への第一の対応策であった。ダイヤモンド型だった中盤はボックス型となり、中盤の底で中後と小笠原が代わる代わる入ることで、広島にプレスの的を絞らせなかった。つねにリードする展開だったということはあるものの、パス回しに苦慮する場面はほとんどなかったと言えるだろう。

ふたりの復帰に加え、ファボンもひさびさの先発出場。リーグ戦ではガンバ大阪、浦和レッズの後塵に配するものの、両チームに匹敵する戦力がようやく揃った。しかし、チームの完成度という点においてはまだまだ。得点シーンはいずれも相手のミスに乗じたもので、自らのパス回しでディフェンスを崩したシーンは試合を通じても少なかった。前半には、小笠原から本山へのスルーパス、グラウンダーの折り返しに柳沢が飛び込むというプレーが一度だけあった。3人が連動することで美しいプレーが生まれることはこれまでも実証済み。今後、どれだけこうしたシーンをつくれるかが問われてくる。約1ヶ月の中断期間でどういうチームに仕上げてくるのか楽しみにしていきたい。
以上
2007.07.16 Reported by 田中滋

余裕があったかのような記事である。
が、スタジアムは冷や汗の連続であった。
失点シーン、その直前シュートを放った篤人が足を気にしてしゃがみ込んでいた。
他の選手が戻って人数は足りていたが、篤人の穴がなかったとは言えない。
その後、試合に復帰するも足引きずり気味であったことは事実。
青木と交代して安定するかと思いきや、岡田正義主審は相変わらず安定して偏っており、意味不明なジャッジが続きいた。
そして最後には4分というあり得ないアディショナルタイムである。
アウェイのチームに感動をもたらせたいという力学が働いていたことは隠しようがなかった。
が、その悪意を聖地の力ではね除けられたことは大きい。
善が勝利した。
否、勝利したからこそ善なのである。
村上義清が善であり、武田晴信は侵略し破れた悪の権化であることが証明されたのである。


広島戦報道

2007年07月16日 | Weblog

川崎F、鹿島が4強入り/ナビスコ杯

後半、パスカットをする鹿島MF小笠原。右は広島MF青山(撮影・蔦林史峰)
<ナビスコ杯>◇準々決勝第2戦◇15日◇国立ほか◇2試合

 川崎Fと鹿島が2年連続の準決勝進出を決め、G大阪、横浜との4強が出そろった。
 アウエーの第1戦を落としていた川崎Fは、2試合合計5-5でもつれた延長後半8分、途中出場の黒津が決勝ゴールを決めた。アウエーでの第1戦は0-1で敗れた鹿島は、マルキーニョスの2得点などで広島に3-1で勝ち、2試合合計を3-2とした。

 準決勝は第1戦が10月10日、第2戦が同13日。組み合わせ抽選は8月上旬に実施される。

[2007年7月15日23時45分]

鹿島4強よみがえった小笠原/ナビスコ杯

後半、途中交代する鹿島FW柳沢(左)とハイタッチを交わすMF小笠原
<ナビスコ杯:(3)鹿島3-1広島(2)>◇15日◇準々決勝第2戦◇カシマ※カッコ内は2戦合計得点

 イタリア帰りの司令塔が鹿島をよみがえらせた。第1戦を0-1で落とし、迎えた準々決勝広島戦第2戦でメッシーナから復帰したMF小笠原満男(28)が先発出場。起用効果はすぐに表れ、前半40分には小笠原の果敢なタックルでのパスカットから速攻となり、値千金の2点目が生まれた。323日ぶりのJ復帰戦を3-1の快勝で飾り、チームは2戦合計3-2でベスト4進出。悲願の10冠に向け、態勢が整った。

 風と雨が吹き荒れるピッチ上に、小笠原は滑り込んだ。前半40分。中盤の真ん中を破ろうとした相手のスルーパスに食らい付く。タックルで止めたボールは、そのまま近くにいたMF中後の足元に収まった。そこから2本のパスでFWマルキーニョスのゴールへとつながる。1戦目の0-1のビハインドをひっくり返す、勝ち越しの2点目。「試合は久しぶりだったけど、自分、自分じゃなくチームのために」

 昨夏、日本を飛び出し、念願の欧州に渡った。技術はチーム随一。だが出場機会を確保できなかった。残留争いの中、手堅いサッカーを貫くチームに居場所はなかった。昨年12月のフィオレンティーナ戦を最後に出番を待つ日々。公式戦8戦1得点が、セリエAにわずかに刻んだ数字だった。

 だが不毛な1年ではなかった。物静かなで知られる男は見知らぬ土地に溶け込んでいった。短期間でのイタリア語の上達は中村俊、柳沢をしのぐとも言われた。シーズンが終了すると、誰の手助けもなく家族とともにポルトガルなどへ旅行に出掛けた。入団時から知る鈴木満取締役は「あんなに海外生活を楽しめるやつだとは思わなかった」と驚いた。

 323日ぶりの復帰戦を小笠原は「良いとは言えない」と満足しなかった。ただ仲間は、存在の大きさを感じている。先制点アシストの本山「満男が入って安心して前に行けた。よく走って、体を張って、やっぱりうまい」と、守備の負担が軽減されたことを実感。フル出場した小笠原は、終盤に自然とキャプテンマークを渡された。自ら「第2章」と位置付けた新たな船出。背番号40の帰ってきた男は「タイトルを取れるチャンス」と10冠へ狙いを定めた。【広重竜太郎】[2007年7月16日9時19分 紙面から]

小笠原&柳沢、復帰早々勝利を演出!鹿島は2年連続4強入り
 ヤマザキナビスコカップ準々決勝第2戦最終日(15日、カシマスタジアムほか)鹿島と川崎が2年連続の準決勝進出を決め、G大阪、横浜Mとの4強が出そろった。イタリアのメッシーナから鹿島に復帰したMF小笠原満男(28)と左足第5中足骨骨折から復活した主将FW柳沢敦(30)が広島戦に先発し、小笠原が1起点、柳沢が2アシストの活躍で3-1勝利を導き、2戦合計3-2とした。川崎は2戦合計5-5でもつれた延長後半8分、途中出場のFW黒津勝(24)が決勝ゴールを決めた。

 帰ってきた2人が勝利を演出した。セリエBに降格したメッシーナで昨季6試合1得点と不遇の1年を過ごした小笠原は、背番号40でフル出場。昨年8月26日の広島戦以来、323日ぶりの国内復帰戦で1得点の起点となった。4月21日の清水戦以来、85日ぶりに復帰した主将の柳沢も、74分間出場し2アシストの活躍。0-1で敗れた第1戦との合計を3-2とする“逆転勝利”を、復活組が導き出した。小笠原「違和感なく試合に入れた。チームとして勝てたことが大きい」と胸を張れば、柳沢「こんな天候のなか会場に来てくれたサポーターのためにも結果を出せてよかった」。試合と結果に飢える2人の活躍で2年連続の4強入り。悲願の10冠が見えてきた。

復帰戦で小笠原いきなり魅せた

前半、鹿島・小笠原(右)は激しい台風の風にもめげず鋭い動きを見せた
 ナビスコ杯準々決勝第2戦の残り2試合が行われ、4強が出そろった。鹿島は広島に3―1で勝ち、2戦合計3―2で2年連続の準決勝進出。323日ぶりのJ復帰を果たした小笠原満男(28)が攻守に活躍し、故障明けのFW柳沢敦(30)も2アシストでチームに貢献した。川崎Fは甲府と2戦合計5―5で迎えた延長後半8分、FW黒津勝(24)が決勝ゴールを決めて2年連続で4強入りした。
 【鹿島3-1広島】いきなり魅せた。323日ぶりにJの舞台に戻って来たMF小笠原が、“イタリア仕込み”のプレーでチームを準決勝進出へと導いた。1―0で迎えた前半40分だ。セリエA流の鋭いプレスで相手パスをカット。すぐに中後へつなげると、最後は柳沢からパスを受けたマルキーニョスが決めた。オリベイラ監督からは「ボールを落ち着かせろ」と指示が出ており、その通りに中盤で攻守の起点となった。

 ぶざまな試合はできなかった。昨年8月にメッシーナにレンタル移籍。悲願だった欧州初シーズンはリーグ戦でわずか6試合の出場に終わったが、海外挑戦が無駄ではなかったことをピッチで示す必要があった。それだけに、チームの勝利に「慣れ親しんだスタジアムで、違和感なくやれた。現状で100%の力を出せた」と充実感にあふれた表情をのぞかせた。

 4月21日の清水戦で左足第5中足骨を骨折したFW柳沢も85日ぶりに公式戦復帰。ゴールこそなかったものの、2アシストの活躍。「前向きな気持ちでリハビリできたので、久々の試合でもいい感じでプレーできた」と納得の表情だった。

 チームはリーグ戦では開幕5試合未勝利だったが、その後の反攻で4位まで浮上。優勝を何度も経験する2人の“優勝請負人”も復帰し、ナビスコ杯制覇によるクラブ10冠へ視界が開けてきた。[ 2007年07月16日付 紙面記事 ]

小笠原323日ぶりJ 鹿島逆転4強…ナビスコ杯準々決勝第2戦

前半25分、小笠原が復帰後初シュートを放つ(左は柳沢)
 ◆ナビスコ・カップ準々決勝第2戦 鹿島3―1広島(15日、カシマ) 鹿島と川崎が2年連続の準決勝進出を決め、G大阪、横浜Mとの4強が出そろった。鹿島は広島を3―1で下し、逆転4強進出。MF小笠原満男(28)が昨年8月26日の広島戦(カシマ)以来、323日ぶりに国内公式戦出場。左足第5中足骨骨折から85日ぶりに復帰したFW柳沢敦(30)は、2アシストの活躍と復帰組の活躍でタイトル10冠に前進した。川崎は2試合合計5―5でもつれた延長後半8分、途中出場のFW黒津勝(24)が決勝ゴールを決めた。準決勝は第1戦が10月10日、第2戦が同13日。組み合わせ抽選は8月上旬に実施される。

 サッカー人生第2章を快勝でスタートさせた。「個人としてはよかったとは言えないけど、現状の100%を出そうとした。自分が、自分がっていうよりも、チームのためにやろうと思った。準決勝、進めて良かった」背番号40を背負い、再起を期した広島戦。323日ぶりに帰ってきたMF小笠原が、充実感にあふれた表情でスタンドに復帰、快勝を報告した。

 奮闘した。前半40分、センターサークル付近で、相手のパスをスライディングでカット。ボールはMF中後へのパスとなり、FW柳沢を経由して、最後はFWマルキーニョスが2得点目をたたき込んだ。絵に描いたようなカウンター攻撃の起点になった。さらに、この守備力が攻撃にも波及する。MF本山「満男が入って、安心して攻撃にいけるようになった」と話すように、野沢、本山の攻撃回数が劇的に増え、3得点を呼び込んだ。

 昨年8月、満を持してイタリア・メッシーナへと渡った。だが、技術はチーム一でも、日本人というだけで差別に近い待遇を受け、リーグ戦出場は6試合に終わった。シーズン途中、鹿島関係者の激励電話にも「バカンス」「旅行」という言葉が口をついた。試合から遠ざかり、冗談でも「引退」の二文字も口にするほど。だが、同時に腹の底からわき出たのは「試合に出たい」という気持ち。サッカーへの思いを再認識した1年だった。

 チームは、2点差以上の勝利が必要な試合で、見事に準決勝進出を決めた。クラブのタイトル10冠まであと3試合。「チャンスなんで、チームとして目指していきたい」6冠を獲得してきた司令塔は、力強く言いはなった。(2007年7月16日06時01分  スポーツ報知)

【ヤマザキナビスコカップ】鹿島 vs 広島:オズワルドオリヴェイラ監督(鹿島)記者会見コメント [ J's GOAL ]
7月15日(日) 2007 ヤマザキナビスコカップ
鹿島 3 - 1 広島 (18:30/カシマ/8,647人)
得点者:'15 マルキーニョス(鹿島)、'40 マルキーニョス(鹿島)、'47 野沢拓也(鹿島)、'63 ウェズレイ(広島)

●オズワルドオリヴェイラ監督(鹿島):
Q:今日は、風と雨が強い中での試合で、逆転しなくてはいけない条件に対し特別な指示はあったのでしょうか?
「今週に入ってから、まずビハインドのスコアからスタートするということでいろんな状況を想定して練習してきました。あとは、精神的なコントロール。つまり、いかにして平常心でこの試合に臨めるかということがひとつの鍵になると選手たちに話をしました。それを選手全員がよく理解して実行に移してくれたんだと思います。もうひとつは柳沢選手と小笠原選手の復帰。こういうプレッシャーのかかった試合のなかで、彼らの経験というものが随所に試合の中で生きていて、まわりの選手には平常心を保てるプレーや言葉を与えたんではないかと思います」
Q:小笠原選手と柳沢選手の名前が出たのですが、お二人の今後に期待することをお聞かせ下さい。
「柳沢選手に関してはずっと前から一緒になっているので彼のことはよく知っています。小笠原選手に関しては5月末あたりから一緒に練習する機会があったので、そこで彼のことを知ることはできましたし、今週に入ってから正式に(チームへの復帰が)決まった時点で、彼の気持ちが入ったなというのを感じました。やはり経験というところ、気持ちという部分での余裕がチームのなかで生まれてくるし、そうすると他の選手が自信をもってプレーするようになる。『こういう風にやっていいんだ』、と(彼らが)声を出すことで、ひと言だけでもまわりの選手も変わってくる。そういった意味で彼らがチームに与える影響というのは計り知れないものがある。コンディション的なものが戻ってくれば今後ともチームの力になるし、他の選手とも融合しながらうまく使っていければなと思います」
Q:これで中断に入る訳ですが、リーグ戦が始まる頃と比べて選手層の厚さということに関して監督はどう感じておられますか?
「やはり選手の底上げ、チーム全体の底上げというのは重要な部分です。まず僕は3つの要素があるんじゃないかと思います。ひとつは外国人選手が本来の力を出し切れるように慣れさせるプロセスを手助けすることが、われわれスタッフを含めてできるんじゃないかと思います。
 もうひとつは、柳沢選手だったり、小笠原選手だったり、他にも経験を積んでいる選手はチーム内にいますから、経験の多い選手が経験のない選手に伝授ではないですけど、与える影響、育成というものもあると思いますし、そうしたことができればいいと思います。
 3つめは、若い選手の台頭です。シーズンの最初から若い選手を育て、そこで勝っていくということを目標にして招聘された訳なので、そういった部分をずっとやってきた訳です。彼らが今後、試合に出れないということ、競争の原理に入ってこないといけないし、トップにずっと居続けるためにさらに努力をし続ける、献身的にやらなくてはいけないし、それができるものは上に行くし、それを諦めてしまう選手はそこで止まってしまいます。
 選手を育てるという、単なる技術・戦術的なところではなく精神力でもあるし、それを打ち倒す選手、貪欲さを持っている選手は上に行くし、そういうチームの活性化をしていくことでチームの底上げができて、チーム力があがって、その3つの要素が予想している形でうまく機能してくれれば、負けない、あるいは強いチームができあがるのではないかと思っています」

以上

【ヤマザキナビスコカップ】鹿島 vs 広島:試合終了後の各選手コメント [ J's GOAL ]
●青木剛選手(鹿島):
「小笠原選手とは、練習を1週間やっていたので問題はなかった。自分としては複数のポジションができるというのが特徴なので、出た場所でがんばっていきたい」
Q:小笠原選手の復帰でポジション争いが激しくなるが?
「別格の人なので、結果としてボランチのもうひとつの空いた枠を争うことになると思う。試合に出たときに、やれることをやっていきたいと思います」
Q:試合前のアップから選手から集中力や気迫が漲っていたが、試合前の様子はどうだったのか?
「1-0で負けて、2点差以上つけなければいけない厳しい状況での試合だったので、強い気持ちを持って試合に臨まなくてはいけないことをみんなが理解していたと言うことだと思う」
●小笠原満男選手(鹿島):
「チームが勝って準決勝に行くのが大事だった。自分の出来は良いとは言えないものだった。チームのために貢献することを考えながらプレーした」
Q:中後選手とはどういう話しをしていたのか?
「失点しないようにバランスを取ることが大事だと思っていた」
Q:久々の復帰戦だったが?
「あまり変わらない。ずっと慣れ親しんだスタジアムだったし」
Q:以前のチームとの印象の違いは?
「今日の試合に関しては『勝ちたい』という気持ちが表れていたのが良かったと思う」
Q:今日の試合に関しては?
「一番気を付けていたのは相手のカウンターだった。前半で2点取れたのが大きかった。シュートで終わろうという話だったので、それがうまく結果につながったと思う。失点シーンは残念だった」
●内田篤人選手(鹿島):
「自分が出たときに負けられないので勝てて良かった。頭が少し痛かったけど、監督が言ってたので出場しました。『出ろ』と言われて出ない選手はいない。自分も出たかったしそう言われて良かった。今日は結果が出て良かったと思う。満男さん(小笠原)もボールをもらってくれてすごく助かった。去年決勝に行ってるのだから、こんなところで負けられない。満男さんとは去年やってるし、メンツが変わったとは思っていません」

各紙小笠原に注目である。
が、この試合の決めたのはビハインドを無くした先制点であり、広島の守備を切り裂いた本山のスルーパスである。
ハーフウェイラインからの鋭く長いパスは一発で試合の行方を決めたと言っても過言ではない。
話題の小笠原満男がボールを持つ毎に再三再四鋭い動き出しを見せておった。
所謂「出来ている」コンビネーションであった。
際だったのは、前半27分満男の浮きパスをボールに触らず相手DFを抜き去ったプレイである。
惜しくもその後のクロスを柳沢主将が決めきれず得点には至らなかったが、本山が感動をスタジアムに呼び込んだことは言うまでもない。
使う側から使われる側へと成った本山は水を得た魚のようである。
本山と満男、この両雄がおる限り鹿島に落日はない。
無駄で無慈悲な戦をせぬ限りこの二人を失うことも無かろう。
井上版原作では一言で片づけられた板垣・甘利の討ち死にを盛り上げんが為の回であるが、冗長な上にこの二人の行動指針が無茶苦茶で萎えることこの上ない。
これでは主人公は勘助ではなく晴信である。


開催の決断

2007年07月15日 | Weblog


7月15日(日) ナビスコ準々決勝 広島戦 開催致します
7月15日(日)Jリーグヤマザキナビスコカップ第2戦 サンフレッチェ広島戦は予定度通り開催致します。

2点差以上で勝利を 鹿島、きょう広島戦 ナビスコ杯
2007/07/15(日) 本紙朝刊 スポーツ A版 12頁
 Jリーグヤマザキナビスコカップ決勝トーナメント準々決勝第2日最終日は15日、各地で2試合を行う。鹿島はカシマスタジアムで広島と対戦する。キックオフは午後6時30分。初戦を0-1で敗れた鹿島は、逆転での準決勝進出を目指す。
 鹿島が準決勝に進出するには90分以内で2点差以上での勝利が条件。失点した場合は、1点差での勝利では得失点差で並び、アウエーゴール数で敗退してしまうため、やはり2点差以上での勝利が条件となる。1-0での勝利の場合は延長戦(15分ハーフ)に入り、それでも勝負がつかなければPK戦となる。新井場は「アウエーゴールのことを考えれば点もやれないが、難しいことを考えず2点差つけて勝てるようにしたい」と気合を入れる。
 先発予想はGK曽ケ端、DF内田、岩政、ファボン、新井場、MF中後、小笠原、野沢、本山、FW柳沢、マルキーニョス。初戦から5人が入れ替わる予定。復帰したばかりの小笠原「次のステージに進むためにも、チームとして勝つことが大事。試合で勝ちたい、みんなと喜びたいという気持ちを、うまく試合に出したい」と意欲を燃やす。
 約3カ月ぶりの公式戦出場を果たす柳沢「試合に出るために準備してきたので不安はない。あとはやるだけ」と話し、「次を乗り越えないと10冠も見えてこない。いい結果を残せるようにしたい」と気合を入れた。
 U-20W杯から帰国したばかりの内田も先発が濃厚で「疲れは大丈夫。帰ってくるときから、出させてもらえるなら出るつもりでいた。一生懸命頑張りたい」と話した。
 広島はアウエーで守備的に来ることが予想される。布陣は前回と変わらずウェズレイの1トップできそうで、そこにU-20W杯から帰国した柏木が加わりそう。鹿島は前回、アウエーで守備的な広島を崩せずにカウンターから失点しただけに、同じパターンを繰り返したくはない。岩政「修正というよりも、どういう気持ちで試合に入るかが大事。90分あるので焦る必要はない。これだけ選手が変わればリズムも違ってくる。気持ち的にもフラットな状態で入りたい」と、平常心で戦うことを強調していた。

台風で順延も心配されたが、無事開催。
U-20でチームを離れていた篤人も合流しベストメンバーを組めそうである。
ナビスコ杯だけでなく中断後のリーグ戦の行方も占う戦いになるであろう。
聖地で攻撃的に行く心構えは我等の声援と共にある。
雨にも風にも負けず集結するのだ。


2008年度新人鈴木修人くん内定

2007年07月14日 | Weblog

早大MF鈴木修人選手のアントラーズ入りが内定
標記の通り、早稲田大学ア式蹴球部所属(4年生)のMF鈴木修人選手が、来季から鹿島アントラーズでプレーすることになりましたので、お知らせ致します。

■鈴木修人(すずき・しゅうと)選手プロフィール
1985年8月31日生まれ。千葉県出身。船橋FC─鹿島アントラーズジュニア─鹿島アントラーズジュニアユース─船橋市立宮本中学校─市立船橋高校─早稲田大学(スポーツ科学部)。身長171cm、体重65kg。広い視野、長短の正確なパスが持ち味のMF。

■主な経歴
 ・2002年度全国高校サッカー選手権優勝
 ・2002、2003年度日本高校選抜
 ・2007年ユニバーシアード・バンコク大会代表(8月)
 ・2007年U-22(22歳以下)日本代表 北京五輪アジア2次予選出場(1試合1得点)

今季内定第一号である。
この鈴木修人くんは6月6日のU-22北京五輪二次予選でミドルシュートを決めていたことが記憶に新しい。
消化試合だったとはいえ国際舞台で結果を残したことは重畳至極。
親のサッカー好きが困じて”シュート”から修人と名付けられた生まれながらのサッカー選手である。
小学校時代には千葉県より父親が鹿嶋まで送り迎えをしたとの逸話が残っておる。
そのエリートをジュニアユース以来再び迎え入れられることは至福である。
一時は壊滅状態であったボランチも青木・チューヤン・吉澤に満男・船山・誓志の現戦力に新たに修人くんが加わることとなりポジション争いも熾烈となる。
この戦いを制したものが公式戦へと赴くのである。
来季の楽しみがまた一つ加わった。


柳沢敦主将・小笠原満男そろい踏み

2007年07月14日 | Weblog

鹿島、小笠原&柳沢が先発復帰…準決勝進出へ闘志燃やす
 鹿島に復帰したMF小笠原と左足第5中足骨骨折から復活したFW柳沢が紅白戦に主力組でプレー。15日のナビスコ杯準々決勝第2戦・広島戦(カシマ)の先発が確実となった。「(自分がいたときと)メンバーはあまり変わっていない。自分というよりチームとしてうまくやれればいい」小笠原。主将の柳沢「次の試合でやることははっきりしている。2点取らなきゃいけないし、勝って次に進みたい」と、2点差以上の勝利による逆転準決勝進出へ闘志を燃やした。(鹿嶋市)

柳沢&小笠原15日W先発復帰だ
 鹿島のW杯ドイツ大会戦士のFW柳沢とMF小笠原が、15日のナビスコ杯広島戦にそろって先発出場することが確実となった。2人はこの日の紅白戦でともに主力組でプレー。メッシーナへの1年間の期限付きレンタル移籍を終え、3日に正式復帰した小笠原は、中後と2ボランチを組んだ。

 先週は腸炎を患い一時体調を崩した小笠原「体重も戻ったし大丈夫」とキッパリ。「(イタリアで)1年間試合に出られなかったので、試合をしたいという気持ちでいっぱい」と復帰戦が待ちきれない様子だ。

 一方、柳沢は左足第5中足骨を骨折した4月21日の清水戦以来の公式戦復帰。アウエーの第1戦でチームが0―1で負けているだけに「苦しい状況をひっくり返してこそ、頂点が見えると思うので、頑張りたい」と今季での10冠達成に強い意欲を示した。[ 2007年07月14日付 紙面記事 ]

小笠原&柳沢復帰即先発

けがから復帰した柳沢(左)と、鹿島に復帰した小笠原が談笑。ナビスコ杯準々決勝突破に向け戻ってきた2人が引っ張る
 セリエAメッシーナから鹿島に復帰したばかりのMF小笠原満男(28)が、ナビスコ杯準々決勝第2戦の広島戦(15日・カシマ)で先発することが13日、確実になった。この日行われた紅白戦で、先発組のダブルボランチの一角に入った。また、左第5中足骨(左足小指つけ根)骨折から復帰戦を迎えるFW柳沢敦(30)も先発予定。2人は日本代表への思いも口にし、広島戦で再出発を期した。

 小笠原が広島戦で再出発する。06年8月26日の広島戦以来、約11か月ぶりとなる国内公式戦で、先発が決定的。「ずっと試合に出たい気持ち、勝ちたい気持ち、みんなと喜びたい気持ちがあった。その気持ちをうまく試合で出したい」寡黙な男も復帰戦を前に、素直な感情をむき出しにした。

 新しい小笠原をみせる。昨年8月から在籍したメッシーナで、リーグ戦出場は6試合に終わった。だが、ただ指をくわえて見ていたわけではない。「イタリアはボールを奪ってから縦への展開が速い。鹿島でも有効に使う」「サッカーに対する気持ちが変わった」イタリア仕込みのカウンターを身につけ、試合に飢えるサッカー少年の気持ちを取り戻し、再起を期す。

 小笠原と時を同じくして、柳沢も先発復帰する。「満男も復帰戦で、周りが協力してやらないと。できるだけサポートしていく」。この日の紅白戦では早速、ボランチの小笠原からのパスを起点に、柳沢がフィニッシュというレベルの高い連係を披露。ブランクはまったく感じさせない。

 2人の目標は、ナビスコ杯優勝であり、その後の日本代表復帰にある。小笠原「日本代表は一番の名誉」と切り出せば、柳沢「(日本代表復帰に)頑張ります」ときっぱり。ナビスコ杯準決勝進出のためには、2点差以上の勝利が義務づけられる広島戦。帰ってきた2人が、チームを逆転勝利へと導く。(2007年7月14日06時03分  スポーツ報知)

何故か報知だけは日本代表復帰へのコメントを載せている。
記事だけ読むと本人達の復帰意識が高そうに思えるが、これまでの公式コメントから想像するに報知記者の質問に礼節を込めた返答に過ぎないであろう。
本来、日本代表は日本サッカーの頂点でありサッカーをプレイする全ての選手の憧れであるはず。
しかしながら、いつの日からか駒のように扱われ意に背けば切り捨てられる奴隷が如き存在と成り果てた。
これでは表面上は取り繕っても本山が言うように好みに合わなくばクラブで結果を出した方がよいと相成って然りである。
サッカーは多種多様で答えはない。
鹿島アントラーズ一つとっても昨季と今季では全く異なるチームである。
6年間に及んだトニーニョ・セレーゾ時代に於いても毎年陣容だけで無く戦い方全てが変化していた。
長きに渡る江戸幕府も八代以降は吉宗の血筋となり御三家以上の待遇で御三卿が起てられた。
永続すると思われているものもいつかどこかで変わっていくものなのである。


ファボン先発へ

2007年07月14日 | Weblog

鹿島ファボン闘志「酸欠になるまで走る」
 鹿島DFファボンが公式戦15戦ぶりの先発出場に闘志を燃やした。13日の紅白戦でDF岩政と組んで主力組のセンターバックでプレーし、15日のナビスコ杯準々決勝広島戦第2戦の先発出場が濃厚になった。  05年のサンパウロの世界クラブ選手権優勝メンバーで今季鳴り物入りで加入したが、4月14日の横浜戦を最後に故障やDF大岩の好調もあり、先発出場から遠ざかっていた。「酸素ボンベが必要になるくらい、酸欠になるまで走る」と並々ならぬ意気込みを見せていた。 [2007年7月13日20時1分]

エルゴラで本田元主将が一押ししていたファボンが記事を読んだかの如く先発へ。
ここは1st legに敗戦したからではなくより攻撃的に行くためであろう。
大岩のコーチングと経験による読みではなく、セットプレイ時の高さと強烈なFKを選択したと考えられる。
180分間のハーフタイムで劣勢なのであるから当然である。
本人も気合い十分なコメントを発している。
まるでオシム監督に認められ日本代表に選出されたいがのようである。
このコメントが物語るようにフォボンは明るく周囲に与える影響力の大きい選手である。
三ヶ月ぶりの先発でチームに明るい結果をもたらせて欲しいところである。


小笠原満男、決意の番号

2007年07月13日 | Weblog

小笠原満男選手背番号決定のお知らせ
F.C. Messina Peloro s.r.lから鹿島アントラーズに復帰した小笠原満男選手の背番号が以下の通りに決定しましたので、お知らせ致します。
■背番号  40
■小笠原選手コメント
「40番までの番号のなかで選んでいいということだったので、いろいろな番号がある中人がつけたことのない番号で、一番大きい番号にしました。チームに貢献できるよう一生懸命がんばります。」

小笠原満男選手復帰会見の模様
本日クラブハウスにて13時よりF.C. Messina Peloro s.r.lから鹿島アントラーズに復帰した小笠原満男選手の会見が行われました。
■小笠原選手コメント

「もう一度このチームで優勝したい。自分としてもチームに貢献したいという気持ちでいっぱいです。チームに貢献できるよう一生懸命がんばります」
 
 

鹿島小笠原の新背番号「40」

背番号「40」のユニホームを披露する小笠原。右は大東社長
 メッシーナから復帰した鹿島MF小笠原が、新背番号にクラブ史上初となる40番を選んだ。なじみ深い8番はMF野沢がつけているが、足して8番になる35番や19番、20番など主力クラスの番号は空いていた。それでも「あまり人がつけていないイメージの中で一番大きい番号を選びたい」と、登録選手40人以下のチームで選べる最大番号となる40番を選択。練習後の復帰会見でユニホーム姿を披露した。契約も09年シーズンまで2年半延長し「40番をこれから自分のイメージにできれば。もう1度、このチームで優勝を目指す」と固く誓った。
[2007年7月13日9時26分 紙面から]

鹿島復帰の小笠原、2年契約を結ぶ…海外再挑戦は封印

 今季セリエBに降格したメッシーナから鹿島に復帰したMF小笠原満男(28)が12日、茨城・鹿嶋市のクラブハウスで会見=写真。「チームがもう一度優勝を目指すなか、自分も貢献したいという気持ちでいっぱいです」と意気込みを語った。

 この日までにクラブとの契約を10年1月末まで2年延長したことが判明。現契約が切れる来年1月以降は移籍金が発生しないため、海外再挑戦のためには新契約を結ばない方が得策だった。しかし「チームのこともあるし、それはできない」と小笠原。「代表? 選手である以上、それはみんな思うことだと思うけど、代表に入るためということじゃなくて、鹿島のために一生懸命やりたい」。鹿島に骨を埋める覚悟だ。

 新しい背番号は「人が付けていないイメージがあったし、その中で一番大きい番号」という希望でリーグ規定最大の「40」。この日のゲーム形式の練習では途中から主力組でプレーするなど、15日のナビスコ杯準々決勝第2戦・広島戦(カシマ)で先発の可能性もある。

小笠原 背番「40」で人生第2章

背番号40のユニホームで入団会見に臨んだ小笠原
 メッシーナへの1年間の期限付きレンタル移籍を終え、3日に正式復帰が決まったMF小笠原が、鹿島と2年半契約を結んだことが分かった。鹿島とは08年1月31日まで契約を残していたが、これをいったん白紙にした上で、7月から新たに10年1月31日まで契約を結んだ。

 この日は復帰会見を行い、背番号も40に決定。「特に深い意味はないが、40を自分のイメージにしたい」と話した。すでに国際移籍証明書も届き、選手登録も完了。12日の紅白戦では主力組のボランチでプレーし、15日のナビスコ杯広島戦で先発出場する可能性も出てきた。

 「チームで優勝を目指しそれに貢献したい。若手の良い手本になりたい。代表?まずはチームに貢献したい気持ちでいっぱい」。小笠原のサッカー人生第2章の幕が切って落とされた。[ 2007年07月13日付 紙面記事 ]

復帰の小笠原が会見、悔しさをぶつける

鹿島に復帰し、記者会見する小笠原満男
 J1鹿島に復帰した元日本代表MF小笠原満男(28)が12日、茨城・鹿嶋市内で記者会見し「優勝を目指していく中で、もう一度チームに貢献したい」と意気込みを述べた。新しい背番号は「40」。

 昨夏セリエAのメッシーナに期限付き移籍。リーグ戦は6試合出場で1得点と不満の残る1年だったが「悔しさを毎日の練習にぶつけた。今の自分がどれくらいやれるのか、新しい気持ちにもなれた」と収穫も口にした。

 既に練習にも合流しており、15日のナビスコ杯準々決勝第2戦の広島戦(カシマ)で出場の可能性もある。現在4位のリーグ戦に向けても「上位との直接対決に勝てばチャンスはある」と逆転優勝へ意欲をのぞかせた。(2007年7月12日17時50分  スポーツ報知)

J1鹿島 小笠原が復帰会見 気持ち新たにV狙う
2007/07/13(金) 本紙朝刊 スポーツ A版 9頁
新背番号「40」に決定
 Jリーグ1部(J1)鹿島に復帰した元日本代表MF小笠原満男(28)が12日、鹿嶋市内のクラブハウスで記者会見を行い、「もう一度このチームで優勝を目指していく中で、自分としてもそれに貢献したい気持ちでいっぱいです」などと抱負を語った。新しい背番号は「40」に決定した。「40」を付けた選手は鹿島では過去になく初めて。
 小笠原は昨夏、イタリア・メッシーナに期限付き移籍したが、出場機会に恵まれずにリーグ戦わずか出場6試合(1得点)に終わった。チームもセリエBに降格し「悔しい思いをした。チームとしても個人としても満足いく結果が得られなかった」と振り返った。
 それでも、収穫はあった。「試合に出たい気持ちを毎日の練習にぶつけ、一生懸命やってきたことは自分の中の成果。それをここでも続けていきたいし、一生懸命やることがチームのためにもなるし、自分のためにもなる。今の自分がどれだけできるか、新しい気持ちになれたのが一番の収穫」と新たな気持ちも芽生えた様子だ。
 また、日本代表については「代表は名誉なことだが、今は鹿島のために一生懸命やりたい」と封印。チームはリーグ戦4位に付けているだけに「上位との直接対決で勝っていけばチャンスはある。勝ち続けられるように、貢献できればと思います」と表情を引き締めた。すでにJリーグへの登録手続きは終わっており、今週末にもカシマスタジアムで勇姿が見られそうだ。

「システム(フォーメーション)でサッカーをするわけではない」と同様に「背番号でサッカーをするわけではない」。
とはいえライトなファンの間では興味の対象ではあった。
そして小笠原満男の選択は”ユニーク・ナンバー”ということであった。
鹿島史上初であり、この先も他の誰かが付ける可能性の非常に低い番号である。
「自分のイメージとしたい」とのコメントを真に受ければ、所属する限りこの番号を背負うということになろう。
これは商業的にも旨味があり、クラブとも利害が一致する。
レプリカシャツとタオルマフラーの発売はリーグ戦再開後すぐに行われるのであろう。
今月のフリークスには広告が入っているものと思われる。
でなければ職務怠慢である。
この夏の目玉商品なのである。
この売り上げを少しでも伸ばす為には小笠原満男自身がこの週末の2nd leg.で大いなる活躍をせねばなるまい。
過去の名声は過去の背番号と共に葬り去っておろう。
チューヤンとのダブルボランチも超攻撃的な布陣も小笠原満男の能力を見込んで布かれるものと心得よ。
メッシーナに於ける数少ない試合、インテルとの対戦で見せた玉際の強さ、パトリック・ヴィエイラを吹き飛ばすフィジカルを見せるときが近づいてきている。