鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

新リーダーの自覚

2006年12月16日 | Weblog
新リーダーの自覚!鹿島・柳沢がファンサービスに全面協力 ドイツW杯に出場した鹿島FW柳沢敦(29)が15日、鹿嶋市内のクラブハウスで来季の契約交渉に臨み、現状維持の推定年俸4000万円で更改した。交渉ではチームのファンサービスへの全面協力を約束、新リーダーとしての自覚を示した。
 午後から晴れ渡ったカシマの空。契約更改を終えた柳沢は、来季への“青写真”を描いていた。
 「社会貢献とか地域に何らかの形で密着していきたい。プロ野球も選手会を中心になっていろいろとやっていますしね。サッカーもできるはず。イタリアに2年半いて、そういうことをやっていかなくちゃいけないと強く思いました」
 チームとは08年1月まで複数年契約を結んでおり、この日の交渉では金銭面の話はなし。03年夏から2年半プレーしたイタリアでは、小学校を訪問して生徒と給食をともにした。鹿島も様々なファンサービスを検討しており、自身の経験に基づいた協力を約束した。
 95年からチーム主将を務めてきたMF本田が、今季限りでの退団通告を受けた。今季は右足甲の骨折もあり、リーグ戦23試合4得点の柳沢には、復調とともにリーダーシップも求められる。
 「今年は新しいメンバーが多くて手探りの部分もあり、言葉が通じないイタリアとは違う難しさがありました。来年はじっくり腰を据えて、上の立場でやっていきたいですね」。“ヤナギの指針”をそのまま、チーム全体に浸透させる。

(佐久間賢治)

本山はダウンで柳沢が現状維持とはこれ如何に。
代表選出を評価されたということなのであろう。
フロントの代表偏重はここに始まったわけではない。
辺境の地であり、露出の低下は死活問題である。
しかし、それが全てではあるまい。
Jの存在意義は日本代表の強化という大義名分の元にある。
下部組織として代表を選出し続けることを課せられている。
確かに逆らう必要はないであろう。
だが、手法はもっとあるのでは無かろうか。
今のままでは誰も幸せにならぬ。
決別ではなく、独自の路線を見いだして欲しいのだ。
その一つの答えが「社会貢献とか地域に何らかの形で密着」いうのも良かろう。
地に根付いてこそのクラブである。
来季何かが変わることを望んでいる。

来季の誓志へ

2006年12月16日 | Weblog
鹿島がMF増田に五輪予選活躍厳命
 U-21(21歳以下)日本代表の鹿島MF増田が五輪予選での活躍をクラブに厳命された。16日の練習後に契約更改に臨んだ。
 今季は23試合に出場しレギュラー定着へ大きく飛躍を遂げた1年。だが来年は北京五輪予選も控えており、契約交渉の場ではクラブと代表の両立を求められた。「代表に入らないと意味がないし、予選は絶対に(主力として)出ないと」と気持ちを新たにしていた。

[2006年12月16日20時43分]

五輪代表の前にクラブであろう。
フロントの言い分に全く持って納得できぬ。
今季の増田誓志に関しては鹿島アントラーズよりも五輪代表での貢献度が高かった。
北朝鮮戦に於いてはキャプテンマークを捲くところまでに至っている。
これも本人の努力によるところが大きい。
そもそも8月の初招集からして梶山の代役であった。
そして試合一つ一つで結果を出してきたのは周知の事実である。
しかし、鹿島のボランチ起用は誓志の成長を促したが鹿島の成績に結びつかなかったことも紛れもない事実であろう。
来季は収穫期としてクラブへの貢献を第一に代表は二の次では無かろうか。
思い起こせば4年前、アテネ五輪を目指す代表候補に野沢・青木を差し出すも使い捨てさせられたことが記憶に残っている。
このような思いは不要である。
まずは鹿島。
心して励むのだ。

深井正樹岐路

2006年12月16日 | Weblog
鹿島・深井が移籍直訴
 鹿島FW深井正樹(26)が15日、他のJ1クラブへの移籍を直訴した。第1回契約更改交渉を行い、「FWで、先発で(出られるチームで)1シーズン通して勝負してみたい」と申し出た。深井は今季、23試合出場4得点。だが、出場時間は849分(1試合平均約37分)で、先発はわずか7試合。FWもしくは攻撃的MFのスーパーサブ的な役割を務めた。
 豊富な運動量が武器の深井にはJ1の数クラブからオファーが届いている。鈴木満取締役強化部長(49)は「必要な戦力」と話し、慰留に努める方向。第2回の契約更改交渉は来週以降の予定。今後の背番号11の動向から目が離せなくなってきた。
(2006年12月16日06時06分  スポーツ報知)

深井も来季は5年目26歳となる。
当然ながらレギュラーとして90分間ピッチに立つことを望むであろう。
今季はMF起用と併用でリーグ戦23試合に出場、4得点している。
データ的には柳沢敦と同様である。
物足りない数字といって良い。
もっと出場機会を得れば結果を残すと言いたい気持ちも理解できるが、20試合で7得点の田代の前では声も霞む。
デビュー年の深井といえば、初得点のホームガンバ戦ではなく、ナビスコ杯決勝戦レッヅ戦である。
開始早々に抜け出したエウレルの折り返しをゴールの真ん前で決められなかった…
この後すぐにエウレルはケガで交代し、大きなチャンスは巡ってこなかった。
これが彼の持つ運命なのではなかろうか。
プレイスタイルは味方を鼓舞し、守備にも貢献度の高い姿は我らの目に焼き付く。
秋田退団時には背番号3を要求した魂の男。
彼にはこのクラブで行うべき仕事がまだまだ残っていることは紛れもない事実である。
だが、本人にその意志が無ければ我らは要求出来ない。
シュートの精度さえ上がれば、日本有数のFWであることは真実。
そこを理解し決断すべきである。
小早川秀秋がどうなったか、福島正則の晩年は如何に、荒木村重は。
枚挙に暇がない。
ノーチャンスなわけではないのだ。
チャンスを活かす。
それだけを我らも深井正樹も望んでいるのである。