鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

笑顔こぼれるミニゲーム

2012年11月30日 | Weblog
2012年11月30日(金)

明日のJ1第34節 柏戦に向けて、15時からミニゲームを実施しました。また、一部の選手は攻守のトレーニングも行いました。

笑顔でミニゲームに興じるメンバーである。
明日の試合へ準備は万端といったところか。
大伍から素晴らしいスルーパスは出るのか、満男が攻撃の起点となるのか、そして大迫のゴールがいくつ決まるのか、興味は尽きぬ。
今年のリーグ戦もいよいよ最終節。
気持ちよく締め括りジョルジーニョ監督の演説を聴きたい。
多くの民がスタジアムに集まり、選手の、そして監督の一挙一動に注目しておる。
楽しみな試合である。

シャルケ・篤人、ロングインタビュー

2012年11月30日 | Weblog
『僕は主人公じゃなくていい』 内田篤人ロングインタビュー
2012.11.30 17:10

[サムライサッカーキング Nov.2012 掲載]

『スラムダンク』の流川楓のように「普通の顔してすごいことをやりたい」と言う。『ドラゴンボール』で例えれば、「セルや魔人ブウくらい」の位置づけがいいと言う。目指す選手像は、“玄人受けする”気が利くサイドバックで、志す生き方は、ずばり“ジョーカー”。飄々としていて、周りに流されない自分があって、装飾のない言葉で、思いを表現する。“サムライ”内田篤人の流儀。その魅力を存分に味わってほしい。


インタビュー・文:浅野祐介 (@asasukeno ) 写真:千葉格

 取材場所はコートヤード・バイ・マリオット・ゲルゼンキルヘン。シャルケのホームスタジアム「フェルティンス・アレーナ」から徒歩3分圏にあるこのホテルのロビーに、内田篤人は予定時間の5分前に現れた。

「今日は取材の時間をいただき、ありがとうございます」との挨拶には、「いえ、こちらこそ。この2日間は、ずっとソファーの上で過ごしていましたし(笑)」の返し。言葉のチョイス、そして間合いの取り方が実に上手い人だ。

 3年目を迎えたシャルケ、ドイツでの日々、日本代表への思い、日本人としての矜持、サイドバックとしての在り方、そして目指すべき人生のスタイル。飾らない“自分の言葉”で発信される『内田篤人の流儀』を、とくとご堪能あれ。

ドイツでの3年目、シャルケでの3年目

──まずは、シャルケでの今シーズンについて。昨シーズンはコンディション面の問題もあり、特に前半戦は出場時間が限られていました。3年目の今シーズン、意識的にオフのコンディション調整で気を遣ったことはありましたか?

内田 オフはいつもっていうか、毎年トレーナーを一人つけて、高校の同級生と一緒に練習をやるんですけど、メニューは「大きく変わらず」でした。基本的には体幹トレーニングをやったり、走ったり。

──走りのメニューも多いんですか?

内田 ボールを使って走ります。素走りはあまり得意じゃないし、その辺はトレーナーさんがうまくやってくれるので、言われたメニューを、とりあえず全力でやります。けっこう楽しいですよ。みんな銀行員とか学校の先生だったりするんで、全然動けなくて(笑)。同級生と一緒に練習するのは、すごく楽しいです。

──みんな最後までトレーニングについてこられるんですか?

内田 一応(笑)。途中で足がつったり、足がもつれてコケたりしながら。でも、みんな静岡のやつらだしサッカー上手いから。本当に、すごく楽しいです。きつい練習は楽しくやらないともったいないから。

──ドイツでの生活も3年目ですが、ドイツ語の向上はいかがですか?

内田 ミーティングとか、サッカーの場面では、言っていることはだいたい分かります。でも、レストランとか、電車に乗るとか、そういった面ではちょっと分からないですね。まあ、別に仕事だけできればいいかなって。

──電車に乗ったりする機会もあるんですか?

内田 いや、正確にはないです。何度か(電車の)チケットを買おうとしたことがあるんですけど、いつもあの自販機(券売機)みたいなところの前で挫折して、結局は乗らない。これまでに4、5回繰り返しました(笑)。

──困ることはないですか?

内田 全然ないです。「Ich spreche kein Deutsch.」そう言っておけばいいかなって。

──意味は?

内田 「ドイツ語しゃべれません」。それで何とかなりますよ。

──でも、ミーティングとか、監督の話などは理解できると。

内田 サッカー用語というか、サッカーに関することはだいたい分かります。

──フーブ・ステーフェンス監督について「厳しいけどフェアな監督」という表現をされていましたが、監督としてどういう人物ですか?

内田 選手を平等に見ますね。「調子が悪いな」って思ったら使わないです。ちょっと本来の調子じゃないなと思ったら、絶対に使わないですね。

──それは毎日の練習を見て判断するということですよね。

内田 そうですね。「あいつ、いつもあそこの球際は行っているのに今日は行かなかったな」となったら、すぐに次の日からサブ組に入るし。でも、逆に言うと、そういう風に入れ替わりがある分、チャンスもいっぱいありますね。

──その都度、選手への説明はあるんですか?

内田 ないです。あるのかもしれないけど、僕は聞きには行かないです。昨シーズンもケガをした時とか、自分の調子が悪いからっていうのは分かっていたので、ここで聞きに行くのもどうかなって。自分の100パーセントをやって試合に出ていないなら聞きに行くのもありかなって思いましたけど、100パーセントじゃないし。それで理由を聞きに行くのは、なしかなって。あとはもう、「上手けりゃ試合に出られるだろう」って思っていたから。良い選手ならね。そこはなんかこう、言葉で誤魔化したくないというか、言い訳っぽくなるし。「今、調子が良くないんだけど」みたいなことを言いに行くのはちょっと違うかなと。練習で、プレーで見てもらおうと思っています。

──3月に放送された『情熱大陸』は、出場機会が得られない時期にフォーカスしていましたよね。

内田 はいはいはい。あそこが一番ね、上がる前。本当にいい時に来ました(笑)。実は、『情熱大陸』の収録は他のチャンス、タイミングもあったんですよ。チャンピオンズリーグのベスト8、ベスト4ぐらいの時。最初は「いいじゃないですか、面白い」と思ったんですけど、一生に一度あるかないかぐらいじゃないですか、CLの準決勝を戦えるなんて。だから、ちょっとそこで密着はやめてほしいなと思って。その結果、タイミング的には試合に出られない時期と被ったんですけど、普通に出場できている時をテレビで映すより、出られない時期を映すほうが面白いと思って、「じゃあ来てよ」みたいな。実際、そういう世界ですからね、サッカー選手って。華はあるかもしれないけど。個人的には、出られない時のほうが面白い、それを見てもらうのもまた一つかなと思いました。

──放送の最後で「今は冬の時期」と言っていましたが、今を季節で表現するといかがですか?

内田 まあ、一応試合には出られているんで、春先。春先のジャケットが……。

──似合うくらい。

内田 そう、春先のジャケットが似合うくらいの季節ですね(笑)。

──ラウール(ゴンサレス)選手ら、ベテランが抜けたことでチームに変化はありましたか?

内田 やっぱり、CLで上まで行けたのは、ラウール(2012年夏にアル・サッドに移籍)と(マヌエル)ノイアー(11年夏にバイエルンに移籍)、彼ら2人の力がすごく強かったですし、それはチームみんなが分かっていることだと思います。でも、みんな心のどこかで「ラウールがいなくなったから」と言われたくないと思っているんですよね。特に、ラウールと同じ前めのポジションの選手が。海外の選手は気持ちが強いから、絶対に言われたくないと思うんですよね。

──なるほど。

内田 でも、僕が考えるのは、やっぱり失点したくないということです。DFですし。攻撃面は前の選手にある程度任せなといけないですけど、やっぱり昨シーズンは失点が多かったですから。特にセットプレーからの失点が。

──今シーズンのブンデスリーガ第2節、アウグスブルク戦で相手CKの時に、手を叩いて周りに声を掛けていましたよね。個人的に、これまで内田選手にああいうイメージがあまりなかったので、印象に残りました。

内田 その前のハノーファー戦でも、残り数分の場面でセットプレーからやられていたんで、同じやられ方は面倒くさいし、もったいないし。声を出すことで防げるなら、やってもいいんじゃないかなって、そんな感じですね。特に意識していたわけではないですけど、気づいたら勝手にという感じです。やっぱり勝負事なんだよなって思いながら。

──あの場面は何と声を掛けたんですか?

内田 「ラスト5分だから集中して」みたいな感じです。

──3年目ということで、新人時代とは違う自覚というか、気持ちの面で変化してきた部分はありますか?

内田 レクリエーションのゲームとか、よく若いチームと年寄りチームで分けるんですけど、今は自分がギリギリ若いほうに入っているんですよね。今まで若いほうでも真ん中くらいだったんですけど、ギリギリ若いくらいなんで、「ああ、自分もそういう位置になってきたのかな」って。それは鹿島でも代表でも、あまり感じなかったことですし、これまでいつも先輩に可愛がってもらってついて行くくらいの感じだったから。でも、意識か……どうですかね、あまり気にしていないというか、年下でも心の中では、そんなにアタフタしていない部分があったので、あまり変わらないかもしれないですけど、もっと“チームを引っ張れ的な役割”になってきたら変わるのかもしれないですね。まあ、そこまでやる気はないですけど(笑)。

──その辺は自分の中で線引きが明確なんですね(笑)。

内田 まだね、いいでしょ( 笑)。まあやらなきゃいけないんだろうけど、いいじゃないですか、キャラ的にも弟分みたいな感じだし。

──今のシャルケでは、チームを引っ張る役割を誰が担っているんですか?

内田 ボランチの(ジャーメイン)ジョーンズとか、あとは、(クラース・ヤン)フンテラールですね。

──フンテラールも。

内田 監督とそういう話をしたみたいです。あとは、キャプテンのベネ(ベネディクト・ヘヴェデス)あたり。それから、試合にはあまり出ていないけど、(クリストフ)メッツェルダーですね。メッツェルダーは経験がありますし、みんなの中でも存在的に大きいのかなと思います。レアル(マドリー)でもやっていたし、顔も広いし。

──序盤戦の手応えについてはどう感じていますか?

内田 練習でやっていること、みんなが意識していることをゲームで出せれば、ある程度やれるという手応えはあります。もっと切り替えを速くして、前からプレスしていければなと。セットプレーでサクッと失点しちゃうことがあるから、それはもったいないけど。

──では、そこを徐々に改善して。

内田 そうですね。上に行くには、やっぱりセットプレーで点を取られないというのは大事だし。セットプレーからの失点を防いで、逆にセットプレーから点を取れるようにしていきたいですね。

──「上に行く」という意味では、今シーズンは自身2度目のCLにも参戦。アーセナル、オリンピアコス、モンペリエが同じグループに入りましたが、印象はいかがですか?(11月26日現在、3勝2分けの勝ち点11でグループB首位、グループリーグ突破決定)

内田 ギリシャのチームということでは、(キリアコス)パパドプロスがいるんで、何となくオリンピアコスのイメージは。それと、ユーロ2012でギリシャの試合を見ましたけど、全員強くて、ガシャガシャ行く感じ、そういう印象があります。アーセナルは昨シーズンのCLでドルトムントと対戦したのを見ました。まあメンバーも変わっているし、なんとも言えないですけど。宮市(亮)に電話して聞こうかな、「どうだった?」って。

──昨シーズンのCLではベスト4に進出しました。「次はファイナルに残るためにどうすればいいか、そこに行けるようにというのが目標」と話していましたね。

内田 もちろん、難しい目標であることも分かっています。昨シーズンとかは、「(一昨シーズン)よくベスト4まで行ったな」っていう感じで見てましたし。グループリーグまでは、ある程度想像できるんですけど、決勝トーナメント、ベスト8、ベスト4あたりからは、ちょっと違う。インテルはもう壊れていたんであれですけど、マンU(マンチェスター・ユナイテッド。準決勝で対戦)と、バレンシア(ベスト16で対戦)に関しては、やっぱりちょっと「こいつらすげえな」ってインパクトがありました。スペインのチームはやっぱりいいですね。やりたくない。

──相手としてやりづらいと。

内田 面倒くさいです。ダイレクトでつないでくれたらもっと楽なのに、途中でタメたり、フェイントを入れて重心や体の向きを入れ替えたりとか、そういうのはやっていてすごく疲れる。ジャブのように効いてくる感じです。スピードもありますし。

──ファイナルに残る方法として「ビッグクラブに入る」ことも挙げていましたが、実際に興味を持っているクラブはありますか?

内田 (香川)真司がマンUに行ったり、長友(佑都)さんがインテルに行ったりしていますけど、やっぱり、僕はシャルケが好きだから。

──香川選手のユナイテッド移籍についてはどう感じましたか?

内田 「あのチームに入るんだ」っていう感じでした。「とうとう、あのチームに入る日本人が」と思いつつ、「まあ普通か、あいつなら」っていう感じもありますね。でも、ホント強かったですよ、マンUは。

── 実際に対戦してみて、チーム全体が、という感じですか?

内田 はい、もう全員ですね。全員がサッカーを知っているし、ボールを取れないというより触れない。サッカーには“追いどころ”ってあるんですけど、マンUの場合、そこがない。全員上手いから。パスして動いてというのが自然で、やっぱり、地力が違ったかなと。

──純粋に日本のファンも楽しみにしていると思いますが、ユナイテッドに日本人選手が入って活躍する姿を見たら、日本のサッカー少年にとっても夢が広がるのかなと。

内田 そうですね。真司なんて完全に技術、センスで勝負する選手じゃないですか。イングランドのディフェンスラインは速いし、でかいし、強いし。そういう相手に技術で向かい合い、上回る。それは、日本人の、なんて言うんだろう、鑑じゃないですけど、日本人の生きていく道はあいつのプレースタイルが一番簡単。1トップで180、190センチくらいの日本人がフィジカルで競い合うのはなかなか難しいかなって思いますけど、中盤でもらって、さばいて、ゴール前に顔を出してっていうのは、前線のほうで言えば、日本人の生きる道じゃないですか。

──では、後ろだとどうですか?

内田 でかいやつらの中に入って、パワーで勝負するのは分が悪いかなと思います。長友さんみたいに、ちっちゃくてよく動いて、粘り強くみたいな。特にイタリアって遅いじゃないですか。ボールを取ってからは速いけど、ゆったりしたゲームの中では長友さんのああいう動きがよく目立つと思います。基本的に、サイドバックの選手は海外でやれると思いますよ。

──ドイツでプレーして3年目になりますが、海外が自分に合っているなと感じる部分はありますか?

内田 周りを気にしなくていいところかな、私生活もみんな。雑音が少ないですね。言葉が分かんないっていうのもありますけど(笑)。

──こちらのメディアの記事に目を通したりはしますか?

内田 あまりしないですね。新聞も、結局見ても点数しか書いていないし。点数なんか誰が書いているのか分からないし、失礼な言い方ですけど、「プロじゃないじゃん」と。OBに言われたらいいですよ。名波(浩)さんとか、自分が小学校の頃に憧れていたああいう人たちに「ここもうちょっとこうしろよ」って言われたら、「はい!」ってなるけど、やっぱり、やっているのと見るのとでは、だいぶ違いますから。もちろん、指摘されて「分かっているんだけどな」っていうのはあるし、たまに、「あっ、よく見ているな」みたいなこともありますけどね。

──メディアの人間として、「選手の立場としてプロではない」という意見は耳が痛いところもありますね。

内田 でも、それが仕事ということも分かりますし、それはそれで仕方ないかなとも思います。逆に聞いてみたいのが、例えば選手の好き嫌いで「こいつ1点高くしてやろう」とかあるのかなと。絶対ありますよね(笑)。

──うちは選手の採点をすることがないので何とも答えようがありませんが、心情としては理解できないこともないですね。

内田 あると思うな。「あいつ、この前の取材で適当に受け答えしたし」とか。僕とかちゃんと答えないことが多いし、少なくともドイツでは絶対にあると思います。

──攻守を入れ替えたいので、話題を変えましょう(笑)。シャルケ1年目でドイツカップ優勝を経験。以前、「ブンデスリーガのタイトルを獲ったら泣いてしまうかも」と話していましたが、どう予想しますか?

内田 鹿島の時、1回目(の優勝)は泣いて、2回目は泣かなかったけど、3回目の時、一瞬だけ涙が出てきたんですよ。すぐ止まったけど。つらさに比例して、つらさと驚きに比例して泣いているんで、優勝の仕方もありますよね。最終節次第だと思います。競って競って優勝できたら、泣くかもしれないです。

──ただ、泣いてもすぐに涙を止めるタイプですよね。

内田 止めますね。

──そういった点も含めて、内田選手の飄々としていて、周りに流されない自分があって、というスタイルはいつ頃から身についたものなんですか? 先ほどの話でも出ましたが、例えば苦しい時でも、それを言葉に出さず、自分の考えに基づいて黙々と行動に移しますよね。

内田 いつ頃かはちょっと分からないですけど、口に出して言うのが「何かかっこ悪いな」って思うんですね。言葉にするとリスクもありますし。言わないでどんどんやったほうがいいんじゃね、みたいな。サッカー選手というか、人間は黙々と、コツコツと、結局そこかなって思っているんで。やる前にいくら言ってもね。失敗した時のリスクもあるし、別に言わなければ言わないでいいかなと。あとは、面倒くさいじゃないですか、いろいろと反応も。「内田、今、メンタル落ちちゃってるの?」みたいな。そうじゃないんだけどなって。そうなると親も心配するし。だからいいんですよ、内田篤人はコツコツやっていれば(笑)。

──平常心を保つコツみたいなのものはあるんですか?

内田 何事も大袈裟に予想しておくことですかね。そうすると、「ああ、この程度ね」みたいな感じになるので。それは生活でも一緒で、ドイツ人に「何時に終わりますか?」って聞くと、例えばその答えが「5時に終わる」だったとしても、5時半になっても6時になっても終わらないのが普通だったりするので、今は「5時に終わる」と言われたら、その2時間後くらいの予定で物事を考えるようにしています。「おまえら本当に嘘つきだな」って思いながら(笑)。その余裕が大事ですね。

──その余裕はドイツに来てからより強くなった感じですか?

内田 そうですね。サッカーでもそうだし、気持ちの持ち方も。「ああ、こんなもんね」って。まあ、余裕ができますよね。

──シャルケでの2年間で成長したなと感じる部分、3年目で成長させたいと思う部分はそれぞれどういうところですか?

内田 2年間やって、やっと生活も慣れてきたし、本当の意味で。楽しくなってきたし、仲間もお互いにちゃんと分かるようになってきて、ここからがちょっと本番という気はしますね。でも、あまり自分で自分を評価したことがないので、そこはお任せします(笑)。

──今もオフの時は自宅にいることが多いんですか?

内田 そうですね。あっ、成長したという点では、最近パスタを作れるようになりました。

──自炊ですか? ちなみにどんなパスタですか?

内田 いや、正確には、ついに僕が、麺を茹でるという行動に出た、ということです。

──なるほど(笑)。うまく茹でられますか?

内田 そこはけっこう自信があります。アルデンテでしたっけ、家庭科で昔やりましたけど。ただ、ソースは作れないので、結局、「パスタ作れてないじゃん」と言われたら、作れていないんですけどね。

──でも、大きな一歩じゃないですか。

内田 はい、大きな一歩です。米が炊けるようになって、パスタを茹でられるようになった。生活面では、だいぶ成長しました。

──確かに、主食はいけますね。

内田 かなりいけます。1年間は米とパスタで回せますし。

──日本のファンに向けてという意味で、シャルケの魅力とゲルゼンキルヘンの魅力について、内田選手がどういうふうに感じているかをそれぞれ教えてもらえますか。

内田 シャルケのファンって、本当にシャルケが大好きなんですよ。(吉田)麻也も言っていました。「ここのヤツらって本当にシャルケが好きだよね」って。ほとんどの人が車にステッカーや旗を貼ってるし、熱いですよね。歴史もあるし、選手もいいし。やっぱり、シャルケはビッグクラブ。でも、結局、2番手3番手ぐらいで止まっちゃうからね。バイエルンとドルトムント。そこを破るためには、一回勝っておかないと。鹿島もそうでしたけど、2番手3番手で終わるのか、殻を破って勝つのかという違いは大きいと思います。もちろん、そのためには補強とかお金も必要でしょうね。

──では、ゲルゼンキルヘンという街はいかがですか?

内田 親切な人もいるし、そうでないヤツもいる。ただ、ドイツは全体的にサッカー選手のことをすごくリスペクトしてくれるから、「あっ、有名人だ」みたいな感じで馬鹿にされないというか、そういう感じはします。「一緒に写真を撮ってください」と声を掛けられる時も、1枚撮ったらすぐに解放してくれますし。生活は楽かもしれないですね。ゲルゼンキルヘンは、あまり大きな街ではないし、観光地もないけど、その分、サッカーしかできないというか、ちょっと鹿島に似ている気がします。遊ぶところがないから、結局は家に帰るみたいな。観光できたり、遊ぶようなところがあると、また雰囲気もちょっと違うかなとは思いますけどね。

──確かに、ゲルゼンキルヘンの駅の周辺とかを見ると、スアジアムを満員にするほどの人がどこにいるんだろうって思いますね。

内田 ですよね。「どこに住んでるのかな、どこに隠れているんだろう」って思う。でも、試合になったら本当によく来ますよね。毎試合、スタジアムは満員になるし。でも、けっこういろいろなところから来るみたいですよ。ベルリンとかから毎試合バスに乗って来る方もいるみたいですし。

──自分には合っている場所ですか?

内田 好きですね、ゲルゼンキルヘン。

──日本からの観光者向けに、ここがオススメといった場所はありますか?

内田 取りあえず、ドイツはやめておいたほうがいいと思います。

──ドイツ全体ですか?

内田 はい。ドイツって本当に何もないから。ドイツに来るなら、フランス経由とか、イタリア経由で来たほうがいいと思います。

──どこか他の国を観光した上で?

内田 そう、どこか観光して、その帰り道にドイツのスタジアムに寄るみたいなほうがいいと思います。ドイツ目当てで来たら、本当に何もないと思うし。

理想のサイドバック像、日本と世界の違い

──ここからは、「サイドバック」というテーマで話をうかがいます。内田選手にとって、サイドバックが担う最も大切な役割とは何ですか?

内田 やっぱり、ディフェンスですね。もちろん、「攻撃の始まり」ということも意識していますけど、僕らはいくら上がって前に行っても、良いタイミングで上がれるのは(1試合で)多くて4、5回程度。良いチーム、レベルの高いチームとの試合だと、相手もついてくるし、「無駄走りだな」っていう時もあります。基本的には、前の選手に伸び伸びやってもらえれば、前の選手の守備の負担を減らせれば、それだけでいいと思っています。あとはバランス。サイドで重要なのはバランスですね。

──以前、「気を遣えるプレーヤー」という表現をされていましたね。

内田 それが大事だと思います。

──今の自分はどれくらい「気を遣えるサイドバック」だと思いますか?

内田 そこそこです。「危ないな」って思われる前に出てこられる選手になりたいなって思いますね。「あそこ危ないな」っていう前に潰せる選手。コンちゃん(今野泰幸)とか、満男さん(小笠原満男)みたいに、ポイント、ポイントで潰せる選手ですね。ポジショニングでどうにかなるなら、それで終わらせるのもありですし。そこは、外から見ていても分からないと思いますけど、相手にしたら本当に嫌なタイプかなと思います。

──小笠原選手はまさに「気を遣えるプレーヤー」ですね。

内田 あの人は後ろから見ていても、「ここで前向かれたら危ない」と思ったらファールで止めてくれるし。やっぱり、サッカー知ってんなっていう。ああいう人がいると、後ろがすごく楽ですね。


──先ほど、「サイドバックの選手は海外でやれる」という話が出ましたが。日本代表のメンバーでも多いですよね。

内田 多いですね。ダブル酒井(酒井高徳、酒井宏樹)に長友さん、僕。長谷部(誠)さんもサイドバックやるしね。だから、サイドバックはやれるんですよ、たぶん。ある程度、ボールを止めて、蹴れれば。そんなに難しいポジションではないと思います。

──目標とするサイドバック、あるいは参考にしている選手はいますか?

内田 それが、あんまりいないというか、見ていないですし、ゲームを(苦笑)。いろいろな選手を見て、良いところだけパクるみたいな感じですね。でも、ちょっと矛盾しますけど、“自分の形”ってあるじゃないですか、プレースタイルというか。それがゴリゴリのプレースタイルなら、今さら僕には無理だし。

──これは個人的な意見ですが、サイドバックというポジションの良し悪しは、一般的には分かりづらい部分もありますよね。

内田 難しいと思います。ちょっとサッカーを知っている人なら別ですけど、分かりにくいですよね。そんなに「ドーン」って行くわけでもないし、「ここであそこにパスか」とか、「こういう読み方ね」みたいなものって、なかなか分かりにくいと思います。

──今後、内田選手がサイドバックとして更に成長するために、どんなことが必要だと感じていますか?

内田 やっぱり、チームを勝たせないといけないので、ある程度の消える時間、自分にとっては「サッカーつまんねえな」っていう時間帯も試合中にはあるんですけど、ここで顔を出さないほうがいいとか、ここで動かないほうがいいとか、それを意識せずにチームのためにと思える、そう自然に動ければチームはうまく回りますよね。

──そこで「つまらない」と思う瞬間があることは、自分の中では消化できることですか?

内田 まあ、「勝ちゃいいか」って。ガンガン行って、行けばもらえるし、ある程度の形になるんですけど、そこで体力を使うより、残り5分の守備でガッツリ寄せられるほうが大事かなって思います。

──ヨーロッパ、そして日本代表でプレーする中で感じる「日本のサッカーと世界のサッカーの違い」はどんな点にありますか? Jリーグを含めた日本のサッカーとヨーロッパのサッカーの一番の大きな違いはどこに感じますか?

内田 それ、昔、ヤナギさん(柳沢敦)に聞いたことがあるんですよ。ヤナギさんがイタリアから鹿島に戻って来た時、僕がちょうど1年目で入ったから、「何が違うんですか?」って聞いたら、ヤナギさんは「歴史だ」って。まさにそのとおりというか、違いは“歴史”ですね。

──それはピッチの外の部分も含めて?

内田 雰囲気もそうですし、もう根づいている部分がありますよね。それを日本がひっくり返せないのか、追いつけないのかっていうと分かりませんけど、今は、差がだいぶあると思います。もちろん、スタートも違いますけど。

──語弊があるかもしれませんが、日本では、各クラブ以上に代表人気が顕著ですよね。

内田 そうですね。でも、まあ、それもいいと思います。代表さえ見てくれるなら。ただ、やっぱり違うじゃないですか。こんなに面白いスタジアムがあってとか、こんなにいいサッカーをしているチームがあってとか、もっと見てほしいなって思います。

──代表というテーマで言うと、日本がワールドカップでベスト8に進むために、優勝を目指すために、世界の本当の強豪と肩を並べ、上回るために、クリアしなければいけない課題や向上すべき点はどこだと感じていますか?

内田 強いチームと戦って、勝つ方法を明確にするということが一つあると思います。アウェーで強いチームとやる機会は少ないので、そういう試合は大事ですよね。コンフェデ(コンフェデレーションズカップ)とか、フランス、ブラジルとのアウェー戦もそうだし。引くなら引くで、そういう戦い方もいいと思っています。アウェーで、ガンガン普通にやれるとは思っていないですし。上を目指すには、“勝ち癖》と、強い相手に勝てる方法を身につけることが大切。しっかり現実を見ながら、やっていくことだと思います。

――フランス戦ではフランク・リベリーとのマッチアップもあり得ますね。

内田 何か、みんな(代表のチームメート)勘違いしてるんですよ。僕が簡単にリベリーを止められるって思ってる。ふざけるなと。どんだけ、死ぬ気でやってるかって話ですよ(笑)。

サッカー選手としての夢、人としてかなえたい夢

──少し話は変わりますが、色に例えるなら“黒”を連想させる人間になりたいとおっしゃっていましたね。

内田 実際、他の選手とかに聞いたら「内田は黒だ」っていう答えか分からないですけど、「黒だ」と答えてほしい。「黒っぽい」って言われたいですね。

──それは昔から?

内田 いや、昔は白で、さわやか、純粋みたいなイメージ。まあ、さわやかな青年でいようみたいな感じだったんですけど(笑)、いつからか、黒になりました。ちょっと危ない部分があり、生意気な部分もあり、でも根は堅いっていう。そういうイメージいいなって。

──以前、海外でプレーすることで、より日本を意識させられるようになったと話していましたが、日本のどういう部分が好きになりましたか?

内田 海外にいると、日本のニュースをすごく見るんですよ。日本にいる時よりもずっと。基本的にテレビは全然見ないけど、ニュースを見ると、スポーツとか政治とか、まあ芸能だったりもそうですし、ちょっと広がる。ドイツの生活と比べると、「ああこんなことで困ってんのか」みたいなのもありますし、逆にこっちで困るようなことが日本ではなかったりして。例えば、電車は決まった時間に必ず来ますし、「ああ、やっぱり日本っていい国だな」、「やっぱり日本人っていいな」と思います。サッカーでも、協調性とか、真面目に練習することとか、日本人にとっては自然なことを、海外の選手や監督は特別な長所として認めてくれますし。今は昔よりも、日本人である誇りのようなものを感じながらプレーしています。

──そういう点では、内田選手のスタイル、必要以上に主張しないという姿勢は、もともと日本人らしいスタイルなのかなと思います。

内田 完全に日本人でしょ。侘び寂びじゃないけど、黒子じゃないけど、表に出ない。自分が前に前にと出ない。こっちの人って「こんなに頑張りましたよ」とか、「こんなに痛いのに頑張りました」とかが多くて、そういうのはあんまり好きじゃないですね。

──それは昔から?

内田 そうですね。要するに、普通の顔してすごいことやりたいんですよ。

──それで、『スラムダンク』の流川(楓)好き。

内田 そうです、そんな感じです。もちろん、スタイルは人それぞれだし、好みだから、いろいろあっていいと思うんですけど、涼しい顔してやるのがカッコイイじゃないですか。漫画とかでも、キャラクターが全員集合する時、横にスッと立っている奴がめちゃくちゃ強いんですよ。伝わるかな? 『ドラゴンボール』で言うと、(孫)悟空とか(孫)悟飯、(孫)悟天がいるけど、脇のほうにいるセルとか、(魔人)ブウとか、隠れキャラのジョーカー的存在が絶対に強い。自分は、あのくらいでいいかなと。僕は主人公じゃなくていい。主人公は絶対に攻撃陣だし、攻撃陣じゃないと逆に困るし。

──確かに、悟空が「ディフェンスやる」って言ってきたら困るかもしれないですね(笑)。

内田 そう、香川真司や本田圭佑、あそこが主役じゃないとダメでしょ。

──そんな内田選手が、サッカー選手として一番大切にしていることは何ですか?

内田 昨シーズン、やっぱり出られない時期があったし、出られない時って「調子悪いな、出られないな」と思うんですけど、今思えば、「なんだ、結局はケガしてただけじゃん」って。ダメな時ってどんどん沈んでいっちゃうし、逆に、良い時って「よしよし」って思っちゃうけど、その起伏をなくせば、実はたいしたことないなって考えるようになりました。ちっちゃな悩みも、おっきな悩みも、それこそ、おっきな喜びも、後々考えれば、本当にたいしたことないなって。だからこう、その時の感情に左右されないことが一つ。でも、やっぱりサッカーできて楽しいな、幸せだなっていうのは、常に感じていたいです。それはやっぱり昨シーズンがあったから、一所懸命頑張ろうとか、100パーセントでやろうとか思いますし、こういうふうにピッチを離れたところでもいろいろな人に会えるわけ ですし。そういうのは楽しいなって。

──サッカー選手としてかなえたい夢はいかがですか?

内田 夢、なんだろう……記録って抜かれちゃいますしね。最年少ゴールとか、日本人唯一のCLベスト4とかいろいろ言われていますけど、結局、そのうち新しい記録が出てきますしね。CLで言えば、真司なんてそのうちすぐに僕を抜くでしょうし、長友さんも抜ける位置にいるんで、すぐだし。記録とかではなくて、なんかこう、通の人を喜ばせたいなと。“玄人受けする選手”になりたいですね。ちょっと通な感じで、「知ってんね、お前」みたいなところを目指したいです。というのも、高校の時に先生にも言われたんですよ。梅田(和男)先生という監督さんと、渡辺(勝已)先生っていうコーチの方がいたんですけど、渡辺先生には「玄人受けするような選手になれよ」って言われました。最初は意味が分からなかったんですけど、プロになって満男さんとか見始めたら、こういうことかと。代表だったら、中田(浩二)さんとか。当時、“黄金の中盤”みたいなこと言われてたじゃないですか。稲本(潤一)さんとか、中村俊輔さんとか、そこももちろんいいんだけど、玄人受けする選手ってカッコイイなって。

──では、人間“内田篤人”としてかなえたい夢は? 10年後、20年後の自分をどうイメージしていますか?

内田 10年後だと34。サッカー続けているかな、続けていないかなっていうくらいですね。

──20年後は?

内田 44歳か、そう考えると、キング・カズ、カズさん(三浦知良)はすごいですよね。ああいう方は、毎日、サッカーに幸せを感じ続けられる人なんだと思います。本当に尊敬します。

──同感です。

内田 あとは将来でいうと、結婚していたいですね。

──それは10年後?

内田 10年後。できればサッカーを続けていたいし、続けていなかったとしても、幸せでいたいですね、家族と。もしサッカーを続けていなくても、家庭を持って幸せならいいかな。

──もし将来、男の子が生まれたら、サッカーをやってほしいですか?

内田 一応サッカーボールは渡してみますけど、やりたくないならやらなくていいです。でも、何かしらスポーツはやらせたい。特に団体競技がいいかなと思います。部活をやっておけば、まあ大丈夫だろうって思いますね。別に一流を目指せというわけじゃなくて、人としての思いやりとか、集団で行動することの大切さとか、人に迷惑を掛けるなとか、学校行事プラスで部活はやってほしいですね。

──では、最後の質問です。内田篤人の生き方、スタイルを一言で表現すると?

内田 ジョーカー。つかみどころがなくて、でも、いたら心強い。変化できるし、変化しなくてもいいし、みたいな感じですね。

──今の内田篤人は、ジョーカーというスタイルを目指す上で、どれくらい自分の理想になっていますか?

内田 40パーセントかな。それって周りの認識も必要じゃないですか。

──確かに、自分で「俺はジョーカー」と思っているだけじゃ成立しませんね。

内田 そう。「ジョーカー? いや、あいつ完全にクリリンだから」とか、「スペードのエース」じゃんみたいな(笑)。

──ジョーカーというスタイルが理想というのはいつ頃から?

内田 やっぱり、段々ですね。いろいろ経験して、思うこともいっぱいあったし、少しずつだと思います。

──最後と言いつつ、これが本当に最後の質問です。僕は茨城出身でして、かなり個人的な希望として、内田選手にはいつか鹿島に戻ってきてほしいなと。その可能性はいかがですか?

内田 いつかは戻るでしょうね。墓は鹿島でしょう。できるだけ動ける体で戻りたいし、鹿島に恩返しをしたいなと思っています。それがいつになるか、どういう形になるのかは分からないですけど、仮に戻るとすれば、鹿島アントラーズというチームが好きだったのか、鹿島アントラーズにいた人たちが好きだったのかによって、いろいろと変わってくるのかなとも思います。一緒にプレーしていた人が全然いなくなっていたらどうしようとか、知っているスタッフやフロントの人が全部いなくなっちゃっていたらどうしようとか考えたら「うーん」ってなるけど、でも、やっぱり鹿島が一番ですね。



 インタビュー終了後、シャルケの練習を取材。「サッカーに関することはだいたい分かります」という言葉を証明するように、練習の合間に選手たちと声を交わし、練習後にサポーターに囲まれる内田篤人の姿を見て、その“愛される理由”を改めて実感した。

 サインを依頼する日本人観光客のグループ、「ウッシー、ウッシー」と連呼しながら駆け寄る地元の子供たち、記念写真を頼む若いカップルや、その光景を優しく見守る老夫婦。一人ひとりに丁寧に対応し、こちらに足を運んでくれた彼に「すごい人気ですね」と声を掛けてみた。

「いや、まだまだですよ(笑)。インタビュー楽しかったです。気をつけて帰ってくださいね」

 内田篤人は、愛されるわけだ。



サムライサッカーキング掲載の篤人のインタビューである。
篤人の独での生活からサッカー観まで語られておる。
その最後の〆に鹿島への愛を引き出したインタビュアーの浅野氏は良い仕事をしたと言って良かろう。
動ける体のうちに戻りたいとのこと。
再び篤人が臙脂のユニフォームに身を包むとなると感慨深いものである。
しかしながら、それはしばし先のこと。
今は独で欧州の舞台で駆ける篤人の姿を追って行きたい。
更なる活躍を期待しておる。

大迫、ゴールの予感

2012年11月30日 | Weblog
[ 鹿島:柏戦前日練習 ]


鋭い動きを見せる大迫勇也選手。柏との対戦は今季無敗ですが、その大きな要因となっているのが、彼の1トップとしての働き。明日の試合でも、抜群のキープ力で試合を優位に進めるだけでなく、得点にも期待したいところです。

躍動する大迫である。
ナビスコ杯準決勝の柏戦ではホームア・ウェイとも大迫の活躍が記憶に新しい。
明日もまた大車輪の活躍を魅せてくれるのではなかろうか。
ドゥトラとのコンビネーションが深まり、ジュニーニョからのクロスに合わせるのも巧い。
大迫の攻撃力が存分に発揮されれば、勝利は近いであろう。
スタジアムに歓喜の渦を巻き起こすのだ。
期待しておる。

ジョルジーニョ監督、いつもの表情

2012年11月30日 | Weblog
[ 鹿島:柏戦前日練習 ]


昨日、突然の退任が発表されたジョルジーニョ監督ですが、この日はいつものような表情に戻っていました。スタッフを交えたミニゲームでは、事前に入念なストレッチを見せるなど、気合いをうかがわせていました。

ミニゲームで汗を流すジョルジーニョ監督である。
退任は決まったものの、心に秘めておった気持ちを出し、采配に集中出来るというもの。
明日はジョルジーニョの気合に応えるため、選手は躍動してくれるであろう。
我らもリーグ最終戦にスタジアムへ向かう。
ジョルジーニョと共に勝利を味わおうではないか。
楽しみである。

柏戦プレビュー

2012年11月30日 | Weblog
【J1:第34節 鹿島 vs 柏】プレビュー:ジョルジーニョ電撃退任!カシマスタジアムでのリーグ戦ラストマッチを飾れるか(12.11.30)
誰もが驚く突然の退任だった。前節の名古屋戦に勝利し、残留を確定した鹿島は、体調不良の選手が多かったことも考慮して3連休が与えられていた。その休み明け、来季の編成をジョルジーニョ監督と強化担当者である鈴木満常務取締役とで、話し合う予定でいたのだが、その席で突然監督の方から申し出があったという。鈴木常務も「ウソだろ」と驚いてしまったそうだ。

ただ、監督としても苦渋の決断だったようだ。鹿島で4年の現役生活を送ったが、そのときは子供たちがまだ幼かったこともあり、家族全員が日本で一緒に暮らすことができていた。しかし、98年に鹿島を離れてから14年の月日が流れた。
「僕個人の本心としては、鹿島まで最低5年くらいは指揮を執ってやっていこうという気持ちで参りました。ただ、彼らもちょうど人生の進路というか、これからどうやって歩んでいくのかを悩んでいる時期ですので、父親として彼らの近くにいて、より良い助言や教育指導をしないといけない。やむを得ない決断になりました」
そう言って退任の理由を報道陣の前で明かした。さすがにそのときは涙を見せることはなかったが、鈴木常務に退任の意向を告げた夜は、一晩中泣き、選手に説明するときも、言葉を詰まらせながらだったという。
「ホーム最終戦。サポーターに対しても、我々が示さなくてはならない勝利というものをしっかりと飾りたいですし、選手たちも、僕のリーグにおける最終戦ということで、恐らく勝って終えたいと思ってくれていると思います。僕が知っている限り、彼らはそういう選手たちです。この試合に全力を尽くしていきたいと思います」
カシマスタジアムでのリーグ最終戦は、試合終了後に監督が挨拶することが恒例となっているが、思わぬお別れの挨拶の場となってしまった。
ただ、監督は「現役のときだけでなく、監督としてもタイトルをもたらしましたが、このクラブが僕にもたらしてくれたものはそれ以上のもの。僕はまだ、それを返しきれていない」と話す。「今回はやむを得ない事情でこういう決断をせざるを得ないことになりましたが、永遠の別れではなく、またいつか、という形の別れにできればと思います」と、いつの日か戻って来ることに含みを持たせた。

監督の突然の退任は驚きをもって迎えられたが、選手はそれに動揺するような姿は見せていない。就任当初から監督の言葉に感銘を受けてきた青木剛は、「急だったので驚きました。でもサッカーの世界ではこういうこともある。しっかり勝ってシーズンを終えたいという気持ちです」と、すでに切り替えている様子だった。選手との距離感が近く、細やかな気遣いを見せてきた指揮官だっただけに、「やりやすかった」(興梠慎三)という声も多い。勝利した勢いを天皇杯に繋げていきたいところだろう。

今季、柏レイソルとは4度目の対戦となる。勝敗こそ、鹿島の1勝2分だが、いずれの試合もお互いに一歩も引かない好ゲームだった。大黒柱のレアンドロ ドミンゲスも2節前にケガから復帰し、守備陣では同じく近藤直也が戻り安定感を取り戻している。何より柏は前節の神戸戦に勝利して順位を4位にまで引き上げ、ACL出場圏内の3位鳥栖とは勝点1差に迫っている。勝たなければACL出場は夢と消えてしまうため、必勝態勢でカシマに乗り込んでくるだろう。どちらのチームにとっても、負けられない一戦となった。


以上
2012.11.30 Reported by 田中滋


ジョルジーニョ監督の退任について大きくページを割いたプレビューである。
それほど大きな出来事といって良かろう。
その中で選手に動揺は無いという情報は非常に嬉しい。
青木の強い気持ちがコメントに現れており、勝利を引き寄せてくれるのではなかろうか。
相手となる柏には今季無敗となっておる。
この最終節も勝利で飾り、ジョルジーニョ監督の演説に熱を込めさせたいところ。
勝利を信じて聖地へ向かいたい。
楽しみである。

ボタフォゴ、ラファエル構想外

2012年11月30日 | Weblog
Oswaldo de Oliveira decreta adeus de Rafael Marques ao Botafogo
Treinador justifica saida do atacante por conta de clima desfavoravel e revela opcoes tentadas anteriormente


Rafael Marques chegou ao Botafogo em julho deste ano (Foto: Miguel Schincariol)

Fim da linha para Rafael Marques no Botafogo. Apos 17 jogos e nenhum gol marcado, o tecnico Oswaldo de Oliveira afirmou que o atacante nao esta nos planos para a proxima temporada. Em entrevista exclusiva ao LANCE!Net, o comandante alvinegro foi direto ao responder se ainda contava com o jogador em 2013 e decretou o adeus.

- Nao, para o Botafogo, ele nao tem condicao. Nao conseguiu se adaptar e criou um clima completamente desfavoravel. E uma pena - destacou Oswaldo.

Rafael Marques, de 29 anos, atuou por oito anos fora do Brasil, no futebol da Turquia e no Japao. O jogador foi indicado ao Botafogo por Oswaldo de Oliveira e deixou o Omiya Ardija, onde era idolo, para assinar contrato com o Alvinegro ate dezembro de 2015. Nao convenceu, mas o tecnico acredita que a historia poderia ter sido diferente.

- Continuo dizendo que o Rafael e um excelente jogador. Voces (jornalistas) que acompanham os treinamentos olham a capacidade do cara e ele tem o reconhecimento dos companheiros. E que a adaptacao aqui foi muito dificil, ele realmente nao conseguiu se adaptar. Se ele entra em um primeiro momento e faz o gol, como o Bruno Mendes, a historia seria outra. E de repente, ele foi rejeitado - comentou Oswaldo.

O empresario de Rafael Marques, Eduardo Uram, tem buscado um novo clube para o jogador e o mercado asiatico ve o nome com bons olhos. O Botafogo nao criara qualquer tipo de dificuldade para a saida do atacante, mas sera parte integrante em qualquer negociacao existente, ja que o camisa 20 segue com contrato vigente.

Sem Rafael Marques, o Alvinegro podera tambem seguir em busca de antigos alvos, que foram tentados sem sucesso na metade de 2012.

- Quando tinhamos perdido o Herrera e outros jogadores, eu fiquei somente com o Elkeson. Nos tentamos muitos outros jogadores como o Bill, do Santos, o Anderson Aquino, o Henrique, do Sport, o Rafael Moura, o Andre Lima e o Jo. O Jo, inclusive, estava certo. Entao, tinhamos esgotado as nossas chances e todo mundo ficou apavorado. Ai eu disse que tinha um jogador, la no Japao, que o problema seria a adaptacao, pois ele estava muito tempo fora. Mas nao ha duvidas de que seria melhor um cara que ja estivesse aqui no Brasil - avaliou Oswaldo de Oliveira.


鹿島が獲得調査をしていると噂されておるラファエルがボタフォゴにて構想外になったとのこと。
これは新外国人ストライカー獲得への報となろうか。
ラファエルには2010年末の大宮時代にもオファーをして断れた経緯がある。
しかしながら、今回は前向きに鹿島との契約を検討してくれるのではなかろうか。
鹿島としてはジョルジーニョとの契約とは別に動いておった選手であり、新監督の意向は待たずに進める可能性が高い。
新たなる助っ人の続報を待ちたい。

ジョルジーニョ監督退任報道

2012年11月30日 | Weblog
【鹿島】ジョルジ監督家族のため…退団

練習後に取材に応じる鹿島のジョルジーニョ監督(撮影・栗田成芳)

 鹿島のジョルジーニョ監督(48)が29日、今季限りで退団することが発表された。茨城・鹿嶋市内での練習後、同監督は「子どもが4人いるが、3人は離ればなれになっている。父親として家族の近くにいて、教育したかった。奥さんが子どもと一緒に過ごしたいという思いがある。やむを得ない選択」と、理由を明かした。練習前には、直接選手たちに伝えた。

 同監督は、鹿島側から来季も契約延長を前提に話し合いの場を設けられた28日の夜に、退任の意向を伝えた。一夜たったこの日の朝でも退団の意志は変わらず、発表された。「本心は最低でも5年は指揮を執るつもりだった。この決断は非常に苦しかった。昨日も自宅に帰ってから苦しい一晩を過ごした。クラブへの恩は尽きない。いつか、返せたらと思う。永遠の別れではない」と将来的な再登板に含みを持たせた。また今後、ブラジル国内クラブからのオファーが届く可能性はあるが、現段階では一切ないという。

 就任1年目となった今季はナビスコ杯の優勝に導いたがリーグ戦は苦戦。1試合を残し11位で、前節にようやくJ1残留を決めたばかりだった。ただ、現在16強の天皇杯での優勝に向けて全精力を尽くす覚悟。「1月1日以降に帰国する予定。天皇杯でタイトルをとって、ACL(アジアチャンピオンズリーグ)の出場権を勝ち取るチャンスはある。いい正月を迎えられるようにしたい」と、タイトル獲得に闘志を燃やしていた。
 [2012年11月30日6時18分]

鹿島新指揮官に関塚氏、セレーゾ氏浮上

鹿島の次期監督の最有力候補となっている関塚隆氏

 鹿島のジョルジーニョ監督(48)が29日、突然退団した。契約交渉の席で退任を申し出たため、今季限りで退団することが決まった。家族と過ごす時間を増やすことなどが理由で、天皇杯終了まで同監督の体制で臨む。後任監督にはロンドン五輪で4強入りを果たした関塚隆氏(52)が最有力。鹿島でコーチを務め代行監督の経験もある縁のある人材。05年まで6年間指揮を執ったトニーニョ・セレーゾ氏(57)も候補に浮上した。

 鹿島の次期監督に、関塚氏の就任が最有力となった。ジョルジーニョ監督が突然退任を申し出たため、鹿島は来季の監督候補を急きょリストアップ。鈴木満常務取締役強化部長は「鹿島の伝統、やり方を受け継いでくれる人じゃないとダメ。縁もゆかりもない人はないと思う。日本人だったら、そこ(関塚氏)しかない。ただ関塚の状況もあるし、調査しないと。まずは、ブラジル人か日本人か判断しないといけない」と明かし、05年まで指揮を執ったセレーゾ氏も候補に挙がった。

 鹿島は今後、関塚氏とセレーゾ氏の2人の情報収集を行い、オファーをすることになる。同常務は「遅くとも天皇杯がある(12月)15日までには決めて、交渉するところまでいきたい」と、2週間以内に一本化する考えだ。だが、監督就任の交渉はスムーズに進む可能性が高い。

 関塚氏は今夏のロンドン五輪で監督を務め、44年ぶりの4強に導いた後、フリーの状況が続いている。J2千葉から監督就任のオファーを受けているが、受諾していない。もっとも鹿島とは切っても切れない関係だ。鹿島の初代監督である故宮本さんを師と仰ぎ、Jリーグ発足時からコーチに就任。1度は清水に移るも再び戻って98年には6試合、99年には1試合だけ代行監督も務めたことがある。また、今年5月には茨城・鹿嶋市内で十一回忌の墓参りをしている。就任となれば、恩師以来19年ぶり、2人目の日本人監督。正式オファーに前向きな姿勢を示すことになりそうだ。

 一方のセレーゾ氏は、昨オフにオリベイラ監督が退任する際にも候補に挙がっていた。今季はビトーリアの監督に就任したものの4月に辞めておりフリーの状態。いずれにしても、今季残留争いを強いられた名門の復活を託されることになる。【栗田成芳】
 [2012年11月30日7時5分 紙面から]


鹿島・ジョルジーニョ監督、家庭の事情で退任
 J1鹿島は29日、ジョルジーニョ監督(48)が1月に結んだ1年契約を更新せず、1シーズンで退任すると発表した。16強入りした天皇杯は引き続き指揮を執る。クラブ幹部によると、家庭の事情を理由にクラブ側の続投要請を断った。同幹部は「2週間ほど前に監督と来季の強化について話し合ったばかり。急なことで驚いている」と話した。後任には、ロンドン五輪で男子日本代表を率いて4位に導き、鹿島でコーチや監督代行経験もある関塚隆氏(52)が有力候補として浮上している。

 鹿島は今季ナビスコ杯で優勝したが、J1では24日の第33節でようやく残留を決め、最終戦を残して11勝10分け12敗でクラブ史上最低順位の10位以下が確定している。アイルトン・コーチ(46)、ジョエルトン・フィジカルコーチ(43)も退任する。

 元ブラジル代表DFで鹿島OBのジョルジーニョ監督は選手時代、1994年W杯で母国の優勝に貢献し、95~98年は鹿島に在籍。96年にはJリーグ最優秀選手に輝いた。引退後は2006~10年に、ブラジル代表でコーチとしてドゥンガ監督を支えた。
(紙面から)

鹿島 ジョルジ監督電撃退任 家族の問題…後任は関塚氏最有力

今季限りの退任が決まった鹿島のジョルジーニョ監督
Photo By スポニチ


 鹿島は29日、ジョルジーニョ監督(48)が1年契約を満了する今季限りで退任すると発表した。天皇杯終了まで指揮を執る。クラブ側から来季の続投要請を受けたが、教育問題など家族の事情で固辞した。電撃退任を受け、クラブは来季監督の人選に着手。後任はロンドン五輪代表監督を務めたOBの関塚隆氏(52)が最有力候補で、00~05年に鹿島を指揮したトニーニョ・セレーゾ氏(57)の名前も挙がっている。

 鹿島は前節24日の名古屋戦に勝利し、J1残留が決定。その結果を受け、ジョルジーニョ監督に続投要請する方針を固め、28日に交渉を開始した。来季構想を話し合う予定で初回のテーブルに着いたが、指揮官から「家族の問題で退任したい」との申し出を受けた。一夜明けた29日に心境に変化がないことを確認し、退任が決定。鈴木満常務取締役強化部長は「青天のへきれき。家族の問題なら引き留める手段がない」と厳しい表情を浮かべた。

 ジョルジーニョ監督は4人の子供のうち、3人をブラジルに残し夫人とともに来日。日本で生活する末っ子の教育問題などを理由に退任を決断した。チームが残留争いの渦中にいた影響で、事前にクラブ側に相談はしなかった。指揮官は「苦しい決断だったが、私は家族のために仕事をしている」と説明。「1月1日の試合を終えて帰国する予定」と天皇杯制覇でACL出場を置き土産にする意気込みを示し「またチャンスをもらえるなら戻ってきたい」と監督再挑戦にも色気を見せた。

 電撃退任を受け、クラブは後任候補の人選に着手。鈴木満常務は「クラブの伝統を受け継いでくれる人。日本人かブラジル人、どちらがいいのか考えている」と明かした。その上で、「日本人ならそこしかない」と今夏のロンドン五輪で日本を4強に導いた関塚氏が最有力候補であることを示唆。ただ、同氏はチームの主力に成長した大迫、柴崎を五輪代表に選出しなかった経緯もあり慎重に調査を進めていく。ブラジル人の場合は昨オフも監督の候補に挙がったトニーニョ・セレーゾ氏が有力とみられる。

 15日の天皇杯4回戦磐田戦をメドに候補を一本化する方針で、監督決定までの間はフロント主導で補強を進める。昨季もオリヴェイラ前監督に続投要請を断られており、2年連続のドタバタ劇。リーグ最終節を残して11位に沈む名門が、再び激動のオフを迎えることになった。


鹿島監督の後任候補に挙がった関塚前五輪代表監督
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鹿島監督の後任候補に挙がったトニーニョ・セレーゾ氏
Photo By スポニチ


[ 2012年11月30日 06:00 ]

ジョルジーニョ監督、電撃退任 新監督に関塚氏有力…鹿島

鹿島の後任監督に浮上した関塚氏

 鹿島は29日、ジョルジーニョ監督(48)が今季限りで退団すると発表した。クラブは来季の契約延長オファーを提示していたが、28日に家族の教育問題を理由に辞退する意思を伝えられた。後任にはロンドン五輪代表を指揮し、ベスト4に導いた関塚隆氏(52)が有力候補として浮上している。

 ジョルジーニョ監督の電撃退任を受け、鹿島が後任の有力候補に関塚氏をリストアップした。鈴木満常務は「今後いろいろな監督がどんな状況にあるかを調査していく」と前置きした上で「日本人監督にするなら、関塚しかいないと思っている。ただ(今のチーム状況に)日本人がいいのか、ブラジル人がいいのか、そこも含めて考えていきたい」と明かした。

 適した人材だ。関塚氏はコーチとして、10年間鹿島に在籍。現在の中心選手MF小笠原らを直接指導し、当時から選手に信頼されていた。川崎監督時代には、J2からJ1に昇格させ、強豪クラブに育て上げた。ロンドン五輪代表監督としては、日本を44年ぶりのベスト4進出に導いた。常勝クラブを率いるのに十分な実績を残している。

 鈴木常務は後任の条件について「(世代交代を進めている時期で)鹿島のことを全く知らない人はきつい。鹿島の伝統や、やり方を受け継いでくれる人がいい。今あるベースに、これから肉付けできる人がいい」と説明。関塚氏は条件に当てはまった人材だ。あとは、クラブが95年から契約し続けているブラジル人監督にこだわるか否か、それだけが問題だ。

 ジョルジーニョ監督から退任の意向を伝えられたのは、28日夜だった。来季へ向けたチーム方針を擦り合わせるはずだった場で突然、切り出されたという。鈴木常務が「青天の霹靂(へきれき)」と驚く緊急事態で、後任選びが遅れれば来年の編成にも影響が出る可能性もある。鹿島は12月15日までに次期監督のめどを立てる方針だ。

 ◆関塚 隆(せきづか・たかし)1960年10月26日、千葉・船橋市生まれ。52歳。早大、本田技研でFWとして活躍し、91年の引退後は早大監督。93年から鹿島、清水コーチを歴任し96年に鹿島復帰。04年に当時J2の川崎監督に就任し、J1へ昇格。175センチ、72キロ。家族は夫人と1男1女。

 ◆ジョルジーニョ(本名ジョルジ・ジ・アモリン・カンポス)1964年8月17日、ブラジル・リオデジャネイロ生まれ。48歳。選手時代は主に右サイドバックで活躍。94年米国W杯では優勝に貢献。独バイエルン、鹿島(95~98年)などでプレー。03年に引退、10年南アW杯ではブラジル代表ヘッドコーチ。今季鹿島の監督に就任し、ナビスコ杯連覇に導いた。175センチ、69キロ。
(2012年11月30日06時05分 スポーツ報知)

ジョルジーニョ監督今季限り退任へ J1鹿島

【写真説明】ナビスコ杯2連覇を喜ぶジョルジーニョ監督と鹿島の選手=3日、国立競技場

サッカーのJ1鹿島は29日、ジョルジーニョ監督(48)が今季限りで退任すると発表した。クラブは1年契約の満了する監督と来季以降の契約交渉を行い、更新しないことになった。クラブ側は続投の意志を固めていたが、27日に監督が「子どもの教育問題」を理由に退任を申し出た。4回戦進出を決めている天皇杯全日本選手権は引き続き指揮を執る。

ブラジル出身の同監督は今年1月就任。リーグ戦は残留争いに巻き込まれるなど最終節を残し11勝10分け12敗の11位と低迷しているが、ヤマザキナビスコ・カップを2年連続5度目の優勝に導いたほか、スルガ銀行チャンピオンシップで初優勝した。後任監督は未定。


最低でも5年は指揮を採るつもりであったと語るジョルジーニョ監督である。
我らとしてもジョルジーニョと共にJリーグを席巻し、そしてアジアも頂点を目指したかった。
とはいえ、これが永遠の別れではない。
また機会があれば、戻ってきてくれるであろう。
そして、「青天の霹靂」と驚きを隠せぬ鈴木満強化部長は後任探しに奔走することとなる。
日本人であれば、かつて長らく鹿島のコーチを務めた関塚が最有力とのこと。
関塚監督はこの夏のロンドン五輪での日本代表の躍進が記憶に残る。
また、ブラジル人では昨季も候補の一人であった三冠監督のトニーニョ・セレーゾの名が挙がっておる。
来季の監督選びに注目である。

ジョルジーニョ監督、退任理由は家族の問題

2012年11月30日 | Weblog
鹿島のジョルジーニョ監督退任「家族の問題で悩んでいた」
 J1鹿島アントラーズは29日、ジョルジーニョ監督との契約を更新せず、契約満了をもって監督退任となることを明らかにした。

 クラブとしては契約更新を打診しており、28日には来季の編成の方向性をすり合わせる予定でいたが、その席でジョルジーニョ監督側から「家庭の問題で悩んでいた。今季限りで退任したい」という要望があり、クラブとしても了承せざるを得なかったという。

「一番の理由は家族の問題です」とジョルジーニョ監督。コーチ陣を含めて、家族と離ればなれになって暮らしていることが大きなネックとなっていたようだ。かなり前から悩んでいたようだが、クラブのJ1残留が決まっていなかったため話すことができず、残留が確定したこのタイミングで切り出したようだ。

「タイミングをもっと先延ばしすることもできたが、クラブの編成や計画もありますので、できるだけ早い段階でその旨を伝えた」

 選手には29日のミーティングで伝えられ、監督は言葉を詰まらせながら今回の経緯を説明したという。今週末の柏レイソル戦がリーグ戦におけるホーム最終戦というだけでなく、監督にとってもリーグ最終戦となってしまった。

 突然の退任を聞かされた選手たちも驚きを隠せずにいた。ともにプレーした経験を持つ小笠原満男は「勝利とタイトルをプレゼントしたい」と語気を強めていた。リーグ最終戦を勝利し、天皇杯決勝まで駆け抜ける。


取材・文:田中滋
[ スポーツナビ 2012年11月29日 20:44 ]


ジョルジーニョ監督の退任理由は家族の問題とのこと。
監督自身だけでなくコーチの家族問題も含まれるであろう。
であれば、引き留める手立てはない。
残り少なくなったジョルジーニョ監督との日々を栄光の日々に買えるため、最後のタイトルである天皇杯へ向け集中して挑みたいところ。
残り5試合を全勝で飾るのだ。
気持ちを高めたい。

監督の通訳の2ショット

2012年11月30日 | Weblog
2012年11月29日(木)

15時からのミーティング後、室内トレーニングを行いました。その後、グラウンドで紅白戦を行っています。また本日、ジョルジーニョ監督の退任を発表いたしました。

退任の決まったジョルジーニョ監督と並ぶ蘭童通訳である。
この絵面が拝める日々は残り少なくなった。
元日まで戦い続け、今季最後のタイトルをジョルジーニョ監督と共に掲げたい。
期待しておる。

ジョルジーニョ、退任

2012年11月29日 | Weblog
ジョルジーニョ監督の退任について
ジョルジーニョ監督が今季限りで退任することになりましたのでお知らせします。1年契約の満了する同監督との間で来季以降の契約に関する交渉を行い、契約を更新しないことになりました。なお、同監督は天皇杯終了までチームを指揮します。
アイルトン・コーチ、ジョエルトン・フィジカルコーチについても、今季限りでの退任となります。

≪プロフィール≫
■本名(登録名):
ジョルジ・デ・アモリン・カンポス(ジョルジーニョ)
JORGE DE AMORIM CAMPOS(JORGINHO)
■生まれ:
1964年8月17日、リオデジャネイロ生まれ
■指導者歴:
2006 アメリカRJ(伯)監督
2006-2010 ブラジル代表ヘッドコーチ※2010FIFAワールドカップ南アフリカ大会出場
2010 ゴイアスEC(伯)監督
2011 フィゲイレンセ(伯)監督
2012 鹿島アントラーズ監督
Jリーグ ヤマザキナビスコカップ優勝(史上初めて選手&監督として制覇)
スルガ銀行チャンピオンシップ優勝
■選手歴:
▽クラブチーム
アメリカRJ(1982、伯)─CRフラメンゴ(1984、伯)─バイエル・レバークーゼン(1989、独)─バイエルン・ミュンヘン(1992、独)─鹿島アントラーズ(1995)─サンパウロFC(1999、伯)─CRヴァスコ・ダ・ガマ(2000、伯)─フルミネンセFC(2002、伯)※2003現役引退
伯:ブラジル 独:ドイツ(旧西ドイツ時代を含む)
▽代表チーム世界大会出場経歴
1983 FIFAワールドユース(U-20)ブラジル代表
1988 ソウル五輪ブラジル代表(現在とは出場資格が異なりますのでU-23ではありません)
1990,1994 FIFAワールドカップブラジル代表
▽主な実績
フラメンゴ
1986リオ州選手権優勝、1987ブラジル全国選手権優勝
バイエルン
1993-94ブンデスリーガ優勝
鹿島アントラーズ
1996、1998Jリーグ優勝(1996年は年間最優秀選手)
Jリーグ通算103試合17得点
1997ナビスコカップ優勝(最優秀選手)、第77回天皇杯優勝
U-20ブラジル代表
1983ワールドユース優勝
ブラジル五輪代表
1988ソウル五輪銀メダル
ブラジル代表
1989コパ・アメリカ優勝、1994FIFAワールドカップ優勝
国際Aマッチ 67試合3得点


ジョルジーニョは退任のこと。
これは寂しい。
やはり、ここまで誤審が続く国とは仕事が出来ぬという事であろうか。
とはいえ、我らは前に進んで行かねばならぬ。
来季の監督はわからぬとはいえ、天皇杯を獲り、来季へ繋げたい。
楽しみにしておる。

2009年JリーグMVP・小笠原満男

2012年11月29日 | Weblog
[ 12月3日は2012Jリーグアウォーズ! ] 歴代の最優秀選手を振り返ろう(2009年)


早いもので、今回が20回目となるJリーグアウォーズ。Jリーグアウォーズと言えば、なんといっても気になるのは最優秀選手賞。今回J's GOALでは最優秀選手賞の歴史を振り返りたいと思います。

■2009年 最優秀選手賞 小笠原満男選手(鹿島)
3連覇を果たした鹿島から小笠原満男選手が選ばれ「1年を通してのパフォーマンスを、いろいろな人が評価してくれての受賞ということで非常に光栄に思う」とコメントしました。
ちなみに、この年は女優の片瀬那奈さん、元女子プロテニスプレーヤーの杉山愛さん、俳優の勝村政信さんらがプレゼンターをつとめました。。


2009年のJリーグMVPを受賞した小笠原満男である。
シーズン開始当初は前年度に負った負傷が癒えきらず、ベンチよりのスタートであった。
しかしながら、奇跡の回復力を魅せ、第3節よりスターティングイレブンに名を連ねると、リーグ戦17戦無敗の記録を打ち立てる活躍をしたことで記憶に残る。
誰もが称える主将と行って良かろう。
鬼気迫る精神力と、相手が嫌がるところを突く攻撃的センスは天下一品は未だに錆び付いておらぬ。
3年の月日が経ったが、まだまだ鹿島を支えていって欲しい。
頼もしい小笠原満男に乾杯である。

2008年JリーグMVP・マルキーニョス

2012年11月29日 | Weblog
[ 12月3日は2012Jリーグアウォーズ! ] 歴代の最優秀選手を振り返ろう(2008年)


早いもので、今回が20回目となるJリーグアウォーズ。Jリーグアウォーズと言えば、なんといっても気になるのは最優秀選手賞。今回J's GOALでは最優秀選手賞の歴史を振り返りたいと思います。

■2008年 最優秀選手賞 マルキーニョス選手(鹿島)
この年優勝した鹿島からマルキーニョス選手が選ばれました。受賞の際には「日本に来て8年目でこのような名誉ある賞をいただけて神様、家族、チームメイト、クラブ関係者のみなさんに感謝したい」とコメントされていました。ちなみにこの年は、MEETS PORT JCBホールで開催されました。


2008年のJリーグMVPを受賞したマルキーニョスである。
この年は得点王にも輝き、キャリアハイの成績を収めた。
この年の鹿島はシーズン途中で小笠原満男が大怪我を負い、非常事態での優勝であった。
その立役者としてマルキーニョスの受賞となっておる。
早4年の歳月が過ぎ、マルキーニョスは敵として立ちはだかって来ておる。
この強靭な肉体を持つFWの攻撃を弾き返し、強い鹿島となって行きたい。

浦和、興梠獲得へ大勝負

2012年11月29日 | Weblog
ポポ切って「興梠争奪戦」に全力…浦和
 浦和がブラジル人FWポポ(34)と契約延長せず、すでに正式オファーを出している鹿島FW興梠慎三(26)の争奪戦に全力を投入することが28日、分かった。

 昨季神戸から加入したポポは今年5月以降に出場機会を失い、リーグ戦21試合出場3得点。助っ人として絶対的な実力を見せられなかった。得点力不足からリーグ戦終盤8試合2勝1分け5敗と失速した浦和の関係者は「乾坤一擲(けんこんいってき)、興梠の獲得にかける」と今季11得点の万能型FWの獲得に気合。F東京、柏、川崎との争奪戦を制する狙いだ。

(2012年11月29日06時02分 スポーツ報知)

助っ人外国人FWとの契約を切り、興梠獲得へポジション空けた浦和である。
浦和としては運を天にまかせて、のるかそるかの大勝負を仕掛けてきたとのこと。
浦和はJリーグ随一の予算規模を誇るクラブだけに、金銭勝負になれば有利に事を運べるであろう。
現在鹿島が支払っておる年俸の倍額を提示することも容易なのではなかろうか。
また、ここまで浦和とFC東京、そして柏がオファーと報じられておったが川崎も争奪戦に加わっておるとのこと。
加熱した興梠争奪戦に勝利するのはどのクラブなのか、興梠は鹿島残留を選ぶのか、動向に注目が集まる。

小笠原満男、大船渡市にグラウンド

2012年11月29日 | Weblog
「東北魂グランド」は大船渡の小学校跡地
 鹿島MF小笠原満男(33)が協力する「東北人魂・岩手グラウンドプロジェクト」の建設場所が決まり、28日に発表された。複数の候補地の中から、岩手県大船渡市の赤崎小跡地を整備することで、大船渡市と基本提携。小笠原はこの日、茨城・鹿嶋市内での練習後「地元の小学校で体育を優先に、地域の方々に幅広く利用していただきたい」と、被災地でサッカーだけでなくあらゆるスポーツを行える場所にしていくという。

 今後、整地を行い来春から使用できる見込み。企業や個人の支援を受け、ようやくスタートラインに立った。来年1月には東北出身のJリーガーを中心にしたイベントを、近隣で開催する予定だ。

 [2012年11月29日6時39分 紙面から]

小笠原の絆 大船渡市にグラウンド…鹿島
 MF小笠原満男(33)=鹿島=が名を連ねる「東北人魂・岩手グラウンドプロジェクト」と岩手県大船渡市が28日、同市内に多目的グラウンドを整備する基本協定を結んだ。今後、両者が協力して、赤崎小跡地の整備を始め、来年4月からの使用開始を目指す。同小跡地は1万5000平方メートルで、多少重複するが、サッカーと野球が同時にできる広さだという。

 同市は、東日本大震災の津波で大きな被害を受けた。多くのスポーツ施設が被災し、現在も子どもたちの遊び場や運動場が不足している。整備されれば、体育の授業などに使用される。大船渡高サッカー部OBで、同OBたちと整備を目指してきた小笠原は「スポーツは仲間の大切さを教えてくれる。このグラウンドが絆を作る場所になってくれればうれしい」と話した。

(2012年11月29日06時02分 スポーツ報知)

大船渡市に多目的グラウンドを整備する協定を結んだ小笠原満男である。
復興への尽力を惜しまず活動を続けておる。
震災直後の昨季こそ精彩を欠くプレイが散見させられたが、今季は完全復活を成し遂げた。
そして復興PJの行動も手抜きはない。
小笠原が如き偉大なるプレイヤー、人物が今後も現れてくることを望む。
このグラウンドでプレイし絆を結んだ若者の中から、そのような選手が登場してくれたら嬉しいではないか。
未来に期待である。

ジョルジーニョとの契約延長交渉開始

2012年11月29日 | Weblog
鹿島 ジョルジーニョ監督と続投交渉スタート
 鹿島が、今季限りで契約の切れるジョルジーニョ監督との続投交渉をスタートさせた。

 前節24日の名古屋戦でようやくJ1残留を決めるなどリーグ戦では苦戦したが、最終節を残してACL出場権の3位・鳥栖との勝ち点差は10。クラブ側はナビスコ杯制覇など総合的な手腕を評価している。指揮官は、ドゥンガ監督の就任が有力視されているブラジルのインテルナシオナルからコーチ就任のオファーを受けたが、既に断っており、交渉が順調に進めば続投は決定的な状況だ。

[ 2012年11月29日 06:00 ]

ジョルジーニョ監督との契約延長交渉を開始したクラブである。
名古屋に勝利し残留を確定させたところで、クラブとしての方針は固まっておった。
ジョルジーニョとしてもインテルナシオナルからのコーチ就任オファーを断っており、両者の方向性は蜜月と思われる。
3位との勝ち点10ということは、誤審にて失った勝ち点と考えても良い。
来季は、偏ったジャッジに負けず、また、ジョルジーニョ監督の望む戦力を補強して上位を目指したい。
契約延長に期待である。