鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

チーム始動

2008年01月31日 | Weblog

鹿島が始動もオリベイラ監督は合流せず
 昨季11冠を達成した鹿島が1月31日、始動した。ブラジルに帰省中のオリベイラ監督は持病の心臓の検査などで合流しなかったが、指揮官不在の中でも選手は午前中は体力測定、午後はランニングなどで汗を流した。今季から選手会長を務めるMF本山は「去年はいい形で終われたけど、今年はその上の結果を出せるようにしたい」と話した。
[2008年1月31日20時0分]

いよいよチーム始動である。
キャンプに入るまでは基本練習となり監督不在でも問題はない。
薩摩藩の協力は得られずとも尊皇の意志は一人歩きするのである。


逆輸入右サイドバックの挑戦

2008年01月31日 | Weblog

J1鹿島、DF笠井を「逆輸入」 ブラジルで3年
2008年01月31日09時51分
 サッカーで昨季2冠に輝いたJ1鹿島に「逆輸入」の新人が加わった。DF笠井健太(22)。ブラジルでの約3年間のプロ生活を経てJリーグに挑戦する。

 「様々な国の人とボールをけった。それが僕の財産」。静岡県菊川市出身。7歳から7年間、父の転勤によってカナダで暮らし、現地のユースチームでプレーした。帰国後もブラジルへ1カ月間の短期留学を経験した。

 静岡・袋井高に入学後も「サッカーを通して『世界』を感じたい」との思いは膨らんだ。2年生の冬に中退。留学時の知人の紹介で単身、米国、ブラジルと渡り、19歳で同国2部のパウリスタとプロ契約を果たした。

 2度の右足疲労骨折と闘いながら、徐々に出場機会を増やしたという。鹿島・オリベイラ監督の情報網にかかり、昨年末に獲得要請を受けた。「日本のトップレベルでの挑戦が魅力的だった」と笠井。得意の右サイドバックでは日本代表・内田が不動の地位を築いているが、「持ち味の運動量で勝負したい。ブラジルで培ったものを出し切る」と決意を語る。

我等の新しい「家族」笠井健太の選んだ道は、日本のトップレベルでの挑戦。
高尚な決断である。
その運動量で現役日本代表へポジション争いを挑むのだ。
彼にとって、篤人がフル代表・U-23代表で不在となる今季はいきなりのチャンスである。
鬼の居ぬ間に伊野波・當間との争いに勝てば、ポジション奪取の第一歩と言えよう。
本場仕込みがどれだけのものか目の当たりにしたい。
一昨年に在籍したブラジル人左SBには不満が多かった。
そのイメージを拭い払う働きが彼に求められておる。
ドメスティックではない視点を、そしてプレイを期待しておる。
良い意味での緊張感をもたらす存在として。


助っ人左サイドバックの移籍

2008年01月31日 | Weblog

Fábio Santos

Ficha atualizada em 31.01.2008
Detalhes.
Nome completo  Fábio Santos Romeu
Data de nascimento  16.09.1985
   em São Paulo [SP]
Altura  176
Peso  72
Clube atual  Monaco
Posição  Lateral esquerdo

Transfert  - 31/01/2008

Fabio Santos à l’ASM FC, Torben Joneleit de retour
Le joueur brésilien Fabio Santos Romeu, 22 ans, s’est engagé avec l’AS Monaco FC jusqu’à la fin de la saison.
Par ailleurs, l’AS Monaco FC et le club écossais d’Hibernian ont trouvé un accord pour mettre fin au prêt de Torben Joneleit. Le défenseur central international allemand des Moins de 21 ans terminera la saison sous les couleurs de son club formateur.

2006年に石川を追い出すようにして入ってきたFSことファビオ・サントスがモナコへ移籍とのこと。
左の中盤と左サイドバックを務め、今一歩活躍せずに印象深い退場を繰り返したFSであるが、あの当時はまだ若くこれからの選手であったのであろう。
旬となり第一線で活躍してくれたらそれはそれで嬉しい。
そして日本の話を思い出深く語ってくれたら、2006年全ての悪しき想い出も全て拭い去られるのでは無かろうか。
遠く離れても一度はファミリーとして臙脂のユニに袖を通した者である、我等が忘れることはない。
彼の活躍を心から願っておる。


古の右サイドバックの選択

2008年01月31日 | Weblog

山形、名良橋獲得へ正式オファー
 J2山形が元日本代表DF名良橋晃(36)の獲得に動いていることが分かった。関係者によると、すでに正式オファーを出しており、本人からの返答待ちだという。名良橋は昨季、10年間所属した鹿島から古巣のJ2湘南に移籍。出場1試合に終わり、シーズン途中に退団したが、現役続行への思いが強く、所属先を探していた。
[ 2008年01月31日付 紙面記事 ]

元日本代表DF名良橋に山形がオファー
 元日本代表のDF名良橋晃(36)がJ2山形から正式オファーを受けていることが30日、明らかになった。近日中にも受けるかどうかの決断を下す見込みだ。昨年7月末にJ2湘南を退団したが、現役続行にこだわり、1人でトレーニングを続けていた。だが、希望するJ1からのオファーはなく、引退、指導者への道に進むことも視野に入れているという。
(2008年1月31日06時02分  スポーツ報知)

昨夏からフリートランスファーに身を窶しておった名良橋晃に山形が正式オファーとのこと。
昨年の天皇杯でガンバ吹田とPK戦まで縺れ込んだ試合を行ったモンテディオ山形のことは記憶に新しい。
惜しくもPK戦で破れたが、遜色のない戦いであった。
今季、昇格の切り札として名良橋に白羽の矢を立てたのであろう。
名良橋のスピードはまさに右サイドの矢である。
もし実現すれば、スピードの名良橋・テクニックの石川という華麗なる両サイドバックの競演となろう。
とはいえ、この受けるかどうかは本人次第という。
名良橋晃、このまま埋もれさせるには惜しい人材である。


若き右サイドバックの苦悩

2008年01月31日 | Weblog

「考えすぎ」内田連続先発も反省
 【日本3―0ボスニア・ヘルツェゴビナ】19歳305日でJリーグ発足後では史上4人目となる10代での代表デビューを果たしたDF内田は26日のチリ戦に続き、その4人の中では初めてデビューから2試合連続出場となった。「使ってくれた監督に恩返ししたいという気持ちでプレーした」。その言葉通り、スタートから攻守に積極的なプレーを展開。ただ、前半37分にGKと1対1の場面でシュートを打たず「いろいろ考え、意識しすぎた」と反省も忘れなかった。
[ 2008年01月31日付 紙面記事 ]

【日本 vs ボスニア・ヘルツェゴビナ】試合終了後の内田篤人選手(鹿島)コメント [ J's GOAL ]
1月30日(水)  
日本 3 - 0 ボスニア・ヘルツェゴビナ (19:20/国立/26,971人)
得点者:68' 中澤 佑二(日本)、83' 山瀬 功治(日本)、88' 山瀬 功治(日本)

●内田篤人選手(鹿島):
「90分出れたことがよかった。疲れなかったし。岡田監督が使ってくれるので、感謝しながらプレーした。普通は自分を使ってくれないでしょうから」

岡田ジャパンに於いて2試合連続スタメン、そしてこの試合では90分間フル出場と内田篤人に掛かる期待は大きい。
2試合目となるこの試合では再三攻撃に顔を出し、持ち味をアピールすることが出来たように思える。
真剣勝負となる次戦、W杯アジア三次予選タイ戦に出場する可能性は非常に大会と言えよう。
となると、今季はフル代表・U-23代表に引っ張り回されることは必至である。
ただでさえアジアの戦いに参戦する我等にとっては大きな痛手である。
ここで効いてくるのが今季の補強である。
ブラジル仕込みのサイドバック笠井健太と守備のユーティリティ伊野波雅彦の出場機会はかなり多くなるであろう。更に元U-18代表當間建文も控えておる。
思う存分青いユニで暴れてこい。
ただし、鹿島でのポジションは保証出来ないので悪しからず。


2008新体制報道

2008年01月30日 | Weblog
鹿島ルーキー鈴木に“出世番号”20

新体制発表会見で記念撮影に納まる鹿島MF鈴木(左)
 鹿島のルーキーMF鈴木修人(22)が「出世番号」を背に羽ばたく。29日、クラブハウスで新体制記者会見に臨み、大学日本一の早大から加入した鈴木は20番をつけることになった。97年に固定制となってから、鹿島の新人で主力級の選手が背負う20番以内の背番号をつけたのは過去に3人だけ。04年の15番岩政、05年の19番田代、06年の20番内田と、いずれも代表級の選手に成長した。「本当ですか? 頑張らないと」と目を輝かせた。

 会見を隅で見守った父智さん(50)の期待もある。智さんは千葉・八千代高で選手権に出場し、協会の田嶋専務理事、柏の石崎監督は同期だ。故障ですぐに退部したため面識はないが、代表の岡田監督も早大で同級生。「プロでもサッカーを楽しんでもらいたい」と愛息にエールを送った。鈴木も「時間はかかるかもしれないが、2、3年後には鹿島にずっといられるような選手になりたい」と意気込んでいた。【広重竜太郎】
[2008年1月30日9時24分 紙面から]


昨季2冠の鹿島が新体制を発表-新加入・伊野波らが抱負

 昨季のリーグ戦、天皇杯を制した鹿島が29日、新体制発表会見を行った。移籍金2億円(推定)の複数年契約でFC東京から加入したU-23日本代表DF伊野波雅彦(22)=写真(右から2人目)=は、「自分が伸びるためには厳しいところに身を置くことが一番。五輪も大事だけど、その先のことも考えて決断した。A代表にもいきたいし、そのためには日々の練習が大事だと思った」と抱負を語った。バーゼルDF中田浩の復帰も見込まれており競争は激しいが、「ここでレギュラーを獲ることが代表につながると思う」と前を向いた。

 チームの新スローガンは『FOOTBALL DREAM’08 DESAFIO 挑戦』に決定、この日は新ユニホームもお披露目された。チームは31日に始動する。
(千葉友寛)

◆J1京都に移籍したFW柳沢の背番号「13」を受け継ぐ鹿島FW興梠
「重いけど、逆にやりがいもある。高校(鵬翔高)のときから13番だったし、今年は背番号くらいの得点が取れればいい」

鹿島・笠井がロビーニョとの対戦熱望

新体制を発表した鹿島。(左から)GK川俣、MF鈴木、大東社長、DF伊野波、DF笠井
Photo By スポニチ

 ブラジルからの逆輸入選手、鹿島のDF笠井がクラブW杯での元同僚との対戦を熱望した。新体制発表でFC東京から移籍のDF伊野波、ユースから昇格のGK川俣、早大から加入のMF鈴木とともに会見。サントスユースでは現ブラジル代表のFWロビーニョ(レアル・マドリード)やDFアレックス(チェルシー)と一緒にプレーした経験があり「ACLで優勝し、クラブW杯で成長した姿を見せたい」と話した。
[ 2008年01月30日付 紙面記事 ]

鹿島“逆輸入”笠井まずは定位置確保
 鹿島の新体制発表が29日、クラブハウスで行われ、ブラジルのパウリスタFCから新加入のDF笠井健太(22)、F東京から完全移籍で獲得したDF伊野波雅彦(22)ら新加入選手5人が出席した。“逆輸入”で獲得した笠井は今年のクラブW杯で、かつてチームメートだったブラジル代表FWロビーニョ(レアル・マドリード)らとの再会マッチ実現を熱望した。

 サントスFCの下部組織に所属時にはロビーニョ、DFアレックス(チェルシー)とともにプレー。鹿島が今季ACLを制すれば、いずれかの選手とクラブW杯で対戦する可能性がある。「世界を肌で感じた選手たち。対戦したいですね」今季のチームスローガンは「DESAFIO(挑戦)」に決定。「ブラジルでの経験を生かして、試合に出たい」と定位置確保を当面の目標に掲げた。
(2008年1月30日06時00分 スポーツ報知)

【2008シーズン始動!】鹿島アントラーズ:新体制発表会見での大東和美社長、鈴木満強化部長コメント   [ J's GOAL ]
◆スローガンについて
 大東和美 代表取締役社長
「今年のスローガンを決めました。
“FOOTBALL DREAM'08 DESAFIO ~挑戦~”


昨年と同様、『FOOTBALL DREAM』をスローガンの中に入れました。これは私どもがJリーグ参入して以来のクラブのアイデンティティということで、『原点回帰』ということで昨年に引き続き、この『FOOTBALL DREAM』をもって2007年の流れを継続するために入れました。
それからスローガンの方ですけれども、『DESAFIO(デサフィーオ)』とはポルトガル語で『挑戦』という意味です。皆さんご存じのように、鹿島アントラーズは今年、アジアとの戦いに臨みます。今季は新たな挑戦の始まりとして、また現状維持ではなく常にベストを目指して挑戦者のマインドで臨む、という強い意志を持ってスローガンと致しました。そして、私どもは、おごらず戦う意志を見せるという強い意志を持って、このDESAFIO、挑戦というスローガンに致しました。今後ともよろしくお願いしたいと思います」


◆今季の体制について
 鈴木満 強化部長
「2008年のアントラーズの新体制ですが、スタッフについては大きな変更はありません。今年もオズワルド・オリヴェイラ監督の下、昨シーズンを戦ったスタッフを中心にやっていくことになります。ただし吉見トレーナーが退任しまして、山下トレーナーが就任することが変更点となります。スタッフは以上です。
選手は新加入選手が4人と期限付き移籍の復帰1人を含めて5人が新加入しております。背番号につきましては興梠選手が13番、佐々木竜太選手が34番から 17番という変更があります。ほかについては昨シーズンと同じ番号で、空いている番号に新加入選手が入ったということになります。(伊野波選手→19、鈴木選手→20、笠井選手→27、川俣選手→28、金古選手→32)
柳沢選手が付けていた13番は、興梠選手が引き継ぐということになります。今年、興梠選手、佐々木竜太選手に対する期待を込めて、こういう背番号変更につながっております」


◆ユニフォームについて
 大東和美 代表取締役社長
「リーグ戦用のファーストユニフォームについては、今回、生まれ変わろうとしているクラブの象徴としてユニフォームを斬新に変更しました。チームカラーのディープレッドと、セカンドカラーのディープブルーを組み合わせたものになっております。俗に言う『横縞』となっておりますけれども、鹿島アントラーズとしては初めていうこととなります。
リーグ戦のセカンドユニフォームは、生まれ変わるという意味を込めまして、白を基調としました。そして、ディープレッドとディープブルーが力強く束ねられて「結束」を意味する縦のストライプが中央に入ります。選手同士の結束、また選手とサポーターの結束、ホームタウンやスポンサーとの結束、あらゆる力をひとつに集約して戦うアントラーズの姿を象徴しております。


それからACLのユニフォームは、大会によって規定が異なりますので、(スポンサーは)胸のTOSTEMのみとなっております。

ホームタウンのマークは、従来は『KASHIMA』というのが右腕に入っていましたけれども、ご存じのように2006年から鉾田市と行方(なめかた)市がホームタウンに加わりました。従来からの鹿嶋市、神栖市、潮来市に加えて5つのホームタウンができたということであります。これらはもともと鹿行(ろっこう)地域と呼ばれているところであり、アントラーズのホームタウン評議会も発足してよりチームとの結びつきが強固なものになりました。鹿行地域全体を象徴する形としてブルーと各市の色を取り入れてホームタウンマークをつくりました。今シーズンから新しく腕に付くことになります。よろしくお願い致します」

◆以下は質疑応答です。
Q:本日、監督がいらっしゃらないのは監督が心臓の検査を受けられたということですが、どういう状態なのでしょうか?
●鈴木満 強化部長
「特にブラジルに帰って心臓が悪くなったということではないんですが、定期的な検査などがあって、2月3日の合宿前日に来日し、合宿から合流という当初の予定通りです」
Q:今シーズンのリーグやACLにおける具体的な目標と、昨年とくらべて現状の戦力をどのようにお考えですか?
●大東和美 代表取締役社長
「まず具体的な目標ですが、ACLにつきましては予選リーグ突破は当然のことながら決勝トーナメントに向けてチーム一丸となってチャンピオン目指してがんばります。国内での大会ですけれども、リーグ戦、天皇杯、ヤマザキナビスコカップを現状のメンバーをもって当然狙いにいくということであります。
戦力につきましては、昨年後半から日本人選手を主体にして非常によくまとまってきています。大きくメンバーも変わってませんので、5人のメンバーが入ってまた活性化され、ベテラン・中堅・新人というバランスの良いチーム編成ができるということを期待しております」

以上

【2008シーズン始動!】鹿島アントラーズ:新体制発表会見での新加入選手コメント [ J's GOAL ]
※()内は前所属
●伊野波雅彦選手(F東京)
「FC東京から来ました、伊野波雅彦です。今年は新しいところに来て、ACLもあるし、オリンピックもあるし、いろいろ大変な年ではありますけれども、そこでしっかり結果を残してがんばりたいと思います。よろしくお願いします」
●笠井健太選手(パウリスタFC/ブラジル)
「パウリスタから移籍してきた笠井です。僕は日本での実績がないので、またゼロからのスタートになると思います。精一杯やっていきたいと思いますのでよろしくお願いします」
●鈴木修人選手(早稲田大)
「アントラーズには幼い頃に育ててもらったという恩返しも込めて1試合でも多く出て、勝利に貢献できるようがんばりたいと思います」
●川俣慎一郎選手(鹿島ユース)
「ユースから上がりました川俣慎一郎です。曽ヶ端さんら、すばらしい先輩がいる中で、いろいろ吸収して1日でも早く試合に出てチームに貢献できるようがんばりたいと思います。よろしくお願いします」
●大東和美代表取締役社長
「いま4人がご挨拶差し上げましたように、今年もフレッシュな戦力を加えることができました。国内外のプロ経験者、そして新卒者、またユース経験者と、非常にバランス良く選手を加えることができて良かったと思います。
伊野波雅彦選手は、すでにご存じの通りFC東京からの移籍です。略歴については、2007年の北京五輪アジア最終予選の日本代表選手として活躍しております。
2人目の笠井健太選手。彼は多彩なサッカー歴を持っておりまして、日本からカナダへ。そしてまた日本に帰ってきてアメリカ、ブラジルと経験を積んできました。将来期待できる選手であります。
それからMFの鈴木修人選手。鹿島アントラーズジュニアで経験を積んできまして、市立船橋、早稲田大学と進み、また鹿島アントラーズに戻ってきてくれました。彼につきましては、先日のU-22日本代表の試合で非常にすばらしいシュートを決めてくれました。名前も修人ということで、非常にわかりやすい名前じゃないかと思います。
そして、ゴールキーパーの川俣慎一郎。彼はユースのキーパーとして活躍してくれました。U-18日本代表候補にも入ったということで将来有望な選手であります」

★以下、質疑応答です。
Q:伊野波選手にお聞きします。今までの鹿島アントラーズに対するイメージと、今回移籍を決意した理由をお願いします。
●伊野波選手
「イメージは小さい頃からすごく好きなチームで、憧れていたチームでもあります。一ファンだったときもありますし、伝統のあるチームという印象があります。
移籍の理由としては、すごく良い選手が多いなかでサッカーができるということもありますし、サッカーをやる環境もすごく良いと思います。あとは、鈴木満さんをはじめとするスカウトの方の熱意がすごく伝わってきたので、そうした理由で決めました」

Q:お一人ずつにお答え頂きたいのですが、今年の目標をお願いします。
●伊野波選手
「プロで2年間やってきて、いろいろな経験をして、結果を出すということがすごく大事だとわかった。今年は結果にこだわって、いろいろな面で結果を出すことが目標です」
●笠井選手
「とりあえずは、日本での実績です。あとは数多く試合に出て、アントラーズの戦力になりたいと思います」
●鈴木選手
「試合に出ることがいちばんだと思っているので、1試合でも多く試合に出てがんばっていきたいと思います」
●川俣選手
「1試合でも多く試合に出て、今年はAFC U-19選手権があるので、そのメンバーに入れるようにがんばっていきたいと思います」
Q:ここだけは負けないぞ、という部分があれば教えて下さい
●川俣選手
「シュートへの反応や、1対1のポジショニングは負けないと思います」
●鈴木選手
「自分はキックがいちばんの特徴だと思っていて、そのなかでも展開力やセットプレーです。数多くボールに触ることだと思うので、がんばっていきたいと思います」
●笠井選手
「自分の特徴である運動量とスピードを生かして、あとはブラジルで培ってきたものを全て出してがんばっていきたいと思います」
●伊野波選手
「自分はどこでもできるというユーティリティー性をしっかりアピールして、そこから1対1やロングフィードというのが自分のいちばんの特徴だと思うので出せればと思います」
以上

スポニチと報知は逆輸入の笠井健太からホビーニョとの対戦を引き出しておる。
ニッカンは出世番号を報じたことは評価に値する。
それ以上に鈴木修人の父親コメントを引っ張り出したことは大きな仕事と言えよう。
船橋から鹿島まで送り迎えをしたと言われるこの父親父智さんの努力が実る日も近いであろう。
父島津斉興を超えて善政を執る斉彬であるが、改革指向は本人が健康であったこそ生きるのである。
篤姫では高橋英樹が斉彬であるが、翔ぶが如くでは彼が久光を演じておる。
これは混同してかなわぬ。
篤姫の斉彬にはさっさと退場を願いたい。

ニッカン速報

2008年01月29日 | Weblog

伊野波「鹿島は吸収できること多くある」
 昨季のJ1と天皇杯を制した鹿島は29日、茨城・鹿嶋市内で新体制を発表した。U-23(23歳以下)日本代表の主力で東京から移籍したDF伊野波が「鹿島には吸収できることがたくさんある。いろいろな面で好結果を出したい」と抱負を述べた。  アジア・チャンピオンズリーグ制覇とJ1連覇に挑む今季の補強は、パウリスタ(ブラジル)でプレーしたDF笠井ら5選手。鈴木強化部長は「去年つくったベースをさらに熟成させる」と強化方針を説明した。  京都に移ったFW柳沢の背番号13はFW興梠が受け継いだ。就任2季目のオリベイラ監督は2月4日からの宮崎キャンプ前日に来日する。
[2008年1月29日18時17分]

素早い記事は嬉しいが、5人目の選手は誰なのであろうか?
まさか写真中央の大東社長をカウントしているのでは無かろうか。


新加入選手記者会見

2008年01月29日 | Weblog

 新体制発表、および新加入選手記者会見が行われました
本日29日(火)、鹿島アントラーズクラブハウスに於いて、2008年度 鹿島アントラーズ新体制発表、および新加入選手記者会見が行われました。

今シーズンのスローガンは、『 FOOTBALL DREAM 08' DESAFIO ~挑戦~』です。
~2008年スローガンについて~
鹿島アントラーズが、国内リーグとアジア王者を目指して戦ったのが、10年前の1998年です。リーグ優勝は果たしましたが、アジア王者への道はベスト8でついえました。そのとき、掲げていたスローガンがchallengeであり、それから10年がたち、再びアジア王者を目指す今季、原点に立ち返るという意味で、同じ意味のポルトガル語であるDESAFIOをスローガンとすることになりました。

新加入選手については、伊野波・笠井・鈴木・川俣の4選手で、2008年度は31名でスタートいたします。
■伊野波雅彦選手

「今年は新しいチームに来て、さらにACLやオリンピックもあるので試合も多く大変ですが、そこでしっかりと結果を出して頑張りたいです。」

■笠井健太選手

「僕は日本での実績はありませんが、ゼロからのスタートなので精一杯頑張りますのでよろしくお願いします。」

■鈴木修人選手

「幼いときに育ててもらった恩返しの分も込めて、1試合でも多く試合に出て試合に貢献できるよう頑張りたいです。」

■川俣慎一郎選手

「曽ケ端さんや素晴らしい先輩のいるなかで、いろいろな面で良いところを吸収して、1日でも早く試合に出てチームに貢献したいとおもいますのでよろしくお願いします。」

なかなか頼もしい四戦士である。
元U-18代表の川俣以外は1985年生まれで即戦力と言えよう。
この3人の活躍が試合数の増えた今季を背負って立つと言っても過言ではない。
特に小笠原満男が入団時に背負った27番を引き継いだ笠井健太は、フル代表やU-23で引っ張り回される内田篤人の穴を埋めてくれなくてはならぬ。
ZEROからのスタートであっても周囲がそれを許してくれぬであろう。
いきなり2/24の水戸戦で出てきてくれなければ困るのである。
とはいえ、この笠井健太も北京五輪代表の資格がある。
更に伊野波雅彦はU-23の主将であり鈴木修人も予選でゴールを決めておる。
彼等3人は今季は鹿島だけに専念できるか微妙ではある。
しかしながら、誰が給料を支払っておるのかを熟考すれば答えは自ずから導かれる。
彼等の凛々しき顔に期待しておるぞ。


FOOTBALL DREAM '08 DESAFIO ~挑戦~

2008年01月29日 | Weblog

鹿島アントラーズの2008年シーズンのスローガン、スタッフ体制及び新背番号が下記の通り決定いたしましたのでお知らせいたします。
2008年度 鹿島アントラーズクラブスローガン

FOOTBALL DREAM '08 DESAFIO ~挑戦~
昨年同様、“原点回帰”のコンセプトのもと、新たなスローガンを掲げる。アントラーズはちょうど10年前の1998年、リーグ優勝とアジア王者の2冠を目指して戦った。リーグ優勝は果たしたが、初参戦のアジアクラブ選手権では2月に行われた準々決勝リーグ(ベスト8)で敗退している。そのシーズンに掲げたスローガンが「challenge」だった。アジアを戦う原点となったその年同様、5年ぶりにアジアを舞台にして今季は10年ぶりに「挑戦」を意味する「DESAFIO」(ディサフィーオ)をスローガンとして掲げる。ブラジルとの関係の深いクラブ史においても、ポルトガル語(ブラジルの公用語)をするのは初めてのことで、その意味でも“原点回帰”となる。また、昨年同様に「FOOTBALL DREAM」をスローガンの中に組み込んだ。「FOOTBALL DREAM」は、「Jリーグ参入は99,9999%無理」とまで言われた創設時以来のクラブアイデンティティ。昨年、これをスローガンに盛り込んだのも「原点に戻る」ということが大きな理由だった。2冠を達成した2007年の流れを絶やさず継続するため、再び「「FOOTBALL DREAM」をスローガンに組み込むことになった。
 
鹿島アントラーズ 2008年シーズン背番号
背番号 ポジション 氏名 生年月日 身長
(cm) 体重
(kg) 備考
1  GK 小澤英明 (おざわ・ひであき)
 1974/03/17 188 84 
2  DF 内田篤人 (うちだ・あつと)
 1988/03/27 176 62 
3  DF 岩政大樹 (いわまさ・だいき)
 1982/01/30 187 85 
4  DF 大岩剛 (おおいわ・ごう)
 1972/06/23 180 75 
5  DF ファボン 
 1976/06/15 187 84 
7  DF 新井場徹 (あらいば・とおる)
 1979/07/12 182 74 
8  MF 野沢拓也 (のざわ・たくや)
 1981/08/12 176 70 
9  FW 田代有三 (たしろ・ゆうぞう)
 1982/07/22 181 77 
10 MF 本山雅志 (もとやま・まさし)
 1979/06/20 175 66 
11 MF 
ダニーロ   1979/06/11 186 84 
13 FW 興梠慎三 (こうろき・しんぞう)
 1986/07/31 175 67 ※(17)

14 MF 増田誓志 (ますだ・ちかし)
 1985/06/19 179 75 
15 MF 青木剛 (あおき・たけし)
 1982/09/28 183 75 
16 MF 中後雅喜 (ちゅうご・まさき)
 1982/05/16 178 73 
17 FW 佐々木 竜太 (ささき・りゅうた)
 1988/02/07 180 74 ※(34)

18 FW マルキーニョス 
 1976/03/23 174 76 
19 DF 伊野波雅彦 (いのは・まさひこ)
 1985/08/28 179 73 新加入
20 MF 鈴木修人 (すずき・しゅうと)
 1985/08/31 171 67 新加入

21 GK 曽ケ端準 (そがはた・ひとし)
 1979/08/02 187 80 
22 DF 石神直哉 (いしがみ・なおや)
 1985/03/02 181 74 
23 MF 船山祐二 (ふなやま・ゆうじ)
 1985/01/19 176 72 
24 DF 當間建文 (とうま・たけふみ)
 1989/03/21 178 72 
25 MF 遠藤康 (えんどう・やすし)
 1988/04/07 168 69 
26 MF 小谷野顕治 (こやの・けんじ)
 1988/06/22 170 62 
27 DF 笠井健太 (かさい・けんた)
 1985/12/25 178 74 新加入

28 GK 川俣慎一郎 (かわまた・しんいちろう)
 1989/07/23 188 86 新加入

29 GK 杉山哲 (すぎやま・てつ)
 1981/06/26 184 78 
30 MF 大道広幸 (おおみち・ひろゆき)
 1987/06/25 177 68 
31 DF 後藤圭太 (ごとう・けいた)
 1986/09/08 183 75 
32 DF 金古聖司 (かねこ・せいじ)
 1980/05/27 180 79 復帰

40 MF 小笠原満男 (おがさわら・みつお)
 1979/04/05 173 72 
※背番号が新しくなった選手( )内は旧背番号
 
2008年 鹿島アントラーズFC新体制
  監督 オズワルド オリヴェイラ (57才)  
  コーチ 奥野 僚右 (おくの・りょうすけ) (39才)
  フィジカルコーチ リカルド   (33才)
  フィジカルコーチ(サテライト監督兼任) 石井 正忠 (いしい・まさただ) (40才)
  GKコーチ ルイス アルベルト   (56才)
  GKコーチ(ユースGKコーチ兼任) 藤原 寿徳 (ふじわら・ひさのり) (37才)
  フィジオセラピスト アレックス   (34才)
  フィジオセラピスト 安藤 貴之 (あんどう・たかゆき) (31才)
  アスレチックトレーナー 橋本 敏広 (はしもと・としひろ) (41才)
  トレーナー 小池 謙雅 (こいけ・けんや) (31才)
※ トレーナー 山下 章雄 (やました・あきお) (29才)
  トレーナー(育成部トレーナー兼任) 高原 亮 (たかはら・りょう) (32才)
  通訳 高井 蘭童 (たかい・らんどう) (34才)
  通訳 川窪 匡哉 (かわくぼ・まさや) (27才)
  主務 長石 博之 (ながいし・ひろゆき) (41才)
  副務 増川 岳
 (ますかわ・がく) (37才)
  副務 高田 優ニ (たかた・ゆうじ) (23才)
  チームドクター 香取 庸一 (かとり・よういち) 
    関 純 (せき・じゅん) 
    宮川 俊平 (みやがわ・しゅんぺい) 
    石井 朝夫 (いしい・ともお) 
    春日 正照 (かすが・まさてる) 
※新採用

昨季、リーグと日本サッカーの頂点に立った我等が選んだ今季のスローガンは「挑戦」。
あくまで前に進む意気込みである。
そう、我等はチャレンジャーなのである。
アジアだけでなくリセットされた国内も新たなる気持ちで挑戦せねばなるまい。
背番号で注目は小笠原満男であろう。
本田元主将が満男に6番を譲るとの記事もあったが、ユニーク・ナンバーとして彼自身が選んだ40番で挑戦し続ける様子。
喜ばしい選択である。
鹿島の40番は小笠原満男として永遠に語り継ぎたい。
そして、欠番との噂のあった13番は興梠慎三が背負うこととなった。
登録もMFからFWに変更し、心機一転のチャレンジャーである。
今季は勝負の年であろう。
北京五輪に行くのか否か、鹿島でポジションを奪えるのか否か、そして得点という結果である。
これまでの13番のイメージを一掃するプレイを期待しておる。
そして何より背番号がちょうど半分になった佐々木”よよ”竜太であろう。
FWの層から言えば3年目の19歳ではなく、常に出場を準備する重要な戦力なのである。
フィジカル・ライティの名に恥じぬ活躍を望む。
兎にも角にも新シーズンが始まった。
もう昨季は遠い過去なのである。
新たなる挑戦を共に始めようではないか。


オリヴェイラ監督心臓病

2008年01月29日 | Weblog

オリベイラ監督J歴代3位年俸1・1億円
 鹿島のオズワルド・オリベイラ監督(57)の今季年俸がJ歴代3位となる1億1000万円になることが28日、分かった。来日1年目の昨季は2冠を獲得。年俸1億円から1000万円増(金額は推定)の提示を受け、合意した。現役J監督では最高額で歴代でも05年神戸レオン監督の1億5750万円、97年名古屋ケイロス監督の1億2000万円に次ぐ数字。持病を抱える心臓の検査などのため2月4日からの宮崎合宿直前の来日となる予定だ。
[2008年1月29日9時12分 紙面から]

久々のニッカンである。
鹿島の記事としては伊野波獲得以来である。
チームが始動する本日より本格的に報じてくれると信じたい。

閑話休題、鹿島史上最高年俸で今季を指揮するオリヴェイラ監督であるが、心臓に持病を抱えているとのこと。
合流は少々遅れるが、指揮を執って二年目ということもあり奥野コーチとは阿吽の呼吸でそれまでの指示が出ておると思われる。
今季はレギュラーの流出が最小限に抑えたため、昨季のチームをベースにスタートできよう。
新戦力を徐々にフィットさせることができれば問題ない「と思われる。
気になるのは北京五輪期間中の篤人と興梠の抜ける穴であるが、それは8月のことである。
従って、6月の中断期間で十分に対応可能である。
何はともあれ、監督の心臓に負担をかけぬ試合を今季は望む。
安政の大獄の余波で、月照和尚と共に入水せねばならぬ。
蘇生するものの奄美大島に潜居することとなるのである。


岩政 居場所がない

2008年01月28日 | Weblog

DF岩政が代表定着に危機感
 DF岩政が代表定着へ必死だ。この日の練習試合では開始早々にPKを献上、前半終了間際には右足首を削られヒヤリとさせられたが、持ち味の泥臭いプレーは見せた。まだ代表での出場歴はないため「代表に自分の居場所を見つけないと、いつでも外されてしまう」と危機感を募らせていた。
[2008年1月28日9時31分 紙面から]

代表から外されるという新たなる予言であろうか。
ファボン残留金古復帰で代表どころかクラブチームでのポジションが危うい。
ヌケヌケしょっぱい代表のベンチを温めておる場合ではないのである。
代表はオシム路線継承により専職CBはさほど必要としていない模様であるので、もう想い出作りを終え鹿島に専念すべきなのである。
今季は試合数が増えること以上に移動による負担が大きい。
となると、固定しがちなDFラインもターンオーバーを組む可能性が高くなってくる。
控えにチャンスが増えれば、レギュラーが追いやられる可能性も上がるというものなのである。
ここ3季レギュラーを保証されてきた岩政大樹もうかうかしていられないであろう。
正当な争いこそチームを進化させる。
今週末のチーム始動に間に合わないだけで争いから半歩後退であることに気付かねばならぬ。
岩政だけでなく、選手層の厚くなった今季は全ての選手にチャンスがあり、戦いは激化しておる。
その戦いに勝ったものだけが試合に出場し我等に勝利を与えてくれるのである。
いよいよ今年のシーズンが始まろうとしている。


次戦スタメンはあるのか

2008年01月28日 | Weblog

内田 ボスニア戦もスタメン熱望
 釜本超えだけでは満足しない。日本代表DF内田が30日のボスニア・ヘルツェゴビナ戦でもスタメン出場することを熱望した。19歳305日でのAマッチ出場は伝説のストライカー釜本邦茂氏を抜いて歴代14位の記録となったが「あまり実感はない。強い相手とどんどんやって、もっと経験を積みたい」。途中交代した右ひざの負傷は問題なく、出場組の他の選手と同じメニューをこなした。「まだまだこれからです」と定位置獲りにどん欲な姿勢だった。
[ 2008年01月28日付 紙面記事 ]

一言も熱望しておらずどん欲な姿勢でもない。
本人のコメントも何もまったく無視した捏造記事である。
恐ろしい情報操作。
日本は何処へ行ってしまうのか。
翔ぶが如くでは西郷吉之助が直訴したが篤姫では於一である。
まさに今日の篤姫と言えよう。


内田篤人 膝は大丈夫の模様

2008年01月27日 | Weblog

19歳・内田は厳しい自己採点「ふがいなかった」
 右サイドバックとして代表デビューした内田は「ふがいなかった。よくやったと言ってくれる人がいたとしても、それはまだ19歳だからということだと思う」と厳しい自己採点だった。

 内田の目の前には常に相手の左ウイングが張っていたため守備に回る時間が長く、持ち味の攻撃参加は少なかった。接触プレーで右ひざを強打したため、大事をとって後半26分に退いた内田は「もう少し球に絡みたかった。自分が攻撃の起点になりたいと思っているので」と反省の言葉を並べた。

代表デビューの内田は厳しい自己採点
 右サイドバックとしてチリ戦で代表デビューした内田は「ふがいなかった。よくやったと言ってくれる人がいたとしても、それはまだ19歳だからということだと思う」と厳しい自己採点だった。

 内田の目の前には常に相手の左ウイングが張っていたため守備に回る時間が長く、持ち味の攻撃参加は少なかった。接触プレーで右ひざを強打したため、大事をとって後半26分に退いた内田は「もう少し球に絡みたかった。自分が攻撃の起点になりたいと思っているので」と反省の言葉を並べた。
[ 2008年01月26日 22:16 速報記事 ]

内田“釜本超え”10代デビュー

<日本・チリ>前半、体を張った守備で奮闘する内田
 【日本0―0チリ】19歳305日の“未成年DF”内田が、不動の代表右サイドバックの加地を抑え、堂々の先発でA代表デビューを飾った。前半17分に体を張った守備でシュートを阻止すると、右ひざを負傷して交代を告げられた後半26分まで、積極的にプレーした。相手の左ウイングのマークに追われる時間が長く、持ち味の攻撃参加ができなかったため「ふがいない」と自己評価は厳しかったが「次、チャンスをもらえればできる気がする」と手応えも口にした。

 10代での代表デビューは、Jリーグ発足後では岡田政権下の98年のMF小野(浦和)、DF市川(清水)、オシム政権下の06年MF梅崎(当時大分)に続いて4人目。歴代でも戦後では釜本邦茂氏を抜いて14位の記録。先発を言い渡されたのは、試合当日の朝のミーティングだったが、鹿島では06年に高卒ルーキーで開幕先発出場をしている。「鹿島でのデビュー戦ほど緊張はしなかった。出るために来ているので、準備はしていた。それほど慌てないで試合に入れた」と振り返った。

 フィジカルの強化が実った。昨年2月にU―22代表に招集された際にフィジカルの弱さを実感し、トレーニングに励んできた。最近は食べる量も3~4倍に増え、代表候補合宿に初めて呼ばれた昨年4月から9カ月間で体重が4キロ増えた。試合で当たり負けすることはほとんどなくなった。

 右ひざに相手スパイクのポイントが入って途中交代した。だが、岡田ジャパン初陣での先発抜てきはジーコ、オシム政権下で不動の右サイドバックに君臨してきた加地への挑戦権を手にしたことを意味する。岡田監督は「どこまでもつかと思ったけど、結構もったなあ」とはぐらかしたが、期待していることに間違いはない。「まだ周りは年齢で見てくれている。でも、年齢に関係なく良くなったと言われるようになりたい」と内田。内容が乏しかった試合だったが、右サイドには新たな可能性が見えた。
[ 2008年01月27日付 紙面記事 ]

19歳内田 南アW杯の切り札…親善試合チリ戦

前半35分、センタリングを上げる内田(左)(右はルビオ)
 ◆国際親善試合 キリン・チャレンジカップ 日本0―0チリ(26日、東京・国立競技場) DF内田篤人(19)は先発に大抜てきされ、メキシコ五輪の英雄・釜本邦茂を抜き、歴代15位の年少記録となる19歳305日で代表デビューを果たした。

 新しい星が生まれた。岡田監督は、南アW杯への切り札に、19歳のサイドアタッカーを指名した。内田が、ジーコ、オシム監督時代は不動だった加地に代わり、右サイドバックでいきなり代表デビュー。19歳305日での出場は、メキシコ五輪得点王のFW釜本を超える歴代15位の年少記録だ。

 厳しい洗礼を浴びた。「ふがいない。何もできなかった」チリFWボセジュールへの対応を強いられ、持ち前の攻撃力は発揮できなかった。前半17分、滑り込んで決定的なシュートを阻止したが、その2分後には、右サイドのスペースに飛び出さず、岡田監督から身ぶりも交えて徹底指導された。「相手が強いから持ち味を出せないようでは、これから通用しない」試合後は、反省の言葉ばかりが口からこぼれた。

 先発はホテルでのミーティングで告げられた。「俺かなぁと思っていたけど、大丈夫かなとも思った」鹿児島合宿での練習試合では主力組で出場するなど、指揮官の期待は感じていた。サプライズは、しかし岡田監督にとって当然だった。第1次政権のときも国際Aマッチ17歳322日の史上最年少デビュー記録を持つDF市川とMF小野を発掘した。指揮官は「ボールの持ち方、パスの出し方に非凡なものがある」と、鹿島のニューフェースを評した。

 内田は後半26分、加地と交代し、ベンチに下がった。その直前、相手のスパイクがひざに入ったためだ。本人は「無理してもしょうがないと思ってくれたのかな」と話した。期待するからこそ、大事に育てたい。「自分のところから起点になれればいい。次、チャンスがあればできそうな気がする」手探りの初体験を経て、岡田ジャパンの新星は輝きを放つ準備を整えた。
 ◆内田 篤人(うちだ・あつと)1988年3月27日、静岡・函南町生まれ。19歳。函南SS少年団でサッカーを始め、清水東高を経て2006年に鹿島入団。同年、クラブ史上初となる高卒ルーキーでの開幕先発出場を果たした。右サイドバックの定位置を確保し、U―20W杯(カナダ)でも主力として活躍。昨季はリーグ戦31試合出場し0得点もリーグ、天皇杯制覇に貢献。176センチ、62キロ。
 ◆U―23反町監督は合格 U―23(23歳以下)日本代表の反町康治監督が、内田のA代表デビューを歓迎した。「敵対する選手がいい選手だったので勉強になったはず」と話した。来月は五輪代表が米国遠征、A代表が東アジア選手権と日程が重なるが、優先問題について、「岡田さんと話をしたい」と、話すにとどまった。

(2008年1月27日06時01分  スポーツ報知)

【日本代表 vs チリ代表】試合終了後の内田篤人選手(鹿島)コメント [ J's GOAL ]
1月26日(土)  
日本代表 0 - 0 チリ代表 (19:10/国立/37,261人)
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●内田篤人選手(鹿島):
「今日は何となく出そうかなというのがあった。練習をやりながら何となくそう思っていた。とりあえず終われてよかった。先発を言われたのはここに来る前のミーティング。指示は特になかったけど、ただ、練習でやったことを試合でで居るようにみんな一生懸命やろう、ということは言っていました。終わった後は意外と持ったなと監督に言われた。体力面のことを言っているんじゃないか。今日は何もしていない。対面にいた相手の13番はテクニック系かと思っていたけど、意外と速かったから警戒するので必死だった。守備の意識が高い分、そこでボールはとれるが、取った後の攻めが良くないという感じはありました。向こうがヨコの間隔がひろく使ってボールを動かしていたので、取ったあとの攻撃がバラバラになった感じです。」
以上

名実共に日本を代表する右サイドバックとなった内田篤人である。
しかし日本代表よりも鹿島での輝きが最も似合う。
今季も右サイドを切り裂くのだ。
我等はそれを望んでおるのである。