鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

オリヴェイラ流発揮

2007年01月31日 | Weblog
鹿島オリベイラ監督フィジカル指導
 鹿島のオズワルド・オリベイラ新監督(56)が「臨時フィジカルコーチ」に変身した。30日午後、珍しい光景とともに初の全体練習が始まった。通常、監督はフィジカル練習を見守ることが多いが、オリベイラ監督は陣頭指揮を執った。基礎的なリフティング、ドリブルを自ら実演。ボールを挟んで前転する動きは「私の年齢では無理」と、さすがに高井通訳に任せたが、センターサークル内の25人リフティング勝ち残り戦などユニークなトレーニングを約1時間半、行った。
 フィジカルコーチに成り済ましたのには訳がある「選手が私に慣れ、私も選手に慣れる必要がある。私の言うことに対する、選手の反応も見たかった。だからフィジカルコーチと入れ替わった」。来日前にジーコら鹿島OBから情報は仕入れていたが、実際に指導して肌で選手からの感触を確かめたかった。
 数々のブラジル人監督を見てきている選手も、まずは好印象を抱いたようだ。DF岩政は「これからも、いろいろなメニューが出てくるのが楽しみ。新しい監督なので戦術面も早くやりたい」と次のステップを心待ちにしていた。世界一制覇を経験したオリベイラ監督の、10冠への操縦が始まった。
【広重竜太郎】
[2007年1月31日7時32分 紙面から]

今度の指揮官は選手との距離を縮めるタイプのようである。
選手を近い位置から観察し、彼なりの評価で戦いに挑もうとする姿勢が伺える。
今季は怪我人も代表合宿も無く、フルメンバーが揃っている事も幸運である。
選手の質は劇的に変わる事はない。
ただ、メンタル面は操縦法如何で如何様にも変わる。
側近も代替わりで換わっていくものである。
大久保一門を追い出した本多正純も釣天井で失脚せしめる。
指揮官の変化について行けぬ者は去らざるを得ないのだ。
前向きにプレイし勝利を呼び込もうではないか。

リーダーは結果だけでなく準備も重要

2007年01月31日 | Weblog
新チームのリーダーになる!鹿島・柳沢、本田魂継承を誓う

チームリーダーとして期待される柳沢。本人も自覚が芽生えている(撮影・森本幸一)
 鹿島が30日、鹿嶋市のグラウンドで本格始動。ドイツW杯日本代表FW柳沢敦(29)は、昨季限りで引退した元日本代表MF本田泰人氏(37)の精神を継承、新チームのリーダーとなることを誓った。
 「年齢的にも上になったし、チームを引っ張っていける存在でいたい。それに見合う行動と結果を出したい」
 主将を務めるなどチームを牽引してきた本田氏について「体も小さいし、普通なら目立たないのに、誰もが認める並外れた存在だった」。5月で30歳となり、新選手会長にも選ばれた柳沢は真剣な表情で話した。
 現時点で新主将は未定だが、本田氏は引退に際して柳沢を指名。本人は「(主将を)やれといわれたらその時考えます。誰がやっても優勝できればいい」と話したが、周囲の期待は大きい。“本田魂”を受け継いだ柳沢が名門復活の先導役となる。
(千葉友寛)

一昨日の日刊に二日遅れてのサンスポの報道。
スローガンの「魂」は本田魂と言いたげである。
07故に「敦魂」であろうか。
そんな事はあろうはずもなく、初心に帰るだけの事。
帰農するのだ。
春には種を蒔き、夏には豊作を祈願し、秋には収穫を祝う。
その繰り返しなのである。
計画→実践→確認
これが仕事の基本である。
最も計画が重要。
この1ヶ月に今季はかかっておるのだ。
誰が出ても勝てるチームする為、常に心の準備を怠るでないぞ。

岩政生誕二十五周年

2007年01月31日 | Weblog
鹿島DF岩政「卵爆弾なし」に残念?
 鹿島DF岩政が卵爆弾を恋しがった? 30日に25歳の誕生日を迎えたが、生卵と小麦粉をぶつけられるブラジル式の誕生祝いはなかった。「シャワーを浴びてて『そういえばないな』と気がつきました」。寂しかったのでは? と報道陣に突っ込まれると「頭が臭くなるから」と言ったが「誕生日じゃない日にやられることもありますし」と、期待? していた。
[2007年1月30日20時46分]

昨日が誕生日の岩政大樹。
もう、ベテランの域に達するべきである。
入団から4年目、レギュラーを得て3年目となる今季は勝負の年と言えよう。
2004年 18試合 4得点
2005年 31試合 4得点
2006年 30試合 3得点
リーグ戦の成績は以上の通り。
川崎の箕輪程度の成績というべきか、浦和の闘莉王の半分と言うべきか、悪くないが良くない。
昨季は秋田の背番号を受け継ぎ鹿島の壁となりうるべき年であったが守備が向上したようには見えなかった。
もちろん彼だけの責任では無い。
が、責任が皆無でも無い。
四半世紀を生きた結果を今季は見せて欲しい。
82年と言えば、タッチの双子も南ちゃんも湘南爆走族の江口洋介も高校に入学している。
(原作コミック版)
その重さを噛み締めて戦うのだ。

新体制報道

2007年01月30日 | Weblog
鹿島10冠へ背番7人変更、第3世代中核に
鹿島が10冠達成へ、第3世代をチームの中核に据える。29日、チームが始動し、新体制発表を行った。大きな変化は背番号に表れた。本田、名良橋ら栄光時代を知るベテランが去るなど伝統の背番号が空位となっていたが、7つもの背番号変更が発表。いずれも期待の若手選手がレギュラー格の番号に昇格した。
 昨年20番のDF内田は同じ右サイドバックの名良橋の2番を継承した。名良橋がクラブに直談判し「篤人(内田)に付けさせてください。本人が嫌と言っても」と後継者に指名。経緯を聞いた内田は「ナラさんの後でふさわしいと言われないと」と使命感を見せた。
 内田だけでなく、メッシーナMF小笠原がつけていた8番はMF野沢に、かつてのエースFW黒崎(現新潟コーチ)がつけていた9番はFW田代に任命された。鈴木強化部長は「名良橋、本田が抜け、次の世代の小笠原、中田浩もいなくなり、第3世代にシフトしている。若手の日本人が一皮むければ」と願いを託す。
 折良く就任するオリベイラ監督は若手育成に自信を持つ。僕のキャリアを見れば若い人が必ず台頭している。カカ(ACミラン)マルセロ、ロビーニョ(Rマドリード)とかね」とかつての教え子を例に出した。若手がチームの先頭に立った時、鹿島に黄金時代が再来する。
【広重竜太郎】
[2007年1月30日7時56分 紙面から]

イッキ12冠だ!オリヴェイラ新監督がジーコ主義の継承断言

“世界一”の経験を持つオリヴェイラ新監督。鹿島について事前取材をしてきた紳士的な探求派だ(撮影・財満朝則)
 鹿島が29日、鹿嶋市のクラブハウスで新体制発表を行った。00年にコリンチャンス(ブラジル)をクラブ世界一に導いたオズワルド・オリヴェイラ新監督(56)は、選手の個性を生かす“ジーコ・イズム”の継承と3冠奪取を宣言。監督と選手を含め外国人スタッフを初めて総入れ替えする大改革を断行した名門が逆襲を始める。

 チームの指針を表明したオリヴェイラ監督は“ジーコ・イズム”の継承をきっちり口にした。
 「個人では何もできない。選手、スタッフとしっかりコミュニケーションを取ることが大事。選手を気持ちよくピッチに送り出して、最大限の長所を出し切れるようなチームにしたい」
 新指揮官は“神様”の教えと同じ。鹿島の伝統でもある個性を生かしたチームを目指すことを強調した。
 9冠目を決めた02年のナビスコ杯優勝から4シーズン無冠。チームは改革をテーマに監督と選手を含め外国人スタッフを初めて総入れ替えし、7選手の背番号を変更した。オリヴェイラ監督は名門復活の課題として「チームは長年タイトルから遠ざかっている。勝つにはどうしたらいいのか、勝ちグセみたいなものを植えつけていきたい」失われつつある『勝者のメンタリティー』を取り戻すことを掲げた。
 新監督はすでにチームを知り尽くしている。ドイツW杯日本代表監督で、トルコリーグ・フェネルバチェのジーコ監督や前監督のアウトゥオリ氏、元ブラジル代表DFジョルジーニョ氏らかつて鹿島に在籍した歴代の監督や選手を取材してきた。「いろいろな人から話を聞いた」と勤勉な姿勢を示し、選手とチームの長所&短所など、アドバイスも受けている。チームはきょう30日に始動と他クラブより遅いスタートとなるが、新チームのイメージはできつつあり、遅れはない。
 「10冠だけじゃなく、11、12冠目を狙う」
 世界一を経験した名将の下、鹿島が名門らしさを復活させる。
(千葉友寛)

鹿島新体制発表「栄光取り戻したい」

新体制発表会見で並んだ(左から)ダニーロ、オリベイラ監督、ファボン、マルキーニョス
 鹿島はクラブハウスで今季の新体制と新外国人選手の入団を発表。チームは02年からタイトルがなく9冠で足踏み状態だが、オリベイラ新監督は「まずは勝ちぐせを付け、10冠と言わず、どんどんタイトルを狙って、鹿島の栄光を取り戻したい」と意気込みを語った。また、DFファボン、MFダニーロ、FWマルキーニョスのブラジル3選手も「タイトルを獲りに来た」と名門復活に向け声をそろえた。
[ 2007年01月30日付 紙面記事 ]

若手育成定評オリヴェイラ新監督、鹿島から第2のカカ生み出す
 名将が名門再生に着手する。鹿島は29日、クラブハウスで新体制を発表。オズワルド・オリヴェイラ新監督(56)はMFカカ(ACミラン)らを育てた手腕でリーグ、ナビスコ杯、天皇杯の3冠奪取を誓った。
 「失った勝者のメンタリティーを植え付けて10冠とはいわず、11、12冠と取れるタイトルは全部取る」指揮官は自らFWカカ、ロビーニョ、DFマルセロ(ともにレアル・マドリード)を育てた実績を披露し、自信満々に言い切った。
 選手育成の秘けつは、カウンセリングにあるという。「いかに選手を気持ち良く、試合、練習に送り出せるか。それには対話が大事。(選手を知ることで)長所を伸ばせる」全選手と面談する可能性もあり、名将が「第2のカカ」発掘、チーム強化を敢行する。
 「まずは、話して選手の気持ちを高めること。そこがスタートになる。しっかりコミュニケーションを取る」10冠に王手をかけながら、4年間も足踏み状態が続いている鹿島を一流の指導法で生き返らせる。
(2007年1月30日06時06分 スポーツ報知)


日刊は新監督や新外国人ではなく、日本人についてのコメントを報じている。
名良橋の篤人指名とその受け答えは嬉しいところであるが、右サイドバック専門職が篤人以外にいない以上、継承は明らかであったはず。
エースストライカー番号9を黒崎からというところに、鈴木隆行・平瀬の悲哀が心を浸す。
が、二人とも日本代表に名を連ねたストライカーであったことは紛れもない事実である。
黒崎から始まる9番は、日本を代表するストライカーへの第一歩なのである。


サンスポには悲しい現実失われつつある『勝者のメンタリティー』についてのコメントが載った。
特に昨季中盤に目先のタイトルを得んが為に失った代償はあまりにも大きかったと言える。
必ず勝つ。
このマインドを、スピリッツを、再び取り戻すことが寛容。
それを既に新指揮官が認識していることは心強い。
タイトル全てを獲ろうと言う彼のコメントも言霊となって後押ししよう。


報知のカカを生み出す報道は行き過ぎの感有り。
とはいえ、昨季より若手の起用が目立ち、終盤には結果も付いてきている。
無理矢理な若返りは肯定しかねるが、昨季は徐々に切り替わっていった。
何も若ければ全て良いわけではないのである。
起用された試合に於いては、年齢や実績は無関係で勝敗に関するプレイだけが重要なのである。
レギュラーナンバーに昇格した篤人・野沢・田代は年齢ではなくチームへの貢献が評価されたのである。
続く誓志・青木・中後・興梠には発奮が必要である。
西田敏行扮する義理の父やギバちゃん演じる頭取にオンブに抱っこでは解決せぬ。
浪花節や技術論では予算は取れないということなのだ。
第一、キムタクは北大路欣也にそれこそ役者不足ではないか。
同じ原作者のドラマ「白い巨塔」に比べて軽い事は否めない。
つまり、「役者」が「プレイヤー」が重要なのである。


新選手会長柳沢敦

2007年01月29日 | Weblog
鹿島新選手会長FW柳沢が結束を強調
 鹿島FW柳沢が、選手会長としてチームを引っ張る。チーム始動日となった29日、フィジカルテストなどで試運転した。選手間の話し合いで昨年のGKの後を継いで、選手会長に就任することが決まっており、心機一転で復帰2年目に臨むことになった。
 「(オリベイラ)監督が『日本人とブラジル人の壁がなくなった時に1つのチームになる』と言っていた。逆に日本人がブラジル人をサポートできれば」と結束を強調した。
 またMF本田の昨季限りの引退で空位となる主将は、現段階で未定となっている。
[2007年1月29日21時29分]


昨季末12月16日12月22日12月23日に報じられたとおり、新リーダーに柳沢敦が任命された。
本田元主将直々の指名である。
このオフで気持ちを切り替えておれば、プレイも結果もそしてチームメイトも付いて来よう。
そうなって貰わねば困るのだ。
器にあったポジションが与えられる場合もある。
しかし、与えられたポジションが器を育てる事もまた多くある事なのである。
このチャンスを逃すな。
「野村ノート」を読んで管理職技能を得るのだ。
間違っても「県庁の星」ではないぞよ。
しかし、酷い誤字である…
もはやコメントする気も起こらぬではないか。

FOOTBALL DREAM 07'魂(スピリッツ)

2007年01月29日 | Weblog
新体制発表、および新加入外国人選手・スタッフ記者会見のご報告
本日29日(月)、鹿島アントラーズクラブハウスに於いて、2007年度 鹿島アントラーズ新体制発表、および新加入外国人選手・スタッフ記者会見が行われました。
まず最初に、大東社長より今シーズンのスローガンの発表がありました。
今シーズンのスローガンは、『FOOTBALL DREAM 07'魂(スピリッツ)』です。

~2007年スローガンについて~
2007年鹿島アントラーズは、クラブ創設以来のテーマである『FOOTBALL DREAM』を再認識します。原点に立ち返り、魂(スピリッツ)を持って、地域の皆さん、サポーターの皆さんとともに闘い、優勝を勝ち取ることを誓います。
『FOOTBALL DREAM 07'魂(スピリッツ)』は2007年のアントラーズのテーマです。

続いて、2007年度のチーム新体制及び新加入外国人選手・スタッフの紹介がありました。新加入日本人選手につきましては、2月4日(木)に会見を行います。
新加入選手については、ファボン・ダニーロ・マルキーニョス・石神・船山・當間・遠藤・小谷野の8選手で、2007年度は29名でスタートいたします。

■オズワルド オリヴェイラ監督コメント
オズワルド オリヴェイラ監督 「日本に魅力を感じ、日本サッカーで仕事をしたいと思っていた中でアントラーズに監督として就任できたことを光栄に思います。
日本の習慣・文化に触れながら、アントラーズでは素晴らしい仕事をしていきたいと思っています。
また、国際経験の豊富な選手・スタッフも加わって、ブラジルの家といっていい、このアントラーズで過去の栄光を取り戻せるような指導法でやっていきたいと、今は期待でいっぱいです。」


■ダニーロ選手コメント
「アントラーズに来られて光栄です。タイトルを獲るために来たので、その中でいい仕事をしたいと思います。そしてクラブの歴史の中に名を刻めるように頑張りたいです。」

■ファボン選手コメント
「ここに来て自分の積み重ねてきたキャリアを活かし、恥じのないプレーをしたいと思います。重い責任を背負っているが、期待に応えられるようタイトルに貢献したいです。」

■マルキーニョス選手コメント
「長年、日本でプレーしていた中でアントラーズでプレーしたいという夢がありました。このチャンスを与えてくれたことに感謝しています。そして監督・スタッフ・選手全員で力をあわせて優勝という責任を果たせられればと思います。」

■リカルド フィジカルコーチコメント
日本といえば思いつくのはアントラーズ。日本で仕事をしたいという夢も実現でき、アントラーズで仕事ができることは大変光栄なこと。そこで終わるのではなく、クラブに名を刻みたいです。」

■ルイス・アルベルト GKコーチコメント
「アントラーズというクラブで仕事ができることを光栄に思います。チームでは代表レベルのキーパーもいるので、彼らの長所を伸ばし、多くの選手をGKコーチとして育てられればと思っています。」

■アレックス フィジオセラピストコメント
「選手をいかにしてケガをさせないことが大切か、ということを今後は監督・フィジカルコーチらと連携をとりながら行っていきたいです。
まずはベストなチーム状況を常に維持するかが大事。大変な役割ではあるが、今までの経験を活かしてチームの優勝に貢献したいです。」


我等も昨季、一旦は魂を抜かれたかが如く沈み込んだ。
魂の注入。
これは本当に必要な事であろう。
前監督は事ある毎に「メンタル」を連呼しておったが、その根底には「魂」の不在があったのやも知らぬ。
心の拠り所である。
「勝利」その結果を生むために、内面から変わるべきなのである。
コンセプト無き方向は必ずぶれる。
googleが何故成功するのか、Microsftが勝者であり得るのは、トヨタしかり。
真に上を目指すのであればぶれない芯が必要なのだ。

新背番号発表

2007年01月29日 | Weblog
公式サイト
2007年シーズン 鹿島アントラーズFCスローガン・新体制・新背番号について
GK
1.小澤 英明
21.曽ケ端 準
28.首藤 慎一
29.杉山 哲

DF
2.内田 篤人
3.岩政 大樹
4.大岩 剛
5.ファボン
7.新井場 徹
22.石神 直哉
24.當間 健文

31.後藤 圭太

MF
8.野沢 拓也
10.本山 雅志
11.ダニーロ
14.増田 誓志
15.青木 剛
16.中後 雅喜
17.興梠 慎三

23.船山 祐二
25.遠藤 康
26.小谷野 顕治

30.大道 広幸
32.吉澤 佑哉

FW
9.田代 有三
13.柳沢 敦
18.マルキーニョス
27.田中 康平
34.佐々木 竜太


篤人・野沢・田代がレギュラーナンバーに昇格し、ファボンとダニーロが助っ人として5と11を継承。
マルキーニョスは18番を背負い、誓志・青木・中後・興梠が順当に繰り上がった。
19・20番は欠番となり、22以降は新人と繰り上がりで埋めていったというところ。
篤人は不動の右SB(ジョルジーニョ、名良橋)
野沢は中盤・攻撃の要(サントス、マジーニョ、ベベット、小笠原満男)
田代はエースストライカー(黒崎、鈴木隆行、平瀬、エウレル、FJ、アレックス・ミネイロ)
誓志は攻撃的MFの切り札(増田忠俊)【クライフ】
青木はCBの控え(室井、金古、岩政)
中後は期待のMF(阿部敏之、本山、アウグスト、フェルナンド)
興梠は準レギュラー(鬼木、水筑、小笠原満男、内田潤、ダ・シルバ)
といったところ。
新人の番号を考察すると。
石神の22番は、金古、石川と中後。
ディフェンシブな選手と言ったところか。
同じレフティSBの石川とは別の人生を歩んで欲しい。
船山の23番は、阿部敏之、山口武士、大谷、興梠と続く攻撃的な選手の系譜。
即戦力の噂に違わぬ選手であって欲しい。
當間の24番は、本山、羽田、青木と高校時代から代表歴のある選手。
24→16が出世コースとの噂。
遠藤の25番は、中村祥朗、野沢。
野沢が永らく背負っていたので、ここで一つ25にヤスありと名を売りたいところ。
小谷野の26番は、鈴木隆行、ユダ、根本、深井、誓志、誓志以前は左利きである。
代表への番号とも取れる。
個人的にはユース上がりの小谷野に25、左利きのヤスに26が好みだが、ユース上がりは後ろの法則の方が強かったと見える。

背番号でサッカーをするわけではないが、クラブ経営のマーケティングが垣間見える番号であった。

昨季末の起用に新外国人を当てはめると以下のようになる。
   9 18
    10
 11    8
    16
7  5  3  2
    21
怪我がなければ大いに期待出来る布陣である。

オズワルド・オリヴェイラ監督及び外国人助っ人合流

2007年01月29日 | Weblog
鹿島への新加入トリオが来日
 10冠を目指す鹿島のキーマン、DFファボン、MFダニーロ、FWマルキーニョスの新加入トリオが28日、来日した。
 ブラジルからの長時間のフライトにさすがに疲労の色は隠せなかったが、新天地での心境を聞かれると、目も輝き出した。昨季、名門サンパウロのセンターバックとしてベストイレブンに輝いたファボンは「ビッグクラブから、またビッグクラブに移籍できて光栄だ。最終的にタイトルを取りたい」と意欲満々なコメントを残した。

[2007年1月28日21時51分]

鹿島・オリベイラ新監督が来日、チームは29日始動
 鹿島のオズワルド・オリベイラ新監督(56)が28日、成田空港着の航空機で来日。00年の世界クラブ選手権(現クラブW杯)でコリンチャンスを世界一に導いた実績を持つ名将。ともにサンパウロから加入したDFファボン(30)とMFダニーロ(27)、清水から加入したFWマルキーニョス(30)の新外国人選手3人も来日し、チームは29日に始動する。

鹿島オリヴェイラ監督来日
 鹿島のオズワルド・オリヴェイラ新監督(56)、新外国人のFWマルキーニョス(30)、MFダニーロ(27)、DFファボン(30)=いずれもブラジル=が28日、成田空港着の航空機で来日。「ジーコ、ジョアン・カルロス、セレーゾ、アウトゥオリから鹿島の情報を得ている。開幕戦(3月3日、川崎戦)に早急にチームをつくっていく」と歴代監督の名前を挙げながら、チーム再建に自信を見せた。新指揮官はコリンチャンスを率いて00年クラブ世界選手権で優勝。03年以降、タイトルがない“古豪”の復活は、世界一監督に託された。
(2007年1月29日06時10分 スポーツ報知)

ファボンのコメントには泣かされる。
我等こそ無くしかけた誇りを取り戻したい。
その為に勝利を与えて欲しい。
そして、過去の遺産を受け継ぐべき正当なる後継者が着任したようである。
ジーコからは勝利を、ジョアンからはタイトルを、セレーゾからは2003年の最強布陣を、アウトゥオリからはジャッジの不明瞭さを、それぞれ情報として得ていれば、さほど心配するところではない。
例え妻を無惨に殺されようとも、懐に入れずとも、すっぱとして駿府に入ることも承知するのだ。
様々な映像作品に於いて凡庸に描かれる今川義元であるが、今回は異なっていようぞ。
新田次郎版からエピソードを拝借すれば、今川からのすっぱ(乱波)という設定となろう。
ダブルスパイである。
家督を強奪するところまでは、その流れでも致し方なし、諏訪を滅ぼすところが前半の山場であるのだ。
由布姫が百姓娘であるミツ以上に魅力的かどうかにかかっていると言っても過言ではない。
つまり、ダニーロがFS以上であればそれだけで充分なのである。

故郷は神栖

2007年01月27日 | Weblog
横浜は第2のホーム

Jリーグ鹿島アントラーズへ入団する神奈川大学サッカー部4年生
石神 直哉(いしがみ なおや)さん
六角橋在住 21歳

○…神奈川大学の現役学生として初めて、プロサッカーJリーグへの入団を決めた。「幸せですね」と素直な一言。鹿島アントラーズは、小さい頃から応援してきた出身地茨城のチームだ。憧れだった舞台に、今度は自分自身が立つ。「地元で愛される選手になれるよう頑張りたい」。そのためにまず、厳しいレギュラー争いに挑む。「本音は、不安と期待が半々。でも、入っちゃったからやるしかないですよ」

 ○…中学に上がる時、アントラーズのジュニアユースのセレクションを受けたが不合格。公立の中高でサッカーを続け、鹿島高校時代には全国大会へ出場した。大学では、県1部から関東2部へのリーグ昇格など、チームの躍進を牽引(けんいん)した。それでも関東1部リーグには届かず、各年代での日本代表経験もない。Jデビューという華やかな世界では、地味な方かもしれない。“雑草魂はあるか”との問いに、「もっと頑張っているやつを見てきました。雑草魂なんて軽々しく言えません」

○…いわゆる体育会系のイメージからは遠い、いまどきの若者という印象だ。「大学生らしい生活をしたい」と、寮生活ではない神大サッカー部を選んだ。マンションで一人暮らししつつ、夜は横浜駅そばの居酒屋でアルバイトをした。大学で教職課程も履修するなど、サッカー以外のことにも貪欲(どんよく)だった。六角橋で行きつけとなった居酒屋では、店主や常連仲間との出会いが「人生観をプラスにした」。横浜での4年間は「とにかく人との出会いが大きかった」。そう振り返り、「第2の故郷です」と愛着を語る。

○…ポジションは左サイドバック。何度もオーバーラップする持久力と、フィジカルの強さ、精度の高いキックが武器だ。アントラーズのスカウトに「フィジカルはプロの中でもトップクラス。即戦力だ」と言わしめた。「横浜は第2のホーム。試合に来るのが今から楽しみですね」。日産スタジアムや三ツ沢球技場に“帰ってくる”日が待ち遠しい。


大学へ進学し、横浜へ居を移した。
横浜の地は第2の故郷とのこと。
水はふんだんにあったのだろう。
体皮はひび割れておらず、100万度の高熱火炎も吐くことは出来ない。
当然であるが、国際非難を恐れなかったので隠蔽されておらず、恨みも持っていない。
ウルトラ水流で断末魔の叫びをあげることも無かろう。
墓碑銘は「地球の英雄ジャミラ、ここに眠る」
「いつだってそうだ…
 言葉だけは立派だ」

ファボンとダニーロ

2007年01月26日 | Weblog
週間サッカーマガジン2・6号(1/23発売)のファボンとダニーロの記事である。
ファボン
「~~読みよりガツッと当たってから守備に入るので、ワンツーや切り返しへの対応が遅い。スピードのあるチームとの対戦では、苦労するかも知れない」
ダニーロ
「~~視野は広く、チャンスは作るがプレースピードは遅く、生かしきれないことも。左足のシュートには切れがあるが、右足には大きな期待は出来ない。献身的に下がってボランチのように体を張った守備をするが、、”それは役割じゃないでしょう?”と思わせることもしばしば。ファボン以上にJリーグの速さへの順応に悩むのでは、と心配する声も…」
なんともネガティブこの上ない。
2005年クラブ選手権決勝において、ファボンの当たりは強く、屈強さを見せつけた。
このプレイに関しては、Jのジャッジに合うかどうか懸念している。
Jに於いては倒れた者勝ちである(除く本山)。
FWが倒れればDFのファール、DFが倒れればFWのファール。
何度泣かされたことか。
柳沢敦が乗り切れないのもここに理由がある。
日本代表が世界で勝てないこともここに起因する。
ここを治さねば、日本人の成功は無いであろう。
そこだけが気がかりなだけで、リヴァプールを完封したCBに不安はない。
ダニーロについては、サンパウロが守備的な戦術を採り、且つ早い時間に先制したため見せ場が少なかった。
また、ボランチのミネイロが鬼神の働きをしたため、霞んで見えたことも事実である。
だが、数少ないボールタッチの場面では高い技術も戦術眼も垣間見せていた。
評判通り、レオナルドやロナウジーニョのような10番ではない。
攻撃的な左利きの中盤としての背番号なのである。
かつて、広島カープの西田真二が「自分は4番目の打者です」と四番を任されながら語ったことと同義である。
その男に対し、”それは役割じゃないでしょう?”とはこれ如何に。
まさに昨季終盤のFSが担っていた役割にピタッとハマるではないか。
つまり、昨季に於いて欠けていたピースが埋まる助っ人と言えよう。
文責は、本文オズワルド・オリヴェイラ監督の記事を書いた向笠直氏なのであろうか。
今季終了時には、彼の検分が正しかったのかどうか、そしてサッカー記者としての価値があるのかどうかが周知となろう。
今は、実際のプレイを待つだけである。

8番ではなく25番を越えるのだ

2007年01月25日 | Weblog
8番・野沢V宣言
 鹿島MF野沢が24日、今季から背負うことになった背番号8を歓迎した。「満男くん(小笠原)がつけていて、すごいプレッシャーもある。それに負けないように結果を出したい」。この日が本格始動となった野沢は「チームが優勝すればいい。(調整も)最初から飛ばしていく」。
(2007年1月25日06時05分 スポーツ報知)

頼もしい発言が飛び出した。
開幕にアウェイの川崎戦が組まれ、第二節はガンバである。
ここはガツンと踏みつけておきたい。
更に言えば、8番の満男にプレッシャーを感じることはない。
25番のジャンフランコ・ゾラ(チェルシー)にプレッシャーを感じなかったのだから。

助命懇願せしめ島流しと処す。

2007年01月25日 | Weblog
鹿島強化部長「小笠原30歳まで伊」
 鹿島の鈴木満取締役強化部長が24日、メッシーナにレンタル移籍しているMF小笠原満男(27)に対し、今後3年間は鹿島に復帰させない意向を示した。「30歳まで引き取らない。イタリアでポジションを取るつもりでやってほしい。それは本人にも伝えた」と明言。今季リーグ戦20試合中、出場したのはわずか6試合と苦悩する小笠原に、ゲキが飛んだ。
(2007年1月25日06時05分 スポーツ報知)

小笠原満男がシチリア島に渡って早7ヶ月である。
そして一つも勝利を知らぬ敗残者と成り果てた。
もう帰ってくるなとは、島流しに他ならない。
宇喜多秀家の如くである。
若くして五大老の末席に座したが、妻の豪姫はその名の示すように散財豪快成りと描かれ、後に西軍に荷担し八丈島へ流され申した。
2005年には広島戦を放棄し、2006年は心ないプレイを広島戦で魅せた。
その罪は宇喜多秀家の罪とは比べ物にならぬほど重い。
が、好き好んでノコノコと伊太利亜漫遊を許されておる。
望郷の年を心に残しつつシチリアに没するもまた良し。
帰って来るも良し。
ところで、鈴木満氏の発言である。
「引き取る」
まるで不良債権とでも言いたげな発言である。
檄の意には取れぬ。
そもそも、保有権こそ鹿島が持っているが、切れれば小笠原満男本人が選べるはずである。
奴隷として所有しているかのごとき発言である。
全くもって意味不明。
大正時代の女工哀史を彷彿させられる。
つまるところ、決断は満では無く満男が行えば良いだけである。

十年一昔

2007年01月24日 | Weblog
最強との呼び声高い1997年。
そのイヤービデオを見返してみた。
記憶していた以上暴力的な攻撃力を持っており、爆発すると手がつけられない。
中央はブラジル人トリオで、サイドは日本代表相馬と名良橋が切り裂く。
決定力でマジーニョ・敦、高さで長谷川、強さの黒崎、スーパーサブの真中!
本当に強いとはこのこと。
ライバルが横浜フリューゲルスというところが郷愁を誘う。
名良橋と三浦アッくんのマッチアップである。
ジョルジーニョとジーニョ、ビスマルクとサンパイオである。
レッヅの弱さもまた嬉しからずや。
返す返すも、洋平のあそこだけが悔やまれる。
遠く過ぎ去っても…
メンバーを列挙すると
GK:1古川、21洋平、29高桑、30小澤、31市川
DF:4奥野、3秋田、7相馬、32名良橋、
  5内藤就行、15室井、24水筑(新人)、28大森(新加入)、25池内
MF:2ジョルジーニョ、6本田主将、14増田忠俊、10ビスマルク
  20石井正忠、17鬼木、23阿部敏之、16栗田、12ロドリゴ
FW:8マジーニョ、9黒崎比差支、11長谷川祥之、13柳沢敦
  19真中、26鈴木隆行、27平瀬
と、そうそうたるメンバーである。
開幕当初はジョルジーニョの怪我もあり、マジーニョがMF登録で出場していた。
FWの組み合わせを見てみると(左の+/-は勝敗、無印はPK戦)
長谷川+敦 +
長谷川+敦 +
長谷川+敦 +
長谷川+敦 +
黒崎+敦 -
黒崎+敦 +
黒崎+敦 -
黒崎+マジーニョ 
黒崎+マジーニョ +
黒崎+ロドリゴ +
黒崎+マジーニョ +
黒崎+マジーニョ +
黒崎+マジーニョ -
マジーニョ+真中 +
マジーニョ+真中 +
マジーニョ+真中 +
マジーニョ+真中 +
マジーニョ+真中 +
黒崎+マジーニョ +
黒崎+マジーニョ -
黒崎+敦 +
黒崎+マジーニョ +
黒崎+敦 +
黒崎+敦 -
黒崎+敦 +
黒崎+敦 +
黒崎+敦 -
長谷川+マジーニョ +
長谷川+マジーニョ +
長谷川+マジーニョ +
長谷川+マジーニョ -
黒崎+マジーニョ -
となっている。
スーパーサブの印象が強い真中も思った以上にスタメンに定着している。
そして、プロ2年目の柳沢敦がこれほどスターティングラインナップに名を連ねていたことには驚かされる。
因みに同期の平瀬は1試合の出場に止まっており、鈴木隆行に至っては公式戦出場0である。
リーグ戦の成績である。
マジーニョ32試合(22)、長谷川祥之27試合(7)、黒崎比差支26試合(10)、柳沢敦25試合(8)、真中12試合(4)
日本人の得点は今とさほど変わらない、つまり決定力のある助っ人は必須であると言えよう。
ここで、今季と重ね合わせると
選手は
GK:曽ケ端、小澤、首藤、杉山
DF:ファボン(新加入)、岩政、新井場、篤人、大岩、後藤、當間(新人)、石神(新人)
MF:野沢、中後、ダニーロ(新加入)、本山、青木、誓志、興梠、吉澤、大道、船山(新人)、遠藤(新人)、小谷野(新人)
FW:田代、マルキーニョス(新加入)、柳沢敦、田中康平、佐々木
となっている(2007/1/22現在)
FWの駒不足を感じる以外は、バランスの取れた陣容では無かろうか。
FWも深井が残っていたとして、康平が札幌にレンタルされる予定であったので問題は少なかろう。
興梠はFW起用が多く、本山も野沢も船山もFWとして結果を残している。
DFについてであるが、CBは大岩、青木がサブにおり問題がない反面、SBは手薄である。
フィジカルレフティ石神の加入で左SBは良いが右は當間、青木、中後となってしまう。
が、石神の台頭で新井場が追いやられることを考慮すれば、特に層が薄いとも思えないのである。
そもそも最強の97年もSBは少ない。
内藤就行で難なく乗り切っている。
逆に内藤就で勝っているのである。
MFは今季の方が艶やかでは無かろうか。
日本代表野沢拓也を筆頭にファンタジェスタ本山、ペップチューヤンにロベルト本郷ことダニーロ、和製皇帝青木剛である。
そこにU-22代表誓志、拳で語り合う興梠慎三と続き、東北の粘り腰遠藤と大学No.1船山、メニコン小谷野も加入した。
黄金過ぎて眩しい。
プラチナと読んでも過言ではない。
未知数なのはやはり監督としか言いようがない。
助っ人と確執さえ起こさなければ良いのであるが…

野沢は八番、電話は二番、三時のおやつは~~♪

2007年01月23日 | Weblog
鹿島・野沢背番25→8…小笠原後継者
 鹿島の日本代表MF野沢拓也(25)の背番号が、25番から8番に変更される見込みであることが22日、分かった。昨季途中まで8番を背負ったMF小笠原満男(27)がメッシーナへ移籍。空き番号となる今季、野沢が小笠原の後継者に指名された。
 負傷に悩まされる時期もあった野沢だが、ジーコ前日本代表監督に「天才」と言わしめた才能がここ数年で開花。昨季は司令塔として29試合9得点と実績を残し、8番を手繰り寄せた。鹿島の8番はMFサントス、FWマジーニョ、小笠原らがつけ、チームを象徴する選手がつける番号。昨年11月にオシム・ジャパンに初招集された野沢が、伝統の背番号でさらなる飛躍を目指す。
(2007年1月23日06時03分 スポーツ報知)

何が何でも後継者に仕立て上げたいようだ。
再三、本人は別のプレイヤーであることをアピールしていることを無視するのは如何なものであろうか。
野沢には野沢のサッカー観があり、小笠原には小笠原の人生がある。
小笠原自身も夏に帰参する兆しが見えているところに、後継者が居座っておっては戻るに戻れぬではないか。
それとも、買い取るクラブがあろうということであるのか?
また、クラブとしても後継者は遠藤と公言しておる。
椎本スカウト部長の立場は如何に。
>鹿島の8番はMFサントス、FWマジーニョ、小笠原
この「」にFWベベットを忘れてはならぬ。
鹿島の黒歴史の一つである。
彼がいたからこその三冠なのである。
秀忠がいてこその徳川幕府二百六十年なのである。
やれ弱将よ、やれボンクラよ、と揶揄してはならぬということである。

金古聖司レンタル公式発表

2007年01月22日 | Weblog
金古聖司選手の期限付き移籍延長について
鹿島アントラーズよりアビスパ福岡へ期限付移籍しておりました金古聖司選手は、引き続き期限付き移籍を延長することが決定致しましたのでお知らせ致します。
■期限付き移籍先 : アビスパ福岡
■期限付き移籍期間 : 2007年2月1日 ~ 2008年1月31日
■プロフィール : 
氏名 金古 聖司(かねこ せいじ)
生年月日 1980年5月27日
身長/体重 180cm/77kg
ポジション DF
出身地 福岡県
経歴 東福岡高校 - 鹿島アントラーズ - ヴィッセル神戸 - アビスパ福岡
■出場記録 : 
   チーム リーグ戦 カップ戦 天皇杯
1999 鹿島    0 (0)   0 (0)  0 (0)
2000 鹿島   10 (0)   0 (0)  0 (0)
2001 鹿島    8 (1)   2 (0)  0 (0)
2002 鹿島    3 (0)   0 (0)  0 (0)
2003 鹿島    2 (0)   1 (0)  0 (0)
2004 鹿島   22 (3)   5 (0)  0 (0)
2005 鹿島    0 (0)   0 (0)   -
2005 神戸   10 (0)    -   1 (1)
2006 福岡   18 (1)   5 (0)  1 (0)
    ( )は得点


三年連続レンタルではコメントすら無いということか。
それはそれで寂しいものである。
などと感傷に浸ったのだが、昨季のレンタル時に既にコメント無しであった。
既に心が無くなっているものと取る。
ところで、1月15日に情報発信されてから、何故1週間の猶予を経て本日の発表に至ったのか合点が行かぬ。
世のスピード感に取り残されているとしか思えない。
これでは、時勢に乗り遅れ滅んでいった柴田勝家と同様ではあるまいか。
何事も情報が優先である。
横綱相撲を取れる時代ではない、侍商売が通用する世ではないのだ。